英傑の名残
「――迷宮、ですか?」
少女が皿洗いの手を止めて訊く。中途半端に落とされた洗剤が光を反射して少女はそれに目を細める。
「ああ。訓練に使えるか見て来ようと思うんだ」
「それって私の……ですか? それともフィアットさんのですか?」
「私のだ。ナシアにはまだ早いからな」
彼女の言葉を聞いた少女は内心でガッツポーズを決める。これ以上絞られてはいずれ近い内に死んでしまう、と感じていた少女にとって悲報を聴かされなかったのだから当然と言えば当然である。
しかし、同時にある事に気付いて慌てて問い質す。皿が嫌な音を発てたが今は気にしない。気にしている暇がないんです。
「フィアットさん! まーた私を置き去りにするんですか!?」
「国内にある迷宮だから夕方までには帰れるんだ。一日帰って来ない事はないぞ……たぶん」
「たぶんじゃ駄目です、たぶんじゃ! 約束して下さい!」
約束、と聴いて顔を悩ませた彼女は自室から常に身に付けているペンダントと同じ物を持って来て少女に渡した。それから、少女の手を握り、
「それは森人にとって誓いを立てる時に使う物だ。約束しよう、私は夕方までには帰れるように力を尽くすと」
「そ、そんな大それた事をさせるつもりじゃなかったんですけど……。早く帰って来てくださいね」
「ああ、約束だ」
そう告げて彼女は一人街の中心部へと歩いて行った。
ナシアに出かける事を伝えてから少しして街の中心――迷宮の入口に辿り着いた。長方形の石畳で囲われ、下に階段が続いている。横幅は人一人六人分はあり、石壁に取り付けられた篝火以外の光源は持ち込んではいけないそうだ。
迷宮の周りには宿や商店が特に密集しており、正に国の心臓部と言っても差し違えはないだろう。この国がやっていけるのは迷宮という人気スポットがあるからこそであり、ある日突然迷宮が消滅したりすれば国は滅びる危険性がある。
「薄暗いな。私にはあまり関係ないが」
迷宮には先代の踏破者が取り付けた灯り以外が存在しない為、若干足元が見える程度の暗さがある。数百年前まで照明器具を持っていて対応が遅れて命を絶つ者や、肝心な状況で魔力が枯渇して前者の後を辿る者がざらにいた。
それに心を痛めた若者が迷宮を攻略して情報を発信し、闇に包まれた迷宮内に灯りをそこで得た金銀財宝を使い、設置したのだという。
今も生きている、という話をここに来る途中で耳にしたが、その英傑は只人だったそうなので流石にもう生きてはいないと思う。
いくら英傑と言えど話を盛りすぎだが、それぐらいに凄い人物だったのだろう。




