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第50話 結果良ければ

 1月31日。

1月最後の日であり、同時に夏目家での美幸の試験の最終日でもあった。


 この日は日曜日…ということで、美幸と共に遥も同席していた。

…そして、今日はそこに更に新しい顔ぶれが加わっている。


「へー。ここが美咲さん達の実家か~」


「実家…なのかしら?」


 莉緒のその発言に、遥は軽く首を傾げる。


 以前に聞いた話では、両親が亡くなってから、美月が中学校を卒業する時までは

2人はこの夏目家で暮らしていたという話だったし、夏目夫妻も第二の親のような

ものらしいので、実家という表現はあながち間違いとは言えない。


「…でも、美幸ちゃん。本当に良かったの? 私が来ても…」


「ふふふ、良いのよ。私が望んだんだから」


 そう真面目な顔で質問してきた莉緒に、由利子が美幸が答えるより早く答えた。


「でも、美幸ちゃんの試験? まだ、今日もあるんですよね?」


 莉緒は初めて会う由利子に、緊張しつつも慣れない敬語で尋ね返す。



…莉緒は明るく、能天気に見えがちだが、実際にはそうでもない。


 前回の初詣の時にも何だかんだ言いながら最終的には素直に帰って行ったのも、

自分の立ち位置(・・・・)を理解していたが故のことだ。


 遥が“事情を知っていて、何でも相談出来る友人”だとするなら、莉緒の立ち位置

とは“事情を知らないからこそ、気楽に接することが出来る友人”だった。


 美幸が、その立場から色々な悩みを抱えていたとしても、何も知らない莉緒の前

では、それを表に出すことが出来ない。


 しかし、だからこそ美幸は、莉緒の前ではいつも明るく笑ってくれる。


 たとえ、その笑顔が初めは無理やり浮かべたものであったとしても、自分と共に

過ごす間に、本物にしてしまえば良い。


 そして、それこそが自分のあるべき立ち位置なのだ。


…と、そう考えていた莉緒は、今までも敢えて必要以上に踏み込まなかった。


 それは、見た目とは裏腹に重責を負っている美幸には必要なポジションであり、

何より莉緒自身もその役割を気に入っていた。


 何故なら、美幸が、決して何も知らない莉緒を軽い存在だと思っていないことを

知っていたからだ。

 だからこそ、『自分も美幸に必要な人間なのだ』とはっきり自覚出来ていた。


…しかし、莉緒が遥の立ち位置に近付いてしまえば、莉緒という逃げ場所(・・・・)を美幸は

失くしてしまうことになる。…莉緒には、それが気掛かりだった。


「ふふふ、そうね…。でも、大丈夫よ?

ここには研究資料なんて……まぁ、少ししか置いていないから。

それに何より、今日はみんなで本を読んで感想を言い合うだけだもの。

友達同士で遊ぶのに、良いも悪いも無いわよ」


「はい! だから莉緒さん! 今日は一緒に読書しましょう!」


 遥だけでなく莉緒も参加出来るのが余程嬉しいのか、美幸は先ほどからずっと

元気一杯だった。


「…何となく考えてることはわかるけれど……きっと、大丈夫よ。

別に、ここにはあなたが知ってはいけない重要な秘密なんて何も隠れていないわ。

…だから莉緒、あなたは何も気にしなくて良いのよ」


 遥は莉緒のその考えのほとんどを見透かしていた。


 今でも、学園では朝からHRまでの間は遥の元に通ってくれている莉緒。

それが美幸に託された“遥を一人にしない”という理由だけではなく、クラスメイト

と遥との関係性を繋ぐためでもあることに、遥は気付いていた。


 その証拠に、莉緒はクラスメイトを話題にして話すことが多かったし、逆に教室

では、主に遥や美幸を話題にして話をしているらしい。


 莉緒がそうしているのは、相手の情報を知っていると、その分だけ親近感を持つ

のが人間というものだからだろう。

…莉緒はクラスメイトの記憶から、2人が消えないようにしてくれているのだ。


 そんな莉緒だからこそ、遥も美幸が学園を去った後も友人でいられた。

…逆にそういう理由でもなければ、騒音が苦手な遥と騒がしい莉緒との友人関係は

2日と持たなかったに違いない。



「…うん。わかった。じゃあ早速、遊ぼう! ゆりりん・・・・!」


「………前言を撤回するわ。あなたは少し気にしなさい」


 5倍近い年齢差がある初対面の相手に、いきなり『ゆりりん』呼ばわりするとは

思わなかった遥は、莉緒のその発言への反応がワンテンポ遅れてしまった。


「あら、私は構わないわよ? 『ゆりりん』…可愛らしいじゃない」


「ほらー! 遥ちんも『ゆりりん♪』って、一緒に呼べば良いじゃん!」


「…遠慮するわ。あと、その『遥ちん』という呼び方も、私は認めていないわ」


 遥のその返答に『“遥ちん”も可愛いのにな~』と呟きながら、由利子と共に屋内

に消えていく莉緒。

…そんな2人の姿を、遥は酷く疲れた顔で見送る。


 突然の“ゆりりん”呼びは、恐らく“美幸達と同じ、友人同士だ”という莉緒なりの

意思表示のつもりなのだろうが…。

…それが解っていても、莉緒のその思考回路は、遥の理解を軽く超えていた。


 2人の背中が見えなくなるまで見送った後、遥は今日一番の深い溜め息と共に、

手の平で両目を覆って、親指と中指で自らのこめかみを押さえつけた。


「あ、あのー……大丈夫ですか? 遥…」


「いいえ。駄目ね。…頭痛がするわ。美幸、ああ・・なっては駄目よ?」


 そんな遥の様子に苦笑しながら、数分遅れで、美幸達も由利子達の後を追って

行くのだった…。



 その日の予定を敢えて以前と同じ読書討論会にしたのは、由利子なりのリベンジ

のつもりだった。


 前回は美幸の置かれた状況から、由利子の思うようにはいかなかったが、今回は

もう何も憂うような隠し事はない。


 何より、今日は更に新しい2人の友人も加わっている。

これだけ状況が違えば、今度こそ上手く美幸を笑顔に出来るだろう。


…そして、やはり由利子の想像通り、その日の読書討論会は大成功に終わった。


 開始早々に『漫画は何処に?』という質問をした莉緒に遥が説教をして、

読み始めると『あははは!』と大声で笑いながら読む莉緒に遥が説教をして、

最後の感想に『内容を覚えていません』と答えた莉緒に遥が説教をしていた…。


 終始、莉緒に遥が説教をしていた一日だったが……美幸はずっと笑っていた。

そして、由利子はそんな3人を眺めながら、ずっと穏やかに微笑んでいる…。

…そんな一日だった。



「さて…そろそろ美幸ちゃんの試験も終了ね」


「はい、そうですね」


 夜になって、いつものように日記を書き終えた由利子は、美幸とゆったりとした

時間を過ごしていた。


 今、美咲は車で遥と莉緒をそれぞれの自宅まで送っている最中だ。

そして、その美咲がここに戻ってきたら、そのまま美幸を連れて研究所まで帰る

予定になっている。

…それで、とりあえず今回の試験は終了だった。


 とはいえ、今回は学園の時のように美幸は泣いていなかった。

理由はとても単純で、由利子のもとには今後も美幸が希望すれば、いつでも来て

も構わないということだったからだ。


 学園と違い、元々は洋一の家なのだから、機密も何もない。

それに、屋内に入ってしまえば人目も無いため、研究所からの移動と、出入り口

の警備にさえ気を遣っていれば、特にこれといった問題が無かったのが主な理由

だった。


「はい。美幸ちゃん。これ、あなたが持っていて頂戴」


 そう言って、今さっきつけたばかりの日記帳を差し出してくる由利子。


「…え? 良いんですか?」


「あら、預かってもらうだけよ? あげるんじゃないわ。

それに、これは美幸ちゃんとの思い出を忘れないための覚書(おぼえがき)みたいなものだもの。

こっちに来る時に持って来てくれれば、特に問題無いわ」


「…そうですね。わかりました。お預かりします」 


 そう言って、美幸は由利子からその赤い日記帳を受け取った。


「でも、美咲ちゃんに盗み見られたら大変だから、鍵は私が持っておくわね?」


「クスッ…ええ。よろしくお願いします」


 開かない日記帳を前にして、何とか中身を見ようと四苦八苦する美咲の姿が思い

浮かんで、2人はしばし笑い合った。


「気が向いたら、何時いつでもいらっしゃい。歓迎するわ」


「はい。もう、由利子さんが飽きるくらいに来ようと思います」


「あら! それは覚悟しておかなきゃね」


 そんなやり取りをしながら、由利子は部屋の端に目をやる。


「…あんまり会えないと、私もあの子も寂しがって死んじゃうわよ?」


 その視線の先には、巨大なウサギのぬいぐるみが鎮座していた。

少し遅れたクリスマスプレゼントとして、美月と隆幸から美幸に贈られたものだ。


 一目で気に入って喜んだ美幸だったが、美幸には自分の部屋が無かった。

そこで、今後も通う予定のこの部屋に置いておくことにしたのだ。


「…はい。必ず会いに来ます。だから……ずっと元気で居て下さい」


「あらあら、ごめんなさい。

…そうね、こういうのは私が言うと冗談にならないわね」


『死』という言葉を口にしたとたんに悲しそうにする美幸に、慌てて謝る由利子。


「でもね、美幸ちゃん。

これは真面目な話だけれど、私は自分が死んだ時にあなたが心から悲しんでくれる

って自信を持って言えるのは、とても嬉しいことなのよ?」


「そう…なんですか?」


「ええ。自分の話として、考えてみて?

仮に…あなたが居なくなるって決まった時に、美咲ちゃん達や遥ちゃん達…みんな

が悲しんでくれたら……どうかしら?」


 美幸は自分が何らかの理由で廃棄処分されることを想像して、同時に自分と別れ

を惜しんでくれる…大切な人達の姿を思い浮かべてみた。


 それは、とても悲しくて……そして、これ以上無いほど嬉しい光景でもあった。


「……はい。何となく…わかりました」


「…そう。……正直に言うとね? 私だって死ぬのは嫌よ…怖い。

…でもね、あなたや美咲ちゃん達みたいに、本気で別れを惜しんでくれる人のこと

を想ったら……少しだけ、怖く無くなるのよ」


 そう言って、ベットから体を起こした由利子は美幸を優しく抱き締めた。 


「美幸ちゃん…。私とお友達になってくれて…本当にありがとう」


「…はい。こちらこそ…ありがとうございます」


 そっと抱き返した由利子の体は細く、今にも折れてしまいそうだった。

…そこに近付く死の影を感じてしまった美幸は、由利子に悟られぬよう…密かに、

唇を噛み締めた…。



「…美幸ちゃん。今回は本当にありがとう」


 戻ってきた美咲と共に研究所へ向かおうと外に出た美幸の背中に、洋一は感謝の

言葉を告げた。


 あれから、由利子は昼間の疲れが出たのか…いつも通りに眠ってしまった。


 しかし、これからも自由に通うことが出来る以上、わざわざ起こしてまで別れを

言う必要も無いと考えた美幸は、起こさないようにそっと部屋を後にした。


「美幸ちゃん達のおかげで、最近の妻は目に見えて元気になったよ。

記憶もはっきりしているし…そういう意味では、もう大丈夫だろう」


 由利子の記憶の混濁は、いつの間にかすっかり無くなってしまっていた。

…医者の話では、死や病気に対する不安が薄れたことと、昔に逃避する必要が無い

くらいに、今が充実しているからだろう…とのことだった。


「所長さんも、ちゃんと由利子さんと遊んであげてくださいね?」


「ははは、そうだね。

私も病人だから…と、少々気を遣い過ぎていたのかもしれんな…。

次からは、私も歌を歌ったりしてみるとしようか」


「止めてあげて下さいよおじさん。おじさんの歌は美月といい勝負でしょうに…」


 その美咲の返答に3人で笑いあって、今回の試験は無事に幕を閉じた。




 今回は開始早々から紆余曲折あった美幸の試験だったが、結果的にはこれまでで

一番すっきりした最後を迎えられたものとなった。


 この試験で、美幸がどれほどのものを得られたのか…。

それは、今すぐにはっきりと分かることでもないだろうし、本人にしか分からない

部分もあるだろう…。


 ただ、これを『アンドロイドの試験』として考えた時、周囲の人間、皆を笑顔に

出来たという意味では大成功だった。


『心を持つアンドロイド』が実用化に向けて動き出している今、今回の試験結果は

美幸への評価を高め、期待を大きくさせるには十分なものになったに違いない。


…だが、由利子がこの先、どれほどの時間生きていてくれるのかはわからない。

それでも、当初の美咲の言葉通り、いつかは美幸と死別する時がやってくる。


 この2ヶ月で美幸と由利子は本当に仲良くなった。

しかし、今回の“別れ”は学園の時のものとは、全く意味が違うのだ。


 今回の試験を実施したこと…それ自体は今となっては良かったと思っている。


 ただ…毎日、仲良く過ごし、一緒に笑い合っている美幸と由利子の姿を見ている

と、『死に別れることが良い経験になる』という考えが、正しいのかどうか…。

それについては、もう完全に分からなくなってしまっていた。


 あの時は美月に対抗するために、確かにそう言っていた。

しかし、冷静になった今では、いざその瞬間が来た時の美幸の悲しみの大きさを

計りきれないことは、不安要素でしかない。


 今から考えていても意味が無いことだとは分かっていたが…。


『楽しい試験でした』と、助手席で笑う美幸と共に研究所に向かう今の美咲には、

それだけが気掛かりだった…。




…ちなみに、この別れ際の洋一との会話を美幸から聞きつけた美月は、美咲の紅茶

の砂糖を一週間禁止にしたらしい。

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