第70話 因果応報
話を聞き終わった後、美咲は苛立った様子で真知子に詰め寄った。
「…は? それじゃ、何?
美幸が髪を失ってまでペンダントを取り返したのは……結局は何の意味も、価値も
無かったってことなの? ねえ? どうなんだよ!? オイ!!」
「………ごめんなさい」
「…っ……! 『ごめん』じゃねぇよ!!
どれだけ美幸が傷ついたと思ってるんだ!! あぁっ!?
これでまだ、引きこもりを続けてみろ!
いくら同僚の息子だろうと、ぶん殴ってでも部屋から引きずり出すからな!!」
今にも噛み付かんばかりの美咲の剣幕に、真知子は思わずたじろぐ。
「ほ、本当にごめんなさい!
心矢は私が責任を持って通学させるようにする! 約束するわ!!」
「………はぁ。いや……もういいよ。
それに、元はといえばあの池崎亮太とかいう馬鹿なガキが元凶なんだし。
そう考えれば、真知子さんの息子に当たっても仕方ないからね。
何より、もう引きこもりがどうだとか以前に、あの学校自体が今後どうなるかも
わからないしね」
「ああ……うん。今、凄いことになってるもんね……」
「あれくらい、当たり前だよ。
…今回に関しては、全力で叩き潰してやるつもりで対処したからね」
今、テレビニュースでは心矢の通う学校の話題で持ちきりになっている。
美幸に深い心の傷を負わせる元凶となった、池崎亮太。
そして、そんな亮太を擁護する親や学校に対して、美咲は思いつく限りの徹底的な
対処をしていた。
…美幸に『頼りになる家族』と言ってもらえた……その思いに報いるためにも。
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…帰宅して落ち着きを取り戻すと、段々と腹が立ってきた亮太。
すぐに、担任の桜子に殴られた旨をいつものように母親に言いつけて、翌日の朝
一番に学校に一緒に抗議に訪れてることにしたのだった。
校長室に通された2人の前には……厳しい表情の校長と桜子の姿があった。
すると、部屋に入って早々に、部屋のガラスが震えるほどの大声で亮太の母親が
校長達に対して怒鳴りつける。
「あなた、一体どういうことです!?
よりによってウチの子を殴りつけるなんて……なんて酷い教師なんですか!
校長! こんな不良教師なんて、即刻、解雇にさせてください!!
さもないと、来年度からのウチからの寄付を全額打ち切りますよ!?」
母親が金切り声を上げて抗議する横で、亮太はニヤニヤとしながら桜子の方を
眺めていた。
『ざまあみろ、俺に逆らうからこうなるんだ!』とでも言いた気に。
しかし、そんな亮太の予想に反して、今回はいつものように親が学校に一喝し、
学校側が謝罪して終わり……という見慣れた展開にはならなかった。
真面目な顔をして亮太の母の言葉を聞いていた桜子……そして、その横に立って
いた校長が、苛立った表情でのまま、逆にこちらに睨み返しながら、厳しい口調で
こう言い返してきたからだ。
「…はあぁ!? あなたこそ、この期に及んでよくそんなことが言えますな!
寄付? 今はそんなもの、もうどうでもいいでしょう!?
それよりも、当校はそこのあなたの息子さんのせいで、前代未聞の大打撃だ!」
「………は? な、何を言っているんです、あなた!?
ほ、本当に打ち切らせますよ!?」
「はっ! まさか……ご存じないんですか? 随分と暢気なものですな!!
あなた方、今朝のニュースをまだご覧になっていないんですか!?」
「………は? 朝のニュース……? それは、いったいどういう……」
“ピリリリリッ”
今までとは違ったその学校側の言いように疑問を感じた……ちょうどその時。
亮太の母の携帯の無機質な呼び出し音が、室内に鳴り響いた。
…画面を見ると、その相手は彼女の夫……つまり、亮太の父からだった。
「…はい、もしも――」
「おい! 亮太は……あのバカ息子はそこに居るか!?
あのガキ……とんでもないことをしでかしてくれたな!
アイツのせいで俺はもう終わりだ! いったいどうしてくれるんだ!!」
「は? あなた? それは…どういう意味です?」
「あぁ!? そんなもの、適当に『池崎亮太』とでも検索してみろ、クソがっ!!
ああ、それから警察が来たら下手に隠したりせずに素直にアイツを引き渡せよ!
これ以上俺の立場を悪くしたら、承知せんからな!!」
電話の向こう側の夫は酷く取り乱した様子で、そこまで怒鳴り散らすだけ怒鳴り
散らすと、ブチッと一方的に通話を切ってしまった。
「これは、一体……な、何が……」
『警察に引き渡せ』という不穏な言葉の響きが耳に残っていた亮太の母は、状況が
把握できず、強気な態度から一転、その混乱を隠せなくなった。
「…旦那さんがおっしゃていたのはね。恐らく……この動画のことですよ!!」
電話口で大きな声で叫んでいたからだろう。
周囲にも漏れていた声がきっちり聞こえていたらしく、校長はそう言い放つと、
置いてあったタブレットの画面を亮太達に向けてきた。
…そして校長が、とある有名動画サイトの再生ボタンを押すと、映し出されていた
動画が再生された。
『俺が話をする。お前らは武器を構えてろ』
パソコンからは、画面の中心に映った少年の偉そうな声が聞こえてくる。
「………えっ!? これって…………俺!?」
再生された動画には、亮太と数人の生徒が映っていた。
その動画は、まるで別の誰かの視点から見ているような奇妙な映像であったが、
画質・音声の劣化が全く無い、とても鮮明なものだった。
…そのおかげで、そこに居る生徒達全員の顔がはっきりと確認出来る。
映像は亮太が周囲の生徒に武器を相手に向けるよう指示したところから始まり、
乱入してきた教師に殴られ、悲鳴を上げて逃げ去ったところで終わっていた。
「…こ、これは……そんな……」
映像を見て、やっと校長や夫の言う状況が理解できた亮太の母親は、頭の中が
真っ白になった。
「ふぅ……さて、これで解って頂けましたかな?
今朝のニュースの話題は、もうこの映像で持ちきりだ!
だが、それだけじゃあない!
恐らくは、この映像を投稿した人物の仕業なのだろうが、当校があなたの息子さん
に便宜を図ってイジメを黙認していた事実も、ご丁寧に全ての報道機関にメールで
送りつけられたらしくてな!!
そのせいで、今度は我々教師側も厳しい追求を受ける羽目になっている!
高井先生を解雇ですと!? 冗談じゃない!!
もう、今の我々が頼りに出来るのは、その高井先生の正義感溢れる行動に集まる、
世間からの好意的な評価だけなんですからな!」
「で、ですが……こんなのは明らかに違法行為でしょう!?
こんな……画像も、音声も全く加工されていないだなんて!!
未成年を相手に、こんな映像が投稿されるなんて、許されるわけないわ!!
なぜ、すぐに削除されていないんです!?」
「…池崎さん。
あなたは、まだ本当に何もわかっていらっしゃらないようですな…。
我々が、今の今まで何も対策をしようとしていなかったとでも?」
「…は?」
「無理なんですよ!!
もう我々の力では、これはどうしようもないんです!!」
「な…何故ですか! 一体、どういうことなんですか!?」
「この映像なんですがね…。
ご丁寧にタイトルも『資産家・池崎家の息子、池崎亮太のイジメの真実』なんて、
検索し易いように日本語で書かれていますがね、動画自体は海外のサーバーを経由
して投稿されているんですよ。
…しかも、日本とは今のところ国交がほとんど無いような、遠い小国からね」
「そんな……。じゃ、じゃあ本人は!?
この映像を撮った人間を追って、その人を訴えることは出来るんじゃないの!?」
「それが、今回の件の一番の問題なんですよ。
我々も、発覚した当初はうちの生徒の誰かなのだと思っていたんですがね?
…あなたの息子さん、一体どんな相手を敵に回したんです?」
校長にそう言いながら睨まれた亮太は、反射的に母親の後ろに隠れた。
…この時の亮太には、もう先ほどまでの余裕など欠片も無かった。
「高井先生を説得して、この映像の撮影者らしき人物の名前をなんとか聞き出して
警察に問い合わせたんですがね……。
警察から返って来た回答は『その人物に関しては国家機密に該当するため我々では
一切介入は出来ません』という、予想外のものだったんだ!!
その人物が何者だったかまでは知らないが、相手は我々のような一般人では、手を
出すだけでも危険なレベルの存在だったらしいんですよ!!」
「…………なっ……なっ……」
校長の言い放ったあまりの内容に、亮太の母親は遂に返す言葉を失ってしまう。
…確かに、校長の言う通りなら、訴訟がどうだとかいう話ではない。
ここまで大きな話になると、もう資産家の妻だというだけの自分の権力程度では
何も打つ手が思い浮かばなかった……。
亮太の母親は、ここに来てやっと、正しく今の自分の置かれた状況を理解して、
背に隠れていた息子……亮太の腕を乱暴に掴むと、至近距離まで顔を近づけ、思い
切り怒鳴りつけた。
「こんのっ……バカ息子!! アンタ、なんてことをしてくれたのよっ!!」
「…うぅ……俺……これからどうなるの……?」
「そんなこと、私が知るかっ!!」
今まで何をしても解決してくれた親に突き放され、亮太は泣きそうになる。
…そして、ついさっきまで散々馬鹿にしてきた桜子にすら助けを求めた。
「ね、ねえ……高井先生! 助けて……俺を助けてよぉ!!」
「…ごめんなさい。これは明確な窃盗・恐喝行為の映像なの。
あなたは未成年だから、事情聴取されることはあっても刑務所に入るということに
まではならないでしょうけれど……。
既にあなたのその名前も、顔も、声も……全てが全世界へと発信されてしまった後
なのよ……。
こうなってしまっては、もう私個人の力では、どうにかできる規模じゃない。
だから、今のあなたを本当の意味で助けられる人間なんて……きっと、もうこの世
の何処にも居ないわ」
「…う……うわあああああぁぁん!!」
桜子の言葉を聞いて、その恐ろしさに亮太は本気で泣き出してしまった。
…しかし、その場の誰も、そんな亮太を慰めようとはしない。
あの桜子でさえ、目の前の“泣いて助けを求めている子供”のはずの亮太に対して
掛ける言葉が見つからなかったからだ。
こうして亮太は、泣きながら、やっと今まで自分のしてきたことの罪の重さを、
その身をもって自覚することになったのだった……。
泣き喚く亮太を見つめながら、桜子は昨日の美幸の姿を思い返す。
――結局、あの美幸という人物は、何者だったのだろう?
半日もしない間にここまでの状況を作り上げ、見事に学校側と池崎家との関係性
をひっくり返した、頼りになるという、家族。
そして、当の本人はトップアイドル並みの容姿を持ちながらも、あらゆる外国語
を使いこなし、更には存在自体が国家機密に該当するという、規格外っぷり。
…今になって考えれば、初めて会ったあの日、何故だか全て打ち明けようと思えた
あの奇妙な感覚すら、やはりただの気のせいでは無かったのではないだろうか?
なんにせよ、最低でも昨日までは解雇される覚悟をしていたのに、結局は美幸を
救うどころか自分の方が救われたということだけは、紛れもない事実だった。
――後日、世論の影響を受けていじめに関わった生徒とその保護者は、異例ながら
警察機関による徹底的な捜査を受けることとなった。
そして、主犯格の池崎家の人間は勿論、あの場に居たイジメに加担したとされる
生徒とその家族達は、ほんの数日のうちに次々と何処かへと引っ越して行き、翌月
を迎える頃には、見事に人前から完全に姿を消してしまっていた。
一方、小学校の方はというと、調査によって桜子以外の関係者の全員が、あの日
の亮太の行動を黙認していた事実が発覚したことで、その他の教師や理事達は全員
が解雇・解任されるという、異例の対処が取られることとなったのだった……。




