プロローグ
長野県佐久市は、浅間山の影に抱かれ、いつも平穏な空気に包まれている。しかし、鈴木家の古びた木の扉の向こう側では、その平穏などどこにも存在しなかった。そこでは、愛情は平等に分け与えられるものではなかった。一人は溢れんばかりの愛を注がれ、もう一人は乾ききった孤独の中に置き去りにされていた。
小学二年生の明るい少年、江戸は、両親にとっての太陽だった。彼が笑えば称賛が送られ、彼が歩けばそれは一つの成し遂げた証となった。彼にとって、世界は抱擁に満ちた温かい場所だった。
しかし、姉のあかりにとって、世界はあまりにも冷酷だった。常に無視され続ける小学四年生の彼女は、弟の輝きをただ見つめるだけの「影」に過ぎなかった。食卓に彼女の声が響くことはなく、居間でその存在を認められることもない。本来受けるべきだった愛情は、いつしか彼女の心の中で黒く濁った毒へと変わり、形を成していった。それは「憎悪」という名の毒だった。
あかりは、もう江戸を弟としては見ていなかった。彼女の目に映るのは「泥棒」の姿だった。愛情を盗み、注目を盗み、彼女の人生そのものを盗んだ泥棒だ。
佐久の空が不吉な琥珀色に染まったある日の夕暮れ、あかりは鏡の前に立っていた。その純真な瞳の奥には、幼い子供には似つかわしくない深い闇が宿っていた。彼女はある計画を立てていた。街の外れにある深い森へと弟を連れ出す計画だ。そこは、誰にも悲鳴が届かない場所。
あかりはすべてを終わらせようとしていた。生き残る「鈴木」を、自分一人だけにするために。
しかし、彼女は一つ忘れていた。あの古き森では、木々には目があり、大地には耳があるということを。この世界において、因果応報に眠りはない。大きな悪意が準備される傍らで、血を分けた兄弟の命を狙う者に、運命はさらなる恐怖の報いを用意していた。




