01.取り残されたこの部屋で
輿田 桔兵は、腰を下ろして壁に寄りかかりながら、虚空を見つめていた。
装飾と無縁のこの部屋は、どうしようもなく刑務所を連想させる。
ここまで物がまるでない訳でも、こんなに綺麗だった訳でもない。しかし、外部から隔離され、世の中から取り残された感覚にそっくりだった。
輿田が刑務所で過ごした7年の歳月は、容赦なくあらゆるモノを奪い去っていった。自分がどれだけ年老いて、時代に取り残されたのか。娑婆に出て、それを実感した時の絶望感。それは、銃で撃たれた時の衝撃よりも、大きかったかもしれない。
後悔はある。
刑務所に入るきっかけを作った出来事ではない。もっと根本的に、人生を間違えたという感覚。すでに、取り返しがつかないという事実。
昨日、少年を銃で撃ち抜いた時にも感じた絶望が、ずっと彼の体を満たしていた。
あれは少年の目論見によるもので、結果は悲観するものではなかった。しかし、今も手に残るしびれのようなものが、輿田から気力というものを、奪い去ってしまったように思える。
「アニキ、どうします?」
連れである清が恐る恐る、そう問いかけてきた。
「今、動いても面倒そうなんで。ある程度、珠が集まってきたら奪いますか?」
輿田は少し清の方を向いたが、何も言わず再び遠くを見つめた。清は無視されて表情を曇らせるが、ハッと何かに気づいて慌てて正座する。
「気が利かず、すいません! まずは俺の玉を献上します!」
そう言ってお辞儀するように、両手で彼の珠を差し出した。しかし、輿田は面倒くさそうに手を振る。
「そんなんじゃねえよ」
その覇気のない態度に、清はだいぶ戸惑っているようだ。それでも、輿田は何も言わず、時の流れに身を任せていた。
少年から期限が7日と説明されたとき、都築 浩輔はスマホのストップウォッチを起動させていた。その表示が、すでに24時間が経過したことを告げている。
あの後、人々は思い思いに過ごして、自然と眠りについた。死んでいても、睡眠は必要らしい。緊張が続いたせいか、都築も横たわるとすぐに睡魔に襲われた。
肉体がないのなら、体を休める必要はないと思うのだが、習慣として染み付いているのかもしれない。
それから8時間ほどで起床し、今は何をするでもなく、人々はだらだらと過ごしている。学校も、仕事も、何もかも、もう気にする必要はないのだ。
本来なら優雅な朝食をと言いたいところだが、この部屋にそんなものは用意されていない。
「1日目が、終わっちゃったんだね……」
眠りから覚めた結衣香が、都築にそう声をかけた。
あの後、彼女は何人かの男性と談笑した後、都築たちの元に帰ってきて、同じ場所で眠りについていた。
誰と、どんな話をしてきたのか。気にはなったが、それを問い詰める資格も、厚かましさも、都築は持ち合わせていなかった。
「こんな部屋にいると、時が経つのが遅く感じるけど。過ぎてしまうと、あっという間だな……」
都築は、そんな当たり障りのない感想を口にする。
何もしなくて良い時間がほしい。生きていれば、それは願望のひとつだった気がする。
しかし、それがずっと続くとなると拷問に近い。7日という期限があるのは、実は幸いなことなのかもしれない。
みこともすでに起きていて、壁を背に膝を抱えて座り、ぼんやりと部屋を眺めていた。
こちらの壁に移動してきた人々の、集団としてのまとまりはすでにない。
ひとりで不安に思う者は一定の群れを形成し、人との関わりが煩わしいと思う者は、思い思いの場所に離れて行った。
部屋の反対側にいた梓と男たちは、夜通しイタしていたのかもしれないが、さすがにいったん解散となったようだ。散り散りになった男たちは、いつの間にか紛れて、もう見分けがつかなくなっていた。
時間の過ごし方は、人それぞれだ。
いまだに出口を探すのを諦められないのか、壁をコツコツ叩き続ける青年がいた。少しの違和感も逃さないよう集中し、一定の間隔で、ひたすら壁を叩き続けている。
その執拗な姿は、まるで手段が目的になってしまったようにも見える。
また、ひたすら歩き続ける、高齢の男性がいた。グラウンドのトラックを回るかのように、部屋をグルグルと周回している。
ゆっくりと地面を踏みしめて歩く姿は、競歩と言うより、聖地を目指す巡礼者のようだ。彼は何を思い、ただひたすら歩き続けているのだろうか?
そんな彼らの様子を眺めていると、蘇我田が一人ひとりに声をかけながら、こちらにやってくるのが見えた。いかに、自分が生き残るに相応しいかを、歩きながら訴えかけている。
「時間は限られています! 誰かを選ばなければなりません!」
「世の中を、より良くできる人を選びましょう!」
「美しい自己犠牲の精神が必要なんです!」
さながらドブ板選挙の様相だが、人々の反応は薄い。彼の熱意というよりも、その厚かましさに引いている。
それでも、彼は熱心に勧誘を続けている。そのめげない姿勢だけは、素直に感心できた。
こちらに気付いた蘇我田は、結衣香を見ると、すっと彼女の元にやってきた。
「君の珠を、僕に託してくれないか!」
彼女にそう言って、先ほど老婆と同じ口説き文句を、リピートし始める。
「周りを見てみなよ。頭の悪そうな奴ばかりだ! こんな状況なのに、何も動こうとしない!」
「あの……ちょっと」
蘇我田の距離が妙に近く、結衣香は少し不快な顔をしている。
「普段から敷かれたレールに乗ってばかりで、自分で判断することができないのさ! そんな、家畜のような人間に……」
結衣香が何か言おうとしても、蘇我田は一方的にまくしたてて、聞こうとしない。
そして、彼女はついにキレた。
「珠はあげません! 少し離れてください!」
だが、結衣香の抗議は軽く無視されて、蘇我田がさらに身を乗り出してきた。
「じゃあ、せめて俺の活動をサポートしてくれないかな?」
「は?」
「秘書みたいなイメージかな? ぜひ、君みたいな子に協力してほしいんだ! 世の中のために、一緒に頑張ろう!」
蘇我田の提案に、彼女は絶句して固まっている。
自分が中心に世界が回ると考える人間とは、まさに彼のことだろう。やってもらえる前提で勝手に話を進め、蘇我田は彼女の手を取ろうとした。
「いやです! やらないです! あんまり近づかないで!!」
差し出された手をかわして、結衣香は都築の後ろに逃げてきた。
話の通じない蘇我田に、恐怖を覚えたらしい。彼女は青ざめながら、気持ち悪いと小さくつぶやいている。
女の子にこんな反応されたら、死にたくなるに違いない……。他人事ながら、都築は背筋が寒くなるのを感じた。
しかし、当の蘇我田は涼しい顔をしている。
「まあ、気が変わったら、いつでも言ってくれ」
結衣香が嫌がっているのに、気づいていないのか。わかっていて、気にしていないのか。
どちらにしろ、彼は相手のことなど考えないタイプらしい。ついでに、異性に対する心遣いも、持ち合わせてないようだ。
蘇我田は少し離れた場所に立つみことに気づき、少女にも声をかけ始めた。
「君の珠、僕に譲ってくれないか?」
「やめなよ!」
結衣香が慌ててみことの元に駆け寄り、蘇我田から遠ざける。
放って置いたら、言われるがままに、珠を渡してしまいかねない。そんな危うさが、みことにはあった。
自分より幼い子に、平気で珠を要求する蘇我田に、結衣香が怒りの表情でにらみつける。
「分かったよ。また改めて来るよ」
「改めないで! もう来ないでください!!」
結衣香の物言いに、蘇我田は肩をすくめながら苦笑する。彼の神経は太いと言うより、存在しているのかすら怪しい気がする。
「一方的に訴えかけて、空回りしてませんか?」
都築のそんな問いかけに、蘇我田は一瞬何かを言いかけて振り向いた。
しかし、都築の顔を認識したかと思うと、ふいと視線を外し、何も言わずその場を去ってしまう。
都築は反論を待ち構えていたが、完全に肩透かしを喰らってしまい、蘇我田の後ろ姿を見送ることしかできなかった。
蘇我田 真司は、歩きながらみことのことを考えていた。
彼女の目に、生への執着は感じられない。おそらく、みことから珠を奪うのは簡単なことだろう。
むしろ、誰かに先を越されないかが心配だった。何しろ、あの子は珠を2つも持っているのだから……。
「できる限り、早く回収しないとな!」
すでに珠を手に入れたつもりになり、蘇我田は人の悪そうな笑みを浮かべていた。




