ハチドリが飛ぶ街へ
その翌日、夕方からのレッスンにスカイとゆかなは、一緒に佐伯社長の用意したスタジオに現れた。
徐如林は先にスタジオで待っていたのだが、それは理由はよくわからなかったが、ゆかなからスカイを連れてくるから先にスタジオへ向かってくれと言われたからだ。
新しいアイドル候補が来るので、佐伯社長も張り切って満面の笑みで徐如林と共にスタジオ前で待機していた。
しかし、スカイを見た佐伯社長の表情は固まった。
「ウサギちゃん…これは…日本人?…人間なのかい?…」
佐伯社長にはスカイが人間には見えなかった。
あまりにも完璧すぎる容姿、変わらない表情。
それは人間というよりは、アンドロイドやホログラムで映しだされた仮想の美少女にしか見えなかった。
佐伯社長の心は恐怖で震え始めた。
まったくもってスカイが生きている人間だと思えなかったのだ。
スラリとしたトップモデルの様なスカイ。
美しいが感情のこもらない凍りついたスカイの目。
シルバーの長い髪が僅かになびく。
まさに凍りついた大地で研ぎ澄まされた五感をもって獲物を狙うシルバーウルフ。
その目がゆっくりと動き佐伯社長をとらえた。
「うわあああああああああああっ!!!!」
佐伯社長は何かに襲われたように後ろに転がると、そのままバタバタしながら徐如林の後ろに隠れた。
そんな佐伯社長にスカイは一歩詰め寄ると、さらに佐伯社長は身を小さくして徐如林の後ろからスカイの様子を伺った。
「スカイだ。よろしく頼む。ステルス アイドル プロジェクトに関しては了承済だ。空がある限り、誰もが私を捉えることはできない…」
1流の殺し屋であるスカイの圧力に押され、佐伯社長はガタガタ震えているだけであった。
徐如林はいつも通りニコニコしながらそれを見ていたが、想像以上に良くない方向にことが動き始めたなと感じていた。
このままでは佐伯社長がスカイをアイドルにしたいと考えるとは思えなかったからである。
しかし、父、率然者から「スカイと仲良くしておけ」という指示が出ている以上、このままスカイをアイドルにする話が流れて篠宮家とスカイの関係が切れてしまったら、徐如林自身が率然者にどんな罰を与えられるかわからない。
こういう時はゆかなは何も罰を与えられないのだが、必ず徐如林には想像を絶する罰が待っているのだ。
任務を全うできないこと指示を守れないことに関しては、特に率然者は厳しかった。
「佐伯社長、大丈夫ですから落ち着いて下さい。彼女はロシア人なので、少し冷たい印象を受けますが心は優しい女の子です。日本語は完璧ではありますが、まだ日本の文化には慣れていないので、そのあたりは徐々に慣らしていけば良いかと…」
徐如林は落ち着いて佐伯社長にそう伝えると、佐伯社長は少し冷静になってきたようで、徐如林の影から出てきて立ち上がった。
「そ…そうなのかい?…でも彼女はアイドルというよりモデルでもやった方が向いてる気がするんだよね…あまりにも完璧な美人さんはあんまりアイドルファンには受けが良くないんだ…」
佐伯社長が困ったような顔でそう言い出したので、徐如林は率然者に罰を与えられないように、すぐに佐伯社長に切り返した。
「しかし佐伯社長、今はウサギのアイドルユニットを作るのが最優先です。実際にやりながらうまくいかないようであれば、メンバーを入れ替えれば良いだけのこと。それがデビューした後でも、人気のないメンバーが消えただけなら、ファンからも反感は買わないでしょう。それに今はメンバーが見つからないわけです。いくらモデル向きと言っても、これだけキレイな女の子はそうそういるはずがありません。もしかすると、ウサギとは別なファン層をつかむことができるかもしれませんよ」
徐如林はここで佐伯社長がスカイを拒否したら、自分が率然者に何をされるかわからないので顔は穏やかに笑っていたが、内心ヒヤヒヤしながら佐伯社長の様子を観察していた。
目をつぶり腕を組んだ佐伯社長は唸るように考えこみ始めた。
ゆかなは佐伯社長の様子を真剣な眼差しで見ていたのだが、ふと横にいるスカイを見上げるとどことなくスカイの顔が紅潮し動揺していた。
スカイもゆかなを見下ろすと、目で外に出ようと合図を送った。
「お話のところ失礼しますなのです。空ちゃんをトイレに連れていくので席を外すのです」
ゆかなは2人にそう言って頭を下げると、スカイの手を引きその場から離れた。
スタジオから離れた所まで移動すると、ゆかなはスカイに何かあったのか?を尋ねた。
「空ちゃん、今何かあったのですか?」
ウサギの問いかけに、スカイは小刻みに震えながら嬉しそうに頷いた。
「おい…ウサギ…さっき徐如林様が私のことを『心は優しい女の子』と言っていたよな?…」
「そうなのですか?たしかそういうことも言っていたかもしれないのです」
ゆかなは徐如林の話をそこまでよく聞いていなかったので覚えていなかったのだが、スカイがあまりにもその言葉を聞いて喜んでいるようなので話を合わせた。
「さらにだ…徐如林様は私のことを『これだけキレイな女の子はそうそういるはずがありません』と言っていたよな?…」
スカイは表情を崩し顔をほころばせながら、ゆかなの肩を両手でガッツリと掴んだ。
「そ…そうですね…空ちゃん…お兄様は空ちゃんのことをキレイだと言っていたのです…」
まったく徐如林がそんなことを言っていたかどうかゆかなは覚えてなかったのだが、スカイの圧力に負けてまた話を合わせた。
先程までと違い、スカイは乙女のような表情で両手を握り、夢を見ているような顔で幸せそうにし始めた。
「うふふふ…まさかな…まさか徐如林様が私のことを『心優しい世界一キレイな女の子』だと思っていたなんて…私は徐如林様にとって『優しくてキレイな女の子』だったのか…そうか…徐如林様が私のことをそんな風に…」
そうつぶやきながら幸せそうにしているスカイを見てゆかなは何と言って良いのかわからなかったが、徐如林はうまく佐伯社長と交渉しようとしているだけで、あまり発言した内容には徐如林の気持ちが込められていないのをゆかなは知っていた。
徐如林が戦術や戦略にかけては他とは一線を画したな才能に恵まれているが、その反面、人間らしい感情に欠けた判断を下すことも多い。
それは殺し屋として生きるか死ぬかの世界では、いちいち細かいことまで気にしてはいられないので良いのだが、ゆかなは徐如林に好意を寄せている女の子達を徐如林が全く相手にせずに酷く悲しませて来たのを見てきた。
徐如林は優しくて思いやりのある兄ではあるが、スカイのことも手駒の1つとしてしか見ていない。
チームを組んだ殺し屋が大物の目標を理路整然と手際よく殺すように、アイドル活動をし成功していくための道具として徐如林はスカイを見ているのだろう。
特にそこには人間らしい感情があるはずもなく、ましてや恋愛感情など1ミリも存在しないのだ。
ゆかなは考えていた。
徐如林がスカイ以外の女の子と付き合う可能性はほぼない。
だとするならば、場が混乱した際に、徐如林とスカイが付き合ってしまうチャンスが生まれるのではないかと。
草むらを走る兎は一瞬にして安全な方へと向きを変え逃げ去る。
理屈ではない直感的なものはゆかなの右に出るものはいない。
ここはスカイを励ましながら、そのチャンスが来るのを待とうとゆかなは思うのであった。
そしてそのチャンスは自分が感じ取り、スカイに伝えるしかないと熱い使命感を感じていた。
スタジオへ戻る途中、スカイはどこか楽しげで、笑顔がほころんでいた。
スカイの胸は抑えきれない多幸感で溢れ返っていたのだ。
2人がスタジオに戻ると、佐伯社長はスカイを見て驚いた表情でスカイに近づいていった。
「おお…良いじゃない、良いじゃない…さっきは緊張していたのかな?彼女は笑うとアイドルっぽくなるんだね。これなら良いよ…これなら良いアイドルになれるよ…」
佐伯社長は感心したようにスカイを見渡し始めた。
「私はアイドルになりたい。1流のアイドルになってキレイになりたいのだ」
そう言ったスカイの胸は徐如林への思いと、これから始まるアイドル活動のことでいっぱいになっていた。
スカイは若干勘違いしていた。
アイドル活動を頑張っていけば、徐如林がいつか自分と付き合ってくれて結婚してくれるのだと。
だが今のスカイにはそんなことを冷静に分析する力はなかった。
その後、2人はみっちりとスタジオでレッスンに取り組んだ。
今日はダンスのレッスンであったが、ゆかなとスカイは誰が見ても一生懸命練習に励んだ。
激しいレッスンが終わってもスカイは練習の続行を望んだがゆかなにたしなめられて帰ることになった。
「ウサギ、ダンスというのはなかなか難しいものだな。確かに幾万通りの組み合わせが存在し、自分をキレイに見せるには苦労しそうだな。しかしこれで自分をキレイに見せる技が身につく…」
スタジオに出たスカイは全く疲れた様子も見せずゆかなに語りかけた。
「そうなのです空ちゃん。アイドルとは無限にある戦術の組み合わせなのです。歌もダンスもその全てが完成したとしても、組み合わせ次第で無限に変化していくのです」
「そうだな。まずは徐如林様が感動するくらいの歌とダンスを身につけねば…」
「空ちゃんはこれから時間はあるのですか?」
「いや?特に予定はない。議員の秘書を消す仕事が再来週にあるだけだ」
「秘書だけなのですか?」
「ああ、そうだ。有能な秘書を消して、右腕一本取り上げつつ脅迫するらしいぞ。良くわからないがそいつを利用したいんだろうな」
「そうなのですか。時間があるのなら空ちゃんもこれから一緒にスカウトに行くのです」
「スカウト?構わないが誰かあてがあるのか?」
「チドリちゃんです。チドリちゃんは今日は横浜にいるはずなのです」
ゆかながスカイを見上げながらそう言うと、スカイの表情は急に凶悪な狼に変わった。
「おい…ウサギ…それってまさか、ハミングバード…ハチドリのことじゃないだろうな…」
スカイは今にも人を殺しかねないような声でゆかなに確認したが、ゆかなは強い眼差しでスカイを見たまま頷いた。
「そうなのです。チドリちゃんは透明感溢れるはかなげな美少女なのです。最初見た時は大きな看板に描かれたアニメのキャラクターだと思ったのですが、その後街中で目標を誰にも見つからずに撃ち殺し歩いて行くのを見て本物の人間だというのを確認したのです」
「いや…ウサギ…ハチドリが人間かどうかが問題じゃないんだ…おまえ、よくあんな危険な奴と…ハチドリと友達なのか?」
「そうなのです。チドリちゃんは友達なのです。チドリちゃんもアイドル向きだと思うのです」
「そ…そうか…面識があるならいきなりどうこうなるということはないか…でも武器は持ってくからな」
「わかったのです。それにお兄様も一緒に行くので、空ちゃんとお兄様の初デートにもなるのです」
ゆかなの言葉にスカイは完全に直立不動、全く動かなくなった。
狼の表情が途端に乙女の表情に変わるスカイ。
ゆかなはそれを見てやはりおもしろいと感じていた。
「空ちゃん、着替えてこなくて良いのです。そのままでもお兄様は空ちゃんをキレイだと思っているのです。普通に接していけば、お兄様の頭の中が空ちゃんでいっぱいになってしまうのは時間の問題なのです」
「わ…わかった…ウサギ、髪だけでもセットしてきたいのだが…」
「駄目なのです。そういうことをしていると昨日みたいに失敗するのです。普通にしていないと駄目なのです」
「そ、そうか…じゃあ、そうしよう…」
昨日のことを思い出し恥ずかしくなっているスカイは、ゆかなから目線を逸らしながらつぶやいた。
1流の殺し屋、ウサギとスカイ。
2人のアイドル活動がついに始まった。
そして3人目のアイドル仲間をスカウトしに横浜へと向かう。
戦力は整いつつあった。




