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例えばこんな恋語り  作者: K+
1章 異界へ(イカイへ)
2/125

1*

 大陸の西南に位置する半島、ヴィンラ・タイディア。半島の中でも一、二と言われる名水の地として、ヴィンラ・サリルの泉がある。

 六暦六〇三年八の月初日の夕暮れ時、九歳の少年、蒼杜(そうと)は見えてきた畔に足を速めた。

 医事者長の邸宅敷地内に在るのだが、屋敷からは結構な距離だ。しかし他より明らかに美味い水だし、汲んで帰れば家人が喜んでくれる。

 こんこんと湧く水は小さな泉から小川となり、屋敷とは反対側の森の中を流れ行き、勿体無いことに崖から海へ注いでいた。

 流れの向きを邸宅や(みやこ)の方面に変えようと思えばできないこともないだろうが、代々の医事者長は敢えてしていないようだ。

 水際に着き、持って来た数本の竹筒に、蒼杜は澄んだ水を汲んでいった。井戸水と同じ程に心地好い冷たさだ。

 いっ時の涼を楽しんでから、手巾を出す。

 手を拭いつつ軽く森の梢を見上げれば、まだなお空は明るかった。

 青空に真っ白な入道雲。そして、鳥と共に、おかしなモノがよぎった。

 思わず目が追った。

 同じ年頃の少年が、目には見えない寝台に寝そべっているような恰好で、ふうわり、ふうわり。風の吹くまま気の向くまま、という表現が大層似合う風情だった。

 或る種の人間が飛行するのは、不思議ではない。蒼杜も飛べる。ただ、こうも呑気な雰囲気で飛ぶ子供は極めて珍しい。

 この半島に集う人となると尚更。大人も含め、自分も斯く飛びたいと、必死の習練が要る。少年の飛び様は、見る者によっては厭味に映りそうだった。

 飛ぶには、その為の術力が要る。大多数の人間にはそれが無いが、彼には有るのだ。どの程度の力量か、蒼杜は見分けられた。個々が生まれつき持っている半透明の輝きを見ればいい。

 手巾を懐に入れながら眼前の命帯(めいたい)を見て、蒼杜は思わず目を細めた。

 宙を行く少年は、眩い程の黄金の光を纏っていた。尋常ではない。

 相手が何に属しているか漠然と浮かび、蒼杜は声をかけてみた。

「そのまま行くと海です」

 無視しているのか、眠ったまま飛んでいるのか、少年は応じなかった。蒼杜は、推測される彼の肩書を呼んだ。「ルウの皇子(みこ)

 ぴくっと淡い茶色の頭が持ち上がった。途端に、がくんっと高度が下がる。っわ、と短く声があがり、蒼杜は息を呑む。

 小川の水面に大きく波が起こった。皇子が落ちたからではなかった。寸でのところで力を噴射させ、虚空へと飛び上がって行ったからだった。

 物凄い速度で上昇して行った少年を、蒼杜は半ば呆気に取られて見送った。桁違いの術力だ。それ故に、まだ調節が難しいに違いない。当人に行くつもりは無かっただろうに、あんな木々の梢より高くまで。

 まったくその通りと言わんばかりに、少年は中空で急停止した。その急停止も、力加減がぎごちなく、がくがくとあちこちの透明な壁にぶつかるようにしてのことだった。

 それでも、やがて少年は何とか泉の畔に降り立った。見守っていた蒼杜の方に来ると、ばつが悪そうに臙脂色の短い上着の裾を正す。

「起こしてくれて礼を言う」

 大層澄んだ声だった。口調は愛想が無いのに、声質で、心からの言葉かと判断に迷ってしまう。他の判断要素となる表情は、あまり掴めなかった。整った面立ちの、目だけがきまり悪そうな様相を呈していた。

 彼の属するルウという術者の民族は、六百年の昔、創世の神、六神(ろくしん)が降臨させたと言われている。現在も大陸の守護者として、国と国の間に在る、皇領と呼ばれる地区を統治している。

 少年は、髪色からすると主家の皇子だろう。深い赤茶色の瞳が、気を取り直すように蒼杜を眺めた。上品な仕種で顔を傾け、口を開く。

「君、ユタ・カーの申し子?」

 雷の知神に因んだ名を、皇子は口にした。蒼杜は肩をすくめる。

「稀に、そう呼ぶ人も居ます」

「眷属の間では専らその名で噂されてる」

 可笑しそうに言う相手に、蒼杜は胸元に手をあて、名乗った。

「本名は蒼杜・マーニュ・アリク。お目にかかれて光栄です」

「光栄は俺も感じる。クリシュウナ・ラル・ルウだ」

 誇り高い民の皇子にしては気さくに、少年は言った。「もうすぐ、皇子から(てい)になる」

「もうすぐ、ですか」

 あぁ、と応じて、クリシュウナは湧水に揺れる泉を見つめた。

「昨日、父が亡くなった。今日は、引き継ぎのあれこれを側役と老から教わっていた。メイフェスに戻れば、大君(おおきみ)から任命が下るだろう」

 淡々と言う少年に、蒼杜は愁いの目を向けた。成人に満たない子供が、親の死を悲しむ間も無く、使命を負わねばならないのか。

 やっと一人になったら、何だかぼんやりしたくなったんだ。クリシュウナ少年はそう言を継いで、ちょっと笑った。

「眠ってしまうとは思わなかった。下手したら、任命式に遅刻するところだ」

 言いながら、クリシュウナは泉に身を屈めた。口を濯いで、顔を洗う。

 皇子が顎をつたう水を素手で拭うのを見て、蒼杜は懐に手をやった。先程、半ば無意識に入れた。いつもは、大事な物しか入れていない懐に。

「手拭いがあります」

「ん、すまない、ありがとう」

 全ては、風の運命神、リ・コウの気紛れだったろうか。

 蒼杜が懐から手巾を取り出した時、端に鎖が引っ掛かった。母の思い出の、首飾りの鎖。

 微かな音をたてて滑り出たそれは、足元というより泉に落ちかかった。あ、と蒼杜が失態に声をあげ、クリシュウナが反射的に手を出す。指先が鎖を捕らえた。捕らえたのは良かったが、皇子はかなり無理な体勢から手を出していた。

「っと――」

 よろめいて、クリシュウナは後ろ向きに浅瀬に踏み込み、消えた。突然、消えた。

 蒼杜は瞬いた。小さな足の侵入で生まれた波紋に、湧水の波紋が加わってぶつかる。しかし、それを生み出した当人の姿が無い。

「皇子――クリシュウナ?」

 蒼杜は呼びかけながら、上を見上げた。居ない。

 ルウの民なら瞬間移動の術ができる。が、初対面の相手の落とし物を宙で受け止めるなり、そんな術を使うとは考えられない。

 当惑に手巾を握ったまま、蒼杜はその場に立ち尽くした。



 栩麗琇那(くりしゅうな)は、せわしく瞬きをした。

 狭い部屋だった。木肌色の壁紙。縦長の窓。布張りの長椅子。小さな花瓶の乗った小卓……

 ここは何処か。

 窓辺まで寄ろうとして、目眩を感じた。壁に手をついたが、毛織物を敷きつめた床に、崩れるように膝をつく。

 胸が――肺が苦しかった。呼吸がつらく、胸元を鷲掴む。咳き込んだ拍子に視界がぐらついた。

 倒れる、と目をつぶった刹那、体中から術力が発せられた。

 呼吸が楽になり、栩麗琇那は壁にもたれかかった。目に映る物全てに、淡く黄金の膜がかかっている。

 黄金は、栩麗琇那の結界の色。頭で考えるより体が要求し、咄嗟に張ったらしい。自分の体に感謝してしまう。

 足元に転がっていた物に目が留まり、栩麗琇那は手繰り寄せた。白金の鎖と、それに繋がった緑石。今し方会ったばかりの、ユタ・カーの申し子の落とし物だ。石の周りには、鎖と同じ白金で細かな飾りが施されていた。随分と精巧な造りで、値打ち物に見える。

 彼の生まれに関しては不思議な話を聞いていた。育ての親は医事者の(おさ)だが、産みの親は異世界から来たとか……懐に入れていたようだし、この首飾りはその生母の物かもしれない。何にせよ早く返さないと、ルウの皇子が盗人の汚名に甘んじることになる。

 さておき、結界を張らないと危うい程の、この部屋は何なのだろう。

 呼吸を整えると、栩麗琇那は立ち上がった。

 胸がずくずく痛んで不快指数はかなり高かったが、そんなことで不貞腐れている場合ではない。

 物騒極まりないのだ、ここは。子供とはいえルウの民を危険な状態にした。それ程の邪気が部屋に満たされている。術力の無い人間だったら死んでいたかもしれない。

 窓辺に寄り、外を見て、栩麗琇那は複雑な気分になった。

 部屋は割と高い所に位置していた。景色が見下ろせる。

 薄い空と、一瞬、森かと思う規模の緑の広がり。けれど、それは人の手が加えられた庭で、植え込みが変わった模様を描き出していた。遥か遠く、微かにそれと判る黒い柵と門。

 どうもここは城のようだ。が、栩麗琇那には何処の城かも、どの国かさえも、見当がつかなかった。

 髪をかき上げ、栩麗琇那は踵を返した。いまいち事態が呑み込めないが、とにかくあの泉に戻るのが先決だろう。ユタ・カーの申し子が居たのだから、あそこはヴィンラ・タイディアだったに違いない。

 服の隠しから組紐を取り出す。紐には複数の瞬間移動の指輪が繋いであった。次の皇帝として主要な地に(つい)の輪を置いているから数が多い。

 医事者協会館近くへの輪を抜き出し、指へ嵌めると合言葉を念じた。

 フワ、と身体が浮くような感覚。

 次の瞬間、ダンッ! と、栩麗琇那は背から壁に叩きつけられた。

「ぐ……っ」

 唇から血がつたった。手から離れた首飾りが小卓へ跳ね、緑の石がカツンと音をたてる。それを映す双眸が霞み、両膝をつくと、栩麗琇那はそのまま倒れ込んだ。

 叩きつけられたのは、最初に居た辺りの、向かい側の壁だった。

「う……」

 玉のような汗が鼻先に集中し、落ち、毛織物に染み込んでいく。「く……っ」

 仰向けに転がり、栩麗琇那は結界に穴が空いていると気づいた。口許を拭いながら張り直し、終わると激しく咳き込む。口の中を切ってしまったようで、覆った掌が赤く染まった。

「なんで……っ」

 涙声で呟き、また咳き込んでしまう。その時、パタパタパタ……と複数の足音が耳に入った。

 一気に血の気が引いた。

「ず、ズードゥ……っ」

 荒い息で、仰向けに転がったまま、栩麗琇那は一か八か古代呪文を唱えた。「カシリ・ハラリタク・プイ・カカっ」

 きゅっと目をつぶる。掠れた声が迸った。

「頼むっ、ここから出して……っ」

 横たわった少年の姿は、かき消すようにその場から無くなった。

 間髪おかず、部屋の扉が開いた。


 白いエプロンを着けた若い娘が中を覗き込んだ。室内を見回す。ふと、視線が床で止まった。

 娘は部屋に入ると、小卓の足元から白金の鎖を拾い上げた。と、扉の方から声がかかった。

「隣は異常無し――何かあった?」

「いいえ。こっちも異常無し」

 娘は服のポケットに拾った物を滑り込ませ、振り向いた。「何も無いわ」

 同じエプロン姿をした娘が、扉口で頬に手をあてる。

「凄い音だったけど、何だったのかしらね」

「あのお坊ちゃまが、何かしたんじゃない」

「あぁ、あり得るわ。坊ちゃん、この前もおかしな物を拵えてたから」

「天才って、もっとこう、かっこいいイメージがあったけど、単なる生意気なガキよね。幻滅」

「あはは。来たばっかりの人にはそう映っちゃうのかなぁ。坊ちゃんは頭がいい所為で大人びてるけど、いい子よ。そのうち貴女も解るわ」

「そのうち、って冗談じゃないわ。もっと割のいい所に移るの、あたし」

「えぇ、そうなの? 残念」

「貴女、いつからこんな田舎で?」

「生まれて此の方ずっとよぅ。祖母(ばあ)ちゃんの代から、マーニュ家にはお世話になってるんだ」

「今時珍しいんじゃない、そういうの」

 娘達は言いながら、パタンと扉を閉めた。

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