02.美形はこの世界の基盤である説
翌日、ゆっくりと寝たお陰か、体調は随分と良くなっていた。昨日はあれから卵スープを飲んで寝たのだが、配膳時に兄と思われる男の子が一緒に入ってきて、顔を見に来てくれた。
表情が豊かな銀髪の可愛らしい美少年で、幼いながらもその整った容姿は、将来嘸かし美青年になることだろう。
ベッド横の椅子に座った美少年は、最初は怖々と『私』の様子を見ていたが、元気そうな姿に安心したのか、ニコニコと私の食べる姿を見ていた。
それもつかの間、事前にお見舞いは食事が終わるまでと言われていたようで、『私』の食事が終わっても、もうしばらく部屋にいると駄々こね始めた美少年。しかし、病み上がりだからとメイドに諭され、泣く泣く部屋を出ていったのだった。お坊ちゃんらしく上品な服に身を包んでいるものの、駄々をこねる年相応な姿に思わず微笑んでしまった。
ちなみに、ショートボブのメイドの名前は「アーニャ」と言うらしい。優しい雰囲気の彼女に合った素敵な名前だ。
それはともかくとして、今は長く寝込んでいたせいで仕上がったボサボサ頭と汗をかいてベタベタな体が気になって仕方がない。こんな姿のままでは、人前に出れたものではないので、朝に部屋に来てくれたアーニャにすぐさま湯浴みを頼んだ。
浴室は、この部屋の片隅にあるようで、猫脚の可愛い浴槽には泡風呂が準備されていた。滅多に入れない泡風呂と可愛い浴槽に気分を高揚させながら、早速脱衣しようと袖に手をかけると、慌ててアーニャに止められた。
はてと疑問に思いながら、その場で突っ立っていると、浴室にゾロゾロと人が入ってきた。アーニャと同じメイド服を着た女性が4人。恥ずかしがる暇がないほど、見事なチームプレーであっという間に全身を隅々まで洗われた。
そして湯浴みが終わり、全身さっぱりとして気分が良い『私』は、そのままアーニャに連れられて、とある大きな扉の前で立ち止まった。アーニャは扉をノックし、戸を開けて中に入るようにそっと催促をする。
中に入り真っ先に目に入ったのが、テーブルだった。だだ広い部屋の真ん中に、見た事ない程の大きなテーブルがどーんと設置されている。そして、これまた大きい暖炉が前後にあり、カーテンと同じ色合いのカーペットが敷かれている。あまりの部屋の広さに口を開け呆気に取られていたが、こちらを見る視線に気が付き、『私』は慌てて姿勢を正した。
「おはようごじゃいます。昨日は皆しゃまにご心配をおかけちまちた。この通り無事に回復いたちましたので、ここに報告いたちます」
お辞儀をすると、着ていた水色のドレスワンピースがふわりと揺れる。アーニャは、「病み上がりだから楽な服が良いですね」とか言いながら、小さなリボンと白いレースが付いたドレスワンピースを持って来て、人形の如く着替えさせられた。
そんな『私』の姿を見た美女は、昨日と同じように数瞬驚いた顔をしていたが、お辞儀をしていた『私』は、そんな美女の様子に気づくはずもなかった。
「おはよう。エリザ。昨日より随分顔色がいいわね。体調良くなって本当に良かったわ。さ、早く座りなさい。食べるのはゆっくりでいいから、食べ終わったら今日一日は部屋でゆっくりしなさい」
「はい。ありがとうごじゃいます」
一先ずお礼を伝えてから、室内を改めて見渡すと、食事している母親と昨日会った美少年以外は、横で待機している使用人しかいなかった。空席がいくつかあるので、『私』には他にも家族がいるのだろう。今の時間は大体8時半前ぐらいだろうから、他の家族は先に食事を済ませたのかもしれない。
そんな事を考えていると、アーニャに末席にある小さな椅子に案内された。手伝ってもらいながら着席すると、これまた高級そうなお皿が置いてあった。
一般家庭で育った『私』にとっては、幼い子供のお皿はどんなに遊んでも、あるいは落としても割れないプラスチック容器で十分である。
とんだ金持ちに転生してしまったと思いながらも、食事の準備が整うまで室内をキョロキョロと観察していると、ふと隣に座っていた美少年と目が合う。私の行動が面白かったのか、フフフと笑う。
「おはよう。エリー。体調はもういいのかい?」
「おはようごじゃいます。お兄しゃま?この通り復活ちました。昨日は忙ちい中、お部屋に来て頂きありがとうございます」
『私』がそう言うと、美少年は「うむ」と嬉しそうに頷いた。何も否定しないと言う事は『私』の兄で間違いないだろう。
疑問が一つ解決した事に満足した『私』は、兄から目の前のテーブルに視線を移す。見たところ、本日の朝食はパンとコーンポタージュらしきスープだ。
久々のちゃんとした食事に、『私』は高揚しながら手を合わせた。まずは美味しそうなパンを手に取る。元々食べやすいようにカットされているパンは、幼女の『私』の口にはまだ大きく、ならば手でちぎろうと試みた。しかし柔らかそうな見た目に反して、パンは思いの外硬く、『私』の力ではちぎれそうにもない。
仕方なく内相(パンの内側)だけをちぎり、そっと口に放り込む。
「うぅ……」
『私』はその味に思わず唸る。第一にパンの味云々と言うよりもモサモサしていて、口の水分が奪われるのが気になる。数日その辺に置きっぱなしにしていました、と言われても納得がいくほどだ。
ならこちらは……とコーンポタージュを啜るもやはりイマイチ。とうもろこしと牛乳を煮詰めただけのような非常に素朴な味で、正直言って美味しくはない。
小さくため息をついた『私』は隣に座る兄を盗み見る。『私』よりも品数は多いものの、見たところパンとコーンポタージュは同じ物のようである。ただ『私』とは違い、朝食を食すその表情は、にこやかで誰から見ても美味しそうに食べていた。
母も食事中であるが、気品よく食事をしていて、嫌な顔一つしていない。
もしかして、これが美味しいの!?いや、病み上がりだから『私』のスープだけあっさりとした味付けをしているのかも知れない。そうに違いない。
そうやって自分の中で折り合いをつけながら、しばらく2人を観察していた。
すると、2人とも硬いパンをスープに浸して食べている事に気がついた。
なるほど、と納得した『私』は2人の真似をして食べてみる。コーンスープが染み込んだパンは柔らかくなり、まだ食べやすかった。当然、咀嚼にはかなり時間がかかるので、顎が鍛えられそうだ。
朝食を食べての総評。ここの朝ご飯は全く食べられないわけではないのだけれど、日本で暮らしてした『私』にとって物足りない、質素で味気ないって感じの味だった。豪邸の食事に期待していたが故に、その気分の落差は大きかった。
この屋敷を見る限り、18世紀後半の近世ヨーロッパって感じの世界みたいだから、料理の味が足らないのは仕方ない。当時の近世料理の味は、当然知らないけれど、そう思って今は我慢しようと心に決めた。
時間をかけてようやく食べ終えた『私』は、今現在、自室に戻り一人佇んでいた。
部屋でゆっくりと言われても、ここには何もない。スマホやテレビはまだしもボードゲームや玩具ですらここにはない。こんな部屋で今日一日何をしろというのだろうか。唯一出来そうなお人形さんごっことかは精神的にキツイ。
仕方なく部屋探索をしよう、と思ったものの、室内が広くてもあまり物が置いてない部屋だから、すぐに終わりそうだ。ベッドに視線を移すと、シワだらけだったベッドシーツはすでに綺麗になっていた。食事の間に誰かが綺麗にしてくれたのだろう。
「大きな鏡がある!」
いくつかある扉を覗いた一つがクローゼットだった。クローゼットには大きな全身鏡があった。自分の容姿は、昨日からかなり気にはなっていたが、いざ見るとなると、少し怖くて勇気がいった。自分の姿を見ないようにそっと鏡に近づき、まずはゆっくりと顔だけ覗いてみる。
「わぁ……」
初めて見る『私』の顔は客観的に見ても可愛かった。アメジストが嵌め込まれているかのような色合いの大きな瞳。スっと通っている鼻。ピンク色の潤った小さな唇。紫外線と相容れないような白い肌。
思い切って鏡の前に立ち、全身も見てみる。水色だと思っていた髪は青よりの銀色で光が当たるとキラキラ光り出しそうである。いうなれば、これは蒼銀色と言う色だろうか。まさか自分が美少女だと思わなかった。母親かあれほどの美女なのだから、多少は遺伝子を受け継いでいるかもしれない。
ボーと自分の姿を見ながらあれこれ考えた所でふと我に返った。
(いや、待て待て。勘違いをするな、私。)
まだ転生して2日目だが、現時点で会った人は使用人を含めてみんな美男美女であった。故に、前世の乙女ゲーム並に美形であるのは、この世界にとって当たり前、標準装備なのだろう。
そう、『私』は美少女ではない。これがこの世界の普通なのだ。現に母やアーニャ、その他の使用人でさえ『私』よりも綺麗で、美人あるいはイケメンであった。それに兄も美少年だった。『私』は危うく勘違いする所だったと胸を撫で下ろす。
例え、この顔が普通だったとしても、『私』は『私』の顔を気に入った。今後、上手く活かす事が出来たのなら、それなりに人に好かれはするだろう。
容姿チェックも終わり、次何しようかと考えを巡らせながらベッドの端に座り込んでいると、ふと視界に窓が映る。その窓を見て、『私』はもう一つ確認事項があった事に気が付く。
一体外はどんな世界が広がっているのか。
気になったら居てもたってもいられず、『私』はすぐさま行動開始した。
だが、所詮幼女の体。窓から外を見ようと努力するが、背が小さすぎて、見えるはずもなく。負けじと頑張ってピョンピョンとジャンプをしていると、用事を済ませたアーニャが戻ってきた。
その様子を見ていたアーニャに病気による奇行かと不審がられてしまったが、外が見たいとお願いすると快く承諾してくれ、抱っこしてくれた。
(日本じゃない!)
屋敷の庭が見えるが、これまたかなり広い。庭だけで前世の家の20倍はあるのではないか。色とりどりの草花が植えられ、石畳の道が綺麗に整備されてある。更に、立派な噴水が、太陽の光を反射させキラキラと光っていた。
そして、屋敷の敷地の向こうは林があり、その林の奥に街がある。街並みは何となくヨーロッパの街並みを連想させ、手前は黄色、奥は白色に色が統一されている。白い街並みの向こうには薄らと青い線が見える。
「綺麗……。もちかしてあれは……海ですか?」
「そうですよ。お嬢様よく知ってますね。ここからだと馬車で2時間ちょっと掛かりますが。お嬢様、ここからの景色は如何でした?」
「想像以上の素敵な街で感動ちまちた。ありがとうごじゃいます」
街を探検出来るのはいつだろう。想像するだけでワクワクが止まらない『私』がいた。




