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「煉獄のパールライト」生き返れるのは、ひとりだけ。死者が織りなす、哀しきデスゲーム。  作者: 志津川 雄治
6日目

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11.子どもは子どもらしく

 次の日の朝、みことはいつも起きている時間を少し待ってから、テーブルに突っ伏して眠っているママを揺り起こした。


「ママ起きて。朝だよ」


「ん……今、何時?」


 ママはテーブルからゆっくりと身を起こすと、頭が痛いのか眉をひそめた。


「もう7時過ぎてるよ。昨日の残りのおにぎり食べて、ママも準備してすぐ行こう」


 みことはすでに着替えを終え、幼稚園の準備を整えていた。今日はゴミの日なので、家中のゴミを簡単に集めて、すぐ出せるように用意もしてある。


「ありがとう……。とりあえず、顔を洗ってくるわ」


 ママはそう答えて、よろよろと洗面所へ向かった。それから手早くおにぎりを食べて、化粧を始める。ファンデーションを顔に塗りながら、ママはみことに聞いた。


「昨日はすぐ寝た?」


「うん」


 ママは酔って愚痴っていたことを、覚えていないようだった。みことはママの横まで行き、深々と頭を下げて言った。


「ママ、昨日はごめんなさい。もう迷惑かけないので、許してください」


「え、ええ……」


 みことのあまりに丁寧な謝罪に、ママは驚いていた。そして、椅子から降りてその場に膝をつくと、みことと目線を合わせて優しく言った。


「全員と仲良くするのは難しいし、する必要もないのよ。でも、怪我をさせるのだけはダメだからね」


「わかった」


 みことが小さくうなずくと、ママはみことを優しく抱きしめた。みことは寝不足で重い頭を預けつつ、すがるようにママにしがみついた。




 その日を境に、みことは変わった。


 驚くほど聞き分けが良くなり、やるべきことを率先して片付けるようになった。


 あの事件がみことを少し大人にさせたのだと、好意的に捉える人もいた。しかし、その従順さと引き換えに、子供らしい無邪気さも消えてしまった。愛想笑いはするものの、以前のような心からの笑顔は見られなくなっていた。


 みことのそんな変化を、心配する大人たちもいた。


「もう、わたしはお姉さんだから」


 しかし、みことがそう言って微笑めば、たいていの大人は安心したような表情を見せた。だが、ママはそんな言葉で納得はしなかった。


「ねえ、何か無理していない?」


「してないよ」


「本当に? 何か困ってたら、ちゃんと話してね」


「大丈夫だよ」


 みことがそう答えても、ママは釈然としない表情を浮かべていた。それでも、娘に手がかからなくなったことで生活にゆとりが生まれ、ママは次第にその状況に慣れていった。


 そうして、みことの変化は当たり前の日常として、いつの間にか受け入れられたのだった。



 先生たちは、みことよりも瑠璃の変わりようを心配していた。かつての明るい性格はすっかり影を潜め、自分の殻の中へ閉じこもってしまったからだ。


 母親との別離は、幼い彼女の心に深い傷痕を残したようだった。みことがいくら話しかけても、その言葉が彼女の心に届くことはなかった。


 その後、瑠璃は卒園と同時に遠くへ引っ越してしまう。そして、彼女と再び会う機会は訪れなかった。



 一方でみことは、季里子とは関わらないよう距離を置くようになった。彼女の近くにいては、いつどんなトラブルに巻き込まれるかわからない。季里子が周囲にどれほど迷惑をまき散らしていても、決して深入りしないようにした。


 そんなみことの変容を、一番よく理解していたのは蓮だったと思う。


 自分の居場所を守るためには、いい子で居続けなければならない。特に言葉を交わすことはなかったが、ふとした瞬間に目が合うだけで、お互いを理解し合えている気がした。


 蓮や季里子とは同じ小学校へ進んだが、クラスは離れ、廊下ですれ違う程度の間柄になった。季里子は相変わらずで、問題児として学年中にその名を轟かせていた。対照的に、蓮は決して目立つことなく、噂を聞くようなこともない。


 みこともまた、ママに余計な心配をかけぬよう、波風を立てない振る舞いを心がけて過ごした。



 小学校に入学したその年の秋、みことは入院した父方の祖父のお見舞いに行くことになった。


 パパと顔を合わせぬよう、あえて平日に学校を休んで行くことになり、いつもより遅い時間に家を出て最寄りのバス停へと向かう。


 みことは、祖父から入学祝いに贈られた、仕立ての良い紺色のワンピースを着ていた。ママに丁寧に髪を整えてもらうと、鏡に映る姿は自分ではない誰かのように思えた。


 祖父母と会うのは2年ぶりだ。きちんと笑顔を作り、相手が喜ぶ振る舞いをしなければならない。けれど、普段から感情を押し殺しているせいで、自然な笑い方が分からなくなっていた。


 バス停で並んでいる人々を眺めていると、高校生らしきお姉さんと目が合った。彼女は微笑んで手を振ってくれたが、咄嗟に反応できず、すぐに視線をそらしてしまう。もっと愛嬌よく振る舞うべきだったと、後になって後悔が込み上げた。


 やってきたバスに乗り込むと、座席はすでに埋まっていた。ママは運転席近くの吊り革に掴まり、みことに手を差し出した。ママと手を繋ぐのは久しぶりで、その温もりが嬉しかった。


 そして、バスの揺れに耐えながら窓の外を見た瞬間、巨大な黒い影が視界を遮った。バスの側面に肉薄したそれが、大型トラックだと理解する暇もない。


 激しい衝撃と、すべてをかき消す轟音。みことの記憶は、そこで唐突に途切れた。






 静まり返る真っ白な部屋で、梓はたどたどしく語られるみことの話に耳を傾けていた。幼い少女の言葉は単調ではあったが、母親に対する純粋な想いが伝わってくる。


「みことは、ママにとってじゃまものだから……」


 そんなことはない、と否定しかけて、梓は言葉を飲み込んだ。


 この子の母親だって、本気で娘を邪魔だなんて思っていないはずだ。これは、わずかなボタンのかけ違いでしかない。


「みことがいない方が、ママは自由になれるから」


 梓も同じ母親だから、みことの母の気持ちはよく分かった。確かに子育ては大変で、愚痴をこぼしたい時もある。けれど、そんな苦労をはるかに上回る幸せや感動が、そこにはあるはずなのだ。


 しかし、それを口にしてはならない。この子の珠を、何としても手に入れる必要があるのだ。希望など、持たせるわけにはいかない。


 珠が欲しい。


 この珠があれば、娘にまた会える。家族と一緒に、もう一度生きることができるのだ。


 珠が欲しい。


 どうすれば、この子から珠を手に入れられるのか。視界はしだいに狭まり、自分の息遣いだけが、やけに大きく響く。


 そんな梓に向かって、みことはうつろな瞳で言った。


「だから……珠が欲しいなら、あげる」


 そう言って、少女は手のひらに珠を乗せて差し出した。


 求めていたものが、あっさりと目の前に現れた。しかし、その姿を見た梓は、自分でも驚くほど動揺して叫んだ。


「やめて!!」


 みことの差し出す珠が、別の何かに見えた。


 ……ボーロだ。


 娘のひまりが、小さな手に持ったボーロを差し出している。この子はきっと、自分の幸せを他人にも分けてあげられる子だ。


 その姿が、目の前のみことと重なった。


「ちがう!!」


 梓は叫びながら、落ち着けと心の中で自分に言い聞かせる。たまたま思い出が重なっただけで、この子はひまりではない。全くの別人、赤の他人なのだ。


 自分にそう言い聞かせて、みことの差し出す珠に手を伸ばそうとした。これを手に入れれば、生き返ることができる。娘や夫と、また会える……。


 それが分かっているのに、どうしても手が動かない。みことは手を差し出したまま、不思議そうにこちらを見つめていた。


 その姿が、成長した娘のイメージと重なり合い、それを自然に受け入れてしまう自分がいる。


 荒い息を吐きながら、梓は天を仰いだ。


「ひどいよ。あと、もう少しなのに……」


 伸ばしていた手が力なく落ち、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。どう足掻いても、この子から珠を奪うことなどできないと悟る。


 梓の口から、重いため息が漏れる。そして、透き通るような瞳で見つめてくるみことに、梓は恨めしそうに言った。


「あなたの……本当の望みを言いなさい」


「え?」


 突然の要求に、みことは明らかに戸惑っていた。


「子供なんだから、もっと素直になりなさいって言っているのよ!」


「……」


 梓の強い視線を受けて、みことは眉と口をハの字に歪め、小さく首を振った。


「我慢ばかりして、わがままの言い方も忘れちゃったんでしょ! あなたは何がしたいの? どこへ行きたいの? 誰に会いたいの?」


 みことは何も言わず、うつむいて首を振り続ける。そんなみことの肩にそっと手を置き、梓は諭すように優しく言った。


「我慢しなくていいのよ。ママはちゃんと、あなたを受け入れてくれるから!」


 みことの瞳が大きく見開かれた。それは、彼女が心の奥底で、何よりも信じたいと願っていた言葉だったのかもしれない。


 少し震える声で、みことは聞いた。


「……ママ、困ったりしない?」


「しないわよ! ママはね、あなたが思っているよりも、ずっと強いものなのよ!」


 みことの心配を、梓は軽く笑い飛ばした。すると、みことの口から小さな言葉が漏れ聞こえた。


「……たい」


 少女が被っていた仮面は剥がれ落ち、年相応の幼さが露わになる。


「ママに……会いたい。ママに、あいたいよぉ……!!」


 堰を切ったように、みことは声を上げて泣き始めた。梓はその小さな体を、優しく抱きしめる。


「そうだよね。会いたくないわけ、ないよね……」


 少女の体温を感じながら、梓は心の中でつぶやいた。


 ひまり、ごめんね……。聡一郎、ごめん。


 梓はポケットから珠を取り出した。その指先は、微かに震えている。それでも彼女は意を決して、それを少女へと差し出した。


「この珠を使えば、ママにもう一度会える。大好きだって伝えて、思いっきり甘えてきなさい!」


 みことの手のひらで、ふたつの珠が溶け合い、柔らかな光を放った。それは、この世のものとは思えないほどに、美しい輝きだった。


「ねえ……ひとつ約束してくれる?」


 その光に見惚れながら、梓は思いついたように小さくつぶやいた。


「私の娘の名前は、ひまりっていうの。もし出会えたら、ひまりのお姉ちゃんになってくれる?」


 涙に濡れた瞳をこちらに向けて、みことは小さくうなずいた。


「いい子ね……」


 梓はもう一度、みことを抱き寄せた。少女の小さな鼓動をその身に感じながら、梓は未来に想いを馳せる。


 成長した娘が、ひとりの女の子と出会う。歳が離れていてもふたりは仲良くなり、何でも相談できるような特別な関係になるのだ。


 私の……代わりに。


 叶うはずのない夢だと分かっていても、その幻があまりにも愛おしくて、梓は静かに涙をこぼした。

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