二体の竜(2)
「どうだ? 紫姫の精神は、安定したか?」
紫姫の寝室からシェルリオンがそっと足音を立てないよう、出てくる。
泣き疲れて寝てしまった紫姫だが、精神の高ぶりがあり、寝ていても興奮状態だった。
無理に寝かせたが、エルガイラの能力では『寝かす』だけで精一杯だ。
『喜び』のシェルリオンが甦ってくれて助かる。
彼は精神を安定させる波動を出してくれる。
「うん、今のところは。また後で様子を見にいくよ」
と、いう彼の言葉にエルガイラは安堵した。
「さて、エルガイラ……ガイって呼んでいい? 僕もそっちの方が呼びやすい、僕もリオンでいいからさ」
「構わないぜ」
「どうして紫姫さんは興奮しちゃったわけ? 説明してくれる?」
「他にお前に話さなくちゃならないこともあるからな。昨夜はゆっくり話せなかったし」
「そうだね、帰りにお酒買ってきたんだ。呑みながら話そうか?」
紫姫さんに夕飯作ろうと色々材料も購入したのにな、と残念がってるシェルリオンに「ああ」とエルガイラが頷き、二体の竜はそこを離れた。
「ふーん……。千年の時の流れって怖いねえ」
紫姫の隣の住居――帆波が用意してくれた4LDKのベランダに設置された椅子に座り、エルガイラとシェルリオンは話し込む。
そっちの方がベランダが広いことも理由だ。
それにベランダは繋がっているし、紫姫に異常がでたらすぐに対応できる。
エルガイラは紫姫以外から得た情報、例えばニュースや、精密検査で知った今の医療や科学。帆波から聞いた雑学。自分の目で見たことをシェルリオンに教える。
「まあ、今の時代って千年前と比べたら随分生活水準が上がって豊かだけどさ――確かに油断ならないよね、人がそこにいなくてもさ」
テーブルに酒とグラスに氷――そこに、まるで酒のツマミのようにちょこんと置かれた小さなカード。
「だな」
これは、幾度かの復活で経験してきたことだ。
時代が変わっても、人は自分達にやることは変わらない。
まず、監視は入るだろうと想定内だ。だけど、千年前のように人が直接隠れて監視することはなかった。
なら、そこに人はいなくても出来る監視があるだろう。
それは、長い経験と勘があった。
機械と科学というものが発達した、文明の玩具。
エルガイラはこのマンションに入った時から、そこかしこに設置された盗聴器を回収し、使い物にならないようにした。
今、使用できるものはテーブルに残された爪くらいの小さなカード型の盗聴器のみ。
「全部、聞いたね? 温情はここまで。帆波さんにも伝えておいて。プライバシーの侵害ってこのことだよね? って」
シェルリオンの台詞の後、エルガイラが親指で小さなカードを押すと、あっけなく砕けた。
竜の役目は、人々を襲う異形の生物を倒すだけじゃない。
『シルマー』を助け、支え、よりよい生活が送れるようにするのも役目の一つだ。
自分達はシルマーによって甦り、命を繋げて、力を奮う。
シルマーなしではその存在さえないのだ。
その忠誠心は――遙か遠い、何千年、何万年前の契約。
シルマーに仕えることこそ生き甲斐で、名誉で、誇りで、愛情だ。
それに何の疑いもない。
――のはず。
「でも、困ったね。紫姫さんがその『翼』って子と接近するのを拒絶するなんて」
「ああ……」
「幼なじみだから、情がわいてるんだろうね」
「まあ、俺もまさかシルマーである紫姫の側でうろちょろしてるとは思わなかったしな。触れるまで分からなかった」
「それは、やっぱり『竜』の血なんだろうね。あるべくして甦った僕らのように、あるべくして紫姫さんの側に生まれたんじゃないかな」
「それが厄介な感情を紫姫につけてしまったんだろう? 全くの他人だったら違う反応だったかもしれん」
エルガイラが大息を吐いて、酒を呑む。
買ったのは洋酒で、濃い琥珀液体が一気に彼の喉を通っていく。
「紫姫さんがいくら拒絶しても、翼は探してやってくるだろうね。彼が、彼の『魂の中の竜』が彼女を求めているから」
「さっさと受け入れればいいんだよな……。千年前のように」
「……千年前のようにはいかないかもよ?」
「何故?」
エルガイラが首を傾げる。
シェルリオンは空になった彼のグラスに、甲斐甲斐しく洋酒を注ぐ。
「だって、千年前のシルマーとは違うもの。いくら子孫だからってさ、好みが一緒だとは限らない」
「ふーん」とエルガイラはさして興味がないように、注がれた酒を口につけた。
「そういうのって、ほんとガイは興味ないよね?」
クスクスと笑うシェルリオンを横目で見つつ、エルガイラは肩を竦める。
「言ってるだろう? 俺は、特殊な例で『怒り』の竜を引き継いだ。シルマーは俺たちにとって大事な主人だが、俺は特別な感情など出ない。今までだってそうだった。……リオン、お前だってそうじゃないのか?」
「……今まではね、そうかもね。千年前はそう思った」
シェルリオンの言葉は千年前のある出来事に繋がる。
あの出来事が竜達に、少なくてもシェルリオンの中では何かを変えたらしい。
――これから甦る奴らも、そう思うのか?
エルガイラは内心舌打ちをした。
一番最初に甦った竜が、後から甦った竜達のまとめ役――いわゆるリーダーとなる。
ただ、シルマーに従い、敬い、戦い、その生を全うすれば良い竜。
なのに、千年前に起きた出来事がシルマーに従う竜達の何かを変えてしまったらしい。
そんな時代にリーダー役なんてついてない。
(全く面倒だ。厄介な事が起きなければいいんだが)
「紫姫さんは、今までのシルマーと違うから。それだけでも新鮮だよ。最初に『怒り』の竜の君を甦らせたくらいだし」
「怒りっぽいだけだろう」
エルガイラは素っ気なく呟く。
シェルリオンの他の竜をイジる癖は何度甦っても変わらない。そう思った。
「後は……『悲しみ』と『不安』の竜だが……」
うん、とシェルリオンがエルガイラの言葉に頷く。
「先に『悲しみ』の方がきそうだね」
「先代と全く反対の順できそうだな」
「まあ、シルマーの個性でしょう」
あと、二体の竜は甦って紫姫にどう接するのだろうか?
「『不安』の竜が甦ったら、どうするんだろうね……紫姫さんは」
「何がどうするんだ?」
シェルリオンが驚いた風にエルガイラに顔を向ける。
「何がって……彼だけ、僕らとは違う復活をするんだよ? それだけでも紫姫さんはショックを受けると思うけど?」
「……話さないとまずいか」
「当たり前だよ」
シェルリオンの言葉にエルガイラは、そっと溜め息をついた。
問題が山積みだ。
とにかく考え込むのは止めよう。
考えたって、自分は事実を伝えるだけで、それをどう思うのか彼女次第だ。
ただ、紫姫の行動が今までのシルマーとは違うことだ。
とにかく読めない。
(いや、もう考えても仕方ない)
エルガイラは氷をグラスに入れ、回し酒を冷やしながら夜景を眺める。
高層マンションの最上階からは、横浜港を含む周辺を一望できる。
ビルからの明かりに、道路を走る車のライト。街灯の灯火。
二人はしばし、黙って甦ったこの世の景色を見つめる。
「千年前と比べて色とりどりの景色だが、その分、星が見えなくなった」
ぽそりとエルガイラが呟いた。
「うん……。それは寂しいね、さすがに。『あの世界』は幾千年経っても空気は澄んで、夜空も綺麗だった」
「そうだな……」
「いつか、帰れる日がくるんだろうか?」
「帰りたいのか?」
「……どうかな? シルマーがいればどこだっていいと思っているよ。ガイは?」
「……シルマーに従うまでだ、俺達は」




