最終話 それぞれの人生
ようやく最終話です!(^^;)
イラストはカオリ嬢です。
絵具とテレピン油の匂いが満ちている六畳一間の部屋。
寝乱れたベッドの上に座り……以前より伸びてウェーブを掛けた髪を左手の甲で掻き上げたカオリは……裸の背中をこちらへ向けたまま“見返り美人”をしている。
そのアングルからは……この間まで勝二に愛されていた胸のふくらみの先が、ツン!と上向いているのが垣間見える。
どうやらカオリは、今座っているベッドの上で先程まで激しい逢瀬を繰り返していたこの“画家の卵”に乞われて……彼の為にヌードモデルをやっている様だ。
絵の中の彼女は本人には無い“慈愛の表情”をしているが……それが彼のカオリに対する幻影なのだろう。
「この絵は……カオリさんの為だけに描いているものだから……完成したらぜひプレゼントしたい!」
「キモチだけ貰っとくよ!それがアタシとアンタの為だ……アンタは私がやっと見つけたホンモノなんだからさ! その絵は……真夜中に独りで、目が覚めちまった時の“自家発電”のネタにでもしなよ」
◇◇◇◇◇◇
窓の外には夕焼け空が見える事務所。
孝平は鳴っている電話の受話器を取った。
「……ああ、大家さん!ご無沙汰しています…… …… …… そうですか、そんなに滞納を……私の方で半年は前渡しさせていただきましたよね。と言う事は彼には支払う意思がまったく無い様ですね。大家さんが仰るのはやむを得ない事だと思います。」
会社を引けて……今の最寄り駅を出た孝平は……自宅では無く“両親”の家へ向かった。
大きな門構えの前には警備の巡査が立っていて孝平に対して敬礼し、孝平は「いつもありがとうございます」と会釈した。
お手伝いさんに誘われ、孝平が酒膳の用意がなされた部屋に通されると、大島紬に袖を通し寛いでいる正晴が手を挙げたので孝平は“父”に対して居住まいを正し、頭を下げた。
「ただいま帰りました」
「おう!先に飲ってるよ」
「美穂子は母さんと一緒ですか?」
「早百合からさっき電話があったよ。『今、劇場を出ます』と」
「では、しばらくご相伴いたします 父さんはまだビールですか?それとも燗をつけましょうか? もう春美さんを解放してあげないと……僕が何か拵えます」
「じゃあ、多めに頼むよ。“息子”が作った物を私が全部食べてしまったら早百合から恨まれるからな」
◇◇◇◇◇◇
「新居はどうだ?」
「何もかも新し過ぎて……何だか落ち着きませんね。それは美穂子も同じ様で……母さんが色々と連れ出してくれて喜んでいます。ただ、母さんがますます多忙になってしまうのでは?と心配です。僕も母さんの仕事を少し手伝おうかな……」
「それは本末転倒の話だな。早百合は喜ぶだろうが……美穂子ちゃんを構ってあげるべきだろう」
「確かに……。そう言えば今日、アパートの大家さんから電話がありました。佐野勝二は家賃を滞納している様です。僕がせっかく半年間の猶予をあげたのに……」
「世の中にはそう言う類の男もごまんと居るさ」との言葉に孝平は頷く。
「大家さんとも『払う意思が無ければやむを得ない』と言う話になりました」
「では、私も“彼の件”からは手を引く事にしよう。問題は無いかね?」
「はい!僕と美穂子は深い愛情で繋がっていますから」
と、即答する孝平に正晴は目を細め、笑いながら言葉を付す。
「おいおい!そこへ私と早百合もぜひ加えて欲しいものだな」
そうこうする内に早百合と美穂子も帰って来て……4人でしばらく歓談した後、孝平と美穂子は目で会話しあって父母に頭を下げた。
「では、そろそろお暇します」
「じゃあクルマを出すわ。金森はまだ車庫にいる筈だから」
「それには及びません。美穂子と散歩しながら帰ります。途中で焼き鳥の美味しい“赤ちょうちん”へ寄り道しながら……」
「それは羨ましいな。赤ちょうちんなぞ久しく行ってないよ」
「そうですね。お父様は今のお立場上、お一人での外出は難しくてらっしゃるから……今度、私がお土産でその焼き鳥を持って参りますわ」
「それは楽しみだな。私達は優しい娘も持てて本当に幸せだよ」と等々力夫妻は相好を崩した。
◇◇◇◇◇◇
『佐野勝二様 家賃を6か月滞納されています。今すぐお支払い下さい 支払い月数については相談に応じます』
ドアに貼られたこの紙をビリビリに破いたものの、それらを握りつぶしてジーパンのポケットに突っ込んだ勝二はかつて美穂子が借りていた部屋の畳に身を投げた。
「ああ!オンナ抱きてえ~!!」
天井に向かって叫んだその声は……今は両側とも空き室になった隣室へも虚しく響き、勝二は過去のオンナ達の幻影を抱き、“自家発電”を始めた。
◇◇◇◇◇◇
立派な神棚を背にしてその男は座っていた。
電話を切った男が傍で起立している“お付きの者”に目で合図すると、“お付きの者”は象牙張りのごついライターをカチリ!とやってタバコに火を点け、男の指の間にタバコを挟ませた。
「木下はまだ居るか?」
“お付きの者”が更にその手下に合図すると直ぐに、いかにも“武闘派”といった男が入って来た。
「オヤジ!今度はどこを潰しますか?」
“オヤジ”はジロリ!とその男を睨め付けた。
「潰されたのはお前の顔だ。お前の所の若頭の情婦が乞食に寝取られたそうじゃねえか? ワシの顔に泥を塗る様じゃ、盃は返してもらうぞ」
◇◇◇◇◇◇
兄貴風のヤクザ者が二人の子分を引き連れて街角に立った。
その向こうには勝二がギターケースを開け、荒んだ歌を歌っている。
ギターケースは随分とくたびれてはいるがマーチンのギターはピカピカでネオンの灯りを弾いている。
「今頃何なんすか? カオリ姐さんの情夫はもうアイツじゃねえでしょう?」
「四の五の言うな!行くぞ!」
次の瞬間、ギターは路上に投げ出され勝二はボコボコにされた。
子分の一人が勝二を羽交い絞めにし、もう一人が勝二の腕を捩じ上げた。
「指折りますか?腕折りますか?」
「止めとけ!ソイツはカタギさんだ」
「しかし若頭は……」
「自分の情婦のケツも拭えないヤツの戯言を聞く必要はねえよ」
そう言いながら兄貴分はタバコに火を点けマーチンのギターを二度踏みつけてネックを折り、ボディーに穴を開けた。
それから勝二の髪を掴んでその顔にタバコの煙を吹き掛けた。
「これでお前は死んだな!いい加減目を覚ましてカタギらしく生きな!」
◇◇◇◇◇◇
どこもかしもこも腫らして手ぶらで戻って来た勝二は畳の上に倒れ込んだ。
「ううう……痛てえよぉ」
転げ回る事も出来ずに蹲り、勝二は泣きじゃくる。
そして痛み止めになるとでも思ったのか……カオリとの“睡眠薬遊び”の為にゴッソリと譲り受けたハイミナールを焼酎で流し込み、吐いては飲み吐いては飲みを始めた。
◇◇◇◇◇◇
「嶋本係長!等々力様からお電話です」
嶋本の手元の電話が鳴り、受話器を取る。
「お待たせしました、孝平です」
『佐野勝二の変死体がアパートで発見されたよ』
「……そうですか……美穂子の名前は?!」
「それは絶対に出んよ!ただ事件そのものは新聞には載るだろうから……早百合にはなるだけ美穂子ちゃんの目に触れない様にと言って置いた」
「ありがとうございます。僕も配慮します」
◇◇◇◇◇◇
次の日の朝の食卓
孝平が広げた新聞の片隅に『若者、アパートで死亡』との記事が載っていた。
「お食事中にお読みにならなくても……」
「そうだね。美穂子は読みたい記事は無いのかい? 最近は母さんの手伝いもしているんだろう?経済や政治など勉強したいと言ってたじゃないか」
「それは、お母様の所で読ませていただきますから大丈夫です」
「じゃあ、このチラシは?工事中だった所にスーパーマーケットが開業する様だよ」
そう言ってチラシを手渡すと美穂子の目が輝いた。
「まあ、素敵!!」
「さっそく行ってみようか?今度の休みにクルマで」
「ホント?!」
「ああ、せっかくアメリカから取り寄せた冷蔵庫もがら空きだったが……これで少しは埋まるかな?」
「そうですね。生クリームは売っているかしら?」
「アイスクリームじゃなくて?」
「はい、生クリームです。売っていたら、ちょっとした折にもウィンナーコーヒーをお出しできますから……」
「ああ、今ではキミの方が……マスターの一番弟子だものな」
孝平は椅子に腰掛けたまま美穂子の腰を抱き、美穂子は屈んで孝平とキスを交わした。
「そう言えば、あなた宛てに届いていた小包はどういたしましょう?」
「あれは日本製のトースターだよ。但し輸出向けだから、使うのなら冷蔵庫と同じアメリカ仕様のコンセントに差さなければいけないよ。できるかい?」
「もちろん!今日のお昼にでも試してみますわ。あなたが昨日戸棚に置いて下さったペリカンの食パンとパン切包丁を使って! 切る厚さを変えて検証すれば良いのでしょう?」
「私の奥さんはさすがだね」
「ふふふ。褒めて下さるのなら、もう一度キスも下さいな」
美穂子は両腕を孝平の肩に滑らせ、二人はまた深いキスを交わした。
◇◇◇◇◇◇
洗濯物を入れた籐の籠を提げて美穂子は縁側からサンダルを突っ掛け、良く日の当たる庭へと出て来た。
先程まで洗濯糊液に浸されていた孝平のワイシャツをパン!パン!と叩いて袖などを整え物干しに掛ける。
見上げると青い空。白い雲がゆっくりと流れて行く。
ふと、“昔の恋人”の事が頭を過る。
『勝二さんは……まだデビューできないのね。“あの女”は彼の事を面倒見てくれる感じでは無かったし、ちゃんとご飯を食べているのかしら……』
こう考える美穂子に勝二への思慕はもう無い。
ただ、彼も幸せになって欲しいとは願っている。
だからこそ美穂子は……自分にもたらされた未来永劫続くであろうこの幸せに心から感謝し、同じ空の下で今は忙しく働いているであろう孝平向かって呼び掛ける。
「あなただけを心から愛しています。そして“私達の愛の結晶”を……この腕に早く抱いてみたいと……いつもいつも思っているんですよ」と。
おしまい
長々とお付き合いをいただきありがとうございました<m(__)m>
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