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九月、中高生は早速に二学期が始まった。
残暑の中、授業が再開し、平行して秋のイベントに向かう。
梛女子高校と青葉高校も、秋の交歓会の準備にかかった。春は級長と副級長がメインでの相手校見学だったが、秋は全校生徒が互いの文化祭に協力参加する。男手の欲しい所、女手の必要な場面を、補い合うのだ。
再び武と顔を合わせる気まずさがあったが、吹っ切るように、琴巳は級長職に自らを没頭させた。気を抜くと、淡い茶色の髪や紅茶色の穏やかな目を思い出してしまうから。
栩麗琇那の傍に居る前の日々が、琴巳に戻ってきた。目を逸らされたりはしなかったが、家族が同じ場に居ないと、青年は離れて行ってしまう。あのうっとりするような声が笑うのも、あれ以来聞けなくなった。
フられちゃった、と打ち明けると、順子は大層驚いた。冗談でしょ? と言ったが、琴巳の元気の無さで、ようやく信じてくれた。それからは、彼女らしいやり方で、何かと気をつかってくれている。凍りついてしまいそうな心を、辛うじて温めてもらっている状況だ。
毎日が、奇妙なスピードで過ぎて行く。
気づくとまだ一時間目の授業中で、ふとするとその日は終わっていた。何も考えず、ただ生きている……
そうこうするうちに、暦は移り変わった。
青高の文化祭は毎年十一月三日と四日。梛女は年によって数日違う。今年は六日、七日だ。先ずは、梛女生が手助けをする。
役員は、九月は専ら自校で打ち合わせを重ねていたが、体育祭終了後、十月からは二校で合同会議を設けることになった。二年生は青高、一年生は梛女の会議室でだ。
上級生の話だと、十月の放課後はそれまでに無い光景が生まれるらしい。共学の風情が体験できるそうだ。役員が出入りする所為だろう。
本日の放課後、第一回目の話し合いが持たれる。
副級長の理佐は、朝からウキウキしていた。カレシが来るのだ。五組の級長氏。
春の交歓会で互いに好印象を持った二人は、そのまま付き合い出した。琴巳が聞いた惚気話の内容からすると、いかにも高校生らしくて、羨ましいカップルだ。
浮かれる副長嬢の隣で級長はといえば、沈んだ気分だった。五組の級長氏に初めて会うのは問題無い。問題があるのは、副長氏との再会だ。
五月以来、琴巳は武を見かけていない。あれから、立ち直ってくれただろうか。せめて文化祭が終わるまででも普通に接してくれないと、琴巳は級長という立場上、困ってしまう……
来賓用の表玄関で、珠洲を筆頭に、役員は青高生の一行を出迎えた。
珠洲も、一組の賢二副長と殆ど付き合っている状態だ。よ、と手を上げ合い、気が合っているようだ。楽しそうに声を交わしている。
琴巳がぼんやり羨む目を向けていると、理佐が袖を引いてきた。クラス順に入って来た、一人の少年を示す。細いフレームの眼鏡を掛けた、きりっとした容貌の美男子だった。
「敏哉君」
理佐は幸せそうに告げる。へぇ、と琴巳は顔をほころばせた。
「ホントにかっこいい」
でしょー、と理佐は目尻を下げ、こっちこっちー、と敏哉に手を振る。少年はすぐ気づき、後ろに居た長身の相手に声をかけた。琴巳は、きゅっと唇を結ぶ。敏哉の後ろに居たのは、当然ながら副級長の武だった。
理佐が、小声で言った。
「ヤだ、琴巳ー、副長もいい男じゃない。教えといてよー」
「リっち、長谷川君と上手くいってるのに、他の男の子のことも知りたいの?」
「あったりまえじゃない。敏哉君といつまで続くか判らないもの。ストックは多いに越したことないわよ」
呆気に取られる琴巳の前に、五組の少年達がやって来た。初めまして、と敏哉が手を差し出した。
「一の五の長谷川です」
加賀です、と握手すると、敏哉は理佐に笑みを向けた。「美人コンビだね」
照れてしまう琴巳の横で、理佐はぬけぬけと応じた。
「ヤだ、わたし達も美形コンビね、って言ってたのー」
「あ、ホント? ははー、嬉しいなぁ、朝倉」
「あぁ」
気の無い返答をしつつ、武はこちらを見る。目が合った琴巳は、ぎくっとした。変わっていない。眼差しの強さが。
琴巳は、視線を避けたくて身を屈めた。
「あの、スリッパどうぞ」
「あ、ども」
敏哉は軽く会釈すると、ローファーを脱ぐ。武は面白くなさそうな風情で、スポーツシューズを脱いだ。
履き替える二人を目にしながら、琴巳はまた怖くなった。栩麗琇那への気持ちを、壊されたくなかった。今は、素敵な思い出に縋って、何とか普通の生活をしているところなのだ。
琴巳の心境を知る由もない理佐は、スリッパを履いた敏哉に並んだ。会議室の場所、覚えてる? と弾んだ声で尋ね、さっさと歩き出す。
多くの男子と知り合いたいと言ったばかりなのに、理佐は敏哉と二人だけで行ってしまう。琴巳は内心で、リっちー、と泣き声をあげた。その脇で、誰にともなく低声が言った。
「俺は覚える以前に、知らないぞ」
「そ、そうだよねぇ」
琴巳は応じながら、横手で六組の有美が目配せをしてきているのに気づいた。助かったぁ、と心の内で感謝し、琴巳は武を促した。二人は六組の四人と合流し、六人で会議室に向かった。
大学の夏期休暇は九月の中頃までだった。それからは前期試験やレポート提出日がラッシュのように訪れ、十月、後期の講義が始まった。
午後の始業前、栩麗琇那は教室の窓際に座ってぼうっと外を見ていた。
自然豊かなキャンパスを目に映しても、何の感情も起こらない。頭に浮かぶのは、はにかんだ笑顔、潤んだ漆黒の瞳……琴巳、琴巳、琴巳……
この瞬間さえ、心に焼き付けてしまうのではないか。闇の中で流れ散る火の花を見て、あの時、そう思った。思った途端、シェリフの台詞がよぎった。
『引き延ばすのは得策と思えないね。引き延ばした分の未練が生まれる』
例え傷つけても、早いうちに離れるしかないと悟った。言ってしまうしかなかった。
泣かせてしまった。
くしゃりと前髪をかき上げた時、あれっ? と覚えのある女性の声がした。栩麗琇那は教室の出入口に視線を流す。咲子が、教室の番号を確認していた。
「あってるよ、黒沢。ここは三〇三だ」
咲子は戸惑い気味に寄って来た。
「加賀君、隣よね?」
あぁ、と栩麗琇那は短く応じる。咲子とは、月曜に一つだけ同じ講義があって、火曜と木曜に乗るスクールバスが重なり、金曜は隣同士の教室で授業を受ける時間がある。栩麗琇那がフってからは、顔が合うと挨拶を交わす程度の仲だ。
しかしそれは、栩麗琇那には稀なことだった。数えきれない程の相手を断ってきたが、断った後も口をきく相手は極端に少ない。
咲子は、割り切れる性格なのだ。
栩麗琇那は、隣を示した。すとんと座った咲子に、告げる。
「待ってた」
「わたし、広められるだけ広めたわよ? 貴男がカノジョ持ちって」
まともに会話をするのはフった日以来だというのに、咲子は変わり無い調子で言う。栩麗琇那は、人選が間違っていないと確信した。
「判ってる。六月辺りから、あまり近寄られなくなったから」
助かったよ、と続けると、咲子は首を傾げた。
「じゃ、何? 待ってた、って苦情じゃないんだ」
首肯し、栩麗琇那は本題に入った。
「黒沢、誰か新しくいい男は見つけたか?」
「はいー?」
咲子は形良く描かれた眉をひそめた。「ちょっとぉ、何を言い出すの。期待しちゃうじゃない」
「そういうものか」
「そういうものでしょー。加賀君、自分のみてくれ判ってる? 貴男ほどの男は滅多に居ないのよ? 仮に新しく見つけていたとしても、そっちを捨てるわよ、わたし」
予想に反しない性格とはいえ、面食らってしまう。あまりにも、琴巳と違う。
咲子は、二の句が継げない栩麗琇那を見て、身を乗り出して来た。
「ちょっと、何? まさか、あの可愛いカノジョと別れちゃったの?」
「…………」
「フり方は手慣れたモンだったけど、本命とのアレコレは要領悪そうね。頑張って引き止めなかったんでしょ。あんな子も滅多に居ないと思うけどー?」
何故か栩麗琇那がフられたような話しぶりだが、敢えて訂正する気もしない。黙っている横で、咲子は勝手に続けた。「わたし、一講が多いのよね。青高や梛女の子達と登校時間が一緒になるんだ。加賀君のオ相手って判ってから目が見つけるようになっちゃったんだけど、あの子、何だか和む雰囲気持ってるのよねぇ」
咲子は机に置いたクリアケースに頬杖をついた。怪訝そうにこちらを見る。
「冗談じゃないわよ? わたし、自慢じゃないけど、失恋を癒せるような甲斐甲斐しい女じゃないの。二股の相手なら、イけるかもしれないケド」
栩麗琇那は失笑した。
「そのノリを買いたいんだ」
琴巳についた嘘を、栩麗琇那は事実にする必要があった。
二人は同居している。長い付き合いの所為か、少女は青年のポーカーフェイスを見破る時があった。だから、そのうち虚言だったと気づく懸念がある。気づかなくても、疑惑をいだきそうだ。なるべく早く、嘘を真に近づけねばならない。
軽く口を曲げた咲子を、栩麗琇那は見やった。
「俺と彼女がどうなったかは、まぁ、好きに想像してくれ。俺はビジネスの話をしたい」
咲子は、ふぅん、と鼻を鳴らした。唇と同色のマニキュアを塗った爪で、コツコツ机を叩く。
「へーんなの……わたしと形だけ付き合いたいの?」
ブックバンドからノートを一冊外し、栩麗琇那は笑みを含ませて問うた。
「そこまで回転の速い頭なのに、どうして経済学が追試なんだ」
咲子は瞠目した。ヤだっ、と口許を手で覆う。
「貼り出されたの、見たのねっ」
「貼り出されたら、見るだろう」
「そうとしたって、加賀君、経済とってないでしょ!?」
「登録してないだけで、講義には出てる」
「えぇ!? 物好きねーっ」
栩麗琇那は、ちょっと天井を仰いだ。
「そんなに嫌いなら、なんでとったんだ」
「笹岡ジーサンて、去年までレポート採点だったのよ」
咲子は憤慨した様子で言った。「〝優〟のレポートコピー、結構な金額払ってやっと手に入れたのに。大損よ。悔しいったらないわ」
「……なるほど」
呆れたが、顔には出さない。外したノートを弄びながら、栩麗琇那は言った。「ということは、笹岡先生は問題を作り慣れていないかもしれない。追試も殆ど同じ問題が出る可能性はないか」
「んー、そうね。歳が歳だし、新しい問題考える元気無いかもね」
「交換条件だ。黒沢が興味無くとってしまった科目をサポートする。君が講義にさえ出席すれば〝優〟がとれるようにしよう」
「……加賀君、地元出身だったよね。わたしもなんだけど……高校何処だったの」
「水晶」
咲子は、小さく口を開けて見返してきた。栩麗琇那は保証してやる。「成績で十位以内を外したことはない。身内のみだが家庭教師の経験有り。試験とレポートには自信がある。任せろ」
「……あの子、馬鹿ねぇ」
しみじみ呟かれて少々むっとしたが、栩麗琇那は話を進めた。
「俺の方は今言った内容だ。黒沢は、他の奴と付き合いたくなるまでか、卒業まで、適当に俺と付き合って欲しい」
「適当?」
「あぁ」
「曖昧ね」
咲子は艶めいた笑みを浮かべた。他の学生も集まりつつある中で、囁くように訊いてくる。「具体的に何処まで? 場合によっては行くトコまで行ってもいいけど?」
栩麗琇那は短く笑ってノートを向けた。
「先ず決めな」
ころっと表情を変えると、咲子は受け取ってめくった。
「ウワ、よくあんな面白くない講義でこれだけノートとったわね」
「あの先生は、大学の先生にしては解り易く板書する。重要なのは赤だ。チェックしときな」
「へーえ――あっ、この赤い所、そうよ、問題になってた」
咲子は、楽しそうにノートを閉じた。「いいわ、ノった。付き合ってみる」
栩麗琇那は席を立った。指の背でコンとノートを叩く。
「契約成立。それはやる。証書代わりだ」
「え、ホント? うふー、いいビジネスにありついちゃったなー」
そう言った後、咲子は悪戯っぽい顔になった。「で、何処まで?」
出入口へ足を向け、栩麗琇那は軽く喉を鳴らした。
「隣に居るとこまででいい」




