第86話 夫婦の絆
美幸が佳祥の告白に対する答えを決めた日から更に数日が経った、その日。
佳祥が高校の卒業式を迎えた翌日に、美幸と佳祥は揃って所長室を訪れていた。
「何だか随分と物々しい雰囲気だけど…何かあったのかな?」
真剣な表情で美咲に対峙する美幸と佳祥を見て、召集を掛けられていた隆幸は、
隣に居る美月に尋ねた。
「そういえば、隆幸さんはあの件を話した席には居なかったんでしたね。
恐らく、先日の答えを伝えに来たのだと思うのですが…。
…隆幸さん、とりあえずは…真剣にあの2人を見守っていてあげてください」
「…そっか。うん、わかったよ」
いつも通りの笑顔を浮かべながら、そう答え返す隆幸。
この場で佳祥の告白の事実を知らないのは隆幸だけだったが、美月が『見守って
いてあげてください』と言うと、“先日の答え”が何か知らないはずの隆幸は、それ
以上何も尋ねずに素直に頷いてくれた。
美月は美咲に、佳祥の告白や美幸の新素体の件を隆幸へ伝えようと提案してみた
のだが、『高槻君は息子も娘も溺愛してるから、うるさくなりそうなので却下』と
言われてしまい、結局は今日まで伝えていなかった。
しかし、隆幸が素直に従ってくれたため『悪い結果ではないのだろうから』と、
美月はここでこれまでの経緯を教えるのは止めておくことにした。
…もし美幸が告白を断ったのなら、そもそも今日佳祥がここに来る必要など無い。
まず間違いなく、吉報がもたらされることだろうから。
「それで、美幸? 今日はどうしても聞いて欲しい話があるってことだったから、
こうして家族皆に集まってもらったけど…一体、どんな内容なのかな?」
美咲がそう言って、美幸に返答を促す。
だが…やはり既にその内容には予想がついているのだろう。
真剣な口調とは裏腹に、その顔は先ほどからずっとニヤニヤしていた。
「…本日の話の内容は、佳祥君の方からお伝えしてもらう予定ですが…。
まずは、そのニヤニヤした顔を所長らしく引き締めて下さい」
美幸は冷たい…と言って良いほどの視線を向けたまま、『所長』のところを特に
強調した口調で、そう美咲に言った。
…美咲が覗き込んだ、美幸のその瞳の奥は…一切、笑ってはいなかった。
「はぁ…わかったよ。もう…本当に最近の美幸は美月みたいだね」
「それは全面的に姉さんが悪いんです。いい加減に反省を覚えてください」
自分の名前を引き合いに出されたからか…。
美月がその会話に割り込んで、美咲に注意を促す。
しかし、納得しきれない様子の美咲は、そんな美月に言い訳してきた。
「でもさぁ…美月? 思い出してごらんよ?
昔の美幸なら困った顔で『しょうがないですね…』って言ってくれてたんだよ?
何か、こう…寂しいじゃない?」
「娘に対して甘え過ぎです。美幸ちゃんの優しさにつけ込まないでください」
「そういえば…美幸って何時頃からこうなっちゃったんだろう?」
「ああ…それなら、美幸ちゃんから『大人の女性としての心得を教えて下さい』と
請われた際の一環として、姉さんに上手く丸め込まれらりしないように…と思って
私が徹底的に教え込みました。
『何時までも甘やかしていても、姉さんのためにならないから』と、言って。
誰かさんと違って、美幸ちゃんは素直で、優秀な生徒でしたからね…。
姉さんの“扱い方”も飲み込みが早くて、非常に助かりました」
「ええっ! 何それ! 私、全然聞いてないんだけど!?」
大げさなくらいに驚いた美咲は、そう言うと今度は眉間に皺を寄せる。
「くっ…そうだったんだ…。今まで全然、知らなかった…。
まさか、本人の直伝だったなんて…。
どうりで私のあしらい方が、妙に美月に似てるはずだよ…!」
悔しそうに…それでいてどこか楽しそうにする美咲だったが…。
そこでふと、美幸の何とも言えない微妙な視線に気が付いた。
そして、そのまま美咲も、何気なくその視線の先に目を向けてみると…。
そこには『うわぁ…』と、思わず声を漏らしてしまうような光景が広がっていた。
「………………っ……」
…そこには、緊張した面持ちのまま発言のタイミングを逸してしまい、そこから
どうして良いのか分からなくなっている、甥っ子の姿があったのだ。
「ご、ごめん! そういえば、大事な話の最中だったよね!」
「いいえ、その…。…もう、宜しいのでしょうか?」
「あ~…うん。大丈夫、大丈夫…気にしないで」
昔から続く美月とのああいったやり取りは、姉妹間のコミュニケーションの一環
だと捉えている美咲…。
そして、佳祥を含めた家族の中でも、やはりそういう共通認識だった。
そのため、佳祥も会話に割って入るどころか、逆に姉妹のそんなやり取りに気を
遣って邪魔出来なくなり、会話が終わるまで固まっているしかなかったのだ。
状況に理解がある…というのは、必ずしも良いとは限らないらしい。
「…本日の大事なお話というのは、例の保留にして頂いていた…先日、僕から美幸
さんに正式に交際を申し込んだ件なのですが…」
そんな佳祥の言葉に、部屋の端で隆幸が小さく『へぇ…』と呟いた。
驚いた…というより、感心したようなその表情は、いかにも“父親”らしい。
「先日、美幸さんから無事にOKのお返事を頂きましたっ―――」
“パーンッ”
佳祥が報告した瞬間、どこから取り出したのか、美咲の手元のクラッカーから
独特の破裂音と共に紙テープが飛び出して、美幸達2人の顔にかかった。
「ちょ、ちょっと姉さん! 研究所室内で火薬の使用は…」
「ああ、大丈夫さ。ちょっと火災報知器は切ってあるからね」
「ちょっとって…所長、そういう準備はいつも万端ですね…」
慌てて注意する美月の姿に苦笑いを浮かべながらも、隆幸は嬉しそうな顔の美咲
にそう言った。
普段はなかなか読み辛い美咲にしては珍しく、その瞳からは分かりやすいくらい
の“喜び”の感情が見て取れる。
…しかし、そんなお祝いムードの中で、美咲のクラッカーをまともに顔面に受けた
美幸が若干の抗議の言葉を口にする。
「…美咲さん。お気持ちは嬉しいですが…流石に至近距離は驚きます」
「あ、ごめんごめん!
でも…急展開だね? 先日は『考えるまでも無い』って感じだったのに…」
「まぁ、それは…。
遥や莉緒さんと相談して…その上で、改めて自分と向き合って考えた結果です」
少し照れはあるものの、堂々とそう答える美幸は、美咲にはほんの数日前よりも
不思議とずっと、大人びて見えた。
「はぁ…。全く…何が『意外』なんですか…。
事前にクラッカーまで用意しておいて、よくそんなことが言えますね?」
「うっ…そ、それはそうだけどさ…」
美月の鋭い指摘に怯む美咲だったが、当の美月はそんな美咲を無視して美幸の
正面に立つと打って変わって、ふっ…と、穏やかに微笑んだ。
「…美幸ちゃん、本当にありがとう。
まだまだ至らない所だらけの子ですけれど…末永く、宜しくお願い致しますね?」
普段の関係からは想像も出来ないほどの畏まった態度で、そう言いながら美月は
頭を下げてきた。
…すると、美幸もそれに倣うように、美月に頭を下げ返す。
「こちらこそ…不束者ですが、どうぞこれからも宜しくお願い致します」
そうして少しの間、頭を下げ合ったままの2人は、お互いが動く気配を感じて
ほぼ同時に頭を上げると、自然と目が合ってニコリと笑い合った。
「これじゃあ何だか、お付き合いというよりも婚約発表みたいだね…」
詳しい経緯を一切知らない隆幸は、そう言って軽く笑う。
そして、美幸はそのにこやかな表情のまま、深く考えることも無く、当たり前の
ことのように隆幸に答え返した。
「え? それは…そうでしょう?
だって、私は近い内に佳祥君との子供を産むことになるんですから。
実質、もう婚約発表のようなものです」
「……………………は!? ええっ!? こ、子供!?」
演技ではなく本気で驚く隆幸を、美月以外の人間は本当に久しぶりに見た。
…その声も、普段の穏やかな声量とは比べ物にならないほどに大きい。
そして、この瞬間。
美月以外の者達は『あぁ…そういえば、まだ何も教えていないんだったっけ』と、
出産はおろか、新素体への換装の件すら教えていなかったことを、今さらながらに
思い出したのだった…。
「なるほど…そういう話になっていたのか。道理で佳祥が緊張しているはずだ」
その後、美月から諸々の事情を詳しく説明された隆幸は『本当に驚いたよ…』と
呟きながら、ようやく現状に納得した様子だった。
…だが、ここで少々気になる点も出てきた隆幸は、話のついでに美月にその点への
対策も尋ねることにした。
「けれど、そうなると体外受精用の卵子も、美月のものは使えないだろう?
その辺りの問題はどうするつもりなんだい?」
この隆幸の指摘は尤もなものだった。
そもそも、美幸の身体に合わせたものを用意するのならば、当然ながらベースと
なっている美月のものを使うことになるだろう。
しかし、その相手が佳祥ということなら、ちょっとその事情も変わってくる。
あまりにも近い遺伝子同士だと免疫力的な問題も懸念されるが、そもそも美月と
佳祥は親子関係なのだ。
…倫理的な面から見ても、流石に美月のものを使うわけにはいかないはずだ。
「ああ、それはですね…。
こういった場合は、姉さんのものを使う計画になっていたらしいんですよ。
これには、美幸ちゃんも既に了承してくれています」
「所長か…。なるほど、それなら倫理的にもギリギリ大丈夫か…」
正直、免疫等の部分では微妙なところではあったが…遺伝子的に実の親子の間の
子供になるよりは遥かにマシだろう。
…それに、美咲のものならば美幸も赤の他人のものを採用するのとは違い、純粋に
喜んでくれたに違いない。
そう考えれば、考え得る限りでは絶妙な落とし所と言えるだろう。
「でも…そうか。
改めて考えてみれば、美幸が起動し始めてから…もう20年になるのか…」
「ええ…。実は…今回の新素体が私の20歳の時のものをベースにしているのも、
姉さんとしては美幸ちゃんへの成人祝いのつもりだったらしいですよ?」
「へぇ…そうなんだ。…それって、美幸は?」
「知りません。姉さんったら『照れくさいから改まって言わない』って…」
「ははは…所長らしいなぁ…」
そう言ってチラリと美幸達と話す美咲を見て、隆幸は近い未来を夢想する。
「案外…子供が生まれた時には、実の親になる美幸や佳祥より、所長が一番に喜び
そうな気がするね」
「クスクスッ…。ええ…そうですね。
何だか、姉さんが毎日遅刻してきそうな予感がします」
自宅で眠る美幸の子供を眺め過ぎて、遅刻の常習犯になる姉の姿が今から容易に
想像出来てしまい、美月は思わず笑ってしまった。
「そういえば…。よく考えなくても、僕は50歳を迎える前に、もう“お爺ちゃん”
になるのか…」
「それだけは…響き的にあまり歓迎出来ません。
“お婆ちゃん”と呼ばれるのは…今回の件で唯一、避けたいと思ったことですね…」
「あはは…。まぁ、それも良いじゃないか。
僕と美月の間に出来た息子…その息子と、あの美幸との間の子供なんだよ?
そう思えば…きっと生まれてくるその子になら『お婆ちゃん』と呼ばれても…
意外と腹は立たないんじゃないかな?」
「そうですねぇ…」
隆幸の言葉を受けて、少し上を向いた美月はその光景を想像してみる。
「ふふっ…。ええ、腹が立つどころか…少し嬉しいかもしれません」
「はははっ…そうだろう?
今はまだ、男の子か女の子、どっちかなんて分からないけれどさ…。
絶対に佳祥より僕に懐かせてやるんだ。これはもう、父親としての意地だね。
題材が“孫からの好感度”だといっても、まだまだ息子には負けていられないし」
「あら? それなら佳祥にも“父親の意地”っていうのがあるんじゃないですか?
それこそ、あちらは正真正銘の父親になるわけですし」
「…ああ。ふふっ…それもそうだね…」
そう言って笑った後、隆幸は美月の顔を見つめて…改まった様子で尋ねた。
「美月…君は今、幸せかい?」
「…はい。とても…幸せですよ」
「そっか…。僕だけじゃなくて良かったよ…。
あの時、年齢を気にして交際を断らなくて、本当に良かった」
「ふふっ…そういえば、そんなこともありましたね…」
恋人になったばかりの頃には、その年齢差によって心無いことを言われる場面も
あった2人だが…こうしている今もお互いに欠片も後悔はしていない。
佳祥と美幸は年齢差どころの話ではなく、そもそも人とアンドロイドだ。
これから色々な面で、その認識の差を目の当たりにしていくことになるだろう。
…だが、それでも2人は美幸達のことをさほど心配してはいなかった。
自慢の息子と娘の結婚なのだ。
当然、喧嘩することくらいはあるのだろうが…きっと自分達と同じように、この先
何があっても、今回のこの決断を後悔することだけはないだろう。
「お~い! そこの2人!
いい歳してイチャイチャしてないで、アンタ達もこっちに来なよ!
これから美幸達と、今後の詳しいことを皆で話し合おう!」
…どうやら、もう少し…この家族会議は続くらしい。
喜びからか…大して離れてもいないのに大きな声で自分達を呼ぶ美咲に、美月は
『年齢のことは、姉さんに言われる筋合いがありません』と言うと、隆幸と一緒に
歩いて行く…。
密かに繋がれた手から、この20年の夫婦としての絆を確かに感じながら―――




