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戦国不精で何が悪い〜米作りとか面倒なのでやめました〜 ―神様のチート、無意味でしたよ。人口比10対1の東北なのに、なぜか天下が見えてきたかも―  作者: 犬童好嬉


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第65話 戦10-01〈結衣視点〉

結衣視点は三話ほど。

結衣の部屋。


侍女たちが声を潜め、絶え間なく手を動かしている。


衣の襟を整え、帯を締め、髪を結い上げる――その一つ一つの所作が、淡々としているがゆえに、かえって現実の重みを際立たせていた。


和鏡の前に座る結衣も、整えられていくたびに「求められる姿」に近づいていき、どこにも逃げ場がないように感じていた。


――仮とはいえ、婚約。


ほんの数刻前、自分の口からこぼれ落ちた言葉だった。思い出した瞬間、胸の奥がじわりと熱を帯びる。あのときは確かに、どこか浮き足立っていた。


場の空気、父の問い、周囲の視線――それらに押されるまま、心の奥に溜め込んでいたものが、堰を切ったように言葉となって溢れ出たのだと、今なら分かる。


だが、それだけではない。


胸の奥に残るこの熱は、少し前からあった。気づかぬふりをしていただけで、静かに燻り続けていたものだと、はっきりと感じ取れる。


あの場で初めて生まれた衝動ではない。はじめて出会ってから、確かに積み重なっていたものの行き着く先だった。


結衣は、戦の話が好きだった。武勇の華やかさではない。力任せに押し切る強さでもない。


目には見えぬ理と流れを読み取り、戦そのものを動かしてしまう“知略”というものに、どうしようもなく心が惹かれていた。


兄が語る古今の戦、先祖の逸話――常陸大掾(ひたちだいじょう)平国香(たいらのくにか)が平将門に一歩も退かず対峙した話。


父が折に触れて語る「身内の争いで果てた国香公の二の舞にはなるな」という戒め。


そのどれもが、結衣の中で単なる教訓ではなく、確かな興味として根を張っていった。


そして、兄から断片的に聞かされる唐土の物語――三国志。


数で劣る者が策で覆し、正面からぶつからずに勝を取る。表に出ぬところで積み重ねられた布石が、ある瞬間に一気に形を成す。


その流れを想像するたび、幼い胸は高鳴り、知らぬうちに息を詰めて聞き入っていた。だが、それは表に出してよいものではなかった。


「女子がそのようなことに心を寄せるのは、はしたないことですよ」


母の声音は、穏やかでありながら揺るぎない。


否定するでもなく、ただ“そうあるべきだ”と示すその言葉に、逆らう余地はなかった。


女は愛されることが肝要であり、賢しさは過ぎれば疎まれる。家のために嫁ぎ、縁を繋ぎ、内を守る――それこそが女の務めであると、幼い頃から何度も言い聞かされてきた。


だから結衣は、表では従った。静かに頷き、余計なことは口にしない。賢しさを見せぬよう、知らぬふりすら覚えた。


だが、それでもやめなかった。兄のもとへ行き、無理やり書物を読ませる。


それも、ただの物語ではない。漢語ばかりで書かれた難しい軍記や古書――とりわけ三国志のような話を持ち出しては、「読んで」とせがみ、嫌がる兄に半ば強引に読み解いて聞かせてもらった。


兄は途中で何度も顔をしかめた。


「だから、こんなの女子が読むものじゃないって」「難しいし、眠くなるんだよ……」


それでも結衣は引かなかった。


「そこ、もう一度」「今の者は誰?」「それで、どうして裏切ったのですか?」


細かく聞き返し、止め、また戻らせる。兄が適当に流そうとすれば、「違うでしょう」と食い下がる。ついには兄のほうが根負けし、渋々ながら話を訳して聞かせるようになっていた。


聞き取れなかった部分は、自分の中で何度も繋ぎ合わせる。足りぬところは想像で補い、人物の関係や戦の流れを頭の中で組み立て直した。


本そのものも、人目を忍んで開いた。


女がそのような書を読むべきではないと言われるからこそ、誰もいない時を選ぶ。障子の隙間から人影が見えれば慌てて閉じ、足音が近づけば裁縫道具の下へ隠す。


分からぬ文字を指でなぞり、同じ形を何度も紙へ写した。


意味の分からぬ言葉は兄にそれとなく聞き出し、少しずつ覚えていく。


そして、誰にも知られぬまま。少しずつ、だが確実に。結衣の中には、積み重なっていくものがあった。


――そして、今回の城取り。


あれは、これまで耳にしてきた、どの戦とも違っていた。


討つためではなく、止めるため。奪うためではなく、守るため。血を流さず、城を崩さず、それでいて確実に勝を収める。


理解が追いつくよりも先に、胸が高鳴った。


恐れでも、怒りでもない。もっと別の、深いところから湧き上がる感覚。


これまで断片的にしか知らなかった“策”というものが、ひとつの形となって目の前に現れたような衝撃。


――まさに、兄が話してくれた、深謀遠慮。その言葉が、自然と浮かんだ。


自らの城を奪われたという現実があるにもかかわらず、心は恐れよりも先に、その理に触れたことへの震えを覚えていた。


和鏡の中の自分は、整えられた姿で静かにこちらを見返している。


その顔に浮かぶのは、戸惑いでも恐れでもなく――どこか、隠しきれぬ高鳴りだった。



思い出す。あの日のことだ。


兄に三国志の話をねだっていたときだった。ちょうど、「袁紹の軍師だった許攸が、曹操に寝返るその場面」、そこに差し掛かり、結衣が身を乗り出したそのとき、不意に障子が開いた。


静かな声。振り向けば、母が立っていた。


「結衣、女子は、そのような話に心を寄せるものではありません。縁談の話も来ているのです。そろそろ、おやめなさい」


柔らかい言い方だった。だが、そこに揺らぎはない。


兄も口をつぐみ、結衣も言葉を失う。


「……はい」それ以上は、何も言えなかった。


頭では分かっている。反すべきではないことも、母の言葉が正しいとされるこの世の理も。


けれど、胸の奥に残ったものだけは、どうしても消えなかった。そのまま席を立ち、誰にも告げずに庭へ出る。


人気のない木陰に腰を下ろすと、張り詰めていたものがほどけるように、ぽつりと涙が落ちた。


なぜ泣いているのか、自分でもうまく分からない。ただ、胸の内に溜まったものが、行き場を失って溢れているだけだった。


――そのとき。


砂を踏む、かすかな足音が近づく。


結衣は顔を上げた。少年がいた。


色白で、どこか丸みを帯びた顔立ち。身なりは整い、柔らかな空気をまとっている。


うっすらと見覚えのある顔――あの商人の小者だ。だが、その口が開いた瞬間、思考が止まった。


「これはいけませぬ、見目麗しきお方。なぜそのように、お一人で涙など零しておいでなのですか」


淀みなく、言葉が流れ出す。


「そのお美しきお顔が曇っては、宝の持ち腐れ。お嬢様には、春の陽だまりのような笑顔こそが何よりお似合いでございますよ」


あまりのことに、結衣は瞬きを忘れた。


「……え」


かろうじて漏れた声に、少年は気にした様子もなく続ける。


「小野小町の艶やかさに、袈裟御前の気高さか、まだ見ぬ唐土の楊貴妃か。されど、それらを越えてなお、照手姫のような儚さまでお持ちとは――いやはや、これは言葉が追いつきませぬな」


聞いたことのある名もある。だが、知らぬ名も混じる。


意味のすべては分からない。それでも――褒められていることだけは、はっきりと分かる。


ただ、それ以上に。


――悔しい。


同じ歳ほどの少年が、しかも武家でもない商人の小者が、自分の知らぬ言葉を当然のように使っている。その事実が、胸の奥に引っかかる。


「……どうして、そんなに……知っているのですか」


思わず、口をついて出た。


少年はきょとんとした顔をした後、すぐに肩をすくめて笑う。


「さあ、どこで覚えたのでしょうな。好きで聞きかじっておるうちに、気づけば、というところでございます」


軽い。あまりにも軽い答え。だが、その軽さの奥にあるものが、結衣には分からなかった。


自分は、隠れてまで学んできた。積み重ねてきたつもりだった。それでも届かない。


けれど――同時に。


楽しい、と思っている自分がいる。知らないものに触れる、この感覚が。


ふと、少年が差し出したものがあった。


「少し甘いものでもいかがです? 涙の後には、これがよく効きますゆえ」


竹笹を開いて手のひらに乗せられたのは、薄茶の粉をまとった飴だった。


指先が、ほんの一瞬だけ触れる。その瞬間、心臓が跳ねた。


「……ありがとう、ございます」


受け取る声が、わずかに上ずる。


後で口に含んでみると、それはやわらかく溶けて、甘さが広がった。これまでに口にしたことのない味。


後で侍女に尋ねれば、それは”きなこ”というものだと知る。手間がかかり、そうそう口にできぬ貴重なものだと。


それを、この少年は、ためらいもなく差し出した。ただ、泣いていた自分に。


「では、お嬢様。どうか笑顔をお忘れなく」


そう言って、少年は軽く一礼し、何事もなかったかのように去っていった。


その背を見送りながら、結衣はしばらく動けなかった。


――あれは、ただの小者ではない。その確信だけが、胸の奥に残った。


やがて知ることになる。あの少年の名が、貴二郎であることを。


――そして、今。


城を落とした張本人と対面したとき、結衣は息を呑んだ。同じ顔だった。庭で出会った、あの少年と。


軽やかに言葉を紡いでいたあの口が、一日で城を落とした知略を持つ。


あのときの柔らかな笑みの奥に、すべてを見通すような眼差しがあったことを、今さらのように理解する。


点と点が、静かに繋がっていく。あの言葉の軽さと、この戦の重さ。


そのどちらも、同じ一人の内にあるのだとしたら。結衣は鏡の前に座り直し、整えられた自分の姿を見つめた。


「……あの方、だったのですね」


誰にともなく、ぽつりと漏らす。侍女が小さく首をかしげたが、結衣はそれ以上は言わなかった。


息を、ひとつ整える。これは、ただの高ぶりではない。


あの日、庭で芽生えた違和感と興味。それが、今ここで一つに繋がっている。


「……そう、ですわね」


自分に言い聞かせるように、小さく頷く。


これは、成すべき選び。


富岡のため、家のため。


そう、思うことでしか、この胸の熱に名前を与えられなかった。


それでも――和鏡の中の自分の頬が、わずかに紅を帯びていることから、結衣はそっと目を逸らした。



常陸大掾平国香:桓武平氏の事実上の祖。平将門の伯父であり宿敵。関東に根を張った平氏の総領だったが、甥の将門に殺された。しかし、その子孫がのちの平家一門として大繁栄した。


身内の争いで果てた国香公の二の舞にはなるな:平国香と平将門との争いのこと。


和鏡:青銅製の和鏡。表面は白銀色に磨き上げられ、ガラス鏡に比べると少し黄色みや青みがかっている。


袁紹の軍師だった許攸が、曹操に寝返るその場面:官渡の戦いの許攸の寝返りと烏巣急襲。兵力も兵糧も圧倒的に袁紹が有利で、曹操はジリ貧で絶望的状況。袁紹の軍師許攸が、曹操に寝返り、兵糧庫の烏巣が手薄という極秘情報により、曹操が奇襲を敢行。たった一箇所の兵糧庫を焼かれただけで、雪崩を打つように崩壊していく大逆転場面。


きなこ:大豆は当時も一般的だが、工程がかなり複雑なので、希少性が高いものだった。

(工程:選抜したものを洗って乾かし、焙煎か焙烙でじっくりと炒る。その後に、石臼で挽く。通常は二人がかりでゆっくりと回し、きめ細かな粉を作る。急いで回すと摩擦熱で香りが飛んでしまう。その後に篩にかける。ただの篩ではなく、きめ細かい馬毛篩などで丁寧に篩うので、時間も手間もかかった。そもそも石臼が希少なので、村に数台あれば良いほうの、極めて高価なハイテク設備だった)


貴丸との会話が変わってますが、結衣にはそう聞こえたようです。

これは結衣の思考なので。。



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