表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
〜戦国不精で何が悪い〜米作りとか面倒なのでやめました ―神様のチート、無意味でしたよ。人口比10対1の東北なのに、なぜか天下が見えてきたかも―  作者: 犬童好嬉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/17

第13話 相馬中村城01

この世界では、請戸の大和田家の影響で、

小高城に城代の岡田氏を置いて、

伊達家に備えるために相馬中村城が本城の扱いになっています。

ただ、小高城も対岩城氏に備えて、重臣筆頭の岡田氏を入れています。

そして――場は移る。


相馬中村城。通称、馬陵城。


後の世には「馬陵公園」と呼ばれ、人々が四季を愛でる穏やかな地となるが、この時代にあっては違う。


ここは奥州の南端を睨み据え、北と南の均衡を支える要石――武威と緊張が日々積み重なる、戦のための城であった。


城の中枢、幾重にも守りを重ねた曲輪のさらに奥。わずかに高く築かれたその一画に、広間が設えられている。


余計な飾りは削ぎ落とされ、ただ柱は太く、梁は高く、空間そのものが威圧として機能していた。


障子越しに差し込む光は柔らかく拡散しながらも、どこか冷ややかで、畳の上に落ちる影をくっきりと浮かび上がらせる。


人の声は自然と低くなり、足音さえも慎まれる――そんな場であった。


その中央に、ただ一人、静かに座す男がいる。


相馬家十三代当主――相馬大膳大夫盛胤。


齢はすでに五十に差しかかる。この時代においては、隠居を考え始めても不思議ではない年頃である。


だが、その身に宿る気配は、老いとは無縁であった。


背にはわずかな丸みこそ見えるものの、腰は据わり、座した姿勢は微動だにしない。


そして何より、その双眸――研ぎ澄まされた刃のような視線は、対する者の内側まで見透かすかのごとき鋭さを保っていた。


この男こそ、相馬を「一地方の豪族」から「陸奥有数の勢力」へと押し上げた張本人である。


相馬の家は古い。一一八九年の奥州合戦の折、源頼朝より行方郡を与えられ、この地に根を下ろしたのが始まりとされる。


やがて時を経て、相馬重胤が小高へと居を移し、奥州相馬氏の礎を築いた。


だが、その流れを一気に押し広げたのが、今この場に座す盛胤であった。


父・高胤の急死により、わずか十三で家督を継ぐ。周囲は若輩を侮り、あるいは様子見に徹した。だが盛胤は、その隙を許さなかった。五年後――十八にして兵を起こし、標葉氏へと刃を向ける。


標葉郡・楢葉郡を治め、鎌倉の昔より三百年にわたり勢威を誇ってきた常陸大掾の流れ――標葉氏。その盤石と思われた支配を、盛胤は一戦にして打ち崩し、ついには滅ぼした。


その勝利は、単なる一氏族の滅亡に留まらなかった。


行方、宇多、標葉――三郡にまたがる支配圏を確立し、相馬の名は一気に浜通り一帯へと広がる。現在の相馬から双葉に至るまで、その影響力は深く根を張った。


南の脅威――岩城氏に対しては、一門筆頭・岡田安房守義胤を権現堂城へと配し、堅く備えた。要衝に人を置き、力で押さえ、隙を見せぬ。盛胤のやり方は、常に明快であった。


しかし、情勢は止まらない。


岩城との関係は、一進一退を繰り返しながら、じりじりと均衡を変えていく。かつての前線であった権現堂城はその役目を終え、今や睨み合いの主舞台は、請戸と富岡の日向館へと移っていた。


燃えぬ火種はない。


岩城氏は、大和田慶虎という一人の武人の存在によって、その勢いを大きく削がれることとなる。


請戸の地に拠るその男――慶虎は、まさしく獅子奮迅と呼ぶにふさわしい働きを見せ、岩城を退けた。その功により、請戸一帯の安堵とともに玄蕃之丞の名乗りを許されたのである。


結果として岩城の圧が弱まり、権現堂城の意義も薄れる。城は破却され、要地は小高へと移され、さらに今はこの相馬中村へと本拠を移していた。


そのすべてを、盛胤は見てきたのだ。


その盛胤のもとへ、細作の報せが届けられる。


音もなく差し出された文を受け取り、盛胤はゆっくりと目を通した。読み進めるごとに、その目の奥にわずかな光が宿る。


やがて、文を畳む。低く、押し殺した声が落ちる。


「……そうか大和田慶久殿の嫡男が……齢十にして、富岡の日向館を焼き討ちにしたか」


静かな呟きであった。


大和田家――それは相馬がこの地へ移り住んだ頃より従う、由緒ある家である。もとは家臣として仕えながら、やがて土着し、今は半ば独立した被官の立場を取るに至っている。


そして、その名を聞けば、盛胤の脳裏には一人の男が浮かぶ。


大和田慶虎。


未だ存命でありながら、早々に隠居の身になったその男は、紛れもなく“怪物”であった。武勇に優れ、戦場にあっては常に先頭に立ち、敵味方問わず畏怖を抱かせる存在であった。


幼き日の盛胤ですら、対面するたびに肝を冷やした記憶がある。


領土への野心は薄い。ただ戦うこと、それ自体が生きる理由であるかのような武人――それが慶虎であった。


その血を引く慶久もまた、父ほどではないにせよ武に秀で、手勢は少数ながら精鋭揃いと聞く。


だが――


「その嫡男は……」


盛胤の指が、わずかに文の上をなぞる。


日がな一日、縁側で寝転び、自らを不精者と称するような怠け者――そういう評判であったはずだ。


それが、わずかな手勢で富岡の拠点である日向館へと踏み込み、城を半焼させ、さらに兵糧蔵までも焼き払う。


結果、富岡は大混乱。田植えを前にして備蓄を失い、兵を動かす余力もない。


そのすべてを成したのが――


「……十か」


ぽつり、と落とす。


噂は当てにならぬ。


そう思う一方で――


(慶虎殿の孫……か)わずかに目を細める。


そう思うと、あり得ぬ話ではない、と納得してしまう自分がいた。


広間には、再び静寂が満ちる。








相馬市の相馬中村城(馬陵城)を知ってほしくて、

時代を早めて相馬氏の本城をこちらに移したかったという理由もあるんです。

実際は1611年頃にこちらが本城になったと記憶しています。

そこまでは主人公の貴丸君は生きていないでしょうからね。

今でも城址が残っています。築城当時の姿をよく残しています。

馬陵公園、良いところですよ。

サクラの季節は必見です。

城の周りの堀も健在で赤橋は趣があります。

相馬神社や、相馬妙見神社などが本丸跡にあります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ