02.生的搾取
男は目に涙をためつつ、声を震わせてつぶやいた。
「俺には、妻も子もいる。家族を支えるために、ずっと頑張ってきたんだ……。でもこれは、家族への裏切りじゃないのか?」
真面目そうだが、どこか弱々しいスーツ姿の男性が、首を垂れながら坂祢 梓に話しかけている。
良く言えば、教会で神父に懺悔するようにも見える。聖母のような優しい声で、梓は答えた。
「もう会うことができないのだから、あなたにとっても、家族は死んだも同然なのかもしれない。気持ちの整理はつかないと思うけど、限られた時間を、ただ正直に生きればいいと思う」
男が顔を上げると、涙と鼻水でグショグショだった。彼女はそれを全く気にせず、男の両頬にそっと手を添える。
「寂しいなら、私を抱いて……」
梓がそうつぶやくと、男は嗚咽を漏らしながら、彼女の上に覆いかぶさった。
「何かを代償に、女を抱くなんて最低だ!」
20歳そこそこの男が、梓に少し怒った口調で語っている。ニキビで頬が荒れており、顔立ちも整っているとは言えない青年だった。
「でも、俺はこんな顔だから。好きになってくれる女なんていない……。勇気を出して告白してみろ、だと!? キモいって笑われているのに、そんなことできるかよ!」
彼は梓とは目線を合わせず、地面をじっと見つめながら話していた。
「きっとあんただって、心の底では俺のことを馬鹿にしてるんだ! 嫌でしょ? 俺なんかに抱かれるのは……」
男はチラリと梓の方をうかがうが、彼女は無表情のまま話を聞いている。
「嫌なら、正直に言ってくれよ! 俺は別に、珠なんて惜しくないんだ! だから、アンタにくれてやったって……」
梓の反応がないので、彼の声は自信なさそうに小さくなっていく。
「それを、私に決めさせたいの?」
梓は無表情で、静かにそう答えた。感情の感じられないその返答に、男はうろたえる。
「私の条件は提示したわ。決めるのはあなたよ。やるの? やらないの?」
男は自尊心と欲望の狭間で、苦悩の表情を浮かべていた。そして、ついに嗚咽を漏らしながら、その場に崩れ落ちる。
「抱かせて……ください……」
彼は小さく声を絞り出し、梓に向かってそう土下座した。
「さあ、次の人!」
坂祢 梓の取引は、順調に進んでいるように見えた。
嫌な印象の男も何人かいたが、過度な要求は毅然とした態度で断っている。幸い、乱暴するような男はまだ現れていない。順番待ちや、見物人などの目もあり、相手もあまり無茶ができないのだろう。この空間でも、まだ最低限のモラルは失われていないようだ。
しかし、力では男にかなわない。常に自分が主導権を握れるよう、梓は細心の注意を払っていた。
昨日は、夜通しで9個。今日も半日ほどで、3個の珠を手に入れた。自分の分も合わせ、珠は全部で13個となる。
しかし、交渉のペースは、徐々に落ちてきていた。一人ひとりと話し込んでしまい、予想以上に時間がかかっているのだ。皆、助平心が見え見えなのに、最後の一押しがなかなか難しい。
初日があれだけスムーズに進んだのは、相手が風俗経験者だったからではないか? 梓は、そんな風に考えていた。
男など下半身で生きているものだと思っていたが、何かを見返りに女を抱くというのは、想像以上にハードルが高いのかもしれない。日本人男性に限るかもしれないが、皆意外にナイーブなのだ。
特に童貞は、興味があるくせに恥ずかしがり、交渉が成立するまでに、かなりの時間を要した。もどかしくてイライラもしたが、ことが始まれば素直で扱いやすい。
ただ激しくすればいいと勘違いしていることが多いので、女の扱い方を教えつつ、優しくリードする。
経験者は年齢が上がるほど、ああだこうだと言い訳めいた話が長かった。いったい、誰に向けた弁明なのだろうか?
話す内容はさまざまだが、自分が受け入れられたと感じると、スムーズに交渉が成立する気がする。そう気づいたものの、結局はじっくり話を聞かなければならないので、効率はほとんど上がらなかった。
しかし、その会話の時間が、ほどよい休憩にもなっている。正直、身体の疲労は相当なものだった。
「ちょっと、休憩させて」
そう言いつつ、梓はさっと服を着て身なりを整えた。
「時間はあるんだから、少し待っててね」
取り囲んでいた男たちに、そこで順番を待つように伝える。
男の視線から逃れて、少し気持ちを切り替えたかった。目的もなく、部屋の壁に沿って歩き出す。
この空間では、あらゆる体液は時間が経つと自然に消え去り、匂いや汚れに悩むことは無さそうだ。しかし、無性にシャワーを浴びて、全てを洗い流したい気分だった。
男性客から十分に稼いだら、次は女性から珠を集める必要がある。現状で1番珠を集めているとはいえ、まだ気が抜ける状況ではなかった。
現世への道のりは、まだまだ遠い。
梓がそんなことを考えながら歩いていると、女子高生とサラリーマン風の男が、談笑しているのが目についた。
「だから、話の通じない上司ばかりでさ。精神論しか言わないわけ! 業績上げろって、それを考えるのがあんたの仕事だってのに」
「……そういうの、困りますよね」
男の相手をしているのは、結衣香だった。彼女の話を聞く態度が、接客業でもしているかのように白々しく見える。
男はそこそこイケメンなのだが、女子高生を相手に浮かれているのか、イキった話し方が残念な印象だった。大した男では無さそうだからこそ、目の前で美味しい獲物が横取りされると感じ、梓は思わず声をかけた。
「あら? あなたも客を取り始めたの?」
結衣香はその言葉の意味が分からず、一瞬きょとんとする。少し遅れて理解した彼女は、激怒した。
「そ、そんなことやりません! あなたと一緒にしないでください!」
「そうなの? 可愛いから人気出そうなのに」
「絶対にしません! ありえない!!」
梓は軽く挑発して、結衣香の反応を観察していた。この子がライバルになったら、多くの客を奪われてしまうかもしれない。若さと女子高生というブランドは、正直脅威だった。
しかし、彼女の反応を見る限り、そういうことにはならなさそうだ。梓は心の中で安堵しつつ、結衣香をからかい半分で言う。
「まあ、処女にはムリか……」
「ば、バッカじゃないの!? そんなの……あなたに分かるわけないでしょう!」
結衣香は、顔を真っ赤にして狼狽える。だが、その照れている姿は、妙に可愛らしかった。
処女と言う言葉に反応し、隣の男がいやらしい顔で、結衣香の方をチラ見している。それを見て、純真な魅力を持つ彼女は侮れないと、梓は改めてそう感じた。
とにかく、珠はできる限り確保しておきたい。梓は鼻の下を伸ばしていた男に体を寄せ、耳元でそっとささやいた。
「あなたは、デキる女とデキない女、どっちを選ぶ?」
男の視線が、梓の顔から胸元に滑り落ちていく。その視線を感じつつ、梓はシャツの胸元を少しだけ引っ張って、胸の谷間をちらりと見せた。
「後で来てね……」
梓がそう言って離れると、男はだらしない顔で彼女の体を眺め見た。結衣香から向けられている、失望のまなざしには気付いていない。
その様子を見て、梓は満足そうに微笑みを返した。




