06.器の小さい男
みことに対するあらゆる策を考えながら、蘇我田は歩き続けていた。花蓮も無言で、蘇我田の後についてきている。
しばらく歩くと、男漁りを続けている、梓の姿を発見した。声をかけられていた50代の男性は、梓と交渉する気はないようで、話し合いは物別れに終わったようだ。
梓が蘇我田の姿に気づくと、彼女は面倒くさそうな表情になる。しかし、何を思い直したのか、彼女はにこやかに声をかけてきた。
「ねぇ、あなたも諦めて、私としない?」
蘇我田が無視して梓の横を通り過ぎると、彼女は寄り添うようについてくる。自分のポジションを奪われた花蓮が、険しい顔で梓をにらんでいた。
「珠、たいして集まってないんでしょ? 複数譲ってくれるなら、うんとサービスするわよ?」
腕を回そうとしてきた梓の手を、蘇我田は乱暴に振り払った。
「触るな! この、アバズレが!」
梓はよろけながら、険しい表情で抗議する。
「痛いわね。もっと、女性には優しくしなさいよ」
「都合の良い時だけ、女を利用するのか。いや、女を売るのが専売特許だったな。男に媚びを売るしか脳がない、尻軽女が!」
蘇我田は、梓に容赦のない暴言を吐き捨てる。だが、老人たちとは違い、彼女は言われるがまま、黙っているタイプではなかった。
「ずいぶん、女を敵視するのね。女性関係で、何かトラウマでも抱えてるのかしら?」
「勝手に決めつけるな! 俺は、女に苦労したことなどない!!」
「どうだか! 愛憎が溢れちゃってるように見えるけど?」
その言葉にパッと反論できない蘇我田を見て、梓は笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「だいたい、あなたの言うことってさ、いまいち信用できないのよね。そもそも、あなた本当に東大生?」
「なんだと!」
それが梓の挑発だと分かっていても、蘇我田は苛立ちを抑えることができない。
「主張は、ネットの不満の寄せ集めだし。考え方は偏っていて、柔軟性なさそうだし。自画自賛ばかりされても、まったく信用できないわ!」
「実績なら、説明しただろ! 俺は新しいコミュニティーを創設して……」
「確認できないんだから、なんとでも言えるじゃない! 本当に、そんなサービスあるの?」わよ
蘇我田の言葉を遮って、梓は小馬鹿にしたような口調で言う。
「実在するさ! テレビでも、紹介されたんだぞ!」
「だから、証明できないでしょ? それに、いくら実績を並べ立てても、あなたの言動って共感できないのよね。そんな人に、珠は渡せない。これって、人間性の問題だから、もうあきらめたら?」
梓は一方的に、蘇我田の欠点をあげつらう。それを軽く受け流すほど、蘇我田は我慢強くなかった。
「ふざけるな! 俺以上に、生き残るにふさわしい人間などいない! 社会にとって、俺が死んだらどれほどの損失になるか!」
「損失なんて、ある訳ないでしょう? 自意識過剰も、いい加減にしたら?」
中傷合戦を行えば、梓に分があるのかもしれない。蘇我田を手玉に取るように、論点をずらして批判を続ける。
「自分自分で、他人の気持ちを分かろうともしない。そもそも、そういう感覚がないのかな? そういうの、サイコパスって言うんでしょ?」
梓の何気ない一言が、高校時代のクラスメイトの言葉と重なった。
『意識の高いサイコパス!』
同級生の嘲笑が脳内に響き渡り、屈辱の記憶が蘇る。そして、蘇我田の怒りは頂点に達した。
「俺がサイコパスなら、お前は単なる売女だろうが! 体を売って、楽して利益を得ることしか考えられない、痴れ者が!」
「楽しているように、見える? 私は……」
梓が反論しようとするが、蘇我田はそれを許さずたたみかける。
「平気でこんなことができるなんて、どんな教育をされてきたんだ! 追い詰められたときに人間性が出ると言うが、あんたはずるい手段を使う卑怯者だ!」
蘇我田は怒りに任せ、さらに大きな声で彼女を愚弄する。
「卑しい人間は、卑しい手段を用いるものだな! お前のような女に、未来などあるか! 若さを失った途端、文句ばかり言うババアが生まれるだけだ! お前に、生きる価値などない! むしろ、死んだ方が社会のためだ! 死ね! 今すぐ死ね! 生き残るにふさわしいのは、俺だけだ!!」
蘇我田の罵声が終わると、部屋が一瞬の静寂に包まれた。あまりの言葉に、周囲の人間も言葉を失っている。
「ちょっと、言い過ぎだよ……」
花蓮が小さくそう言って、蘇我田の袖を引っ張った。
「あなた、想像以上にガキね……」
言われた梓は怒りを通り越し、呆れ顔で蘇我田を見ている。そんな梓をにらみつけると、蘇我田はくるりと背を向け、その場から立ち去った。
「あそこまで、言わなくてもいいのに……」
蘇我田の後を追ってきた花蓮が、小さくそうつぶやいた。
「うるさい!」
怒鳴られた花蓮は、身をすくめながらも蘇我田にたずねる。
「なんか、必要以上にムキになってない?」
花蓮の言葉に、蘇我田は何も応えない。少し頬を膨らませながら、彼女は言った。
「やっぱり、ああいう女がいいんだ?」
「何がだ?」
花蓮の言っている意味が分からず、蘇我田は立ち止まって彼女を振り返った。花蓮は視線をそらし、なぜか頬を赤らめている。そして、蘇我田の袖を引っ張りながら、小さくつぶやいた。
「ホントは、あの女とヤリたいんじゃないの?」
「はあ!? 何を馬鹿なことを……」
花蓮の突拍子もない言葉に、蘇我田は呆れ顔になる。一体どう勘違いすれば、そんな解釈になるのだろう。
そして、顔を真っ赤にしながら、花蓮は囁くように言った。
「私でよければ……き、キスぐらいしてあげてもいいよ。どうしてもと言うなら、その先も……」
花蓮の提案に、蘇我田は空いた口がふさがらなかった。そして、花蓮とある女の姿がダブり、彼の中に嫌悪感がせり上がってくる。その不快感を吐き捨てるように、蘇我田は叫んだ。
「誰が、お前みたいな女とするか! 俺は、頭が悪い女が大嫌いなんだ。強い男に寄り添って、寄生することしか考えない。恥ずかしいと思わないのか!」
蘇我田の言葉に、花蓮はショックで固まっている。蘇我田は、さらに追い討ちをかけるように言った。
「性欲を持て余しているなら、あの女みたいに体を売ってでも珠を集めて来たらどうだ!」
蘇我田のひどすぎる提案に、花蓮の瞳が涙で揺れる。
「ひ、ひどい……。なんで、そんなこと言うの!?」
「それが嫌なら、バカ老人に色目を使えばいいだろう。だらだら、くだらない話ばかりしやがって。目的意識が薄いんだよ! 少しは、俺の役に立ってみせろ!!」
花蓮の表情が、困惑から悲しみ、そして怒りへと変化していく。震えながら、彼女は蘇我田をにらみつけた。
「みんなの、言う通りだよ……」
「ああ!?」
花蓮は顔を真っ赤にしながら、両拳を握りしめて叫んだ。
「独りよがりで、他人のことなんて何も考えてない。あなたは、サイコパスなんて、カッコいいもんじゃない! 単に、器が小さいだけじゃん!!」
その言葉が蘇我田に届いた時、彼の脳内で何かが弾けた。
視野が白く染まり、体の感覚が途切れてしまったように感じる。とてつもない怒りから一転、全ての感情が解き放たれ、開放感が胸を満たしていた。
そして、微かに拳に痛みを感じると、都築と小林の声が聞こえてくる。
「よせ! もうやめろ!」
「何やってんだ! お前!」
気付くと、蘇我田は倒れた花蓮の上に馬乗りになっていた。都築と小林に羽交い締めにされ、花蓮の上から引きずり下ろされる。自分の手の甲を見ると、赤い血らしきものがこびりついていた。
花蓮は体を折って地面に横たわり、恐怖に震えながら号泣している。
「ひ……どいよ、私は…信じて……」
彼女のそのつぶやきに、蘇我田はやっと状況を理解し始めた。しかし、まだ自分がしたことを信じられないでいる。
「女を殴るなんて……」
「最低なやつだな!」
周囲から、蘇我田を非難する声が聞こえてきた。刺すような視線が、自分に向けられているのがわかる。
「俺は……」
蘇我田の心が、ゆっくりと絶望で満たされていく。
もう、自分に珠を譲る人間が現れることはないかもしれない。そう直感した蘇我田は、その場に力なく座り込んだ。そんな彼を、都築と小林が困惑した表情で見下ろしている。
蘇我田は現実から目を逸らすかのように、昔の記憶に意識を沈めていった。




