6
明後日から春休みという日の放課後、琴巳は親友に次いでカレシと、休みの計画を立てていた。相談は加賀家へ向かいながらだ。
並んで歩く武は、琴巳が開いた手帳を見て口を曲げた。
「こんなに、早稲と出かけちゃうんだ?」
「今年に入ってから、遊んでなかったの」
ちぇ、と言いたげに、武は前髪の先を払った。ぼそっと洩らす。
「女に妬いちまった」
たはは、と琴巳は笑みをこぼした。
「後の空いてる日は、いつでもオ付キ合イシマス。そういえば、賭けのお金、御飯が食べれるくらいあったの?」
終業式まで琴巳と武のカップルが続くかどうかを問うた、男子校一年五組での賭け。武は先日、長谷川に明細を請求する、とちゃっかりしたことを言っていたのだ。
武は、にいっと歯を見せた。ブレザーの内ポケットから、畳んだ紙を取り出す。
「三食いけそうだ」
半信半疑に、受け取った紙を琴巳は開いた。日付や名前、数字が列挙されている。一口五百円のようで、ほぼクラス全員が一口か二口参加していたらしい。
殆どの名前は〝クリスマス〟と〝3学期始業式〟の横に集中。〝別れない〟の所には〝アサクラ・250〟と〝ブンチョー・500〟だけ。そして、下の余白に赤字で〝各一万円也。百円未満は主催者手数料にて悪しからず。長谷川〟となっていた。
とにかくも予想外の高額に、琴巳は目を丸めた。隣で、低声が愉快そうに笑う。
「どうする?」
「う、うーんと、うーんと……」
「食事に使わなくてもいい。加賀の欲しい物買ってもいいし、行きたいトコあったら、そういうのに――」
「え、待って待って」
琴巳は慌てて遮った。紙を畳み直しながら、武を見る。「朝倉君てば、全部わたしの為に使うつもり?」
「当たり前だ」
即答されて、琴巳は咄嗟に二の句が継げない。武は紙をポケットにしまいつつ、こちらを見て目を細めた。「納得できない?」
「あ、当たり前だ」
ははっ、と武が笑い、琴巳は口をすぼめた。「忘れてるな? 今度はわたしが付き合うって言ったのに」
「加賀が忘れてるんだ。俺は、一緒なら何処でも何でもいいって言ったぞ」
「覚えてるけど、そっかって済ませられないよ」
「済ませていい」
「嫌」
即答のお返しをすると、武はちょっとだけ眉を上げた。こめかみの辺りを、指先でこりこりと掻く。
「変なトコで強情なんだよなぁ」
うん、と琴巳が胸を張ると、武は晴れた空を仰いだ。「俺はホントに、加賀と居られるだけでいいんだよ」
一日ぼーっとお散歩する? と琴巳はおどけた。武は真顔で、あぁ、と応じる。
「冗談よ?」
手帳をひらひらさせ、琴巳は隣を見る。なんだ、と武は呟いた。
「紛らわしい冗談言うなよ」
「紛らわしかった……?」
「あぁ」
応じてから、武は口をつぐんだ。儲けの使い道を真剣に考えているらしい。こういうところは本当に栩麗琇那そっくりで、琴巳は習慣的に黙って横を歩いた。
スーパーの前を通り過ぎると、半日以外の日は寄っている所為か、武は何となくという感で振り返った。一瞥後、こちらに目を流す。
「今日の晩飯、何作るつもり?」
「わたし、あんまり前もって決めないの」
琴巳は手帳の端を顎にあてた。「その日安かった物で献立考えてるから」
「だから、いつも、ぐるっと一周するのか」
恥ずかしくなって、琴巳は手帳が口許まで上がってしまう。
「ごめんね。貧乏臭いことに付き合わせちゃって」
「いや、加賀の買い物の仕方は見習う点が多い。最近寄らないから、ベンキョできなくて残念なんだ」
えぇ? と琴巳は武を見上げた。
「ヤだ、わたしの真似なんかしてもケチになるだけよ?」
「加賀のはケチじゃなくて節約だと思うぞ」
武はズボンのポケットに手を入れながら言った。「俺、食費を安くあげられるようになった。それまで無駄な買い方してたのが、判ってさ」
「……喜んでいいのかなぁ」
いいよ? と言って、武は笑った。
「けど一回失敗した。ウチの近所もフレンズとそっくり同じ物が安売りになることがあるんだ。で、加賀と同じ物買ってみたくなった。加賀は四人分買ってたのに、それをすっかり忘れてて。しばらく、同じ材料で別の料理を作るってゆー高度な技を要求されて、参った」
そうか、と琴巳は思った。武は、栩麗琇那と違って自炊している。自炊できる。
「朝倉君の作った物って興味あるー」
ぽつんと琴巳が呟くと、武は鼻を掻いた。
「一年足らずの素人に、それは厭味だぞ」
琴巳は、ぱふっと手帳を口にあてる。と、武は指を鳴らした。「思いついた――俺は加賀の作った物に興味ある。バレンタインのケーキ、めちゃウマだったし。今度の機会を俺にくれるって言うなら、一万かけて昼飯作って欲しい」
琴巳は目を見張った。
「たった一食分の食材に一万円?」
「とびきり贅沢な材料買えば、ポンと飛んでく額じゃないかな」
「うーん、無駄遣いしてみたいとは常々思ってるけど、いざできるとなると、どうだろ。基本的に貧乏性だからな」
「別に二人分じゃなくても、そっちの家族分も一緒に作れば?」
ドキリとした。料理をするのはいいが、家に武が来るのはまずい。前のカレシと鉢合わせでもしたら、どうなることやら想像もできない。
「えと――えっとね、じゃ、おべんと箱、たくさん持ってっていい?」
武は、ぱちぱちっと瞬いた。自分を指差す。
「俺んチで作ってくれるんだ?」
「朝倉君チ、見てみたいかな、なんて……」
「じゃ、張り切って掃除しとく」
楽しそうに武が言い、琴巳はほっとして頬を緩めた。
灰色の雲が広がっていたが、武の家に行くので、天候はあまり関係無かった。
春休み最終日、四月四日、琴巳は待ち合わせ場所で武に会った。姑息に順子との約束を入れたりしたので、彼と顔を合わせるのは一週間ぶりだ。
待ち合わせたバス停から蘇座の繁華街にあるというデパートへ足を向けた武は、隣に並んだ琴巳の手を握り、息をついた。
「夢じゃない」
今年に入ってからは聞いていなかった台詞が出て、琴巳は見上げてしまう。武は、目元をほころばせた。「また明日から、毎日会える」
「高二になるのねぇ」
しみじみと琴巳が言うと、武はつないだ手を無邪気に振った。
「役員業とおさらばだ」
「なり立ての時はシンドかったけど、終わってみると、こんなもんかぁ、って感じ」
瞳を上向ける琴巳に、武は指を向けてくる。
「コンナモンだからって今度もやるなんて言うなよ? 何だかんだ言って放課後費やすだろ、役員って」
「そうそう。お昼に会議を消化しててアレだもんね。まとめて放課後に持ってこられてたら、わたし困ってた」
「タイムサービスに間に合わないよな」
ずばり言い当てられ、琴巳は頷きながら照れ笑いを洩らす。
やがて見えてきたデパートに、二人は入った。颯爽と地下の食品売り場に行く。電卓を片手に、今日はいつもと逆の買い物だ。特売なんて忘れて、いい食材を吟味する。メニューは白身魚のムニエルにサフランライス、オニオンスープとグリーンサラダ、ヨーグルトデザートと紅茶。
加賀家の面々の分も合わせて材料を買い込んだものの、それでも三千円ほど残ってしまった。どうするかな、と武が呟いた。
「変に半端な額が残ったなぁ」
「うーん、無駄遣いするには確かに……」
武は悪戯っぽく言った。
「加賀が酒飲めれば、ワインでも買って済ませられたのに」
「昼間っから飲もうなんて言ってる未成年が居るー」
抑揚無く言ってから、琴巳は思いついた。「でも、そんな感じの――ソムリエが居そうなレストランの雰囲気を作ってみる?」
「どんなだ、それ」
「そうねぇ……」
二人は言いながら、出口へ足を向ける。
エスカレータへ差しかかると、横手に喫茶店があった。硝子越しに、店内が覗ける。テーブルに一輪挿しと造花らしきモノが見え、あ、と琴巳は声をあげた。
「花飾ったら、それっぽくなりそう」
「花って三千円もするか?」
「するする。薔薇とか買えば、簡単」
ふぅん、と武は言った。
「そういや、薔薇って豪華な気がするな」
「深紅の薔薇なんて、ロマンチックー」
琴巳がうっとりすると、武は視線を巡らせた。
「花屋は何処にあるかな」
二人はサービスカウンタで花売り場の所在を確かめ、琴巳の希望通り、深い紅色の薔薇を三千円分買い求めた。
店員の女性は綺麗な束を作り上げながら、にこやかに言った。
「カードお付けできますけど」
武が首肯した。
「ください」
もう一人居た店員が、棚から箱を出す。
「文章の入ったのとか、何種類かありますよ?」
蓋の上にずらっと並べられ、わぁ、と琴巳は洩らした。レースをあしらった、二つ折りの可愛らしいカードを手に取る。開くと、〝二人の新しい門出を祝して〟と印刷されていた。頭上で、低声が笑った。
「それにする?」
うひゃ、と琴巳は頬が熱くなる。慌てて閉じ、蓋の上に戻した。
「な、何にも書いてないヤツにしよー」
「ま、そうだな」
しれっと言うと、武は軽く顔を傾け、興味が有るような無いような目を走らせた。一通り見てから、少年は真っ白な地に金の縁取りが入った物を手にした。これ、と店員の方にちょっと向け、はぁい、と向こうが応じると、財布の中にしまった。
ありがとうございましたー、と挨拶を受け、二人は花屋を後にした。そのまま、デパートを出る。
抱えた花束に気をつかいながら、琴巳は隣に問うた。
「貰ったカード、どうするの?」
別に、と武は答えた。
「貰えるなら貰っておくか、と思ったんだ」
琴巳は思わず笑ってしまう。
「街頭で配ってるティッシュを貰うノリね」
「あぁ、あれも貰うな。中学の頃は素通りしてたけど、一人暮らし始めたら、買うのは馬鹿馬鹿しいと気づいた」
うんうん、と琴巳は笑みまじりに相槌を打つ。武は、ちろっと舌先を覗かせた。「今日は贅沢の日だったのを忘れてた」
「お金使い切っちゃった時点で贅沢できなくなったんだし、いいんじゃない?」
武は、身を寄せて来た。
「そういうとこも好きだよ」




