第268話 引火
燃料に引火した火は一瞬で燃え広がる。そうして火が強くなるほどに燃料は炸裂し、当たり一帯に飛び散っていく。地面に壁に、廃ビル全体が燃え出す。本来、建物を建築する資材はできるだけ強度が高く、燃えにくく且つ柔軟な素材を選ぶ。
たとえ可燃性の高い資材が使われていようと防炎加工をすることが義務づけられている。そしてこのビルも、元は富裕層向けに作られていたこともあって見た目を重視して――十分な加工をして――可燃性の高い建築素材を使用していた。
しかし廃ビルになった今、コーティングは失われ、持続時間の長い燃料の投与によって本来の高い可燃性を取り戻した資材たちが燃え始める。完全に廃ビルが炎に包まれる前にレイと企業傭兵は戦闘を行う。最初の数十秒こそレイを追いかけ、正確に射撃を行えていたが、段々とレイを《《視認することすらも困難》》になっていく。やがて完全にレイの姿の見失い、どこにいるのかすらも分からなくなる。
『暗視機能を切れ』
廃ビルが炎に包まれてしまったことで強化服についた暗視機能は返って視界を妨げる障害となり得た。だからこそ、部屋が炎に包まれ視界が赤く染まり切る前に部隊の隊長が命令を下す。
皆が一斉に暗視機能を切って周りを見た。
そんな中、仲間の一人が《《目の前にいたレイ》》に気がつくことすらできず、至近距離からアセンチデータで撃ち抜かれた。そして仲間が至近距離から撃ち抜かれたというのに、他の仲間がレイの居場所を特定することができなかった。
だがそれも当然と言えば当然だ。
すでに、企業傭兵たちの視界は灰色の煙幕と赤黒い煙によって視認不可能な状態に陥っていた。レイが出した火災による煙と、自分達がレイを追い詰めるために廃ビル全体に撒いた煙幕。今回は逆に、それが企業傭兵たちの首を絞める結果となってしまった。
暗視機能を切ってもそこに広がるのは灰色の視界。レイの姿など到底確認しようがない。
であれば情報端末による位置情報で調べれば良い。しかし音響探知、熱源探知を搭載した情報処理端末でもレイが至近距離にまで来ないと位置を捕捉することができない。
もしさらに高性能な情報処理端末を持っていたら、しかしそれでも厳しかっただろう。いくらリアルタイムでレイの居場所が分かっているからといって、高速で廃ビル内を動き回るレイに対応するのは難しい。地図に映し出される情報は現実より僅かに遅れる。その僅かでレイは背後へと忍び寄り、脳天に銃口を向ける。
事実、企業傭兵側は通信を持って仲間と連携しようとするが、聞こえてくるのは仲間の断末魔か銃声のみ、今どのくらいの仲間が生き残っていて、自分がどうすれば良いのか、この状況では上手く思考することすらままならない。
だがまずは外へ、そうすれば状況を把握することができる。そう思って足を動かせば、次の瞬間に頭部に穴が空いている。これだけ企業傭兵側が慌てて分断されていればアセンチデータに弾を込める時間がある。
いくら敵が電磁装甲に出力を回していようと、シールドを通さずに撃たれれば威力の減衰が無く、対強化装甲専用貫通弾の真価が発揮される。電磁装甲を破壊し、装甲を貫通する。その時にはすでに威力が大きく減退していたが、それでも人を殺せる力はあった。
いくら敵がシールドを持とうが、着ている強化服の性能ではアセンチデータの一発を防ぐことができなかった。後ろから撃たれればシールドは意味をなさず、逃げれば無防備な後頭部を撃ち抜かれる。
煙幕を張ったのが裏目に出た。周りが炎に囲まれている。仲間が死んでゆく。敵の姿は見えない。どこにいるのかすら分からない。積み上げられた恐怖は思考を鈍らせ、正常な判断を奪う。
「――くそぉおお!」
最後の一人が炎に包まれながら断末魔を上げる。しかし十分な怨嗟の声を吐き切る前に一発の弾丸が顎を撃ち抜き、喉を貫通して壁にめり込む。
上手く連携の取れた七人の企業傭兵はたった一つの火災によって理性を失って瓦解した。生き残りはゼロ。廃ビル内にはレイのみ。
レイは最後の一人が炎に包まれてゆくのを一瞬だけ見ると、その場から立ち去った。
◆
外に出たレイは中央街にあるテイカーフロントの施設を目指して歩いていた。途中、他の企業傭兵に追われることはなく至って順調だ。だが軽い足取りで進んでいたレイの目の前に一人の女性が立ちふさがる。
レイはその人物を確認するとアセンチデータから手を離す。
そして様々なことを想定し、推測しながら問いかける。
「情報屋……会ったのはたまたまじゃないな」
レイの前に立ちふさがったのはラナだ。フードを被っていてよく顔は見えないが、それでも隙間から見える顔で分かる。
「そう。たまたまじゃないよ。君に会うために来たんだ」
レイに会いに来たわけ。ある程度は予測できる。
「悪いな。俺は今急いでるんだ。話なら後日でもいいか」
悠長に話している時間はないと、レイがラナの隣を通り過ぎる。その際にラナが一言呟いた。
「リー・リエンは満足して逝ったかい」
「……」
レイが立ち止まる。そしてラナの方を振り向いた。
リー・リエンが地下都市にいた理由がずっと分からないでいた。単にレイと同じく偶然だと片付けてしまえばそれでも良いが、それだと違和感を覚える。だとしたら誰かから手配を受けたか、依頼を受けたか、リー・リエンが自らの意思で来たか。ラナの発言を聞く限り、答えははっきりとしたようだ。
「お前がリー・リエンに依頼したのか」
「ご名答。あ、怒らないでよ。これも仕事だったんだから」
わざわざリーを送り込んできたラナに報復しようとレイは思っていない。そしてラナもレイの前に出て事実をバラしたのだから、攻撃される危険性が無いと分かった上での発言だろう。
そしてラナがわざわざレイの前に現れた。用件は簡単に思いつく。
「地下都市のことか」
「そう。先に言っておくけど鋼海重工とは無関係……というより、私は鋼海重工から情報を盗んで、リーに依頼したって形。どちらかというと鋼海重工に報復されてもおかしくない関係だから」
レイの存在はリーの眼球か体にでも埋め込まれたカメラで見て気がついたのだろう。あるいは情報処理端末の生体情報。地下都市でレイとリーとがあったのは全くの偶然。ラナでさえレイがいるのはリーから情報が送られてきて初めて分かった。
そしてラナと鋼海重工は全くの無関係。また、ラナが鋼海重工に勘づかれて追われているということでもない。助けを求めにきたわけでも、助けにきたわけでもない。ラナの目的が分からないレイは直接問いかける。
「で、何が目的だ」
「特にないよ。だけど君がどこに助けを求めたかもわかっているし、地下都市の情報もこれで意味が無くなっちゃう。馬鹿に売るぐらいしかないね。だけど君に何かしたいわけでもないし、何かして欲しいわけでもないし」
「じゃあ何で来た」
「これは忠告。というより予知。地下都市と少し関係しているかもね。ジリアファミリアって知ってるでしょ」
「ああ」
ラナの元交渉相手で、頭であるジリアが精神的におかしくなってしまったためレイに討伐が依頼された相手だ。
「ジリアがおかしくなった理由がやっとわかったわ。君も心当たりがあるでしょ」
ジリアファミリアの頭であるジリアと相対した時に一緒にいた機械人形。ローブのような白装束が特徴的なものだった。
そして最近、レイもその正体について知る機会があった。
「ヘズ教か」
「……もうそこまで知ってるんだ」
「たまたま知っただけだ。能動的に知ろうとしてたわけじゃない」
「偶然ね。頑張って調べてた私が馬鹿みたいに見えるよ」
「それで、ヘズ教がなんだって」
「だから忠告だって」
「…………」
「まだ知らないことばかりだけど……いや、今はいいかな」
そう言って、ラナが別方向へと歩き出す。
「は、おい」
レイが手を伸ばしてラナを引き留める。だがラナはレイに半身を傾けたまま一言だけ述べて去って行ってしまう。
「私は少しクルガオカ都市から離れるよ。ヘズ教には気おつけるように、最後に忠告しておくよ」
「…………」
レイが中央街のテイカーフロントへと行かなければならない。そのためラナのことを無理矢理追いかける気もなく、時間も無く、意味もそこまで感じられなかった。
「ったく」
謎だけど置いてどこかに行ってしまったラナに対してレイがため息を吐くと、それと同時に通信端末に誰かからの連絡が来る。
「……イナバか」
連絡はイナバからだった。




