第32話 相馬盛胤との対面03
[日間]歴史〔文芸〕部門で2 位! になってました!
すげー。。
で、嬉しいので、無け無しのストックを投稿します!!
座敷には、なおも静けさが満ちていた。ややあって、静かに口を開く。
「……貴丸殿。疲れておるのか。それとも――眠いのか」
盛胤の低く、よく通る声。
場の空気がわずかに揺れる。問いは咎めるでもなく、ただ確かめるようだった。
呼ばれて、貴丸はゆっくりと顔を上げる。
半ば閉じかけた目のまま、少しだけ考え――
(……あー……まずいな)まぶたの裏に、鈍い重さが残っている。
意識を持ち上げようとするたびに、どこかで引き戻される感覚。
(おい、ちょっと待て)心の中で、小さく呼びかける。
(あー…まぶたの重力シンクロ率400%だ……俺の心の中の“眠気虫”、今は駄目だろ!)(※そんな虫はいません)
こんな場で寝落ちするほど、図太いつもりはなかった。
なかった、はずなのだが――
「……少々、眠うございます」
口は、正直だった。
一瞬の沈黙のあと、周囲から小さな失笑が漏れる。
あまりにもそのままの答えだった。
――その笑いを、断ち切るように。
「無礼であろう」
鋭い声が差し込む。彦法師丸だった。
一歩、踏み出す。視線が貴丸へと突き刺さる。
「父上の御前にて、そのような態度――たかが小領の地侍風情が、弁えもせぬか」
場の空気が、ぴたりと張り詰めた。
笑いは完全に消える。
その緊張を――
「……やめよ」盛胤の低い一声が、静かに落ちた。
大きくはない。だが、それだけで十分だった。
彦法師丸の言葉が、そこで止まる。わずかに歯を噛み、しかしそれ以上は続けない。
盛胤は視線すら動かさないまま、ただ一度だけ言葉を重ねた。
「儂が読んだ客だ」それだけだった。
それ以上の叱責も、説明もない。だが、その一言で場の均衡は戻る。
彦法師丸は一歩退き、元の位置へと戻った。
残ったのは、先ほどよりも一段深い静けさ。
その中で――貴丸はようやく、ゆっくりと瞬きをした。
そして、何事もなかったかのように。
「……されど、話は聞こえておりますゆえ」と、気の抜けた調子で続けた。
背筋を伸ばすでもなく、ただ視線だけを盛胤へ向ける。
その様子に、再び空気がわずかに揺れた。だが盛胤は笑わない。
盛胤は貴丸をじっと見据えて、視線を外さぬまま、次の問いを落とす。
そのやり取りの傍らで、慶久だけが、まるで別の場にいるかのように固まっていた。
生きた心地がしない。
貴丸の、あの眠気を引きずったままの態度を見た瞬間、胸の内で何かが音を立てて崩れた。
「あっ、俺、終わったな…」一瞬で、そう思った。
出立の前、貴丸のあからさまな仮病じみた言い分に乗り、この場を断っていれば――そんな考えが、今更のように頭を過ぎる。
だが同時に、それができたかと問われれば、答えは決まっていた。
できるはずがない。
相手は相馬領の盛胤様、そして隣にいるのは――。
逃げ場など、最初からなかった。
慶久は、わずかに視線を伏せる。
自分の嫡男だ。ならばもう、どう転ぼうと受けるしかない。
そう思い定めるほかなかった。
そして盛胤が貴丸に問う。
「その歳で富岡の城を焼いたと聞く。なぜ出来たのだ」
間を置かぬ問い。
貴丸はわずかに目をしばしばさせて、首を傾げて答えた。
「……風向きが、よろしゅうございましたかと」
あまりにも気の抜けた返しだった。
周囲がわずかにざわめく。だが貴丸は構わず続ける。
「燃ゆるものがあれば燃えますし、燃えねば、それまでにございます」
肩をわずかに竦める。
「まぁ……浜で魚を焼いておりましたら、火が勝手に大きうなりまして」
小さな失笑が漏れる。だが盛胤は笑わない。
「燃ゆるものがあれば、か」
静かに繰り返す。
「では、貴丸殿があれを守る側であったなら、いかがしたのだ」
貴丸は一瞬だけ考えるふりをした。そして即答した。
「燃えぬように致します。燃ゆるものを置かぬ。置くなら守る。守れぬなら……置かぬ方が、よろしいかと」
さらりと言う。
「それでも防げぬなら、いかがするのだ」
盛胤が重ねる。
貴丸は少しだけ上を見た。
「その前に、終わらせます」
「終わらせる、とは」
「燃やされる前に、戦そのものを」
言いながら、眠気を逸らすために、板の目を指でなぞる。
「そもそも、焼かれるような形になった時点で――もう、負けておりませぬか?」
空気が、わずかに冷えた。
盛胤は目を細める。
「では、その“負けた形”に至ったなら、いかがする」
貴丸は一瞬だけ考え、あっさりと言った。
「逃げます」
ざわ、と音が立つ。
「我が身が尽きれば、それまでにございますゆえ」
指先で、軽く板を叩く。
「領は焼けても立て直せますが、我が身も民も替えが利きませぬ。だからこそ民と共に逃げます」
そして、何でもないことのように付け足す。
「まぁ……そこに至る前に、やめておきますが」
その軽さに、かえって場が張り詰める。
盛胤は沈黙したまま、視線を外さない。
「では……戦は何で決まると思う?」
貴丸は少しだけ首を振った後に考える。
「運ぶこと、ではございませぬか」
「運ぶ?」
「米や、人、それに内情などにございます。届かねば、すべて無きに等しゅうございますゆえ」
盛胤の目が、わずかに動く。
「では、武はどうだ」
貴丸は首を傾げた。
「強い方が楽ではございましょうな。されど、それで勝てるのであれば――皆、さほど苦労はしておらぬかと」
その瞬間、空気が変わった。
ついに耐えきれずに彦法師丸の声が差し込む。
「武を侮るか!」
貴丸はそちらをちらりと見た。
「侮ってはおりませぬ。ただ、当てにしすぎれば、外れた折に困るかと」
すぐに視線を戻す。
淡々としている。感情が乗っていない。それが余計に癇に障る。
彦法師丸は一歩踏み出す。
「では――我ら相馬の騎馬に勝てると申すか」
貴丸は少しだけ間を置いた。
そして、あっさりと答える。
「場所と備え次第にございましょうな。馬は生き物にございますゆえ、やりようはいかようにもございます。走れぬ地に誘うことも出来ましょうし、走る前に疲れさせることも出来ましょう」
軽く続ける。
「夜や雨も、使いようにございましょうな」
「……」
「それに、来ると分かっておるならば――来る前に終えてしまう方が早うございます」
場が静まり返る。
「……戦を知らぬ者の理屈だ」
彦法師丸の顔が強張る。低い声。
貴丸は頷いた。「左様にございますな」
そして、欠伸をひとつ噛み殺す。
「出来れば、知らずに済めばと思うております。戦は、あまり好みませぬゆえ」
今度は、はっきりと笑いが漏れた。
だが、「よい」盛胤の一声で、それは止まる。
盛胤は貴丸を見ていた。
先ほどから変わらぬ視線。だが、その奥にわずかな揺らぎがある。(やはり……読めぬ)
軽い。掴みどころがない。だが、その言、外してはいない。(こやつ、どこまで見ておるのだ)
一方で彦法師丸は視線を逸らす。
(……つまらぬ。やはり所詮あの噂は、ただの偶然であったのだ。見た目通りの無精者だ。言い訳は得意そうだがな)
そう切り捨てながらも、胸の内にわずかな引っかかりが残る。
その違和感を、踏み潰すように吐き捨てる。
「……小賢しい。口だけの無精者が」
彦法師丸が、再び周囲に聞こえぬように口を開いたが、それは貴丸には聞こえていた。
そして、一歩、踏み出す。
「地だの時だのと――そのような小手先で戦を語るか」
視線が鋭くなる。低く、言い含めるように。
「武あればこそ、戦は成る。人をより多く斬れる者が道を作るのだ。個の強さこそが手段となり――戦を決する」
言い切る。
彦法師丸の言葉に、貴丸はわずかに首を傾げた。
「個の武が強いのは、確かに頼りにはございましょう。されど、それのみで決するのであれば――戦は、もう少し易きものにございましょうな」
淡々と続ける。
「民にても、集め、揃え、崩さずに動かせば――一つの形にはなります。形となったものは、もはや個とは別にございます」
彦法師丸の眉が、ぴくりと動いた。吐き捨てるような声。
「民草などに、武士が後れを取るはずがなかろう。民草など、放っておいても生えてくるわ。雑草と武士を並べるな」
その瞬間、空気がわずかに軋んだ。
盛胤が嗜めようと口を開きかける。だが、それよりも先に――貴丸の視線が、静かに彦法師丸へと向いた。
先ほどまでの眠たげな気配は消え、そこにあるのは、冷えた光だった。
「……左様にございますか」
柔らかな声。だが、わずかな間がある。ゆっくりと言葉を選ぶように紡ぐ。
「その“雑草”が、そこまで育つまでに、母の乳を飲み、親は日々の食べるものに困窮していても、その子のために一生懸命働き、子供はその飯を食み、水を口にし――十余年を経て、ようやく人となります」
視線は逸らさない。
「それを雑草と仰せになるのであれば」
ほんのわずか、首を傾げた。
「その者に支えられる領は――いささか、心許のうございましょうな」
静かに言い切る。
声の調子は変わらない。だが、場の温度だけが、確かに落ちていた。
そして――貴丸は、もう一歩だけ踏み込む。淡々とした声音のまま。
「……彦法師丸様は、民草の意味を、はき違えておられる。民草とは、本来、上に立つ者にとって国の宝にございます。枯らしてよいものでは、ございますまい」
言葉は静かに落ちた。だが、それは逃げ場を許さぬ刃のように、まっすぐに突き刺さる。
一瞬、音が消えた。
彦法師丸の喉がわずかに動く。
言い返そうとする。だが、言葉が出ない。理で押さえられている。
それが分かるからこそ、余計に口が開かない。
やがて――その沈黙の代わりに、視線だけが強くなる。
憎々しげに、貴丸を睨みつける。
感情だけが、行き場を失ったまま膨れ上がっていく。
だが貴丸は、それを受け止めるでもなく、ただ静かに見つめていた。
貴丸君は本人も気付いていない緊張により、ストレス性睡眠発作を起こしただけです。
眠気虫:ねむケムシ。。なんか嫌な表現。。
地侍風情:当時は一応武士ではあるが、武士とも思いたくない存在というニュアンスで使われたようです。(…多分)




