05.老人たちの選択
蘇我田は、とりわけ高齢な老人たちの一団に紛れ込んでいた。女性の割合が多いそのグループは、老人らしいスローなテンポで会話が進み、イラつくほど穏やかな雰囲気だ。
「80歳って言ったら、私のほぼ6倍だ! すっごい!」
花蓮は、白髪の綺麗な老婆と話をしていた。渋い花柄のシャツを着た菊と呼ばれているその女性は、このグループで中心的な存在のようだ。
彼女を中心に、この場には9人の高齢者が集まっていた。蘇我田は会話には参加せず、黙って老人たちを観察している。
「14年前って言ったら、少し前じゃない。もう、こんなに大きいのね」
「14年は、少し前じゃないです!」
菊の言葉に、花蓮が呆れたようにツッコミを入れる。大人になるにつれ時が経つのが速く感じるが、老人の時間感覚はそこまで違うものなのだろうか。
「若い子は、お肌綺麗でいいわね」
菊が、花蓮の肌艶を羨ましそうに褒める。
「そうですか? よく分かんないですけど」
「私なんか、しわくちゃで恥ずかしいわ」
そう言って、菊は自分の手の甲をさする。すると、杉本と呼ばれていた老人が、ふたりの会話に割って入ってきた。
「菊さんなんて、まだまだ綺麗じゃないか! わしの手を見てみろ。皮しかないぞ! ほら!」
花蓮は何気なく差し出された老人の手を取り、浮き出た血管を物珍しそうになで始めた。
「ほんとだ! 杉さんの手、しわしわ。血管すご!」
杉本は花蓮の行動に驚いたが、鼻の下を伸ばしながら、彼女の手をさすり返してきた。
「た、確かに。嬢ちゃんの手は、すべすべだな……」
苦笑いしながら、花蓮はその手を引っ込める。
この、エロジジイめ!
それを見ていた蘇我田は、心の中でそう毒づいた。
しかし、そんな老人こそ良いカモなのだ。花蓮の行動は考え無しのものだが、老人をオトすには有効な手口に見える。
いい頃合いだと思い、蘇我田は花蓮にサインを送る。あらかじめ決めておいたその合図に、やっと気付いた花蓮は、少しぎこちなく珠の話を切り出した。
「……えっと。杉さんは、珠をどうする予定なの? まだまだ、長生きしたい系?」
突然の話題変更だが、杉本は特に気にした様子もなく答えた。
「いや、俺はもう十分生きたしな。体も自由に動かないし、生き返ったとしても何年生きられるか……」
杉本の言葉に、蘇我田がほくそ笑む。まさしく、理想的な獲物が目の前にいるのだ。
「花蓮ちゃんになら、珠をあげてもよかったんだけどな……」
花蓮が珠をもらったとしても、自分に献上させれば良いだけだ。譲った側の意思など、知ったことではない。
そこまで考えて、蘇我田は杉本の微妙な言い回しに気が付いた。疑わしげな表情で、老人の顔を凝視する。
「実は、もう珠は持ってないんだ……」
案の定、杉本がそんな告白をした。花蓮が、驚いて聞き直す。
「そうなの!? 誰かにあげちゃったの?」
「まあ、そうなんだ……」
大きく肩透かしを食らった蘇我田は、思わず怒気を含んだ声で老人に詰め寄った。
「誰だ!? 一体、誰に珠をやったんだ!」
「いやあ、その……」
蘇我田の勢いにたじろぎ、杉本は救いを求めて周囲に視線を送る。見かねた菊が、遠慮がちに蘇我田に語りかけた。
「誰にあげても、いいじゃないですか……」
蘇我田が菊をにらみつけると、ひるんだ視線が返ってきた。周りの老人たちも、落ち着きない様子でこちらをうかがっている。その様子を見て、蘇我田の背筋に嫌な予感が駆け巡った。
「お前ら、いったい何を隠している! 珠はどうした!」
蘇我田は、老人たちを怒鳴りつける。その剣幕に、花蓮も口を挟むことができずに固まっている。
蘇我田が杉本をにらみつけると、まるで悪いことをしたかのように狼狽していた。
「別に隠してるわけじゃ……。菊さんが、譲ったらどうかって言うから……」
「誰に!?」
「そ、それは……」
その時、一部の老人たちの視線が、一定の方向に動いたのが分かった。蘇我田がその視線をたどると、その先にはひとりの少女、みことの姿があった。
「あいつに渡したのか!」
蘇我田の指摘に、老人たちは黙り込む。その沈黙は、間違いなく肯定を意味していた。
「ここにいる、全員がか!?」
老人たちからの、反論はない。蘇我田は、全身の力が抜けるような感覚に襲われた。
「いったい、いつの間に……」
自分の知らないところで、珠が大きく動いていたことに驚愕する。まるで、騙し討ちされたような気分だった。その感情が、怒りとなって老人たちに向けられる。
「なぜ、あんな子供にやったんだ! 無気力で、生きることへの執着が感じられない! あんなヤツ、ろくな大人になるものか!」
蘇我田の剣幕に気圧されながらも、菊は諭す様に言った。
「勧めたのは私だけど、みんなちゃんと考えて、あの子に珠をあげたのよ……」
「どうせ孫に似ているからとか、くだらない理由なんだろ? 実際は、似てもいないだろうに!」
蘇我田はそう決めつけて、老人たちを断罪した。菊が何か言おうとするのを無視し、怒りに任せてまくし立てる。
「誰が生きるにふさわしいか、もっとよく考えろ! そんな曖昧な基準で人を選ぶから、この国の政治はおかしなことになるんだ! 優秀な人間を残さないと、本当にこの国は滅びるぞ!」
蘇我田の言い分は大袈裟で、場にしらけた雰囲気が漂った。しかし、蘇我田本人は大真面目に言っていた。
みことより自分の方が優れているのは明白で、自分が選ばれないのは、社会的に大きな損失なのだ。そんなことも分からないのかと、老人たちを侮蔑する。
「政治家を決めるのであれば、あなたを選ぶ可能性もあったかもしれない……」
自分の理屈でわめく蘇我田に、菊が気を遣いながら語りかけた。
「でも、みんなで話してたでしょ? 最後はその人を、気に入るかどうかで決めれば良いって。そうやって、あの子を選んだの。そのことを、私は後悔してない」
菊の言い分に愕然としながら、蘇我田は都築との議論を思い出していた。あの時、何かの流れが変わったという感覚があった。それが、まさかこんな形で現れようとは。
「全然、正しくない! 馬鹿に、バカだと言って通じないのが腹立たしい! 愚かすぎて、救いようがない!」
溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、蘇我田はわめき散らした。
「これだから、頭の悪い人間は嫌なんだ! 結束して、優秀な人間の足を引っ張ろうとする! 俺に珠を献上するのが、最後にできる社会貢献だというのに! 珠を持たないお前らに、もう価値はない!」
蘇我田の一方的な罵倒が、白い空間の中で響く。そんな蘇我田の姿を、老人たちは恐れと憐れみを交えた目で見つめていた。
老人たちに言うだけ言うと、蘇我田は肩を怒らせながらその場を立ち去った。その後を追いながら、花蓮が困惑した様子で声をかける。
「ちょっと、言い過ぎだったんじゃない? あんな風に言うの、よくないよ」
花蓮の言葉を無視して、蘇我田はそのまま歩き続けている。その態度に、花蓮は寂しそうに小声でつぶやいた。
「なんか、ちょっとカッコ悪い……」
その声に反応し、蘇我田は振り向いて花蓮をにらみつけた。その敵意ある眼差しに、花蓮は悲しそうにうつむく。
そんな花蓮を一瞥すると、蘇我田は再び目的もなく歩き出す。蘇我田の思考は、みことから珠を奪う方法で占められていた。
都築や結衣香による、みことのガードは硬い。しかし、彼女自身が珠を譲ると言えば、都築たちは何も言えないだろう。みことと直接話せば、説得するのは簡単に思えた。
みことの持つ珠は、もう無視することが出来ない数に達している。どんな手段を使っても、みことから必ず珠を奪う必要がある。
たとえそれが、力ずくになったとしても……。
蘇我田の表情に、うっすらと狂気の笑みが浮かんでいた。




