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【短編小説】生と死の境界 ~それでも隣に~  作者: 霧崎薫


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最終章 問いを隣人として持つ


 墓は東京の西の外れの霊園にあった。


 十月の朝、透は一人で電車に乗り、バスに乗り、坂道を歩いた。河野の墓も、同じ霊園だった。透は先に河野の墓に寄った。線香を一本供えた。煙が秋の乾いた空気にまっすぐ上がって、散った。


 それから、祖父の墓へ。


 古い墓石に、枯れた菊が一束立てかけてあった。誰かが最近来たらしかった。透は持ってきた花を供えた。


 石の前に立つと、いつもと違った。隣に凪がいるから、ということだけではなかった。


 凪が後ろに少し離れて立っていた。透のことを待っていた。


 透は目を閉じた。


 八歳の夏の夜を、思い出した。通夜の線香の臭い。棺の縁に手をかけた感触。そして、密度の消えた祖父の顔。


 おじいちゃんは、どこに行ったの。


 問いを、声に出さずに、頭の中で唱えた。


 答えは出なかった。


 二十七年経ってもまだ、答えは出ない。


 透はその事実を、今日初めて、受け入れた気がした。これまでは「まだ答えが出ていない」という欠落として抱えていた。しかし今日は「出ない問いとして、ある」と思えた。二つの言い方の差は小さいようで、透の体の中では大きく違った。


 前者は問いを敵として持っていた。後者は問いを隣人として持っていた。


 透は目を開けた。


 墓石の向こうに、霊園の木々が続いていた。楓が少しずつ色づき始めていた。


「透さん」


 凪が声をかけた。


「うん」


「大丈夫ですか」


「大丈夫。来てくれてありがとう」


 凪が透の隣に並んだ。二人で墓石を見た。石の表面に、午前の光が当たっていた。


「さっき、河野さんの墓にも寄りました」


「知ってます。見てました」


「凪さんから見て、河野はどこにいますか」


 凪はすぐには答えなかった。少し考えてから、


「今日は、わかりません、とだけ言います」


 と言った。


「以前なら何と言いましたか」


「魂は次の修行の段階に移行している、と言いました」


「今は言えない」


「今は、確信を持って言える立場に私がいない。でも……河野さんのことを、消えたとも思っていない」


「消えたとも消えていないとも、どちらとも言えない」


「そうです」


「それが今のあなたの誠実な答えなんですね」


「そうです」


 透は墓石に向き直った。


 隣にいる凪の呼吸が、透に届いた。静かで、少し速かった。凪も怖いのだと、透はわかった。自分も怖い。二人ともここで、怖いという事実を抱えながら、墓の前に立っている。


「凪さん」


「なんですか」


「鶴見先生が手紙に書いていたこと。問いと共に生きることに慣れた人が、最後の時間を豊かに過ごした、という話」


「覚えています」


「あれはたぶん、一人では無理なことだと思う」


「一人では」


「怖さを一人で飼い慣らすのは、たぶん無理だ。誰かが隣にいないと、怖さに飲み込まれる。鶴見先生はその話をしていなかったけど、あれを読んだとき、そう思った」


「……透さんは、隣にいてくれますか」


 凪の声が少し揺れた。


「いるつもりです。でも凪さんも、僕の隣にいてください。約束できますか」


「約束、か」


 凪が笑った。あの微かな、すぐに消える笑いだった。しかし今日は少し長く続いた。


「約束します」


 墓石の向こうに、空が広がっていた。


 澄んだ十月の空。雲が一枚、ゆっくりと流れていた。


 透は空を見上げながら、もう一度だけ、心の中で問いを唱えた。


 おじいちゃんは、どこに行ったの。


 答えは出なかった。


 しかし今日は、その問いの重さが、両肩に均等に乗っていた。


 凪が透の手を握った。


 凪の手はまだ少し冷たかった。透はその手を離さなかった。


 雲が流れていった。


 楓の葉が一枚、風に乗って舞い上がり、二人の間を通り過ぎて、墓石の向こうに落ちていった。


 波のように来て、砕けて、去った。


 生と死の境界。知と不知の境界。確信と懐疑の境界。答えと問いの境界。


 すべての境界は、越えてみるまでその向こう側がわからない。


 二人はその手前に、ただ共に立っていた。


 立ち続けていた。


 それだけが、今日のことのすべてだった。



(了)





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