第34話 相馬盛胤との対面05
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座敷に残っていた余韻は、もはや静寂とは呼べぬ張りを帯びていた。
畳の上に落ちた言葉の残響が、まだ空気の底に沈みきらず、じわりと広がっている。
障子越しの光は柔らかいはずなのに、その場にいる誰もが、どこか息を詰めていた。
孫子を誦じ、臆することなく盛胤と兵法を語る――その貴丸の在り方は、場にいる誰の目にも異質に映っている。
童の姿をしていながら、語る中身はあまりに重い。
その不均衡が、静かに、しかし確実に場を軋ませていた。
その中心で――
ついに、彦法師丸が弾けた。
「――ふざけるな!」
堪えきれぬ怒気が、声となって噴き出す。
畳を踏みしめる音が強く響き、そのまま勢いのまま一歩踏み出した。
肩は大きく上下し、握りしめた拳に力がこもる。
その視線は、まっすぐに貴丸へと突き刺さっていた。
「何を知ったような口を利く! 戦も知らぬ童が、この相馬を長年率いる父上と、兵法を語るなど片腹痛いわ!」
吐き捨てる言葉は荒く、抑えの利かぬ感情がそのまま乗っている。声量も、次第に増していった。
「剣も槍も、馬すら満足に操れぬ不精者が、机上で何をほざくのだ!」
畳の上に落ちる唾が、乾いた音を立てる。
「焚き火で城が偶然焼けた程度で、勝った気になるな!」
一瞬、息を吸い込む。その胸の動きが、怒りの深さを物語っていた。
そして――
「悔しかったら、城を焼くだけではなく、奪ってみせよ! できぬであろうが!」
叩きつけるような声が、座敷の梁にまで跳ね返る。
空気が、張り詰めた。
誰もが次の動きを測りかねる中で、貴丸だけがわずかに目を伏せる。
怒りに応じるでもなく、反論の気配もない。ただ、ほんの短い間だけ、何かを確かめるように沈黙した。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
その目には、感情の色はほとんどなかった。
「……できますよ。城を奪えば、よろしいのですよね?」
あまりにも軽い。
緊張を削ぐような、気の抜けた調子で言い放つ。
言葉は柔らかいのに、その内容だけが場に重く落ちる。
一瞬、理解が追いつかない空白が生まれた。
そして、遅れて熱が戻る。
「――貴様! 舐めるのも大概にせよ!」
彦法師丸の顔がさらに紅潮し、今度こそ抑えきれぬ勢いで踏み出しかける。
腰が沈み、体が前へと傾く――その動きは、もはや言葉では止まらぬ域にあった。
その瞬間。
「控えよ」
低く落とされた一声が、空気を断ち切った。
大きくもない。だが、逆らうという発想すら許さぬ圧を帯びた声だった。
盛胤である。
視線は微動だにせず、ただ一言で場を制していた。
彦法師丸の足が、ぴたりと止まった。
踏み出しかけた勢いを無理に押し殺したせいで、肩がわずかに揺れる。
歯を食いしばり、今にも言葉がこぼれそうな口元を固く閉ざしたまま、喉の奥で何かを飲み込んだ。
沈黙が戻る。だがそれは、先ほどまでの静けさとは違う。
押し固められた怒気と、行き場を失った視線が、座敷の空気を重く濁らせていた。
その中で、盛胤がゆっくりと口を開く。
「大和田殿、先程も言ったが、ご苦労であった。そして貴丸殿――此度の働き、見事であった」
低く、よく通る声だった。無駄な抑揚はないが、言葉の一つ一つが確かな重みを持って畳に落ちていく。
一度、言葉を区切る。
そのわずかな間に、誰もが次を待った。
「今の彦法師丸の無礼の詫びも兼ねよう。褒美として、望むものがあれば申してみよ」
静かな声音であったが、その一言が場の空気を変えた。
家臣たちの視線が、一斉に貴丸へと集まる。息を潜める気配が、あちこちで生まれる。
何を望む。
金か、馬か、あるいは知行か。あるいは名誉か――。
思惑が、目に見えぬ波となって座敷を満たしていく。
その中心で、貴丸はわずかに瞬きをひとつした。
そして、何でもないことのように口を開く。
「では、先ほど申し上げましたが――今後、来春までに城を奪ったら、一時的に大和田家の預かりとし、その後の裁定をお任せいただきたく」
言葉は静かだった。
だが、その意味はあまりにも重い。
理解が、遅れて場に染み込む。
そして――
「なっ……!」「無礼な!」
「何を申すか!」「鄙の者が何を申すのだ!」
抑えられていたざわめきが、一気に弾けた。声が重なり合い、波のように広がる。
顔を紅潮させて身を乗り出す者、扇子を握りしめる者、露骨に不快を示す者――それぞれの反応が、雑然とぶつかり合う。
彦法師丸もまた、目を見開いたまま貴丸を睨みつけていた。
その瞳には、怒りと、わずかな戸惑いが混じっている。
だが、その中心で――
貴丸だけが、何一つ変わらぬ顔で座していた。
まるで、自分が何を言ったのかすら意識していないかのように。
その騒ぎを、盛胤は制さない。
ただ静かに、問いを落とす。
「……貴丸殿が率いる戦、でよいのじゃな?」
不思議と、その声だけが澄んで通った。
ざわめきの上を滑るようにして、まっすぐに貴丸へ届く。
貴丸はわずかに顔を上げ、迷いなく頷いた。
その様子を見て、盛胤はほんの一瞬だけ思案する。
目の奥で何かを測るように、沈黙が落ちる。
だが、迷いは長くは続かなかった。
やがて、息を吐くように言葉を落とす。
「……よかろう。口にした以上、試させるが道理よな」
低く、静かな声。
だがその一言は、場のすべてを押さえ込む重みを持っていた。
覆しようのない決定であると、誰もが悟る。
「……っ、殿!」
「しかし、それでは――」
堪えきれず声を上げかける家臣たち。そのざわめきの中から、一歩踏み出した影がある。
彦法師丸であった。
「父上!」
張り詰めた声が、まっすぐに響く。
盛胤はゆっくりと視線を向ける。そこに怒気はない。ただ、逃げ場のない静けさだけがあった。
「彦法師丸よ。お前がはじめに言ったのだ。“城を奪ってみせよ”とな」
短く、断ち切るように告げる。
「相馬家の嫡男が口にした以上、その責は取らねばならぬ」
言葉は重く、まっすぐに落ちた。
彦法師丸は歯を食いしばる。言い返そうと唇が動くが、声にはならない。
やがて、押し殺した悔しさをそのままに、ただ貴丸を鋭く睨みつけた。
その視線を一度受け止めたのち、盛胤は改めて貴丸へと向き直る。
「それは――被官たる大和田殿の嫡男であろうとも同じことよ」
わずかに間を置き、確かめるように続ける。
「申した以上、その責は負う。彦法師丸も貴丸殿も、よいかの?」
問いは静かだが、逃げ場はない。
貴丸は、いつもと変わらぬ様子で顔を上げた。
「はい。承知しております」
あまりにもあっさりとした返答だった。
迷いも、気負いもない。ただ、そこにある事実を受け入れただけの声音。
その軽さに、場の空気がわずかに揺れる。
だが盛胤は、さらに言葉を重ねた。
「もしも、万が一城を奪った後、富岡や、その背にある岩城が何をしてこようとも――儂が必ず責任を持つ」
その一言に、空気が凍りつく。
相馬家の家臣たちは、思わず言葉を失った。驚きとも、呆れともつかぬ感情が、じわりと広がっていく。
それでも盛胤は、それ以上は語らない。
ただ一度、座敷を見渡すように視線を巡らせる。
それだけで、ざわめきは押しとどめられた。
誰も、続けて声を上げることができない。
残ったのは、行き場を失った静けさだけだった。
その中で――
貴丸は何も言わない。
喜ぶでもなく、誇るでもなく。
ただ、いつもと変わらぬ眠たげな顔で、静かにそこに座していた。
周囲の空気が張り詰め、言葉一つで場の重みが変わっていく中で――
ただひとり、慶久だけがその流れに乗りきれていなかった。
視線は右へ左へと落ち着かず、何か言おうとしては口を閉じ、また開きかけては言葉を飲み込む。
事の成り行きがあまりにも早く、そして重すぎる。自分の理解が追いつくより先に、話が決まり、場が動いていく。
額にはうっすらと汗が滲み、手の置き場すら定まらない。
(……いや、ちょっと待て、待て……今、何が決まったのだ?)
内心で必死に追おうとするも、答えは出ない。
気づけば、息子は当たり前のように話を受け、当たり前のように責を負うと答えている。
盛胤様はそれを認め、家臣たちはざわめき――すべてが、慶久の理解を置き去りにしたまま進んでいた。
止めるべきか。
口を挟むべきか。
だが、その一歩が踏み出せない。
ただ、状況に飲まれたまま――
慶久は終始、アワアワと視線を泳がせているだけであった。
その視線の先で。
貴丸が、ほんのわずかに慶久を見る。
そして――
片目をつぶり、舌をぺろりと出して、にやりと笑った。
まるで、すべてを承知の上で遊んでいるかのように。
いわゆる”テヘペロ”である。
相馬中村城編でございました。
お粗末様でございます。
あと、少しだけ、エピローグ的な触りを。。




