クフ王の墓
今回は古代エジプト第四王朝の王であるクフの墓についての話です。
大ピラミッドの建造者であるクフの墓。
実は、これについてのテレビ番組があり、相変わらず自らの発見はどんなものでも「世紀の大発見」、他人の発見は良くて「ゴミ」、酷い場合は「まったくのねつ造」とする、自称「エジプト学の権威」がそこでおかしなことを語っていました。
以前から「ピラミッドは王の墓ではない」と主張していた自称「エジプト学の権威」ですが、某エジプトサークルがおこなっていた「ピラミッドが墓でなければ本来の墓はどこだ?」というキャンペーンが耳に入ったのか、少し前から「エジプトでもっとも大きいピラミッドを建造したクフ王の本当の墓がある場所を特定した」と言い出しました。
ついでに言っておけば、自称「エジプト学の権威」は以前このような主張をしていました。
ギザの大ピラミッドの内部には現在見つかっている内部構造と同じものが左右対称になるように中止軸の反対側、つまり、ピラミッドの西側にもある。
ギザの大ピラミッドの入り口が中心軸上ではなく、東側にずれているのはそのためである。
これは話としてはおもしろく、素人レベル、またはオカルトマニア的な方のものであれば問題ありません。
ですが、それをプロであるエジプト学者、それも自称であっても「エジプト学の権威」が言ってはいけない。
なぜか?
そもそも現在見つかっているクフのピラミッドの内部構造のうちいくつかについては、中心軸を超えたものがあります。
すなわち、左右対称になることは絶対にないのです。
それを知らずに言っていたのなら、「エジプト学の権威」どころかエジプト学者失格と言われかねない無知ぶりが露呈し、知っていながら言っていたのなら、ペテン師または詐欺師に肩書を改める必要があるでしょう。
まあ、当然のことですが、その話はプロどころかそれなりに知識のある素人にも散々ネタにされ、最終的には名古屋大の例の調査によりその主張は間違いであると確定されて終了し、コッソリとどこか見つからない場所に不法投棄してきたようですが。
ですが、さすが自称「エジプト学の権威」、懲りずにまた始めたというわけです。
さて、肝心の自称「エジプト学の権威」の主張するクフの「本当の墓」のあるその場所ですが、大ピラミッドの西側に広がるマスタバ墳墓が並ぶ墓地群の下となります。
もちろん言いたいことは山ほどありますが、まあ百歩、いや千歩譲ってこれが正しいのであれば、まちがいなく本物の「世紀の大発見」なのですから、テレビのバラエティー番組などではなく、研究者向けに論文を発表すればいいわけです。
まあ、そのようなものを出してしまったら世界中のエジプト学者の笑いものになるでしょうし、そもそもその話は推測だけであり、それを納得させるような物的資料が出てきたわけではないのですが。
とりあえず自称「エジプト学の権威」の主張の問題点を並べてみます。
まず「ピラミッドは王の墓ではない」という彼の主張の核になる部分ですが、もし、そのとおりであれば、前述したようにピラミッドの建造した王たちの「ピラミッド以外での」墓が発見されていなければなりません。
ですが、過去百年以上にわたりエジプト各地にあるピラミッドエリアを散々掘り返したにもかかわらず、ピラミッド時代の王たちの墓やその痕跡がピラミッド以外から発見されたことはありません。
……まあ、前段部分について厳密にいえば、第四王朝シェプセスカフの墓はマスタバですし、統治はしたが墓は見つかっていない王もいますし、そもそもエジプトでピラミッドと認定されているものすべてが墓として使用されていないのも事実ですが。
当然ながら、ピラミッドの中には王の眠る場所はないと言ったからには彼はなぜ見つからないかを説明する義務がありますし、それが本当に正しいと思っているのなら、貴重なマスタバ墳を解体しなくても済む別の王の墓を探し、「世紀の発見」をすべきだと思います。
また、たしかに大ピラミッドからは遺物は発見されていませんが、アブシールやサッカラにあるいくつかのピラミッドからはその王に関係する埋葬品の遺物やミイラの一部も見つかっているわけで、自称「エジプト学の権威」の主張する「ピラミッドから埋葬の痕跡が一切ない」という主張は間違い、または事実隠ぺいです。
そして、もちろんこの場所にクフの墓があるという根拠を示す必要があります。
そこまでいかなくても、そこにあると推測する専門家を納得させられるような根拠は示してもらいたいものです。
ということで、自称「エジプト学の権威」とその主張はネタの宝庫であり、これについては、まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、とりあえず今回はこの辺でやめておきましょう。




