二 第四魔導技術開発室
クロウ達三人が食事をした翌日は、光陽が東の空を駆け上りつつある頃。
ミソラは本来の目的の他に、先日に閃いた考えを実現させる為、ゼル・セトラス組合連合会本部内にある、彼女の庇護者兼後援者の執務室を訪ねていた。
「つまり、農作には、魔術を直接使用しない方が良いと?」
ミソラに対して、確認するように問いを発したのは執務室の主。身に纏う白衣によって艶やかな褐色の肌が際立つ麗人、セレス・シュタールだ。
彼女は二十歳を過ぎたばかりという若年でありながらも、組合連合会というゼル・セトラス大砂海域の経済や対外交易を牛耳る大組織の幹部を担っており、先の帝国調査団がエフタ市を訪れた際にも、組合連合会側の歓待役兼交渉担当を大過なく務めあげている。
そんな実力ある権力者の質問に対して、執務机の上に立つ白い貫頭衣姿のミソラは、これといった緊張の色を見せることもなく、極自然な態で答えを返す。
「ええ、先に結論を言っておくと、植物に直接魔術を使った場合、短期的には収穫量が上がって良く見えるけど、長期的には却って悪化してしまう方が多いわ。私が記憶している限りでも、植物の成長を早めたり、実りを多くする術式があるけど、そういった術式は往々にして無理を……、自然の理に反する以上、必ずどこかでしわ寄せが出てくる。例えば、植物自体が環境や病害に弱くなったり、実や花粉が変異して毒を含んだり、土壌に毒素をもたらして枯らしたり、といった具合にね。だから、もし魔術を使うなら、受粉を助ける風を起こしたり、雨代わりに水を散布したり、夜の寒さを和らげる為に熱風を起こしたりって感じに、あくまでも間接的に用いる方が良い結果が出るわ」
「……そうですか」
本題への導入として食事会の話をしていたはずが、どうして農作に魔術が使えるか否かの話になってしまったのかと、ミソラは胸中で首を捻りつつも、駄目押し気味に結論を口にする。
「ええ、要するに、植物にしても家畜にしても、時間はかかるけど、地道に品種改良を繰り返していく方が、安全に、確実に、成果が出るってことね」
「正論過ぎるほどに正論ですね」
ミソラから真っ当な指摘を受けて、執務席に座っているセレスは両膝の上で指を組み、怜悧な表情を微かに曇らせた。
小人の少女は、麗人が見せる曇り顔が意味する所を考えようとする。が、十秒も経たない内に面倒になり、農作に魔術が使えるかという質問が出てきた意味を尋ねることにした。
「で、どうして、魔術を使って収穫量を上げられないかって、質問が出てきたの?」
「……この地の南に、大きな国家がある事は既にご存知ですね」
「ええ、聞いてるわ。主なのが帝国と五都市同盟ってとこで、東の方に小国の群れ、領邦国家群があるんだったわよね?」
「はい、その通りです。では、その帝国と同盟が小競り合いしていることは?」
「初耳かも。小競り合いってことは、領土紛争でもしてるの?」
「それに近いです。両国の国境沿いに見つかったドルケライト鉱脈の帰属を巡って、双方が軍を動かし衝突しました」
「あー、なるほど、ドルケライト……、偽銀を巡ってねぇ」
ミソラは少しばかり呆れが含まれた声で呟くと、様々な感情の色が混じり合った、形容しがたい表情を浮かべる。
ドルケライト。
別名で偽銀とも呼ばれる高い魔力伝達性を有する金属性物質で、高い魔力蓄積性を持つミスラティンと並び、魔導技術に欠かせない資源である。
今現在、再興の兆しを見せている人類文明は、その根幹に魔力を用いる魔導が使用されている。
当然、拡充しつつある人類社会において、魔導の基礎となるドルケライトやミスラティンの需要は高まる一方であり、各国各市の間では文明の基礎となる関連資源を確保しようと、虚々実々の駆け引きが行われている。
なにしろ、今の魔導が文明の土台となる流れが変わらぬ限り、関連資源の確保量次第で、現時点での繁栄のみならず、後世の発展や勢力の興隆にも影響が出てくるのだ。権益に絡む各国各市が互いに譲り合ったり、共同開発を行うといった甘い考えを持つはずもなく、時を経るごとに、重要資源を巡る対立はより激しさを増している。その結果、甲殻蟲との生存競争の最中にも拘らず、人類同士でも相争うという、深刻な問題となりつつある。
そして、セレスが口にした帝国と同盟の衝突もまた、その対立の中の一つである。
ミソラは、文明の滅びを経ても尚、変わらない人の在り方に、諦観と安堵がない交ぜになった気持ちを抱くも、話を進めるべく口を開いた。
「それが、さっきの質問に関係するの?」
「はい。このゼル・セトラス域はご存じの通り、農耕に適しているとは言い難い環境にあり、住民全てを養うだけの生産力はありません。無論、これを是正すべく、各市周辺で開拓地を作ったり、市内の農耕地区を拡充していますが、即座に増えるというものでもありません」
「んー、なんとなくわかってきた。つまり、現状で足りていない食糧は、帝国や同盟から輸入していると?」
「ええ、ノルグラッド山脈より南方はこの地よりも涼しく、湿潤で農耕に適していますから、生産に余剰が生じるので、それらを買い付けています」
と、ここでセレスは嘆息に似た呼吸を一つ。
「もっとも、平時は供給が安定していても、仕入れ先が紛争、戦争状態に陥ると、事の次第によっては、輸入が滞る可能性が出てこないとは限りません」
「それは考え過ぎ、とは言い切れないわね」
「はい。備えあれば憂いなし、と古くより言います。ですが、我々は当事者ではない以上、打つ手は限られてしまいます」
「だから、打つ手を増やす為、というよりは、余所からの影響を最小限に抑える為に、って辺りかしら?」
ミソラの確認に、セレスは一つ頷く。それから、曇り顔を常の無表情に近い物に戻して、人類が興隆を極めた過去を実際に知る旧世紀人の少女に知恵を求めた。
「どうでしょう。何か、考えはありませんか?」
「うーん、今の農耕って、露地生産が基本なのよね?」
「はい」
「なら、素人考えだけど、室内生産は?」
「最近になって、ようやく試験段階に入りました。ですが、当初の想定よりも収穫が良くなく、費用対効果が合わない状態です」
「それって、水耕で栽培してるのよね?」
「はい」
「水に肥料入れてる?」
「入れています」
「なら、育ててる作物に見合った配合量を見つけるしかないわ。後はさっき言ったように、魔術や魔導器で間接的に生育を助けるとか、室内生産に向いた作物を優先して育てるのがいいわね」
「たとえば?」
「そうね、穀物系は意外と難しいから一先ずおいて、水と光熱があれば作れる葉物を優先した方が良いと思う。で、それまで葉物に使ってた土地を他に回すと。……ちなみに、室内生産は、何階建ての建物で作ってる?」
青髪の麗人はしばし動きを止め、耳にした内容を確かめるように問いかける。
「……光陽の光がなくても可能と?」
「専門じゃないから、はっきりと言えないけど、水と光熱、空調といった設備を整えて、栽培する植物に合った環境を作り出せれば、できるはずよ。……まぁ、本当かどうかは、渡した本の中から農作関連の物を探して調べるか、実際の試験で確かめてみて、としかいえないわ」
「なるほど、わかりました。……それにしても、知識や技術が途絶してしまうのは、やはり痛い物ですね」
「農耕関連というか、旧世紀の情報は残ってないの?」
「残ってはいたでしょう。ですが、大災禍後の大混乱期やこれまで何度も起きた漲溢で、相当量が散逸しています。特に、二百年程前に発生した大漲溢では、北方より到来した甲殻蟲の大群にかつてない程に攻め込まれ、この地より更に北にあった、当時の中心都市エル・レラを始め、多くの都市が陥落。それに伴って、貴重な知識や技術を記した書物やそれらを読み解いて使いこなせる者達が多数失われました」
淡々と語られた内容の壮絶さに、小人の顔が強張る。その強張りが解けぬ内に、ミソラは口元を微かに引き攣らせながら、抱いた感想を率直に出した。
「す、凄まじい物なのね、その、大漲溢っていうのは」
「半ば誇張が入っていると思うのですが、北より溢れ出した蟲が大砂海を埋め尽くた、と言われています」
「な、なんとまぁ……。その時は、帝国や同盟から支援を受けられなかったの?」
「残る記録を読む限り、帝国や同盟、それに領邦国家群でも、時期を同じくして断続的に発生した漲溢で、幾つもの都市を失陥しています。どこも余所を気にするような余裕はなかったのでしょう」
「……なら、漲溢は、ここ最近でも起きてる?」
「幸いというべきか、ここ最近では、十四年程前に小規模の物が発生しただけです。その時はエフタ市に到達する前に、旅団が総攻撃を仕掛けて食い止めました。ですが、北方域は市壁を持つ都市以外の開拓地が全滅しています」
セレスの表情に僅かな陰が差す。が、逆光であった事に加え、直ぐに気を取り直して常の顔に戻った事もあり、ミソラはその微妙な変化に気付かなかった。
「すいません、少し話過ぎましたね」
「いえ、元々は私から降った話だし、興味深い物でもあったわ。じゃあ、翻訳は農作関連を優先するの?」
「それですね。……その方が良いかもしれません。農作関連の書を優先的に翻訳するよう、翻訳班の者に伝えておきましょう」
「その時は、あなたが直接伝えに行ってあげてね?」
セレスはミソラの注文に首を傾げる。が、翻訳の進捗状況を知る為にも顔を出した方が良いだろうと、首を縦に振った。この反応に、地下に篭りっきりになっている彼らも少しは報われるだろうと、ミソラもまた繰り返し頷く。
セレスが表情を変えぬまま、ミソラの反応を内心で不思議に思っていると、その当人が唐突に首を動かすの止め、壁際の書棚や植木鉢といった部屋の調度品に目を向けながら、改めて話を切り出してきた。
「えーと、ちょっと話を変えてというか、私からお願いがあるんだけど」
「貴重な助言をいただいているのです、余程無体なものでなければ、お聞きしましょう」
「ありがとう。お願いっていうのは、私本人に関する事じゃなくて、クロウに関する事」
「……ふむ、エンフリード殿の護衛に関しては、人手の問題で、今しばらく猶予が欲しいのですが」
「違う違う。その件は、あいつが現実に狙われるようになるのは当分先だろうから、そっちの準備が整い次第ってことで十分よ」
「では?」
「うん。実はあいつ、魔導機の搭乗免許を取ろうとしてるらしいのよ」
「……手心を加えろと?」
手早く先を読んだセレスの言葉に、ミソラは苦笑を浮かべ、小さな手を横に振って否定を示す。
「まさか、そんなことしても、全然、あいつの為にならないわ。私が頼みたいのは、むしろその逆。確認するけど、魔導機の免許って、限定と本式があるのよね?」
「はい。元来は本式だけだったのですが、土木や建設産業からの求めに応じて、限定免許が設けられました」
「うん、知ってる、重機っていうか建機扱いなんでしょう?」
「ええ、採用以降は市壁等の建設速度が向上しています」
「いいことね。……で、私からのお願いなんだけど、限定の免許を取るって言ってるあいつを、なんとか本式に放り込んでくれないかしら」
「……理由は?」
「クロウを鍛えたいと思ってね」
「何故です?」
「半分は私の都合やお節介って奴。残りは、そうねぇ、今後の実益の為、たとえば、あなたが使用できる駒を増やす為の投資、っていうのはどう?」
セレスの後方にある窓より差し込む陽光、それに照らされた緑髪の小人は平静そのものの顔で、今日の昼は何を食べようかとでも言うかのように、極自然に言い放った。
対するセレスは、ミソラが話した内容もさることながら、語感や当人の表情から本気で言っている事に気付き、少しばかり当惑した色を見せた。
「彼の人を、自身の寄る辺と言いながら……、怖い方ですね」
「いやー、だって、仕方がない面もあるのよ。なにしろ、私に関わった事に加えて、あいつ自身の体質の事もあるし、最低でも、自分の身は自分で守れるようにならないと、抵抗すらできないまま、何もかもを奪われかねないわ。……でも、私は、そんな事態を望んでいない。だから、クロウが自分自身を守れるようにする為にも、鍛える機会が欲しいなと思ってたの」
と、ここで言葉を一度切ると、ミソラはその整った容貌に悪辣な笑みを浮かべ、楽しげに笑う。
「そうしたら、渡りに船というべきか、本人が望んで取ろうとしている免許に、軍並みに厳しい訓練を施す課程があるって聞いたのよ」
「つまり、天の配剤だと?」
「糸は万象の見えざる手で紡がれる、って言った方が適切かもね。とにかく、私はこの巡り合わせの良さを喜びつつ、先の考えを尖らせました。どうせ鍛えるなら、とことん鍛えて、そう、少々の苦難は口笛を吹きながら、楽しんで乗り越えられるような男に仕立て上げればいいのではないかとっ!」
小人の少女は口元の悪質な笑みを崩さぬまま、少々演技めいた風情で拳を握りしめ、己の考えを力説する。けれども、セレスは表情を崩すことなく、ただ冷静に、問いを発するだけだ。
「あなたの期待に応えられるだけの芽が、エンフリード殿にあるのですか?」
「私は意外にあると思ってるんだけど、こればかりは、個々人の見る目次第だからねぇ」
「……わかりました。あなたを信じて投資する、という形で、その願い、聞きましょう」
「ふふ、ありがとう。でも、安心して、絶対に損はさせないから」
「ええ、そうならぬよう、私の方も教官の中でも特別に厳しく、それでいて有能と聞いた者を当てましょう」
「うふふふふ、気が利くわねぇ」
かくて、二人の魔女の手により、ある少年の行き先に一石が投じられる。
この石が生み出した波紋或いは衝撃が、少年を含めた世界にどのような影響を与えるのか、この場にいる二人も含めて、未だ知る者はいない。
先の事はともかくとして、願いが受け入れられ、満足そうな表情を浮かべて一頻り頷いていたミソラであったが、その顔を再び真面目なモノに戻す。
「さて、本来の用件になるけど、いいかしら?」
「ええ、どうぞ」
「うん。もう他の開発室から報告が上がって来てると思うけど、開発室のメンバーを確定したわ。今日から来てもらう予定よ」
ミソラは書物を運搬するのと並行して、ミソラが中心となる新開発室のメンバーを決める為、既存開発室より上げられた候補者の中から選定を行っていたのだ。
「ええ、読みました。本当に、あの面々でよろしいのですか?」
「いいわ。経歴書を読んだり、シャノンちゃんに評判を聞いてきてもらったりしたけど、元の開発室では協調性のない異端者扱いだったようね」
「ご存じでしたか」
「ええ、ちょっと前に直接、顔を合わせた時にも思ったけど、才はあっても組織内での妥協や上下横関係の媚を知らず、己の欲と公との折り合いをつけられない、良い意味でも悪い意味でも、バカばかりみたいね。……でも、それが良いわ」
「そうですか。ならば、上手く操ってください」
「まぁ、ある程度は手綱を引くわ。で、本題だけど、今、何か入用な物はある?」
セレスは小人からの突然の申し出を受け、訝しむように目を微かに細める。その反応を見て、ミソラは面白そうに笑う。
「ふふ、何、意外だった?」
「そうですね、意外と言えば意外です。もっと、好き勝手を為さると思っていましたから」
「話の分かる後援者には、何かと便宜を図っておいた方が、こちらもお得だからよ」
「それは慧眼です。……では、あまり予算をかけずに、魔導機の防護性を向上させる、そんな装備品をお願いします。魔導機……、機兵は前線を維持するという役目柄、一度大規模な戦闘が起きると擦り減ってしまいます。機体の損害は一時的な経済的損失で済みますが、人的損害は、ただそれだけで、我々の社会や経済、それに遺された者の精神を長期的に蝕みます。ですから、少しでもそれを軽減したいのです」
「けれども、現実においては投じられる金に限度があるから、できる限り安くって訳ね。わかったわ。安くてお手軽にできそうな強化方法を探してみるわ」
「ええ、お願いします」
部屋の主が発した言葉で早朝に始まった二人の会談は終り、ミソラは自身の仕事場へと赴くべく部屋の外へ、セレスは今しがた依頼された件を処理すべく指示書の作成に、それぞれ動き始めた。
* * *
外に控えていたセレスの秘書に扉を開けてもらって執務室から出ると、ミソラは近くの待合所で待っていたシャノンと合流する。少年然とした金髪の少女は例の如く紺色の外套を身に纏っており、余人の目から体型と性別を隠している。
「お待たせ、シャノンちゃん。悪いわね、朝早く付き合わせちゃって」
「いえ、昨日までと同じ時間ですから、特に負担じゃないです」
シャノンは気にした風もなく言葉を返し、ミソラが自身の左肩に降りた事を確認すると、階段に向かって歩き始めた。
「それで、これからの予定ですけど、どうしますか?」
「そうねぇ。もう、二度寝ができる時間でもないし、少し早いけど、開発室に行きましょうか」
「わかりました」
二人は余人から注目を浴びぬ内にと、足早く本部内を進む。が、彼らの意図する所は叶わず、勤務する職員やすれ違う来訪者から視線が向けられる。
なんとなれば、さっぱりした短い髪と中性的な顔立ちや立ち居振る舞いもあって、男にも女にも取れるシャノンに、多くの者が、特に独身の男女がつい見入ってしまうのに加え、その肩に、セレスが公式に庇護すると布告した事で、その存在が広く知れ渡ったミソラが旧世紀より伝わる妖精然とした姿を晒している為だ。
下層に降りる度に人が多くなり、彼女達に向けられる目の数が増える。それを敏感に察し、シャノンは少しばかり居心地の悪さを感じて、肩に立つミソラに囁きかける。
「……やっぱり、見られてますよね」
「まー、放っておいたら、その内、慣れて見向きもしなくなるわよ。どうせ物珍しさで目を向けているのがほとんどだろうから」
シャノンは上司の楽観的な言葉を、本当だろうかと疑う。けれど、堂々と周囲からの目を流しているミソラの姿に、自分の方が自意識過剰すぎるのかなと思い始めた。
そうなると、自然、彼女が周囲に向けていた意識の割合が減り、シャノンとお近づきになりたいという情熱的な視線も数ある目の中の一つに過ぎなくなってくる。
周囲を一顧だにせず歩き去るシャノンの姿に、幾人かの男女が溜め息をついた。
ミソラとシャノンは組合連合会本部の北玄関より外に出ると、目前にある道……北と東西に延びる三叉路を北へ向かう。彼らが進む道は学園通りと呼ばれており、本部北玄関前より市を一巡りする市壁循環道まで続いている。その名から推測できるように、エフタ市や組合連合会が運営する教育機関が存在する事から付けられた比較的古い通りだ。
ちなみに東西に延びている道は、単純に東西通りと呼ばれており、中央広場引いては中央地区を横断する形で、東西の市壁循環道を一直線に結んでいる。
話を戻して、二人は他に街路よりも綺麗に舗装された幅六リュート程の道を歩く。出勤の時間帯を過ぎている為か、人通りはそれほど多くはない。
通りの右手には一際高い尖塔が目立つ市庁舎が、左手にはエフタ市の社会生活や経済活動を支える魔力生成所が位置している。
魔力生成所は屋上に据えられた魔刻板の魔力生成術式に、光陽から降り注ぐ光熱を当てることで、それに含まれる力を魔力に転換する施設だ。
市が保有する社会基盤の中でも、生命活動に不可欠な水を生成する造水場と並んで、最重要施設であるだけに、その周囲には四リュート位の高い壁がそびえており、壁上には見張り台が幾つか設けられている。
今現在も稼働している、一辺の長さが二百リュート超、高さ十五リュート近いという、巨大な箱と呼べそうな建物を眺めながら、ミソラが呟く。
「いつ見ても大きいわねぇ」
「内部に魔力蓄積装置が置いてありますからね」
ミソラがシャノンの落ち着いた声に頷いていると、行く手に内壁と門扉のない門跡が見えてくる。内壁はかつての市壁である為、時にこういった物が残されているのだ。
時と自然の風化に耐えている旧門を潜り抜け、中央住宅区と呼ばれる区域に入ると、目に見える光景は一変する。
街路両側に緑樹帯が設けられており、ルーシが一定の間隔で立ち並び、地面には青々とした芝生が植えられている。通行者に適度な日陰と目の保養を供する街路樹の外側には、街路より延びた横道に沿って、緑樹を有する邸宅や三階建て程度の集合住宅が白亜色の外壁を誇示するかのように並ぶ。
これらの建物は云わば高級住宅で、邸宅群にはエフタ市や市軍、ゼル・セトラス組合連合会の幹部に商会の主といった者達が、集合住宅には市や市軍、組合連合会の中堅幹部、魔導船舶の船長、工房や工場の主といった者達がそれぞれ居住している。ミソラとシャノンもまた、この地区の一画にある組合連合会が所有する住居で居を同じくしている。
木陰の下、短髪の少女は各邸宅で生い茂る緑に目を向けて、小さく呟く。
「ここに住むまで、植物や緑が贅沢だなんて、思いもしませんでした」
「ふふ、住む環境によって価値観が変わってくる証左ってとこね」
「そうですね」
ミソラの言葉に頷きながら街路を更に歩いていくと、左手に少し大きめの建物二つが見えてきた。エフタ市と組合連合会が運営している教育機関だ。既に授業や講義が始まっているのか、建物から騒がしさを感じ取れない。二人にとっては特に気を引かれる物でも無い為、見向きもせず通り過ぎる。
そうこうする内に中央住宅区の最北に至り、再び内壁は門扉のない古い門を潜る。内壁の外に出ると直に市壁循環道に合流する三叉路となり、その道の向こう側には乾いた土地が一面に広がっていた。
市外の赤い砂地とは違い、黒味を帯びた土地は耕作地として使われており、よく見れば、土の中に枯れた植物の茎や腐って崩れた葉らしきものが含まれている。また、三百リュート程彼方に見える市壁側では、作業員の手で誘導されたコドルが車付の鍬を曳いて土地を耕していた。
「種蒔きの準備が進んでいるみたいですね」
「う、うーん、そうなんだー」
農作業の光景を当たり前のように受け入れるシャノンの言葉に、ミソラは改めて文明が崩壊した事を実感する。それと同時に、人類にとって大きな脅威となる甲殻蟲が存在する事で、新しい文明が少し歪に発展しているのではないかとも思い至った。
ミソラは農作業の様子を見つめながら考える。
人類を駆逐する勢いで敵対してくる存在がある以上、全力で対抗しなければならない。これは確かな事だ。となれば、当然、身を守って生存競争を勝ちぬく為に、安全保障、つまりは軍事関連の技術を優先して開発するしかないだろう。
けれども、社会発展の為に用いられる力の比重が軍事関連に傾いてしまっている分、そのしわ寄せが、悪化している環境に抗する分野、簡単に言えば、人の生活や労働環境を改善する分野に行ってしまっている。
目前の光景はある意味、それを裏付けるものだ。
これを改善しようにも、かつての時代……、旧世紀よりも人類の置かれた状況が酷い為、難しい。人類同士の争いであるならば、対話での決着が可能の場合もあるだろうが、相手は問答無用な天敵、交渉不可能な存在なのだから。
そして、この事実が示すところは、人類の安全保障体制が甲殻蟲の脅威を取り除かない限り、生活を改善する事は中々に厳しいということ。というか、そもそもの話、生活が改善できたとしても、一夜にして甲殻蟲に蹂躙されてしまっては、元も子もない。
でも、だからといって、生活や労働の環境が改善されない限り、人類が安全保障体制を整える為に必要な力を蓄えることも難しい……。
結局は、厄介な外敵である甲殻蟲の脅威をバッサリと断ち切るか、人の社会を大きく改善できる画期的な技術が生まれるかしないと、堂々巡りになるのよねぇ。
こんな具合に、人類の現状を再認識したミソラは溜め息をつく。
「はぁ、ままならないものねー」
ミソラの声が常よりも元気がなかったことが気に掛かり、シャノンは少し戸惑いがちに声をかける。
「ままならない、ですか?」
「うん、なんていうか、ちょっとばかり、旧世紀との違いを思い知らされてるのよ」
小人の少女は、土が起こされた箇所に肥料を撒いている農作業員達の姿を見ながら続けた。
「本当、あの子が苦労しているのもわかるわ」
しばらくの間、農作業を眺めた後、ミソラとシャノンは市壁循環道を西に向かう。内壁に沿って作られた道には物資を運ぶ荷車や人足の姿が見える。汗水を流しながら荷を運ぶ彼らの邪魔にならないよう、二人は耕作地側の道端を歩いていく。そうやって歩く内に内壁が途切れ、四つ辻に至った。
四つ辻からは東西南北へと道が延びている。その内、東と南は市壁循環道であり、残りの二つ、西に進む道は中小規模の工場が軒を連ねる工業区画へ、北に向かう道は様々な物を貯蔵する倉庫区画へと続いている。
二人はこの辻を右に折れて、北に向かう。道の東側に何もない耕作地が広がるのとは対照的に、西側には大きさがまちまちな建物が軒を連ねている。壁面が砂塵で赤茶け、心なしか古びて見える建物の中には、煙突を持つ物も幾つか見えた。そんな建物群より聞こえてくる騒音に近い作業音から、何かを作っている工場であると周囲に知らしめていた。
ミソラは調子良く音を刻む工作音に導かれるように、不揃いに立ち並ぶ工場群へ目を向けると、シャノンに話しかける。
「シャノンちゃん、今度、あそこらへんの工場でどんなものを作ってるのか、見学しに行くから、そのつもりでいてね」
「わかりました」
シャノンがミソラの言葉に頷いていると、群立していた工場の姿が消え、大きな建物が幾つか見え始めた。東西に長いそれらの建物は、エフタ市や組合連合会が保有している大型倉庫で、食料品や日用品、機械消耗品といった物資、ドルケライトやミスラタイト、天然ゴムといった資源、鋼材や木材、セメントのような資材という感じに、様々な物資を貯蔵している。
また、これらの大型倉庫以外にも、商会や大工場が保有する倉庫も置かれており、先の大型倉庫程ではないが、それなりに大きな倉庫が横道に沿って並んでいる。もっとも、それぞれの大きさが異なっている為か、高さに凸凹が生まれている。
規則正しく並んでいるようでいて、乱雑さが見えるという倉庫群を見ながら、シャノンは短い髪を横に揺らす。
「ここを通る度に思うんですが、この辺りって、計画性があるようでないような、不思議な場所ですよね」
「うーん、この街もできてから二百年以上経ってるみたいだし、過去には都市計画云々なんて言ってる余裕がなかった時期もあったんじゃない? というか、シャノンちゃんが住んでた帝都も作られてから歴史があるなら、こんな場所があってもおかしくはないはずよ」
「……そう言われてみれば、古い区画がこんな感じでした」
「でしょ? ま、余裕がある状況なら景観云々って話も出てくるでしょうけど、今は甲殻蟲なんて厄介なもんがいて、それに対抗する必要があるじゃない。特に問題がないなら、既に稼働している物を立て直すよりも、他に必要な建物を作ったり、市域の拡大に力を注いだ方がいいわ」
「なるほど、納得です」
シャノンは上司の説明を聞き、その髪を縦に揺らす。ふわりと浮きあがった髪を、東から吹き付けた風が撫で上げた。
* * *
ミソラとシャノンの目的地は目と鼻の先に市壁がある道の終点、その左脇にある古びた建物であった。
幅と奥行きが共に二十リュート程、高さが大凡で五リュートの建物は、外壁の上塗りが一部剥がれ落ち、内側の焼煉瓦が露呈している。また、二人が歩いてきた道より西に入り込む横道に面して、幅八リュート、高さ四リュートはある両開きの大扉とその右隣に人用の小さな出入り口が備えられていた。そして、これと同じ造りの建物が真っ直ぐに延びた横道に沿って、ずらりと並んでいる。
これらの様子からわかるように、この建物は古い時期に組合連合会が建てた倉庫の一つである。今は新しい大型倉庫が完成したことで一線を退き、非常用物資の備蓄に回されている。そんな旧倉庫の一つが、ミソラを首班とする新開発室の棲家兼作業場となったのだ。
何故、新しい開発室が市の中心部、より正確に言えば、組合連合会の本部内ではなく、市壁沿いの街外れに設けられたかというと、好き勝手したいであろうミソラへの配慮と予算絡みで開発室新設を面白く思わない既存開発室の不満を汲み取った、セレス・シュタールの差配の結果である。
そんな経緯で改装された建物に近づいたことで、シャノンは腰鞄より出入り口の鍵を取り出そうとする。と、そこで、ミソラが俄かに声を上げた。
「あらまぁ、もう来てるみたいね」
どこか楽しげな声音に導かれるまま、シャノンが顔を上げる。建物の前に、以前、ミソラが行った面接を手伝った際に、少しだけ顔を合わせた三人の男達がいた。
一人は赤い外套を纏った黒髪の男で壁に寄りかかっている。
目付きが鋭い、というよりは、相手を睨みつける目は、ただそれだけで男の顔を凶相にしてしまっている。更に、撫で上げた髪やどこか気取ったように見える所作と相まって、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。
一人は汚れで黒ずんだ白繋ぎを着た中年男で大扉の前に座り込んでいる。
非常にがっしりとした体格をしており、腕の太さはシャノンの太腿よりも太いかもしれない。そんな体躯と赤い縮れ髪、日焼けした顔、顎の無精ひげもあり、荒くれた賊と呼べれてもおかしくはない。
一人は青色の上着を着た眼鏡の若い男で道の真ん中で青空を見上げている。
身嗜みに無頓着なのか、肩までありそうな茶色い長髪を無造作に垂らしている。また、顔の血色が悪い上に目に見えて痩せており、強風が吹いて倒れたと聞かされても不思議には思われないだろう。
三人の男達はやってきた二人に気付くと、それぞれ視線を送ってくる。一斉に目を向けられたことで、シャノンの身体は無意識の内に身構える。けれども、その肩に立つミソラは自然体で声をかけた。
「三人とも早いわねー、もっとゆっくり来ても良かったのに」
ミソラの問いかけに応じたのは目付きが悪い男だ。
「他の二人はどうか知らんが、初日位は早く来た方が、あんたの心証もいいだろう?」
見た目や言葉の内容に反して、落ち着いた低い声であった。
「言葉に出してる時点で帳消しだけどね。でも、そういう態度は嫌いじゃないわ。シャノンちゃん、扉を開けてくれる?」
「はい」
シャノンは小さな戸口の鍵を開けて中に入る。内部の暗く、申し訳程度に備えられた窓より外の光が入り込んでいるだけだ。
少女は乾いた空気の中、僅かな光を頼りに歩き、壁面にある室内灯のスイッチを入れた。高い天井に据えられた魔刻板に魔力が流され、青白い光が灯る。降り注ぐ光によって暗がりが払われるにつれて、屋内の全景が明らかになってくる。
目に入ってきたのは、がらんどうな空間と中央部の多重アーチだ。
空虚感すら漂う広い空間、その中央部にあるアーチは縦横に三リュート程ある十字を形成して、三重に積み上げられている。このアーチと壁で梁と補強材を支え、高くて広い天井を作り出している。
また、天井を支える基幹となっている中央アーチの左側には、高さ二リュート程の仕切りが設けられており、それが壁まで続いていた。
「さ、入って」
ミソラの声に促され、三人の男達が入ってくる。三人は広い空間に目を向け、一人は眉根の片方を上げ、一人は無精ひげを撫で、一人は眼鏡を押し上げる、といった具合に、それぞれ反応を示す。
その様子に気付いているのかいないのか、ミソラは三人に目を向け、不敵に笑った。
「第四魔導技術開発室にようこそ。さっそくだけど、これからのことについて話しましょうか」
シャノンが窓を開けて回っている間に、ミソラと三人の男達は中央アーチの傍らに設けられた休憩場所、大きい机と八脚の椅子が置かれた場所に移動する。
「改めての自己紹介は、あの子が戻って来てからね。で、どうかしら、この開発室に来た感想は」
「辺鄙な場所だ」
「しかも、まだ何も置いてねぇ」
目付きの悪い男が答えると、鍛えられた筋骨が目立つ無精ひげの男が身体に似合った重い声で続く。これを受けて、ミソラは頷きつつ答える。
「辺鄙かもしれないけど、居心地が悪い場所よりも気楽でしょ。後、何も置いてないのは、まだ何を作るか決めてなかったからよ」
この返事に目付きの悪い男は肩を竦め、体格の良い男は目を光らせるが、それ以上は何も言わなかった。そんな二人に代わって口を開いたのは、男性にしては少し高めの声を持つ眼鏡の男だ。
「ですが、空が良く見える、良い場所ですね」
「まー、その分、日差しがきついから、あなたはちょっと気を付けた方が良いかもね」
返された言葉に眼鏡の男は微かに笑みを浮かべる。と、そこに窓を開け終えたシャノンが帰ってきた。
「お待たせしました」
「うん、ありがとう。……さて、自己紹介を始めるわね。私はミソラよ。見ての通りの人形で、普通の人間じゃないわ。そして、この開発室の室長みたいなものね」
「僕はシャノン・フィールズです。役割は、ミソラさんの付き人を兼ねた助手のようなものです」
ミソラとシャノンは簡潔に自己紹介すると、三人に自己紹介するよう目で促す。それに応えて、目付きの悪い男が最初に口を開いた。
「俺はガルド・カーン。第一開発室で、主に素材関係を扱っていた」
ミソラが頷くと、次に無精ひげの中年男が話し出す。
「おらぁ、ウディ・マディスだ。第二開発室で、魔導機の改修を担当しとった」
これに続いて、眼鏡の男も口を開く。
「私はロット・バゼルです。第三開発室で、魔導船の設計に携わっていました」
ミソラはそれぞれの自己紹介を聞くと、一つ頷き、それぞれの目に黄金色の目を合わせながら話し始める。
「前に会った時に話したように、この開発室では既存の開発室では作れない物を創りあげる、或いは、今現在、現場が必要としている物を可及的速やかに開発することを目的としているわ。この方針に納得できないならば、今からでも元の開発室に戻った方が良いでしょう。私からもセレスに頼んで、元に戻れるように手配するわ」
瞬間、ミソラは三人の反応を窺うが、ただ静かに黙している。
「ん、沈黙は納得してこの場に来ていると受け取るわね。で、早速だけど……、初仕事として、セレスから一つ仕事を貰って来たわ」
ミソラは一呼吸置くと続ける。
「注文は、あまり予算をかけずに、魔導機の防護性を向上させる装備品よ」
発せられた注文の言葉に、男達は顔を顰める。
「予算をかけずに」
「魔導機の防護性を向上させる、ですか」
特に渋面を作ったのは、かつての職場で魔導機を扱っていたマディスだ。日焼けした顔に厳しい表情を浮かべ、ミソラに苦言を呈する。
「おい、室長さんよぅ。簡単に言ってくれるが、そう易々と作れるもんじゃぁねぇぞ? だいたい、そんな便利なもんが作れるなら、とっくに二室でやっとるわい」
「でしょうねぇ。……聞くけど、対甲殻蟲戦で魔導機っていうか、機兵が負傷する主な原因は何?」
「……体当たりや脚を使った打撃と鋭利な刃での切断だ。打撃で骨を砕かれ、切断で四肢を失う場合が多い」
「なら、衝撃を緩和するか、向けられた刃を逸らすかってあたりかなぁ」
ミソラはふむふむと頷くと、俄かに人差し指を立てて宣する。
「よし、なら、斥力でも使ってみましょうか」
「……斥力? そんなもん、できるんかい?」
「できるかできないかが問題じゃないわ。必要だったら作る、ただそれだけの事よ。というかね、これくらい軽くこなせないと、この先、好き勝手できないじゃないっ!」
大声で言い放ったミソラの言葉は暴論であったが、三人の男達を惹きつけるものがあった。ミソラは男達の様子が変わった事を察しつつも、表には出さず、徐々に語気を強めて言葉を重ねていく。
「そもそも、注文を前にして、難しい難しいって言ってるあんた達はさ、何の為に、この開発室に入ったの? 異動を拒否する事もできたのに、ここに来た以上は、何かやりたいことがあるんでしょ? だったら、降って湧いたような俄かな困難は蹴散らそうって気概を持ちなさい! 向かう先に大きな山や深い谷が立ちはだかるなら、それを何とかする手立てを考えなさい! あんたらの頭は何の為に付いてるの! すぐに諦めるようじゃ、あんたらがしたい事も実現できないわよっ!」
ミソラの煽り込みの叱咤を受けて、三人の目がほぼ同時に鋭くなり、瞳に狂熱に焦がれるような危険な光を帯びる。それを傍で見ていたシャノンはぶるりと身体を震わせた。
「なぁ、今の言葉は、俺に新しい魔力蓄積器や新素材の開発を、思う存分にさせてくれるってことか?」
「ええ、それがあなたのやりたい事ならば、機会を与えましょう」
「おらぁ、ここに来たのは、どこでも使える砲台を作りてぇからだ。前線に立つ魔導機を守って助けられるような、そんな強い砲台をな」
「ええ、それがあなたの作りたい物ならば、機会を与えましょう」
「私は船を空に飛ばしたいのです。いや、船には拘らない。ただ、旧世紀のように、空へ人を送りたい」
「ええ、それがあなたの望みであるならば、機会を与えましょう」
ミソラは三人の男達が胸の内に抱いていた三者三様の望みを聞き届けると、彼らに言い放つ。
「私はあなた達が欲する事ができるように、この場を提供して、時には協力してあげる。だけど、その分だけ、私はあなた達に代価を要求するわ。例えば、あなた達がこの世界で、これまで生きてきた中で培ってきた、知恵や知識、経験や技術といった物をね。……異議はある?」
「ふん、真っ当な取引のようだ、俺は文句ない」
「おれも、異存はねぇ」
「私もありませんね」
「よろしい。ならば、あなた達自身がやりたいことをやる為にも、目の前にある仕事を手早く終わらせましょう。で、この仕事が終わったら、ここの鍵を複製してそれぞれに預けるわ。緊急性の高い依頼がない限り、好きなようにしていいし、必要な物や困ったことがあるなら相談しなさい」
机の上で胸を張って屹立する小さな少女に更に煽り立てられ、気分を高揚させつつある男達はそれぞれに頷き返す。
「じゃあ、話を戻すわよ。マディス」
「おう、なんじゃい」
「機兵が負傷する部位は主に何処?」
「足と胸、それに首筋が主だな」
シャノンは二人の会話を聞き、以前、帝国機士から聞いた話を思い出す。ここの魔導機は胴体に腕を収める形式みたいだと、一人で納得している間にも、場の話は進む。
「機兵を直接守るようにするんかい?」
「うーん、今回は安くって条件があるから、簡単な改修で済ませられる方式……外付けでいくわ。だから、搭乗者を保護する機構は、また機会があればって奴ね」
マディスは少し残念そうな色を見せるが、感情に引き摺られることなく、直に元の表情に戻る。その様子を見届けると、ミソラは再び話し出す。
「私が抱いている概観は必要な個所に装着する小さな盾。何らかの攻撃を受けた際に、反射的に斥力場を発生させる魔刻板とそれに魔力を供給する既存の魔力蓄積器を組み合わせた物ね」
「いや、魔刻板だけだと、少々心もとないな」
「ほうほう、その理由は何かしら、カーン」
「ああ、魔刻板は表面の刻印が削れたり潰れたりすると効力を喪失する。絶対に傷がつかない、攻撃が届かないって言うなら別だが、そうじゃないなら、少しでも頑丈に魔刻板を保護するべきだ」
「それに、人は目に見えない物よりも、目に見える物の方を頼りやすいです。実際に使用する機兵の皆さんに、すんなりと受け入れてもらうには、装甲は必要だと思います」
カーンの意見に便乗する形で、バゼルも意見を出してきた。ミソラは二人の意見に頷き、案を訂正する。
「なら、魔刻板を保護する装甲を追加しましょう。他に意見はない?」
ミソラはしばらくの間、意見が出てこないか待つが、出てくる様子がないので話を進めた。
「じゃあ、今回のお仕事……、斥力を発生させる盾だから、仮に斥力盾作製計画とでも言っておきましょうか、それの仕事を割り振るわよー。まず、マディスだけど、今使われている魔導機の動きを阻害しない斥力盾の形状案を、胸部、大腿部、ついでに腕部の三か所、部位毎に最低でも三つは出しなさい。とはいえ、最低って言葉からわかるように、多ければ多い程いいから、気張る様に」
「かはっ、厳しいことを簡単に言いよるわ」
「厳しいってことはできるって受け取るわ。次にカーン」
「なんだ」
「装甲に使用する素材の選定を一任するわ。できるだけ軽く、それでいて丈夫で、何よりも安い素材を見繕いなさい」
「……おまえ、素材屋泣かせだな」
「褒め言葉ね。後、バゼルはマディスが作った形状案に合わせて、魔刻板と魔力蓄積器を繋ぐ魔力供給線の配線図を作製しなさい。あ、それに、本体側の魔力供給線と簡単に連結できたり外せたりできれば、より使い勝手が良くなるかもしれないわねぇ」
「は、ははは……、何とか考えてみるよ」
「あら、その様子だと、まだ余裕がありそうね。仕事、増やしていい?」
「いやいや、余裕なんてありませんよ」
バゼルは引き攣った顔で必死に否定する。ミソラはその様子をニヤニヤと笑って見ていたが、一つ咳払いして、表情を戻す。
「最後にシャノンちゃんだけど、あなたは私と一緒に、一番の要となる反射的に斥力場を発生させる魔術式の作成よ。これ一つで他の三人の頑張りが報われるか無に帰すかが決まるから、気合入れて作るわよ」
「はいっ、わかりました!」
シャノンからのしっかりとした応えに頷き返すと、話を締めるように場に揃った面々に告げる。
「ま、あーでもないこーでもないって言ってる暇があるならば、まずは実際に作ってみましょう。それで見えてくる物があるでしょうからね。じゃ、始めましょうか」
ミソラの軽い言葉が終わると同時に、各人がそれぞれの役割を果たすべく動き出す。
こうして、ミソラが今の世界に直接関わる為の隠れ蓑、第四魔導技術開発室が稼働し始めたのだった。
12/06/01 語句修正。
12/07/29 内容一部修正。




