悩んでみた
とうとうこの日が来てしまった。
昔、父の本棚をたまたま偶然見た時にあったそういう本で読んだ事がある。
あの時は、ルー君にはまだ早いと言われて取り上げられてしまったが、正直それまで心惹かれる相手が居なかったので問題はなかった。
結局、その後一回読んだことはある。
その知識によると、それは気持ちの良い事らしい。
「だからどうしたというのだ……」
魔王は頭を抱えた。
今、カレットの村の宿屋、しかもベットの上である。
簡素だが清潔感のある部屋、綺麗なシーツ、大き目のベッド。
ベッドに腰掛けて、今勇者を待っている。
恐ろしいほどに時間の流れが遅く感じる。
「……逃げよう。我は耐えられない」
そう結論づけてドアノブに手をかけようとした時、そのドアが突然開いた。
そこには勇者が立っていた。
後ずさる魔王を見て、勇者は大体の事を把握する。
「……一応聞いておくが、何処に行こうとしていたんだ?」
「こ、ここではない何処か?」
「俺は待って居ろっていったよな?」
「う、うむ、だから先ほどまで待っていた」
「約束、破る気か?」
「そ、そういうわけでは……」
会話をしつつ魔王は後ずさり、それを追い詰めるかのように勇者は魔王に近づこうと前に歩を進める。
「うわぁ」
追い詰められた先のベッドに足が当たり、バランスを崩して魔王はベッドに倒れこむ。
ベッドに自ら倒れこんだ事に気づいて、魔王は慌てて起き上がろうとするも、勇者やが上からのしかかってきたために身動きが取れなくなる。
すぐ近くに勇者の顔が見えて、これからされる事を理解して魔王は怯えた。
「……不安がるな。優しくするから」
そして、唇が触れる。
ゆっくりと勇者の舌が魔王の舌と絡まる。
以前した時は、勇者を怒らせたからかも知れないが、もっと貪るような、喰らい尽くすようなキスだった。
けれど、今回のそれは優しく快楽を引き出すかのように触れている。
体の奥底から熱を帯びて、どうにかなってしまいそうだった。
気持ちよくて、でも足りなくて、快楽の奔流の中意識がぼんやりとして、涙がこぼれる。
そこで唇が離された。
それが魔王には物足りない、と思えた。
勇者の手が、魔王の衣類に手を伸ばした。そこで、
「勇者様!、いらっしゃいますか!」
勢いよくドアが開かれた。
鍵をかけておくべきだった、と勇者が舌打ちをしていた。
村の村長が、近くで最近出没する強い魔物を倒してほしいとの依頼だった。
ことに及んでいたとはいえ、決定的な状態ではなかったので入られた事には問題ない。
問題ないのだ、それは。
「もう嫌だ。精神がすり減る」
恥ずかしすぎる。
流されてしまった自分も、気持ち良いと思ってしまった自分も。
こんなに心が惑わされるとは思わなかった。
窓から勇者達が歩いていくのが見える。
真剣で誠実そうな、勇者の顔。
おそらくは、皆の知っている勇者はこちらの方なのだろう。
魔王がはじめに知ったのも、そちらの表情だ。
あんな熱い目で、魔王が見つめられるなんてあの時は考えもしなかった。
本当に、なんで。
「勇者は何故、我の事が好きなのだ?」
見えなくなった窓を、そのまましばらく眺めて、視線を戻すとリオが居た。
「い、いつから」
「んー、『勇者は何故、我の事が好きなのだ?』かな?」
恥ずかしい独り言を聞かれてしまった。
赤面している魔王を見て、面白そうにリオは笑う。
「魔王様は、勇者様が大好きなんだね」
「う、う、いや、その」
「隠さなくていいよ。どうせ両想いなんだしね」
「両想い……」
本当にそうだろうかと魔王は思う。
なぜなら、魔王は勇者に数えるほどしか会っていないのだから。
それだけで思いは芽生えるだろうか、と考えて父達の事を思い出す。
ありうるかもしれない、が。
「魔王様って、魔王っぽくありませんよね」
サラッとリオが毒を吐いた。それに魔王は反論する。
「何故!、何処からどう見ても魔王そのもの……」
「怖くないですよ」
「……所で、リオは勇者達と一緒に居なくていいのか?」
「話を逸らそうとしても無駄、と言いたい所ですが、僕は治療が専門なのでお留守番です」
「そうなのか」
「それと、魔王様が逃げないように見ててくれって」
「……イエ、ニゲマセンノデ」
「声が裏返っているよ、魔王様。それに、もし魔王様に何かあったとき守ってくれって、勇者様に言われていますし」
「そ……そうか」
魔王は顔が赤くなる。
本当に、自分の事を大切に思ってくれている、と魔王は思う。
だから、体を……。
魔王は悩む。
魔王が悩んでいるがリオには分かるのか、
「勇者様は良い人ですよ。僕達の恩人でもありますし」
勇者を褒める。だが、魔王には別の事が気になった。
「恩人、とはどういうことだ?」
「……そのままの意味です。僕とメアは治療師と神官ですが、どちらも光の神殿に属しています。この光の神殿というのがまた内部で色々ありまして、もし勇者様に選ばれなければ慰み者にされていた所だったんです」
「……お前達の魔力が強いから、か」
「ええ、強いものから弱いものに魔力は移動しますからね。特に体液からの移動が非常に効率が良いので、そういう事になるわけですが」
「それは知っている。魔族でも、高位の者は囲ってはいるが……」
「魔族も人も、それほど変わりないのかもしれませんね。とはいえ、魔力容量があるからそんなに沢山囲う必要が無いのですが……あのヒヒジジイめ」
「……大体分かったから、それ以上言わなくていい」
そう答えて、魔王はリオの頭をなぜる。
はっとしたようにリオは魔王を見た。
魔王は優しく笑っている。
それに戸惑うような表情になり、その後、むすっとした顔をした。
「……魔王様に慰められた」
「年長者だからな」
「……それに関しては幾つか突っ込みたい所がありますが、今は保留して」
「何故」
「保留にして、サライとクリフは魔法使いと戦士で、元々コンビを組んでいたのですが、罠を仕掛けられて賞金首になったらしいです。それを、勇者様に助けられたのだと聞いています」
「勇者は、本当に勇者なのだな」
「ええ、それに魔法使いに対してもわけ隔てない」
「魔法使いも、神官も、事象を起こす過程が異なるだけで同じではないか。光と闇の違い。確かに魔物や我は闇に属するから、敵と感じてしまうのも無理は無いのかもしれないが……」
「そうですね、でもサライは半分人ですし、仲間に引き入れるのはいいとして、魔王様。貴方は完全に敵以外の何者でもないはずなんですよ」
「……」
「それでも魔王様が勇者様は好きなんです。今なら、魔王様を簡単に殺せるのに、それどころか守っているんです」
「……」
「本当に、不満です。でも、勇者様が望むのならそれでいいと思っていました」
「……」
「いえ、特別だから仕方が無いと思っていたのかもしれません。でも、実際の魔王様はこんな、ちょっと見た目が良いだけの、ちょっと魔力が強い普通の人と変わらない。それが許せない」
「……勇者の事が好きなのか?」
「いえ、僕は敬愛しているのです。だから……」
魔王の首筋にナイフが突きつけられた。
「貴方のような普通の者は釣り合わ……」
そこでリオは言葉を止めた。
魔王がリオを見ていた。
そのナイフに怯えるでもなく、静かに、リオの方を見ていた。
この時リオは、何か自分が勘違いをしている事に気づいた。
以前、勇者に魔王は綺麗だと聞いた事があった。
そして、会ってからは綺麗というよりも可愛い人だと思っていた。
けれど、今の彼はどうだ。
静謐な雰囲気を纏、けれど恐ろしいほどに強く輝く夜空の白い月のように、そう、まさしくこの世の者とは思えないほどに綺麗な生き物だった。
力の無い事など微塵も匂わせない、魔を統べる王そのものだった。
「お前が勇者を大切に思っていることは分かった。だが、我に手をかける事は許さない」
「許さないって、今の自分が……」
「許さない」
リオのナイフががくがくと揺れる。震えているのだ。
魔王の言葉そのものが、大きな力を持っているようだった。
ちょっと脅かそうと思っただけなのに、とんでもないものを呼び出してしまったとリオは気づいた。
無言でリオは震える。体中、冷や汗が噴出す。
動けずに居るリオに、魔王はため息をついてナイフを持った手をどけた。
「何も無かった、で、良いな」
何を言われているのか分からず、リオは見上げると魔王が笑った。
「勇者の事をそこまで思ってくれるならば、我も嬉しい。だから、我も今あったことは忘れる」
「でも、僕は……」
「初めからお前は我を殺す気はないのだろう? お前は勇者の事が大切だから、悲しむ事はしないから」
「……そこまで分かっていたのですか?」
「我も魔王なのだぞ」
悪戯っぽく笑う魔王に、リオは毒気を抜かれてしまう。
これは敵わないとリオは思った。
「僕の負けです」
「元々我が弱い事に全てが起因している。我自身の責任だ。だが、一応我も武術のようなものを少し習ってはいたのだ」
「そうなのですか?」
「うむ、通信講座で体術を」
リオは噴出した。
「……本気で言っているんですか?」
「一応我も十年以上やっているのだぞ。それで何も効果が無かったらどうするのだ!」
よく勇者に押し倒されている魔王が自信ありげに言っている。
「えっと、では少し相手をして頂いてもよろしいでしょうか」
「うむ、良いだろう。相手をしてやろう」
結果は、リオの一方的勝利に終わった。
頭に一発リオのパンチが入っただけなのだが、それで魔王は倒れてしまった。
「弱い、弱すぎる……」
あれだけの恐怖を与えておいて、これだけ弱いとはリオは思わなかった。
これはない。
そこで勇者達が帰ってくる。
倒れている魔王を見て勇者が一瞬殺気立ったが、リオの説明を聞いて疲れたように脱力していた。
また、リオ魔王にした事を勇者に話した。隠し事をしたくなかったのだ。
「魔王が、許したんだろう? なら、俺も特に言う事は無いさ」
とあっさり勇者は言って、リオは唖然とする。
その様子に勇者はさらに笑って、
「魔王は、俺に手を差し伸べてくれた。だから、俺もリオ達に手を差し伸べる事が出来たんだ。それに、魔王が許したのも俺のためにしたと分かっての事だろう?。なら、俺がどうこう言えない」
魔王と勇者の心の結びつきは深い。
「ただ、問題なのは……」
勇者はちらりと魔王の方を見て恨めしそうに、
「魔王が起きていないと襲えない……」
とかなんとか。勇者の仲間同士顔を見合わせて、
「寝込みを襲ってしまっても良いんじゃないですか?。もう」
「いや、魔王の嫌がる事はしたくない」
襲えば襲ったでそれでどうにかなってしまいそうだと勇者の仲間は思ったが口には出さなかった。
勇者なりに魔王の事を大切に思っているのだろうと察しがついたからだ。
結局、魔王は次の朝まで目を覚まさなかった。