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翌月曜日の昼休み、馬安中学校の体育館裏で、ごめんなさい、と琴巳は少年に告げた。
「せっかくのお手紙だったけど……ごめんなさい」
合唱コンクールが終わってから、琴巳の下駄箱には時折手紙が入れられるようになった。文章はそれぞれ違っても、内容は同じ〝付き合ってほしい〟。
〝三年四組 瀬間〟と手紙に記していた少年は、首の後ろに手をやりながら、問うた。
「好きな奴いるって、ホント?」
琴巳が頷くと、タメ? と瀬間は重ねて質問してくる。
熱くなってきた頬に、琴巳は手をあてた。
「こ、高校生、です」
「……そっか」
瀬間は繕ったような笑みを浮かべた。「解った。ごめんな、呼び出して」
琴巳はふるふる首を振った。気持ちをくれたのに応えられない。なのに、大抵の少年達は謝ってくる。
「失礼します」
頭を下げると、琴巳は校舎へ駆け出す。実は、今日はもう一通入っていた。同じく三年生からで、指定時間は放課後。場所はプール横。
二年二組に戻り、琴巳は小さく息をついた。放課後を思うと憂鬱だ。
「おかえり」
今月の席は琴巳の前になった順子が、声をかけてきた。「お疲れさん」
微かに口許がほころんで、琴巳は自分の席に着いた。抱きつくように机にうつ伏せる。
「精神的にキツーい」
「そのうち無くなるよ」
順子はぽふぽふと頭を撫でてきた。「加賀琴巳には好きな人がいる、って知れてきてるみたいだから」
「……それも恥ずかしいなぁ」
琴巳は、とほほ、と呟く。順子は、両腕を組んで苦笑いを洩らした。
「恥ずかしくってもさ、カレシを知れ渡らせたら楽だよ。競おうと思う無謀な男は居ないだろうから」
唇をすぼめ、琴巳は手の甲に顎を乗せる。
「わたしのライバルが増えちゃうから、お兄ちゃんは知られないでいい」
「ライバルって……そういうのは片想いの時に現れるものよ」
「そうなんだけど」
琴巳は睫毛を伏せる。「昨日、お兄ちゃんの傍にわたしが居たから、水高の人達悲鳴あげてた。わたしが居なかったら、お兄ちゃん、大勢から告白されてただろうなぁ」
順子は、くすりと笑声をこぼした。
「又、琴巳ってば肝心なことを忘れてる。お兄さんは、そうやって選り取り見取りの中から、琴巳に言ったんだよ? 傍に居な、って」
琴巳は顔を上げ、順子の腕に指先をかけた。
「ヨリちゃぁん、大好きー」
「あたしが男だったら、お兄さんに恨まれそうだー」
そう言うと、順子は悪戯っぽく笑った。
放課後、帰り支度をする琴巳を、順子が振り返った。
「思い出したよ、盛山一郎」
「あ、うん」
琴巳は鞄を閉めながら親友を見る。それは、これからプール横で会う三年生だった。手紙の名前を見た時、順子は、どっかで聞いたなー、と言っていたのだ。
「前、トイレで一組の子が話してたんだ。散々モーションかけてくるから応えたんだって。そしたら三日後には同じ調子で別の子を口説いてるのを目撃したって、激怒してたんだ」
琴巳は口許を引きつらせる。えらい相手に目をつけられたかもしれない。
「取り敢えずわたしは、応えないから」
「ずばっと断れ、ずばっと」
握り拳を作る順子に琴巳は頷きを返し、またね、と教室を出る。
大丈夫かな、と言いたげな顔で順子は口をすぼめた。つと、窓際にクラスメイトの女子が群がっているのに気づく。
「外で何かやってんの?」
一人の背中に問いかけると、興奮したような顔が振り向いた。
「順子も見て見て、良さげな男が門の近くに居るのーっ」
「わ、どれどれ」
隙間から窓越しに階下の校門を見やり、順子は、あ、と声をあげた。隣の少女が、いいよねーっ、と同意を求める。順子はバッと廊下の方を振り返った。「琴巳――」
「あ、加賀っちも見な見なっ」
数人が顔を向けたが、琴巳は既に教室に居ない。
順子は、ぽつんと言った。
「あの人、琴巳のカレシ」
えぇーっ! と、二年二組は大音響に包まれた。群がっていた女生徒達は、更に猛然と窓にへばりつく。
「ちょっと、もっとよく見せてっ」
「早稲ちゃん、詳しいの!?」
「幾つ、あの人ーっ」
順子は呆気に取られた様子で立ち尽くす。
「すご……琴巳も大層な相手を選んだよな」
「順子ってば感心してないで教えてよーっ」
その訴えには応じずに、順子は、ぽん、と手を打った。くりっと踵を返す。鞄を引っ掴んで、順子は教室を出て行った。少女達は、待てーっ、と叫びながらも、窓からは離れない。
順子は昇降口から校舎を出て、小走りに校門へ向かった。
門の外、植込みの煉瓦塀に、滅多に見れないような美少年が寄りかかっていた。秀麗な顔に表情は出さず、コーデュロイのクリーム色のシャツに焦げ茶色のハーフコートを引っかけ、コートより濃いズボンを履いている。きちんと磨かれた革製の紐靴をクロスさせ、片手に洋書っぽいハードカバーの本を一冊持っていた。彼の周囲だけ、異国のようだ。
そろそろと順子は近づいた。こんにちはぁ、と声をかける。
美少年は一瞥して目を戻しかけ、止めた。うっとりする低声を出す。
「久しぶり」
「はいー」
順子はポヤと顔を輝かせたが、いかんいかん、と言うように軽く顔を振った。少年は、僅かに顔を傾けた。
「今日はコトミと一緒じゃないんだ?」
「あ、はい。あの子、男子の先輩に、呼び出されてるんです」
順子は、不安そうな顔で言を継いだ。「そのヒト、女癖悪いって噂を聞いてるんで、あたし、心配で。呼び出された場所もプール横なんて、この時期は陰気なトコだったりするんです」
そう聞かされても、美少年は表情を見せなかった。柔らかそうな淡い茶色の髪をくしゃりとかき上げる。かき上げた半ばで止め、順子を見た。
「プール、どの辺?」
「校舎に沿って裏手の、体育館の横です」
無言で歩き出しかけた少年は、気がついたように順子を振り返った。
「今度ウチに食事に来る時、公士と俺も入れてくれない?」
「もっ、勿論ですっ」
美少年はやんわりと目を細めてから、すっと目つきを改めて校内に入って行く。
順子は遠ざかる後ろ姿を見送り、にっと笑みを浮かべた。
琴巳は、プールの横手にぽつんと立っていた。
体育館側だったよね、と手紙の文面を思い返し、小さく頷く。足元の草を見つめながら、タイムサービスを逃したくないんだけどな、と思った時、声がかかった。
体育館の方から、少年が軽く走って来る。三年二組の盛山一郎だろう。
「ごめんごめん、待った?」
悪びれていない様子で、一郎は明るく言った。順子からいい話を聞いていなかったこともあって、何となく黙ったまま、琴巳は己が靴の先を見る。
一郎は傍まで来ると、出し抜けに褒めてきた。
「かっわいいなー、加賀チャン。近くで見ると益々実感」
「ど、どうも」
琴巳は両手に鞄を持ち、早く断ろうとした。だが、一郎が先に言った。
「な、な、カラオケでも一緒に行かない? 受験生の息抜きに付き合ってくれよー」
「ごめんなさい、わたし好きな人いるんです」
琴巳は早口に言うと、ぺこっとお辞儀した。「ごめんなさい。じゃ――」
すり抜けて琴巳は帰ろうとしたが、待って待って、と一郎は道を塞いだ。
「そんな簡単に結論出したらショックだ。俺の気持ちはどうなるんだよ」
ちくっと言葉の針が胸に刺さり、琴巳は戸惑った。それは、断って頭を下げる度に思っていたことだったから。
「すみません……でも、わたし……」
適当な言葉が見つからなくて琴巳はうつむく。
「一回でいいから付き合ってよ。どっか行こ」
首を振っても、一郎はしつこかった。「行ってくれるまで付きまとっちゃおっかな。好きな奴に知られたら誤解されるかもしんないケド」
どき、とした時、琴巳の代わりに応える美声が響いた。
「別に?」
思いがけない声に顔を上げた琴巳は、嬉し涙が込み上げてきた。信じられないことに、栩麗琇那が一郎の向こうに立っている。
一郎が剣呑な顔で振り返った隙に、琴巳は栩麗琇那に駆け寄った。長身の後ろに隠れると、ほっとする。
栩麗琇那は、一郎に台詞を投げた。
「付きまといたかったら好きにしな」
琴巳は当惑をもって淡い茶色の髪を見上げた。一郎のような人には付きまとってほしくない。どうして、付きまとうな! と言ってくれない?
まだ恋人になれない。
うなだれかかる前で、栩麗琇那が付け足した。
「俺は誤解しない」
胸がきゅんとした。一郎に言っているが、今のは琴巳に向けられた言葉だ。彼は琴巳の気持ちを、信じてくれている。
おいで、と低声がこちらに告げた。何も言い返せずに立ち尽くしている一郎を残し、栩麗琇那は踵を返す。琴巳が横に並ぶと、鞄、と手をのばしてきた。琴巳は足元がふわつく気分で、じゃ本、と言ってみた。
すい、と本が向いてきて、琴巳は代わりに鞄を渡す。栩麗琇那は鞄を小脇に抱えると、もう一方の手を差し出した。
「自転車置き場はどっちだ」
琴巳は少年に手を重ね、引いた。
「あっち」
ハードカバーの本を抱いて歩きながら、琴巳は整った横顔を見上げた。昨日の振替休日で、今日は水高生は休みだ。一日、読書していたのかもしれない。「図書館の帰りに寄ってくれたの?」
「本を返すつもりだったけど、返却ポストが出ていなかった。そのまま引き返すのもナンだったから」
そっか、と琴巳は思い出す。馬安の図書館は、月曜日は休館だ。返却ポストが出ていなければ返す手段が他に無い。
「プールの横に居るって、ヨリちゃんから聞いた?」
「あぁ」
「……ヨリちゃん、わたしがあそこで人と会ってること言わなかった……?」
例え琴巳が告白されているとしても、呼び出しに応じて誰かと会っている所に、のこのこ姿を見せるような野暮天ではない、栩麗琇那は。
少年は、ちらっとこちらを見た。
「女好きの変な男がコトミを無理矢理プール横まで引きずって行った、と言われた」
琴巳は微かに口許が引きつる。適切なような誇張のような……だが、お蔭で助かった。
「来てくれて、ありがとう」
あぁ、と短い返答の後、琴巳はつないだ手に僅かに力を感じた。
「今度から一人で対応するな。せめて、早稲さんに近くまででもついて来てもらえ」
頷きつつ、琴巳は胸元に本をあてた。心臓が弾むように鼓動している。
心配してくれている――心配された。
琴巳は栩麗琇那の隣で、うっとりしながら学校を後にする。
校舎の窓などから大勢に見物されていたと知るのは、翌日の話である。




