どこの山にもデカい鮫はいる(後編)
ミコネが「天狗の爪」を持ってきた、翌日のこと。
放課後の怪異撃滅クラブ――
マツリの交渉が上手くいき、
即日でクーラーは調子を取り戻した。
「涼しいねー、マツリちゃんッ!」
「涼しいでゴザルー。
あのままだったら、人死にが出てたとこでゴザルよっ」
外は相変わらず、うだるような暑さであるが、
なんとか怪異撃滅クラブは平穏を取り戻した。
と、言いたいところだが。
部室の片隅では剣呑な空気がただよっていた。
目を三角にしたヨミが、セラをじーっと見ている。
「な、何よぅ……」
「セラ」
「あのねぇ、だから呼び捨て禁止って」
「セラ……許さない」
とことことこ、とヨミはミコネに隣に歩いていく。
ミコネは不思議に思って、問いかけた。
「ヨミちゃん?」
「ミコネ……セラの妄言を聞いちゃ、ダメ」
ぐらり――と、倒れかかるようにヨミは体重を預けた。
細い腕が背中に回り込み、ヨミは探るようにぎゅっ、とミコネを引き寄せる。想像よりもずっと軽い、紙で折った人形のような身体――骨ばった肩口と薄い胸板が、制服越しにミコネに密着する。
「ひゃっ……ど、どうしたの?」
柔らかな銀髪が鼻先をくすぐるくらいに近づく。
ふぅ、と吐息混じりの声がかかった。
「天狗なんていない……ミコネはすぐに騙される」
「えーっ!? そうなんだッ!?
じゃあ、マツリちゃんも天狗じゃないの!?」
マツリは「そうだ、そうだ」と言っている。
「当然でゴザル! 拙者は天狗ではなく、忍者なので。
ヨミ殿、拙者の無念を晴らしてほしいでゴザル!」
「マツリはまぁ……天狗かも。
今回は置いておく、ね。
話が……ややこしくなるから」
「ご無体なっ!」
ミコネは、たじたじと言った。
「ところで、ヨミちゃん。
……どうして、こんなに近いの!?」
鼻と鼻がぶつかりそうな距離。
肋骨を介して届く、心臓の鼓動。
ミコネに密着したヨミは、銀糸の長いまつ毛を上げた。
「……クーラーが直ったけど。
逆にちょっと寒い、かも」
ヨミの肌はひんやりと冷たい。
そこに触れると、ほんのりと白い肌に朱が差す。
なるほど、とミコネは納得した。
「そ、そうなんだ。
あたしで良かったら、あったまってね……!」
「ん……」
二人の様子を見ていたセラが、リモコンを取り出す。
「なァんだ、エアコンが効きすぎてたのね。
それならそうと言いなさいよ。
温度だったら、いつでも上げるからさァ」
「セラ……ッ!」
「な、何よぅ。その目つき、怖いからやめてよ……」
何故かミコネと密着したまま――
ヨミの怪異撃滅が始まった。
天狗の爪の正体について。
「カルカロドン――
あるいは、メガロドン、かも」
いきなり、怪獣の名前のような言葉を口にするヨミ。
「ヨミちゃん、それって?」
「サメの一種。天狗の爪、と呼ばれていたものの正体は――サメの歯の化石」
「サメの、歯ッ!?」
言われてみれば、天狗の爪は――
半透明の光沢といい、形といい、
爪というよりは歯……に見えなくもない。
「サメの歯って、こんなに大きいんだッ!」
「今は現存していない、古代サメだから。
大きさも、デカくなる……のかも」
ヨミの言葉を継いで、セラが補足する。
「日本では明治時代になるまで、本格的な古生物学が根付いていなかったのよ。今日で言う化石が、古代生物の痕跡であることも知られていなかったぐらいにね。たとえば、江戸時代に記された木内石亭の『雲根志』にも“天狗の爪石”として記録があるくらいよ」
「えーっ!? セラ先輩、知ってたんですか!?」
「もちろん。たださァ、アンタが何でも信じるもんだから、可愛くなっちゃってェ……ごめんね♪」
「ひどいですー、セラ先輩ッ!」
あれ――と、ミコネは疑問を抱いた。
「でも、たしか天狗って山に住む妖怪ですよね? サメが生息するのは海辺だし、流石に海辺で見つかったら天狗だとは思われないんじゃ?」
「天狗が山に住むとは限らないわよ。たとえば東京の高尾山なんかは有名な天狗の聖地だけど、川に住む”川天狗”という妖怪もいるし、天狗とはそもそもが”あまきつね”――天空を走る狗だったという、中国の伝承が元になってる妖怪ですもの。陸・海・空、天狗なんて何処にでもいるわ……けど、ね」
セラは、ヨミに目配せする。
ヨミは撃滅を引き継いだ。
「天狗の爪が発見されるのは、多くの場合は山。それは――その山が、かつては海だったから」
「海が、山ッ!?」
「かつて海だった場所は、何千年もかけて隆起して、山になる。そういった場所には、巨大な古代サメの歯石が見つかる。つまり……どこの山にも、デカい鮫はいる」
サメが海を泳ぐと、誰が決めたのだろう?
天狗の爪――
大昔の人は、山で見つかった不可解な痕跡に、
恐るべき怪異の影を見たのかもしれない。
怪異模倣案件――
撃滅完了。
「セラ。ミコネの可愛さは認めるけど……今度、ふざけたことを吹き込んだら、セラにひどいことをする……かも」
「ひ、ひどいことって何よ!?」
「無視する」
「えっ――」
「無視する……セラを。三日間……ぐらい」
「や、やめてェーーー!」
ヨミとセラが騒いでいるのを見て、ミコネはほほ笑んだ。
「(ヨミちゃんとセラ先輩。なんだかんだ、仲が良いなぁ)」
ひょい、っとマツリが桐箱の中を覗き込んで言う。
「ところで、ミコネ殿。拙者、昔、師父に聞いたことがあるのでゴザルが――天狗の爪は、お守りになるそうでゴザルよ?」
「そうなのッ!?」
セラが補足する。
「そうねぇ。ヨーロッパでも、サメの歯の化石は“グロッソペトラ(石の舌)”と呼んで、縁起物にしてたらしいわよ? せっかくだし、大事にしときなさいな」
「はい……!」
ヨミが首を丸めながら、問いかけた。
「実家で見つかったってことは……母親の?」
「そうだね。お母さんの……形見、かな」
ミコネは、手元にある「天狗の爪」を見つめた。
ヨミがぎゅっ、とミコネを抱きしめる力を強くする。
「きっと、ミコネを守ってくれる、かも」
「……うん。大切にするね、ヨミちゃん!」
番外編【天狗の爪】――了