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2 見知らぬ私と見知ったあなたと

アルファ(ライジード):赤みを帯びた黒髪、黒の瞳。エスリーダ王国の第三王子。

ベータ(レスター):学者。

ガンマ(ザイファス):緑を帯びた黒髪、黒の瞳。盗賊。

デルタ(ファルード):紫みを帯びた長い黒髪、黒の瞳。リベラ女神の神殿に属している。

イプシロン(ロムルス):青みを帯びた黒髪、黒の瞳。アームル帝国の一軍に属している。

松岡美冴:黒髪に茶色の瞳。ストロベリーブロンドの髪と、青や緑にも見える灰色の瞳の姿を与えられる。

 自分の歴史を振り返る。

 短大を卒業して、小さな事務所に就職した。

 半年もたてば、ある程度の仕事にも慣れてきた。

 そんな時に、親戚のおばさん経由で紹介された男性と知り合い、何となく断る理由もなく、お互いに流されるようにしてお付き合いをし、・・・プロポーズされた。

 結婚式は半年後。

 お互いの親への挨拶もすませた。

 婚前旅行というのだろうか、そんな一緒に初めてのお泊まり旅行を予定していた。

 そんな普通にありふれた日々だった筈だ。なのにどうして・・・。


(どうして私、思い出せないんだろう? お父さんとお母さんとお兄ちゃんがいたような気がするのに、顔も名前も、本当に四人家族だったのかも分からない)


 自分の顔は、・・・多分、分かる。

 普通に黒い髪、茶の瞳をした日本人だった筈だ。出身地は東京、・・・いや、本当にそうだっただろうか? 奈良だったような、ううん、広島だったような気がする。いえ、違う。分からない、考えれば考える程。

 本当に私は日本人だったんだろうか?

 ぐるぐると答えの出ない思考に、そして自分のことが分からないという事態に、彼女は貧血に似た恐怖で気が遠くなりかけた。


(駄目、落ち着いて。こういう時は焦っちゃ駄目なんだから。とりあえずこの部屋って鏡、あるのかな?)


 自分が目覚めたのは、真四角で全面が真っ白な部屋だった。なのに、窓も扉もない。ライトもない。なのに明るい。

 ただ、中央に真っ白な大きなベッドがあって、自分はそこに裸で寝かされていた。体に掛けられていたのは、薄手の真っ白なシーツ。布団がなくても風邪をひくことはなさそうな気温だった。


(何、この大きなベッド。ダブルベッド、だよね? それとも大きな背もたれのないソファってことになるの?)


 部屋の真ん中に、ただ、そのベッドだけが置かれている感じだ。枕もなく、それこそ本当はどっちが頭部分で足部分なのかも分からない。

 掛けられていた手触りの良いシーツはシングルサイズなのが救いだ。けれども服を着ていないことこそが落ち着かない。


(天井も床も真っ白。もしかして、病院? だけど、どうしてここは明るいんだろう。それにどうして私、裸で寝かされていたの?)


 まるで室内全てがぼんやりと発光しているかのようだ。


「か、鏡・・・」


 そう呟くと、ぼうっと壁に何かが浮かんだ。見れば、姿見のようだった。

 さっきまでそんなところに鏡などあっただろうかと、疑問に思いながらも近づくと、自分の姿が映る。


(これ、私・・・?)


 前髪は眉毛のあたりまで、そしてあとの髪は腰まで届く、直毛のストロベリーゴールド。そう、赤みを帯びた金髪というのだろうか。とても華やかな色の髪だった。

 そして瞳の色は灰色だ。けれども角度を変えれば、青色にも緑色にも見える。差しこむ光と角度によって、グリーンにもブルーにも変化するグレイの瞳。

 どう見ても十七才程度の匂い立つかのような美貌の中で、躑躅(つつじ)の花のように濃いピンクの唇が、美しい形を描き出している。


(何、この美少女・・・)


 恐る恐る、その体に巻いていたシーツをはだけて全身を見れば、ミルクのように白く肌理(きめ)の細かい肌と、胸の頂点には薄い薔薇色が二つ。そして均整のとれた綺麗なプロポーション。


(そんな筈がないっ。だってこんな色の髪、・・・染めたのっ? それに、それに私はもう、二十代の筈で、・・・それにこの顔だって、全然知らないっ)


 だけど。


――― 本当に? 本当にこの顔を知らないの?


 心の中で何かが囁く。まるで、己の自我を奪おうとするかのように。


――― よく見て。ちゃんと知っている筈。そうでしょう?


 そう、まるでこの姿を受け入れて、作り上げられた何かを信じろと言うかのように。


(何? 何なの? どうしてこんな・・・)


 ガンガンと、頭の中で何かが鳴り響く。

 床に座り込みながら、彼女は落としたシーツを体に巻きつけた。


(鏡を見ちゃ駄目だ。落ち着いて、ちゃんと考えよう。えっと、たしか私は・・・)


 何が起こっているのだろう。自分は少し癖のある黒髪に茶色い瞳をした、小さな事務所で働く、美女ではないが不細工という程ではない、普通のどこにでもいる女だった筈だ。

 ドラマチックな結婚に憧れを抱きながらも、それでも優しそうな彼と一緒に素敵な家庭を作れたらいいなと夢見ていた・・・・・・。


(思い出せない。あの人は、どんな顔だった?)


 たしか、自分より背は高かった。体つきも自分より大きかった。彼は営業の仕事・・・、ううん、違う。そう、何か事務作業を行う仕事の筈で、・・・違う、ペットショップを経営していて、・・・そうじゃない。彼は、飲食店で・・・・・・。


(分からない。分からない、全てが)


 自分はおかしくなってしまったのだろうか。どうしてこんなにも全てが分からないのだろう。

 そこへ、ガチャっと扉の開く音がした。何人かが部屋に入ってくる

 座り込んだまま床を見ていた彼女は、視界に入ってきた幾つもの足に驚き、顔を上げる。


(男の人っ!?)


 慌ててシーツを更に強く体に巻きつければ、不思議なことに入ってきた彼らは同じ顔をしていた。


(え・・・? 神谷(かみや)、さん?)


 どうしてその名を忘れていたのだろう。自分の婚約者の名を。そして顔を。

 ぱあっと、その顔に刺激されて思い出す。そう、彼が自分の婚約者だ。だけど、彼は二人兄弟の筈だ。五つ子だなんて聞いていない。

 しかもどうして彼らはスーツではなく、こんなラフな生成りのVネックシャツとズボンを身につけているのだろう。

 彼は普段着も襟のあるシャツにスラックスといった感じの人だった。真面目で優しげな顔立ちの自分に、ラフな格好は似合わないからと。

 いつも穏やかで、困ったかのように笑う、そんな図書室の中で埋もれていそうな人で、男性らしい強引さも力強さもなかったけれど、・・・だから何のとりえもない自分とでもうまくいくのだろうと、そう思ってお互いにおずおずとお付き合いを始めた。


(ああ、そうだ。神谷さん、彼がいれば・・・)


 そこでほっとしてしまったからだろう。平常時の、彼に抱いていた不安感が甦る。

 なぜなら連鎖的に、彼と自分とのことを思い出したからだ。

 思い起こせば、女性に慣れていない彼が、

「とても綺麗な桜が咲くんですよ」

と、教えてくれて、連れて行ってくれた初めてのデート先は、・・・墓地だった。


――― 綺麗でしょう? 気に入ってくれましたか?

――― ・・・エエ、ソウデスネ。


 貸し切り気分で眺めた桜はとても綺麗だった。前方に広がるお墓を気にしなければ。


(そうだ。神谷さんって、期待を裏切ることではダントツだった・・・)


 そうして一生懸命考えてくれたらしい彼が、

「行列ができる程に美味しいんですよ」

と、教えてくれて、連れて行ってくれた初めての食事先は、・・・公園でワゴンカー販売しているカレー屋さんだった。


――― 本格的な味でしょう? 口に合いましたか?

――― ・・・ハイ、オイシイデス。


 ベンチに座って食べたカレーはとても美味しかった。気合いを入れて選んだブラウスにカレーが飛ばないかと、心配し続けなくてはいけなかったけれど。


(ううん。それでも神谷さんはいい人だもの。大丈夫、信じて。・・・イマイチ、信じたらバカをみるんだけど)


 それでもここで頼れるのは神谷だけだ。そう思って、彼女は話しかけようとした。


「か、神谷さん。あの・・・」


 思い起こせば不器用だけど、それでもちゃんと頑張ってくれる人だった。そんな気持ちが嬉しくて、そしてどう考えても女心に疎すぎる彼に不安が生まれないわけではなかったけれど、それでもゆっくり手を繋いで歩んでいけるだろうと思って結婚を決めた。

 だから今、自分が頼るべきはこの人だと、彼女はそう思って話しかけながら顔を上げる。

 けれど入ってきた五人は、その名を聞いてとても厳しい顔つきになった。


「カミヤサン、か。一番安心できるだろう男の顔を選んだつもりだが、・・・やはり不愉快になる」

「仕方ない。ならば違う姿を選べば良かっただけのこと」

「全くさ。しかし、こちらもなるべく手の内をさらしたくない。ここは妥協しようぜ」

「その通り。見事に定着したようだ。まずは重畳(ちょうじょう)

「君達、あんまり怖い顔をするんじゃないよ。彼女が怖がってるだろう」


 訳が分からない。どうして彼らは自分を知っているかのように話すのに、同時に全く神谷さんとは無関係のような会話をするのだろう。

 しかも、彼らはどこから入ってきたのか。さっき、扉が開くかのような音がしたと思ったのに、今はどこにもそんな存在がない。


「あ、私・・・」


 そこで、一人の男が近寄ってきて彼女を抱き上げた。


「あのっ!?」

「床に座っていられても話しにくい。まずはそこへ座るといい」


 ちょっと待ってと言う暇もなく、先程まで彼女がいたベッドに下ろされる。


(ベッドの方が話しにくいに決まってるでしょーっ)


 それでもシーツの下は裸だと思うと、シーツを強く握り締めて俯くしかない。

 婚約者の神谷ならば怖くはなかっただろう。彼は絶対にひどいことはしない人だ。

 だが、この同じ顔をした五人からは、神谷ではあり得ない力強さと覇気が溢れていた。


(ひえぇぇぇーっ)


 どうして彼ら五人もベッドに座り込むのだろう。しかも、自分を中心にして。

 四角い形のそれは部屋の中央にあり、どこの側にも壁際というものがなかった。自分が身を寄せる場所がない。


(こ、怖い。怖い怖い怖いーっ)


 せめてもと、シーツを肩まで上げて巻きつけようとしても、一度ほどかないときっちりは巻きつけられない。だけど、この男達の前で、シーツをほどく勇気などなかった。


「おんやまあ。このお嬢さん、目に涙、浮かべちゃってんぜ? よほど俺達が怖いのかね」

茶化(ちゃか)すな。そりゃこの状況で怖くない娘さんはいないだろう。・・・女神の娘よ、心配はいらない。私達は、・・・そうだな、君の婿候補といったところだ。君を傷つけることはない」

「何も泣くことはありませんよ。これからあなた以上に大切に扱われる女性はいないのですから」

「だが、ここまでめそめそする娘ではいささか厳しかろう。もう少し強くしたたかになった方がよかろうに」

「ちょっと待てよ。お宅らの言っていることの方が無茶だ。彼女は今、目覚めたばかりで何も分かっていないことを忘れるな。それとも何か? その恐怖も取り除いてやれない男しか、ここにはいないとでも?」

「はっ。言ってくれるじゃねえか」

「いいや、その通りだ。まずは女神の娘に対して敬意を示すべきであろう。それもできぬ方々が脱落するのは喜ばしい限りなれど」


 その言葉で、全員の動きがぴたりと止まり、互いを詮索(せんさく)するかのような顔つきになる。


「へっ。誰も引く気はなさそうだな。ま、そりゃそうだ。だが、俺はこういうグダグダしたやり取りは嫌いなんでね。説明ならお前さんがすりゃあいい。まさに説法くさいニオイがプンプンしてきやがってるぜ、お前さんからよ」

「生憎、その挑発に乗る気はない。だが、私が一番適任であろう。・・・さて、我らが世界に降臨なされる女神の娘に対し、まずは無事のご定着をお喜び申し上げる」


 そう言って、一人の男が彼女の手をとって(うやうや)しく口づける。


「あ、あの・・・。何か、勘違いなさってると・・・」


 そんな彼女に、その男は微笑んだ。神谷とそっくりの顔で、全く違う慈愛に満ちた表情を浮かべて。


「勘違いではございません。あなたは選ばれて我らが世界に降臨なされるお方。この世界に愛され、この世界に恵みをもたらし、この世界で幸せな日々を送られることを約束なされたお方です」

「・・・・・・・・・」


 どこの受胎告知だろうと、彼女は思った。

 そう、かの有名な受胎告知。それは聖母マリアがキリストを身ごもった時、天使ガブリエルが現れて、それを告げるワンシーンだ。

「おめでとうございます。選ばれし恵まれたお方。あなたは主と共におわします」

 そんな感じのことを。

 まさか似たような言葉をよりによって自分が受けるとは思わなかった。・・・全く嬉しくないけど。


(どんな受胎告知の絵でも、聖母マリアが戸惑ってる理由が分かった。・・・いきなりそんなこと言われても、耳が受け取り拒否するんだ)


 しかし、ここは西洋絵画の世界に現実逃避している場面ではない。

 彼女は、まずは誤解を解こうとした。


「人違い、です。私、そんな大それた人じゃなくて、普通に、普通に生きてきた・・・、あっ、そうですっ。この顔と体だから誤解されてるんですねっ? 私、本当はこんな色の体と顔じゃなくてっ」


 だが、その男は首を横に振る。


「あなた様の本来のお姿がそうではないということは存じ上げております。ですが、あなたはこの世界に選ばれ、その本来のお姿を捨ててこちらに舞い降りられたのです。今のお姿は、あなた様の為に用意されたもの。この世界において、あなた様はそのお姿で生活なさるのです」

「・・・・・・」

 

 何をどう言えばいいのかも分からず、彼女はそこで呆然とその男を見返した。


(変な人がいる。電波な人がいる。新興宗教の人がいる。・・・さあ、どれだっ?)


 どれにしても、全速力で遠ざかりたい。ああいうのは、テレビドラマの世界にだけ存在してくれていればいい。


「あなた様が元の世界でどんな方であろうと、この世界では豊穣と繁栄を司るリベラ女神の娘として扱われることになりましょう。半神の人として、あなたは敬意をもって迎えられます。どうぞご心配なさいますな。その際には、是非、我らが神殿においでくださいませ。何があろうと、あなた様をお守り申し上げます。我らが大切な姫君」

「待てっ。それを言うならっ、まずは我が王城にっ」

「どちらもストップだっ。そういうことは個別にすべきだろうっ。この場では全員が等しき権利を有する筈っ」

「どさくさに紛れて、ちゃっかり自分の所を売り込むんじゃねえっ」

「何を言うっ。女神の娘とあれば、神殿こそがこの姫君の後見となろうっ。当たり前のことではないかっ」

「ざけんじゃねえっ。売り込むとなったら一気に『姫君』かよっ。この二枚舌野郎っ。だから神職者だけは信用ならねえっつーんだっ」

「ならお前こそ、最初から敬意をもっておけば良かっただけのことだろうっ。下卑(げび)たやりとりしかできぬ男など、似合いの女の元へと帰るがいいっ」


 同じ神谷の顔をした男達が、そこで喧々囂々(けんけんごうごう)とやりあい始める。


(な、なんか・・・カオス?)


 あのぼんやりと穏やかな神谷では、そんな喧嘩っ早さや乱暴な口調もあり得ないだけに、それが少しおかしくて、彼女はくすっと笑ってしまった。


「ああ、やっと笑ってくれたね」


 すると、彼女の背後に座っていた一人が頭を撫でてくる。他の四人と違い、その言い争いに彼だけは参加していなかった。振り向けば、やはり神谷の顔があって、その男もクスリと笑った。


「気にしなくていい。彼らは君みたいな可愛い子相手にどうしたらいいか分からなくて、緊張のあまりにバカになってるのさ。何といっても、君は特別な女性だからね」


 特別な女性と言いながら、まるで小さい子相手にするように頭を撫でてくる。


「君の黒い髪に茶色い目をした姿も、俺達は見たから知ってるよ。そっちも可愛かった。鼻が低くて、成人してもお子様みたいだったね。しかもおどおどとしていて、何かやっても間抜けな結果に終わるところがチャーミングだった。そうだな、・・・まるで自分のしっぽを捕まえようとして、ぐるぐると円を描いて走り続ける馬鹿なキツネの子供みたいでさ」

「・・・・・・・・・」


 殴ってもいいだろうか。

 それは絶対に褒め言葉ではないだろうと、彼女は思った。鼻が低いって、そりゃそうかもしれないけど、そこまで鼻ぺちゃではなかった筈だ。


「うーん、黒髪だったからキツネというよりタヌキの方が正しいのか?」


 そんなことで考え込まれても、何を言えるだろう。

 彼女は黙って、自分の頭の上に置かれていた彼の手を叩き落とした。


(そ、そりゃ別に美人だなんて思ってなかったけど、キツネとかタヌキって何っ? いくら何でもタヌキだなんて・・・っ)


 そこまでひどい顔じゃなかった筈だ。・・・だけど、まだ自分の顔を思い出せない。あくまでイメージだけだ。少しクセがある黒髪だったとは思う。


「なんだ。ムッとしてるのに怒らないのか? 駄目だなぁ。そんな黙りこんでばかりいたら、誰からもいいようにされちゃうだけだよ、我らがお姫様。・・・君はこれから俺達の中の一人を選ばなくちゃいけないってのに、そんな大人しいばかりじゃ、俺達のところにすら辿(たど)りつけない。それじゃ困るんだよね」


 その言葉に、彼女は目を丸くした。どうやら、その男は分かっていて彼女が嫌がりそうな言葉を選んでいたらしい。

 けれども状況が分からない中、自分の感情をあからさまに見せるのは愚行だ。なぜなら彼らが何の目的をもって自分を取り巻いているのかも不明なのだから。

 だから彼女は、まずはそこを尋ねようとした。


「あの・・・? 辿りつくって、一体・・・? それに選ぶって、どういうこと?」


 馬鹿にされているのは分かるが、それでも彼の言葉はちゃんと大事なことを伝えてくれているように思えたので、彼女は問い返した。

 するとその気配を察したか、男は僅かに口角を上げ、教えてくれた。


「君は俺達の中から一人選んで、その男の元へとやってくるのさ。俺達は君に選ばれるのを待つ、お預けをくらった婿候補ってところか。だが、・・・大人しく待ってるような奴など誰もいないだろうね」


 セリフの後半でニヤリと笑ったそれに、彼女がビクッと怯えて周囲の男達を見渡せば、そこには同意するかのような笑みしかなかった。そう、まるで全員が舌なめずりをするかのような。


(や、やだ。怖い・・・)


 まるで自分は、彼らという肉食獣の前に差し出されたステーキのようだ。いつ食べる為に噛みつこうかと、彼らはタイミングを計っているだけのように感じる。

 彼女は、お尻と足だけで、説明してくれた男の方へ少し後ずさった。


「怯えるんじゃないよ。そこで怯えたなら、君は自分の力を発揮することもできない。俺達ならばともかく、他のどうでもいい奴らに利用されるだなんてこと、俺達は許す気なんてないんだから」


 その背後にいた男は、そう言って彼女を落ち着かせようと言わんばかりに両肩をその両手で掴んで支えてくる。


「え・・・?」


 何を彼は言っているのだろう。彼らは婿候補と言ったが、自分をめぐるライバルというわけではないのか。何らかの協力体制にあるということなのか。


「そう。ちゃんと自分を取り戻したね、それでいい」

「はあ」


 ぽんぽんと、軽く頭に手をやってくる男は褒めてくれたらしい。


「ちゃんと自分の心を持って。自分の主は自分だって、そう自信を持つんだ」


 言葉こそはきついが、そんな言葉に何となく自分を大事にしてくれている気配を感じて、彼女は油断してしまった。


「えっ、・・・きゃああっ」


 その背後の男にまさか両手を一抱えにされて、シーツを剥ぎ取られるとも思わずに。


「やっ、嫌っ。やだっ、助けてっ」


 神谷ならあり得ない暴挙に、彼女はパニックとなった。片手一本で彼女の両手首を戒め、もう片方の手でシーツを剥ぎ取った男は、ベッドに引き倒した彼女の顔を覗きこんでくる。


「お、おいっ。お前・・・っ」

「おやおや、サービス満点だねえ。なかなかいい体じゃないか」

「なんと・・・。まさに美しい」

「やめんかっ。いくら何でも乱暴が過ぎるだろうっ」


 言葉は発しても、誰も行動としては何もしない。それはその彼女の見事な肢体に目が釘付けとなっていたからだ。

 誰もが感嘆の眼差しを浮かべて見入る。


「やめてっ、手を放してっ」


 せめて体をよじって隠そうとする彼女に向かって、その男は言った。


「俺達は婿候補だと言っただろう? 別に君は俺達全員を選んでも構わないんだよ? 一人しか選ばなくてもいいし、二人でも三人でも構わない。だがね、・・・そこで、助けてって泣いてても何も変わらない。君の力は、君がきちんと強く心を持たなくては発揮されないんだから」

「え?」

「嫌なら、ちゃんと自分で何が嫌かを考えて、それを強く考えるんだ。そうでなければ、俺達どころか、どんな奴らに対しても君は無力だ。こんな風にシーツを剥ぎ取られてもね」

「っ! 嫌ぁっ!」


 彼女は恐慌状態に陥った。


「泣いたって何も変わらない。・・・さあ、どうする? 五人がかりで君を快楽の園へとお連れしようか、姫君?」


 彼女の脳裏が真っ白になった。

 こんな乱暴をしている男の左手は自分の両手首を押さえつけたままだが、右手は自自分の頬を愛しそうに撫でてきている。口調も優しい。なのに、誰よりもひどい行動をするのだ。


(どうして・・・っ。どうして私がこんな目にっ!? ・・・嫌だっ、絶対にやだっ!)


 その思いが一気に弾けた。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ・・・っ! ・・・・・・信じてたのにっ。


「やめてって言ってるでしょうっ!!」


 彼女の内側から何かが勢いよく噴き出ていく。怒りに目がくらんでいた彼女は何も自覚しないままに、男達全員が寝台から弾き飛ばされた。


「ぐっ」「うぉっ」「うっ」「・・・っ」「・・・・・・」


 自分が叫んだ次の瞬間には、周囲にいた男達が全員床に転がっているのを見て、彼女は気が抜けてしまった。


(えっ、何っ? 誰かがこの人達を殴り倒してくれた、とか・・・?)


 だが、これは幸いでもある。さっさとシーツを巻きつけ直そう。

 問題は逃げる先がないことだ。けれども彼女はシーツを巻きつけてベッドから飛び降り、叫んだ。


「どうしてこの部屋、ドアがないのよっ。さっさとドア、開けなさいよっ」


 すると、壁の一つに扉が浮かび上がる。

 そのノブを掴んで開け放てば、その向こうに全てが真っ白な長い廊下があり、彼女は迷うことなく駆け出した。


(神谷さんの格好をしておきながら、・・・最低男ばっかり!)


 けれども空気も白い(もや)がかかっている廊下を裸足で走り続ければ、やがて息切れしてしまう。


(ど、どこか隠れる場所はっ。・・・他の部屋ぐらいないわけっ?)


 他に扉がないまま、それでも走るのがきつくて早歩きになりながら周囲を見渡していれば、やがて左に曲がる角があり、そこに扉が並んでいた。


(と、とりあえず手前から・・・?)


 まずは隠れようと、一番手前にあった扉を開けると、そこはまた白い部屋だった。恐る恐る足を踏み入れれば、背後で勝手に扉が閉まる。


(あ、クローゼットがある。何か服、あるかな)


 泥棒は良くないが、こんなシーツだけを巻きつけている状態でいつまでもいられない。その部屋の壁際を見れば、白いスライドドアがあり、そこを開けると幾つかの服がかかっていた。


「何、これ。・・・服なんだろうけど、変な形」


 今までに見たことのない形の、布をたっぷり使ったドレスやシャツがあった。


「一番左端のそれは折り返したり、更に決まった形のベルトを幾つか使用することで着るものだ」

「・・・っ!?」


 振り返るや否や、一人の男が抱きしめてくる。先程と同じ、神谷の顔をした男だった。


「やっ、やだっ」

「何もしないっ。頼むから暴れないでくれっ。着替えも手伝うし、乱暴なことはしないっ」


 そんなこと、信じられる女がいたらお目にかかりたい。

 何もしないと言う男の台詞を信じていいのは、人生終了間際の老婆だけだ。たとえ年老いていても、女である限り、そんな言葉を信じてはいけない。

 女性なら、六才を過ぎた時点で全ての男を信用してはならないのだ。


「嘘っ」

「本当だっ。暴れるなっ、こらっ、シーツが落ちるだろうっ」


 言われて、ぴたっと彼女は動きを止めた。

 そうと見て、男の方も力任せに抱きしめていた力を少し緩める。

 互いに安堵の溜め息をつけば、なるほど、男は本当に何もする気がないようだと、彼女は感じた。


「あの・・・。何もしないなら離れてほしいんですけど」

「今、そうしたら君は逃げるだろう? だが、そんな扇情的な格好で動き回られても困る。少しは身支度を整えてくれ」


 かなり疑いながらも、彼女は男の顔を見上げた。


「・・・本当に服を着せる気、あるんでしょうね?」

「当たり前だ。俺の前だけで裸なのは大歓迎だが、奴らの前でのそれは困る。・・・理解したなら、暴れないし逃げないと約束してくれ。そうしたらこちらも服の説明に入れる」

「ん、分かった」


 そう彼女が約束すると、男は名残惜しそうに体を離した。


「まず、そこの服を着る前に下着をつけてもらいたい。それはこちらの籠の中に入っている」


 そう言って、その服の下に置かれていた籠を出してくる。その中には真っ白な下着らしきものが入っていた。


「俺は後ろを向いている。だからそれを胸と腰につけてくれ」

「はあ」


(これは紐パン・・・。まあ、何もないよりいいけど。ところで、胸につけろって、これ、どうやって? コルセットみたいなの?)


「着たか?」

「まだ振り返らないでっ。あの、胸につけろって、これ、紐でこの布を胸に当てて押さえていくの?」

「・・・・・・。厳密に言うなら、胸の下の腹部分だ。それは胸を大きく見せる為に、胸の下部分までを腹から覆っていく」

「な、なるほど、です」


 ビスチェみたいなものなんだろう。ウェストニッパーというべきなのか。問題は・・・。


「取り付けたなら教えてくれ。背中の紐はこちらが結ぶから」

「いっ、いいですっ。自分でっ」

「・・・できないだろう? 心配しなくても、無体なことはしない。体の前面につけたなら教えてくれ」

「・・・・・・。じゃあ、お願い、します」


 その下着を体の前面に当てたまま言うと、男が振り返ったらしく、そのまま背後のビスチェの穴に紐を通していく。


「ちゃんと前は合わせてるか? 合わせていないと苦しいことになるぞ?」

「えっ、あっ、あのっ、そのっ」


 自分でも男が紐を結び始めた時点で、少し位置が合わさっていないことに気づいたが、それを直そうと思ったら、下着の中に手を入れて胸の位置を上げないといけない。

 だから言えずにいたのだ。


「心配しなくてもあっちを向いているから、気にせず直せ」

「・・・・・・っ」


 真っ赤になりながら彼女がその位置を直すと、やがて振り向いた男が後ろの紐を合わせていく。


「少し緩めにしておく。そうすれば苦しくないだろう?」

「あ、ありがとう」

「いいや」


 そのビスチェみたいなものを、紐できちんと結び終えると、男は背後から肩を跨ぐようにして前面の部分に紐を通して更に背後へと戻していく。そうして結び終えて終わり、のようだ。ちゃんと胸もおおわれている。


「手慣れてるんです、ね」

「以前、させられたことがあるんだ。てっきり男だと思っていた仲間が実は女で、正装の際にドレスを着るから手伝えとか言われて」

「はあ」

「何でも女の力よりも男の力の方がいいらしい」

「・・・なるほど、です」


 そういえば、コルセットにしてもかなりきつく締め上げるものだった筈だ。日本でも芸者さんとかの帯を締めるのは男性が行うのではなかったか。


(そういうのって、もしかしてどこでも共通なのかな)


 そんなことを思うと、ちょっと親近感が湧いた。

 だけど仲間の女性を男性と思っていたなんて、実はかなり、この人ってば鈍感なのかもしれない。


「どのドレスがいいんだ? 赤か? ピンクか? 緑か? 青か? 紫か? それとも白か?」

「えーっと、どれでも・・・。一番、シンプルなのがいいんですけど」

「シンプル・・・。女の服など分からん。どれでも好きなのを選べ。どうせここにあるのは君の為だけのドレスだ」

「えっと、じゃあ、この青色で」


 それでも自分はまだ下着をつけただけの姿だ。彼女が自分の体を抱きしめながら選ぶと、男はその青いドレスを取り、そこに一緒にセットされていた水色のシンプルなワンピースを手に取った。


「まず、これを頭からかぶってくれ。その上に、この青いドレスを着せていくから」

「はい」


 ご丁寧にまた後ろを向いてくれるので、それを頭から彼女はかぶる。


「着たか? じゃあ、腰から下をこれで」


 スカートだが、背中でクロスした紐で肩から吊り下げておくタイプらしい。それを着用した後で、同じ布地を使った上衣を着せてくる。

 どうやらこのドレスはセパレーツになっているようだ。


「困ったな。髪の結い方までは教わっていなかった。あいつも、そういうのは自分でやれるって言ってたしな。まあ、誰かはマスターしてるだろう。さて、靴を履こうか」

「きゃあっ」


 ひょいっと抱き上げられて、そこの白い寝台に座らされる。ドレスにあわせて水色のシューズを男は履かせ、それをブルーのリボンで固定した。


「さて、姫君。これでいいか? 何か足りないものは?」

「えーっと。大丈夫です。ところで、あなた達は同じ顔をしてるけど、・・・どういう人達なの?」


 どうやらこの人は特に自分に対して何もしないようだと判断し、彼女はそう尋ねた。


「君の婿候補、だな。同じ顔をしていたのは、我々が互いの顔を知らないようにする為だ。お互いに誰が誰だか知っていたら、・・・君を手に入れる為に俺達は先に殺し合ってしまうだろう?」

「・・・・・・」


 どんな物騒なご関係なのかと思った彼女の耳は、その言葉を理解することを即座にキャンセルした。

 だが、男は彼女の前に(ひざまず)く。


「だが、君にはきちんと顔を表し、名乗りもしよう。・・・初めまして、リベラ女神の娘と呼ばれるだろう姫君。俺の名前は、ロムルス。帝国の一軍に属している。いつか、あなたが俺を選んでくれることを心から願っている男だ」


 彼女の手を取ってキスし、見上げてきた男の瞳は全ての色を飲みこむ漆黒。光の角度によって青みを帯びて輝く黒髪。そしてその顔と体は、まさに鍛え上げた男そのもののたくましいそれだった。神谷とは全く似ても似つかない。

 何があろうと頼れる雄々しさを持つ、まるで誇り高き騎士のようだ。


「顔が、・・・変わった」


 そして体格も。

 短く刈り込んだ青みを帯びた黒髪も、その漆黒の瞳も、凄まじい程の覇気を漂わせている。まさに若き戦士といった風格をもつ、とてもセクシーな男だった。割れた顎も、不精髭すらも、その男としての魅力を損なわない。


「これが俺本来の顔だ、姫君。ただ、俺達は互いに邪魔し合うのが分かっている為、本来の身元を互いに明るみにしたくない。君を巡ってのライバルだからな。・・・だから、彼らの前では俺のことはイプシロンと呼んでくれ」

「えーっと、ロムルスさんがイプシロンさん」


 覚えられるのだろうかと、彼女は思った。その気持ちを察したらしく、男がクッと笑う。


「『さん』はいらない。いつか、帝国の軍まで俺に会いに来てくれ。それだけ約束してくれればいい。君がどんな名前を名乗ろうと、『イプシロンに会いに来た』と伝えてくれれば、いつでも俺は君に会う。そうでなくても、俺が君を分からない筈がないがね。君がどこにいても、何をしていても、俺を呼んでくれればいつでも俺は君の為に駆けつけよう。約束するよ、俺の姫君」

「はあ。ありがとうございます、ロムルスさん、・・・ロムルス」


 よく分からないが、彼は自分に対してとても好意的であると、彼女は思った。


(ううん、違う。女性として私を見てるんだ、この人)


 そう思ったら、顔が赤くなる。

 こんなワイルドな魅力を湛えた人に、「俺の姫君」なんて言われたら、誰だって一気にぼうっとしてしまうだろう。これがこういう場面じゃなかったら、ほとんどの女性が即座に恋に落ちてしまいそうだ。


「君はこれからこの世界で生まれて育ち、そうして一人の女性として生きる。その過程で俺達に出会うんだろう。・・・その時の俺が君を知っているのかどうかは分からないが、それでも俺の傍にいてくれ。愛してる。だから、俺は君にこの祝福を贈ろう」

「え?」


 寝台に座っていた体を腕一本で抱き上げられ、びっくりしてロムルスを見れば、顔が同じ位置にある。


「我、ロムルスからの祝福は、彼女が誰からも傷つけられぬ運命を。どんな戦いの最中にあろうとも、どんな争いが彼女を巻き込もうとも、彼女には髪の毛一筋の傷もつけられることはない」


 そうして、唇が重なる。彼女が抵抗しようにもロムルスの力は強かった。それでもその髪を引っ張ったり、肩を叩いたりして抵抗していると、やがて唇が離れていく。


「あまりそんな可愛い顔をしないでくれ、姫君。俺達は、祝福と共にキスできるだけで、後はお預けなのさ。・・・さあ、まず君に第一の贈り物をしたのは俺。君は何があろうと傷つくことはない。だが、あまり無茶はしないでくれよ?」


 ぼうっとした頭で見上げてくる彼女に、ロムルスは茶目っ気たっぷりに片目を瞑って笑いかけた。

 あまりの格好良さに、そのままずっと見惚れていたくなる。


(だ、駄目駄目っ。ここはちゃんとっ、理性的にっ。頑張れ、私っ)


 彼女は慌てて自分を取り戻した。


「祝福って、・・・贈り物って、私にそれを祈るってこと?」

「そんな感じだ。だが、ちゃんと効力もある。君はこれから他の奴らとも個別にキスと共に贈り物を受け取る時間を過ごす。それぞれが、自分なりの祝福を君に贈るだろう。これから奴らが君とキスするかと思うとムカつくばかりだが、初めてのそれが俺だったことで我慢しよう」

「あの、それってどうして?」


 自分を女神の娘だと言ったのに、どうして彼らが自分に祝福という贈り物をするのか。


「君は俺達の知らない場所にこれから生まれてくるからだ。だから君と出会うまで、俺達は君を守れない」

「あなたも、そんな傷つかない力を持ってるの?」

「いいや? 俺達は普通の男さ。ただ、女神の娘に祝福を与えられる大役を仰せつかったっていうだけでね。いきなり顔合わせさせられ、婿候補だと言われ、君の姿を見せられ、君に祝福する能力を神に与えられた」


 つまり、彼らもまたとんだハプニングということなのだろうか。


(つまり、お膳立てされたから私を口説いてるってだけなの?)


 すぅっと、彼女の中で何かが冷めていく。


「俺達は、・・・そうだな、君が俺達に会いに来る前に死んでいる可能性もあるわけだ。だとしたら切ない限りだが、そればかりは運命だ。その時にはロムルスっていう馬鹿な男がいたことを覚えておいてくれないか、姫君?」


 そこで、冷えかけた心が温もりを取り戻したことを彼女は知った。


(ああ、そうか。お膳立てされてるってわけでもない。彼らは選ばれたけれど、それだけなんだ。その上で、この人は私を愛してると言った)


 彼女はロムルスに手を伸ばした。その首の後ろで手を重ねて、抱きつく。


「よく分からないわ。だけど、・・・死なないで。多分、ロムルスはいい人だから。会いに行けるかどうかは分からないけど、無茶はしないで」

「・・・何だ。少しは俺のこと、好きになってくれたかな?」


 もしかしたらそうなのかもしれない。初めてのキスだったと、言ってもいいだろうか。いや、以前の自分をも知られているのだから、みっともないだけだ。

 キスされたら、人はその相手を好きになるものなんだろうか。だけど、それすらも分からない。


「分からない。けど、死なないで。大きな怪我もしないで。お願いだから」

「優しいね、君は。人に優しくなれるのは、心が善き神の元にあるということだ。人殺しの俺には眩しいぐらいだが」


 そんなことはないだろう。優しいというのなら、それはロムルスも同じことだ。

 とても大らかで気持ちのいい男の人だと、彼女は思った。きっと、この人は部下を庇って格好良く死んでしまうような気がしてならない。

 だから彼女は祈った。


「私にもらった祝福を、分けられるならあなたにも」


 ロムルスは神谷ではない。そんなこと、分かっている。キスされて好きになるなら、世の中、恋愛問題で悩む人はいなくなるだろう。

 けれども、理屈ではなく心が、彼をただ愛しく思うのだ。


「愛してる。俺の姫君」


 まだよく分かっていない自分にできる約束など、何一つない。

 それでも互いに目を閉じて触れるだけのキスに、彼女はロムルスの無事を心から祈った。




 ロムルスに送り出されて次の部屋に行けば、やはり神谷の顔をした男がいた。


「お、来た来た。・・・へぇ、俺ってば何番目? ドレス着てるってことは、どう考えても一番目じゃねえよな。ちっ、誰だ。最初を奪いやがった奴は」

「・・・お邪魔しました、さようなら」


 バタンと扉を閉めて次に行こうと思い、彼女はそのまま立ち去ろうとした。


「わーっ、待て待てっ。待ちなよ、可愛いお嬢さんっ。よっ、いい女だねっ」

「・・・・・・」


 そのまま立ち去りたいのに、掴まれているのは右手の手首だけなのに、振りほどけない。


「はーなーしーてーっ」


 ここは何が何でも立ち去ろうと思った。こんな人を不愉快にするような言動の男と一緒になど、絶対にいたくない。

 だから彼女はぐいっと手を引っ込めようとしたのだ。


「まあまあ。そう照れないで。ほら、お嬢さん。俺と茶ぁでもしばこうか」

「お断りしますっ」

「わははは、そう恥じらうなって」

「恥じらってなんかいませんっ」


 むしろ心から嫌がってるのだ。それをちゃんと理解してもらいたい。


(なんでロムルスみたいなカッコいい人の次に、こんなんなのよぉっ)


 彼女は全身の力をこめて次の扉への一歩を踏み出そうとするのだが、全く進めなかった。軽く掴まれているだけなのに、その力はとても頑丈で、全く自分の体が進まない。


「きゃっ」

「何だ、俺に抱っこしてもらいたかったのかぁ? それならそうと早く言えよ。そうしたらどんなおねだりでも叶えてやったのによ」


 勝手に横抱きにされ、その腕と胸の中に収められる。

 勝手に人を抱き上げておいて、何が抱っこしてもらいたかった、だ。


(冗談じゃないっ。次の扉まで逃げてやるっ)


 そう思った彼女が暴れて逃げようとするのに、器用にも自分を包む腕がそれを許さない。


「してもらいたくなんかありませんっ」

「照れ屋さんだなっ」

「ちーがーうーっ」


 誰かヘルプミーと、言いたかったけれど、そのまま彼女は部屋に連れ込まれてしまった。扉まで勝手に閉まる。それとも、男が足で閉めただけなのか。

 しかも、乱暴にベッドの上へどさっと投げ出された。


「何すんのっ」


 起き上がろうとした彼女にのしかかってきた男は、・・・もう神谷の顔ではなく、日に焼けた野性的な顔つきに代わっていた。光の加減で緑を帯びる黒髪。そして漆黒の瞳。きっと彼には太陽が似合う。


(何、この人。実はかなり顔いいんじゃないっ)


 今にもノド元に食らいついてきそうな猛々しさすら感じさせる男に、睨みつけた彼女の気概も(くじ)ける。

 その気配を感じたのだろう。彼は、フッと皮肉っぽく笑って、

「そう怯えんな。女に乱暴を働いたりはしねえよ」

と、その頬を撫でてきた。けれども、とって食われそうな雰囲気があるのだ。ぞくりと背中を走るものがある。

 同じワイルドな魅力といっても、大柄なロムルスと全く違って、彼はシャープな顔立ちと体格だった。


「ザイファスだ、呼んでみな」

「ザイ、ファス」


 さっきまでからかうようなことしか言わなかったくせに、その時は真面目な顔をしていた。だから彼女も気圧されたように、その名を繰り返す。

 怖いと思った。乱暴されるとは全く思わないが、それでも怖さを感じる。

 ロムルスが泰然とした虎なら、ザイファスは相手の油断を見逃さない豹のような男だ。


「変なところで切んなよ。ザイファスだ。仲間は全員、ザイって呼んでる。けど、お前ならザイじゃなくザイファスって呼んでくれていい」

「・・・ザイファス」

「ああ、いい子だ」


 片方の口角だけ上げて、彼女の手を取り、視線を合わせたまま、その手に口づける。決して逸らされることのない真っ黒な瞳に、彼女もドキドキせずにはいられなかった。


「目を()らすなよ。お前の手にキスしてんのは俺。そしてお前の愛を乞うているのも俺なんだぜ? ちゃんと見ときな。このザイファスが心からの愛を告げてんのはお前一人なんだからよ」

「って、だけどっ」


 そんなことを言われても恥ずかしい。じっと自分の瞳を凝視されながらの手へのキスだなんて、誰だって恥ずかしくて目を瞑りたくなるだろう。

 大体、愛なんて告げられた覚えはないのに。


「真っ赤になっちゃって、かーわいいねぇ。神様関係ってのは態度でかでかだと思ってたが、こういう手つかずなのも悪くないか。・・・ほら、ぎゅぎゅっと縮こまってないで、俺を見ろよ」

「ぃやっ」


 まるで本気で怖がっているかのような、甲高い声が出る。その事実に、自分でも驚いた。


(な、なんでこんな声が出るのぉーっ)


 その驚きはザイファスにも同じことのようだったが、すぐに気を取り直してニッと笑う。


「本気で可愛いな。なんだ、俺に襲われると思って怖がってんのか? 初々しくて、悪くない。」

「・・・っ!」


 それでもベッドの上で、自分の顔を手で固定されてザイファスへ向かわされてしまったら、どの方向にも顔を逸らせない。


「怖がるなよ。俺はお前にとって、とても優しい男さ。そうだろう? 何があろうと大事にしてやる。お前が俺を怖がってるのは、俺を好きになりかけてるからさ」

「ちっ、(ちが)っ」


 この男が怖い。まるで自分が無力な女の子になった気がしてならない。


「違わないって。ほら、乱暴になんてしないから安心しろ」

「好きなんかじゃないっ」


 あんなヘラヘラした言動をする男を好きになるだなんて認めたくなかった。だから否定しても、感情が高ぶってわずかに涙が滲む。


「・・・・・・まあ、そういうことにしておいてやってもいいけどよ。お前、自分がどんな顔してるか、分かってっか? さっきからすっげえ赤いし、俺に怯えて泣きそうな顔してんだぜ。ああ、泣くな。泣かせたいわけじゃない」


 ほろりと垂れた涙に、その唇が当てられる。


(こっ、この人っ、舐めたぁっ)


 うっきゃーっと叫びたくなる。

 何なのだろう、この男は。人が嫌がるようなことしか言わないくせに、今はまるで自分に・・・。


「苛めたくて言ったわけじゃない。泣くな。お前はまだまだお子ちゃまなんだな。いやはや、ここまで初心(うぶ)だとはね」

「ちっ、違うってっ」

「はいはい、そうでちゅねー。そうでしょうとも、お嬢ちゃま」

「・・・っ!!」


 それでも体重をかけないように、ザイファスの胸に顔を抱きこまれてしまえば、その伝わってくる胸の鼓動と温もりにドキドキせずにはいられなかった。

 つい、その腕を掴んでいたのは、顔を隠したかったからだ。別にこんな軽薄で人をからかってばかりの性格悪そうな男に惚れたわけではない。

 だけど。

 自分の頭の後ろに回された手が大きくて、それが自分を優しく撫でてくるのが嬉しかった。


「そんな意地っ張りなところも可愛いよ。女神の娘でございってお高く留まっている女だと思ってたから、適当にからかって終わらせるつもりだったが、・・・こうなると本気でこれは参戦する気になった」

「え?」


 ぐいっと向かされたそこには、男の真剣な顔がある。


「生憎、俺はあいつらみたいにお高く留まったご身分や肩書きを持ってるわけじゃねえ。なのに、なぜかこのメンバーに選ばれちまった。あいつらのお育ちや肩書きなんざ、聞かなくても雲の上の方々ばかりってのは分かるからな」

「そう、なの?」


 これがザイファスの本当の顔なのかもしれない。

 彼女はそう思った。先程のは全て演技だったというのか。だが、そう言われたら納得できる何かがある。


「そうさ。顔や自己紹介なんざいらねえよ。立ち居振る舞い、そして言葉の端々が全てを語ってやがる。・・・だが、そういう奴らがお前みたいな女も独り占めするってもんさ。世の中、全ては身分だ。たとえ能無しでもな」

「・・・人はみんな、平等、なんだよ?」


 なんとなく、だった。この態度の大きく傍若無人な男が悲しそうに思えて、彼女はそう呟いた。


「お前がそう言えるのも今だけさ。いずれ、お前はあいつらの中からアルファを選ぶだろう。あいつ、王族だろうからな。・・・それでもいい。お前の為なら、いつか俺は国をも盗んでみせるよ。そしてお前を手に入れる」

「国なんていらない」


 とっさにそう言ってしまったのは、本気でいらなかったからだ。だが、そんな彼女の言葉にザイファスは笑ったようだった。その振動が伝わってくる。


「まだ小さな盗賊団だが、俺はもっと大きくなる。そしてザイファスの名を轟かせてみせるさ。だから、いつか俺の前に現れてくれよ? その時には、ガンマに会いに来たと言ってくれればいいから」

「・・・ザイファスはガンマなの?」

「ああ。俺達は仮の名として、ここではアルファ(α)、ベータ(β)、ガンマ(γ)、デルタ(δ)、イプシロン(ε)なのさ。俺はガンマ。けど、お前だけはザイファスと呼んでいい」

「ザイファス・・・」

 

 なんとなく、この男はその名を他の誰にも名乗っていないのではないかと思った。


「ああ。二人だけの時はその名を呼べ。お前なら許せる。・・・本当は呪いになるような祝福とやらを与えるつもりだったが、気が変わったよ」


 もしかしてこの男は本気でとんでもない人間なのではないかと、彼女は思った。まさかと思うが、自分がその態度のでかい女性とやらだったら、本気で呪いになるような祝福をするつもりだったのか。


(やりそうな気がする。なんか、へらへらとすんごくイヤミったらしい笑い方して、それぐらいしてみせそうな気がする、この人)


 だけど、何故だろう。何となく、懐かしいのだ。それは最初の彼も一緒だったけれど。


「我、ザイファスからの祝福は、彼女が誰からの悪意をも弾き飛ばす運命を。どんな悪意が彼女を襲おうとも、その悪意を向けた者にこそ、その悪意が振りかかるように。どんな悪意も、彼女を不幸にすることはない」


 信じられない程の祝福だった。


「ほら、キスさせろよ」

「・・・・・・」


 そう言われてキスしようとする女がいるだろうか。いる筈がない。ファーストキスだって、さっきすませたばかりなのに。

 彼女が困った顔で口を引き結んでもじもじとしていると、ザイファスは彼女の耳たぶの下に口づけた。


「やめてっ」


 するとザイファスが彼女の顔を覗きこんでくる。


「なら、言ってみな。キスしてって」


 黒豹を思わせるしなやかな男から目が離せない。

 熱に浮かされたかのように、彼女はその言葉を繰り返した。


「・・・・・・キスして、ザイファス」

「ああ、いい子だな」


 ザイファスは優しい顔もできるのだと、その時に気づいた。

 壊れ物をそっと包むかのように、彼の両手が彼女の顔を包み込む。


「愛してる。・・・俺の祝福がお前を全ての悪意から守るように」


 だから目を閉じて彼女は力を抜いた。小鳥がついばむような軽いキスを何度も繰り返しながら、ザイファスの祝福が流れ込んでくる。


「あなたも・・・。危ないことはしないで。あなたも誰かに傷つけられませんように」


 盗賊だとザイファスは言っていたけれど、それは何かあったらすぐに捕らえられてひどい目に遭わされてしまうということではないのか。そりゃ勿論、盗みは悪いことだけど。

 それでも、全ての人が彼の敵にまわったとしても。

 それでも自分だけは・・・。


「無事でいて。お願い。無茶はしないで」


 それこそ、心が痛い。彼はそんな誰かに捕らえられたりなどしていい人じゃないのに。


「その涙は反則だぜ、お嬢さん。(ほだ)されちまうだろ」

「だって・・・」

「ああ、そうだな。お前は俺が好きなんだよ。だから、・・・泣くな」


 そうなのだろうか。だけど、分からない。

 ロムルスにもザイファスにも、愛しさが溢れてくる。だから婿候補、なのだろうか。


(ちょっ、ちょっとちょっとちょっとーっ)


 だからって、再度のキスはやめてほしい。心の準備が間に合わない。


「好きか、だなんて、分かんないし」


 拗ねたような口調になってしまったのは何故なのだろう。

 だが、ザイファスは特に気分を害したようでもなかった。シーツの上に広がった彼女の髪を一筋、ゆっくりと手で梳きながら、その髪に口づけた。


「別にいい。お前はまだ生まれたばかりだ。何も分からなくて当然だろ?」


 その言葉がとても嬉しい。

 それこそが、自分を大事にしてくれている証拠のように彼女には思えた。


(えーっと、アルファが王族の人らしくって、ベータは不明、ガンマがザイファス、デルタも不明、イプシロンがロムルス、か)


 できることなら誰かメモ用紙とペンを貸してください。

 そんなことを考えながら、彼女はザイファスの髪に手を伸ばした。


「ザイファスの髪って、緑に光るんだね」

「ああ。緑よりも黒に近い感じだな。だが、黒とは言いきれない中途半端さ」


 襟足につく程度の長さの髪はまっすぐで艶があり、触るとしなやかだった。彼女の好きにさせてくれたザイファスだったが、やはりくすぐったかったらしい。困ったかのように笑う。

 自分の髪をいじる彼女の手をそっと握って口づけるザイファスの表情が優しすぎて、彼女は胸をどきんと高鳴らせた。


(な、何、このいきなり子供っぽい笑顔って。・・・あんなに人を不愉快にさせるようなことしか言わなかったくせにっ)


 だけどそれが嬉しくて、もっと髪を手で梳いてしまった。

 もしかしたら自分もかなりおかしくなっているのかもしれない。


(どっちにもときめいている私って、・・・かなり多情だったりするのかも)


 同じワイルドセクシーでも、全くタイプの違うロムルスとザイファス。

 既にこの二人だけでも選ぶのは難しい。


(で、できれば二回程、人生をください、神様。でもって、二人とも一回ずつって感じで、プリーズ)


 そんなことを思ってしまう自分は悪くない筈だ。

 どちらも鼻血出すレベルで素敵すぎる。


(だ、駄目よ、私。神谷さんって婚約者がいるのに・・・)


 神谷に関しては、まだ顔しか思い出せていないけれども。そういえば結局、神谷の職業は何だったのだろう。


(あれ? そういえば、私、本当の体ってどうなってるんだろう)


 だけど、そんなことも、今はもうあまり気にならない。

 頭の中が霧で覆われたかのように、元の自分に対しての気持ちが消えていく。


(どうしよう。私、二人とも、・・・本気で好きだ)


 こんなにも胸が苦しくなるぐらいに誰かを好きになったら何もかも捨てたくなるのだと、彼女はそんな感情を初めて知った。

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