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関東地方は朝から各地で気温が上がっています、と〝お天気お姉さん〟が言っている。
ここ一週間、絵日記の天気欄には〝はれ〟としか書いていない。
九十五里も晴れてるのかな、と小学四年生の琴巳は小首を傾げた。母に訊いてみようと思う。
今日は、母が家に居る。朝御飯を食べてから仕事に出かけていない。本当は忙しいのに、仕事を休んでくれた。
琴巳は〝お姉さん〟が映っているテレビを消すと、ぱたぱた階段を登った。登ってすぐの部屋をノックする。
入ってー、と言う声にそっとドアを開けると、三面鏡の前に座っていた母が振り返った。
「ごめんねぇ。時間かかって」
ううん、と琴巳は首を振る。母は綺麗に口紅を塗っているところだった。もう終わる段階だ。塗り終えてから質問しようか迷っていたら、母が弟のあだ名を口にした。「コウは?」
「朝顔のトコに居る」
琴巳は、二つのお下げの片方をいじった。「どれを持ってくか、まだ悩んでるんだと思う」
小学一年生の弟は、宿題で朝顔の観察をしている。五粒蒔いた種の内、三つ芽が出て育っている。
母が可笑しそうに言った。
「全部持ってくとかゴウゴしてなかったっけ」
「運ぶの手伝わないからね、って言ったら諦めたみたい」
ぷっと母は吹き出してから、肩をすくめた。
「わたしが車運転できたら、全部持ってけたんだけどね」
琴巳は急いで言った。
「でもあたしね、三時間も電車乗るの初めてだから楽しみにしてるの」
「あ、そっかぁ。窓の所に座れるといいね」
母は目を細め、紅筆を持ち直す。琴巳は、ようやく尋ねられた。
「あのねあのね、九十五里もお天気かなぁ」
琴巳は〝九十五里〟という駅までの切符だと思っていたのに、母は五十円余計に払った。切符売場の上にある表を見上げると〝九十五里〟の隣の駅までの値段だ。
途中まで快速電車に乗り、大きな駅で各駅停車に乗り換えた。
乗り換えてから席が空いていなくて、三人共立っていた。
しばらくして、お姉ちゃん、と横から弟が情けない声で呼んだ。
「朝顔、上げちゃ駄目なの?」
網棚を見上げて、公士が言う。琴巳はそっぽを向いて応えた。
「だぁめ。横にするしかないもの。土がこぼれちゃう。座ってる人に迷惑でしょ」
「う……重いの」
琴巳は口をすぼめた。弟は出かける間際まで決めかねていたが、結局、一番育っていたのを選んだ。琴巳は、一番小さいのにしたら? と言ったのに。
「そんなでよく、全部持ってくとか言ってたよねー、コウの弱虫」
「だって全部ボクがお水あげてたんだもんっ」
「弱虫と何の関係があるんだろー?」
言い合う二人の間に、母が入った。
「コウ、しょーがない、お母さんが持ってあげよー」
わぁい、と公士が顔を輝かせ、琴巳は慌てて母を仰いだ。
「駄目っ、お母さん、いっぱい荷物持ってるのに。だったら、あたしが持つっ」
かして、と琴巳は弟から素焼きの鉢を入れたレジ袋を取る。ビニールの持ち手が、ぎゅっと手に食い込んだ。あの小さい手でここまで提げていたのかと、少々驚いてしまう。公士は公士なりに懸命に持っていたのだ。
母が、心配そうに見つめてきた。
「琴巳こそ、いっぱい荷物持ってるのに……」
平気、と琴巳は頬にえくぼを作って応じた。既に宿題道具を入れたリュックを背負い、着替えの入ったバッグも提げていたから、実際はキツかった。が、本当に重いと判ってしまっては、母にも弟にも渡せない。
下に置いてしまえれば楽だったろうが、車内は混んでいる。それに、床にはジュースか何かがこぼれた跡があり、ゴミも落ちていて汚い。
席が空くまでの辛抱と、琴巳は必死に我慢した。
気晴らしに見つめる窓外の景色は、徐々に緑が増えていった。鬱蒼と繁った木々が次々横手に流れ、田んぼや畑が登場し始める。
田舎っぽさが濃くなってくると、乗客は減ってきた。やっと三人並んで席に座れて、琴巳はじんじんする手で弟の膝に朝顔を乗せた。
「後はちゃんと抱えてなさいよ?」
こっくり頷いて鉢を抱き込んだ公士を、母が見据えた。
「コウ、言う機会を逃したら損するよ」
公士はきょとんとする。琴巳も軽く瞬くと、母はこちらに目を流す。姉弟は合点した。少年が口を開く。
「持ってくれてありがと、お姉ちゃん」
「うん」
頬に、今度は自然にえくぼが浮かんだ。
「あ、ほら、海だ」
母が窓の外を指さした。深い深い青の色が、切れ切れに目に飛び込んでくる。
姉弟は、わぁ、と揃って窓にへばりついた。
母の声が、焦ったように言った。
「わ、こらこら、後ろ向いてもいいけど、先ず靴脱ぎなさい」
〔次は、九十五里ー、九十五里ー。お出口は左側に変わります〕
車内にアナウンスが流れ、公士がこちらを見た。
「くじゅーごりーだ、お姉ちゃん」
「まだ降りないけど、そろそろお靴履いておく?」
琴巳は屈んで、座席の下に揃えておいた靴に手をのばす。床に届かない足をぶらぶらさせて、公士は尋ねた。
「お母さん、くじゅーごりーに行くんじゃなかったの?」
それは馬安駅でちょっぴり不安に思ったことだったので、琴巳は弟に靴を履かせながら聞き耳を立ててしまう。
『お祖父ちゃんとお祖母ちゃんがね、会いたいんだって』
去年、母からそう言われた。
最初、琴巳はよく解らなかった。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんというのは、友達にはいた。自分にはいないと思っていた。琴巳に会う前に死んでしまったと、思い込んでいた。
生きていたらしい祖父母は、珍しい遊び場がたくさんある所に住んでいるという。
行ってみない? と母は窺うように覗き込んできた。
公士は喜んだ。
琴巳は、ショックを受けた。
〝ヘンゼルとグレーテル〟に、そっくりだったから。暮らしが大変になって、両親に森に置き去りにされてしまう兄と妹に――
「もう九十五里に来てるんだよ?」
母が笑みを含んだ声で言った。「コウ達が住んでる所はぁ、馬安って呼ばれてる広い所の、美羽馬って地区でしょ。お祖父ちゃん達が住んでる所はぁ――」
「くじゅーごりーって広い所の、どっかの地区なんだ!」
途中で、公士が甲高い声をあげる。
「お、解ってるじゃないか、コーシ君」
母が弟の頭をくしゃくしゃかき回す。
琴巳は、ホッとしていた。
九十五里駅を過ぎ、次の〝白貝塚〟という駅で三人は電車を降りた。
クーラーの効いていた車内との温度差に、琴巳はややの間、立ち尽くす。
周りの木立で、蝉がとても大きな声で鳴いている。ジィーッと云っているのは馬安でもよく聞くけれど、ミーンミーンと云うのは滅多に聞く機会がなかった。それがここでは盛大に合唱している。
一つ前の九十五里駅は都会風だったが、ここは小さかった。ホームは狭くて短いし、売店も自動販売機も無い。汚れた駅名の看板が、端寄りにぽつんと立っているだけだ。
降りたのは琴巳達だけで、トトントトン、と軽い音をたてて電車が行ってしまうと、辺りは蝉の声だけになってしまった。
小屋みたいな所の方へ母が向かい、琴巳も後を追った。待ってぇ、と公士が言って、慌てて振り返る。彼は、しょっちゅう転ぶのだ。
「待ってるから、気をつけて。コウが転んだら、朝顔も転んじゃうんだからね」
琴巳は声をかけてから、急いで母へ目を走らせる。母は数歩先で立ち止まり、こちらを見ていた。琴巳は安心して、弟が追いつくと横に並んで歩き出す。
「お祖父ちゃん、迎えに来てくれてるよ」
母は少し早口に言うと、小屋への短い階段を降りた。降りた所に改札があったが、機械ではなく、駅員も居ない。駅員が居るべき場所に、大きな箱だけが在った。母は、それに三人分の切符を入れる。ポストのような感じだった。
切符を投函した母が改札を通り、琴巳は弟を先に促しつつ首を傾げる。ここでは、タダで電車に乗れるんだろうか。
改札を出てすぐ左手は、小ぢんまりとした待合室らしかった。煤けた木のベンチと、灰皿と、壁に時計が掛かっている。それしかない。誰も居ない。
時計は十二時過ぎを指していた。八時半に家を出たから、本当に、たっぷり三時間かかったわけだ。
母は、待合室の前を横切り、かんかんに照っている所に出た。琴巳もかぶっていた麦わら帽子をちょっと手で押さえてから、日向に出る。
待合室の横手、僅かな木陰に、エンジンのかかった白い乗用車が停まっていた。
さっと運転席のドアが開き、灰色の髪の男の人が降りて来た。すぐに、母が頭を下げた。
「御無沙汰してました」
見かけの印象より張りのある低い声が、応じた。
「遠いとこまで、この暑い中、よく来てくれた」
母は微笑んで、琴巳と公士を僅かに押し出した。
「お祖父ちゃんよ」
琴巳は上目づかい気味に見上げ、荷物の持ち手を握り締めた。
「こんにちは」
ふっと、老人は優しく目を細めた。腰を屈め、こんにちは、と応じてくれる。
琴巳が挨拶できると、その背後に半ば隠れていた公士も真似をした。祖父は、弟にも丁寧に応じてから、身を起こした。
「それじゃ、お祖母ちゃんが今か今かと待ってるから行こうか。今エンジンをかけたんで、あんまり涼しくないがね」
祖父は車の背後に手をかけつつ言った。「荷物はここと――助手席がいいかな。千鶴子さん、後ろに三人で座るかね?」
そうですね、と母が応じると、祖父はトランクを開けた。琴巳達が持っていた荷物を入れていく。公士の朝顔だけは、持って乗り込むことになった。
公士が乗って、母が続き、琴巳が最後にシートに座った。勢いをつけて閉めておくれ、と祖父に言われ、その通りにドアを閉める。閉めたが、勢いが足りなかった。もう一度やると、閉まった。
「琴巳も、あまり乗り慣れてないんだな」
シートベルトを嵌めながら、祖父が軽く笑った。「みんな、気分が悪くなってきたら、すぐ言いなさい」
三人が頷くと、祖父は車を動かし始めた。先ずは、ゆっくりバックする。
ハンドルに手をかけ、ちらちら後ろを見ながら、祖父は続けて言った。
「まぁ、多分、大丈夫だろうがな。琇那のお蔭で、酔いにくい運転のコツを掴んだんだよ」
「琇那君、体力ついてきたそうですけど……」
母は言いながら、祖父のように背後を見やった。オーライです、と声をかける。
「おぉ、了解了解」
祖父は左手でハンドル以外のバーを操作する。車は走り出した。走り出すと、祖父は母が言いかけた話を続けた。「今年辺りから酔わなくなったんだ。わたしの運転の腕が上がったのか、あの子が強くなったのか、微妙なんだがね」
「こういう場合は両方ですね」
母が楽しそうに言うと、老人は短く笑った。
「酔わなくなったし、本当は一緒に来たかったんだよ。だが、今日は中学校が登校日でね。こっちの時間までに終わらなかったみたいだ。着く頃には、帰って来てると思うが」
両脇に林が続くさほど広くない道は、他に車の姿が無い。濃い緑の間を滑るように進む車の中で、琴巳は今年、年賀状をくれた男の子を思い出していた。
彼が、この九十五里に誘ってくれたのだ。
彼は〝ヘンゼルとグレーテル〟を別の物語に変えてしまった。
琴巳は、賀状に書いてあった文をはっきり覚えている。
【――二人だけで来て帰るのは大変です。でも、お母さんに連れて来てもらって、連れて帰ってもらえば安心です。お願いしてみて下さい】
〝加賀琇那〟という差出人の所を指して、お祖父ちゃん? と琴巳が尋ねると、母は、あはは、と笑った。
『琴巳より三つ上のお兄ちゃんだよ』
えっ、と琴巳は目を丸くした。弟に世話を焼かされていたから、琴巳は常々、姉か兄が欲しかった。どちらかと言えば、祖父母よりそっち。
『あたしにはお兄ちゃんもいたの!?』
『あぁ、えっとねー、親戚のお兄ちゃん、ってヤツ』
母は、考え考えという感で説明してくれた。琇那は父親だけでなく母親も亡くなってしまった事。琴巳達の祖父母は彼とは赤の他人だけれど、親代わりになって引き取った事。そういう子は、養子、というらしい。
琴巳の隣で聞いていた公士が、訊いた。
『どっちも偽物なんだ?』
『うーんとね……そう見えて、でも、本物なの』
母は謎々のように言った。『お祖父ちゃん達は琇那君が可愛くて大事だし、琇那君もお祖父ちゃん達をお父さんやお母さんと思ってる。コウ達が、わたしのトコに、お母さん、って来てくれるのと気持ちは同じ』
『お母さん、ボク、可愛くて大事?』
公士がストレートに問うと、母は二人いっぺんに抱き込んでくれた。
『うふふー。あったり前じゃないの』
琴巳は母の腕の中で、その時、祖父母に会う決心がついたのだ。
その後、春に、弟は祖父母からぴかぴかのランドセルを貰った。
ちゃんとお礼の手紙を出すのよ? と母に言われ、文章を考えたのは琴巳である。公士は、分かんないよぅ、と泣きべそをかいて、琴巳の書いてみた手本を清書しただけだ。
数日後に、お葉書ありがとう、と公士宛に祖父母から葉書が届き、琴巳は何だかすっきりしない気分だった。
しばらく過ぎて、琴巳は母から使いを頼まれた。〝琇那君へのお祝いに、一万円の図書カード〟。
又も、琴巳はもやもやした心地になった。それでも、言われた通りに使いを果たす。果たせば、母が、ありがと、と嬉しそうに言ってくれるから。
やっぱり数日後に、礼を綴った葉書が来た。差出人は〝加賀琇那〟で、〝加賀千鶴子様〟宛。何故か横に〝琴巳様〟とも書いてあった。
何やら、無性に嬉しかった。
忙しい母の隙を見つけ、琴巳は何とか〝九十五里のお兄ちゃん〟のことを少し聞き出した。
『かーなりかっこいいお兄ちゃんだから、期待するベシ』
「お、琇那だ」
祖父の声で、琴巳は我に返った。低声を更に低め、老人は呟くように祖母の名を口にした。「又、光乃の奴、あんな……」
琴巳は目をくりくり動かし、窓の外に〝かーなりかっこいいお兄ちゃん〟を捜した。琴巳の座っていた左側の窓からは、木ばかりで人の姿が見当たらない。
母が、少々驚いた口調で言った。
「あれ、ラムネでしょうか」
「あぁ。みんなで飲もうと光乃が言い出して……わたしが車で買いに行くつもりだったのに」
祖父は言いながら、車のスピードを徐々に落とした。琴巳は、右手――母と弟越しに、脇で止まった大きな箱らしき物と白い腕を見いだした。
微かな機械音がして、涼しくなっていた車内に熱気が舞い込んだ。祖父が運転席の窓を下ろしたようだ。
「琇那、トランクに余裕があるから、入れて、乗りなさい」
「もう門が見えてるのに」
男の子だと思えないほど綺麗な声が、笑みを含んで響いた。「俺が乗ったら汗臭くなります。行ってください」
「あぁ……まぁ、仕方無い」
歯切れの悪い言い方をして、祖父は渋々という感じで車を出した。琴巳は振り返り、後ろの窓から見やった。黒いズボンを履いた小柄な姿が、遠ざかる。顔はいま一つ判別できない。頭が、薄茶色だった。染めているのだろうか。
琴巳と同じように顔を向けていた公士が、高い声で訊いた。
「お兄ちゃんて、外人?」
いや、と祖父が前を向いたまま答えた。
「日本人だが、あの子は生まれつき、髪や眼の色が薄めなんだよ」
「相変わらず華奢だったけど、流石に男の子ですねぇ。中学生ともなると力持ちだわぁ」
母が感心したように言うと、バックミラーに映っていた祖父は苦笑いした。
「光乃が褒め上げるもんだから、琇那は何でもかんでも重い物を引き受ける。程々にしなさいと言っているのに、若いからか、加減が掴みきれていないらしい。困ったもんだ」
「まぁ。でも、頼もしいですね」
大人達の会話を聞きながら、琴巳はもう一度振り向いた。小さくなっていた姿は、もはや、足の生えた箱が動いているようにしか見えなかった。
加賀家の駐車場は、家と庭を囲んだ垣根の外にある。五台ほど置けるスペースがあったが、所有している車は一台きりだ。
駐車場の中央に、白い車は停まった。
運転席のドアが開き、老人が降りる。続いて後部のドアが左右とも開いて、琴巳、公士、最後に千鶴子が出て来た。その間に、亘はトランクに回り込み、そちらを開く。
駅に着いた時に持っていた荷物をそれぞれが受け取ると、亘はドアに鍵をかけた。
「入口は、さっき通り過ぎた所だ」
老人は言って、足を向ける。親子は後ろについて行った。
カラタチの垣根が門柱を挟んでいる。門は、扉は無いが屋根付きの、少々古風な代物だ。
亘は門をくぐる前に、私道から公道へ出る方に目をやった。私道に入る手前で追い越した彼の養子が、プラスチックボックスを抱えてやって来るのが判る。
「千鶴子さん、敷石を辿れば玄関に着くから、行ってください」
老人が庭に手を向けると、千鶴子は示された方を見てから、とぼとぼと向かって来る少年に視線を移した。
「上げていただく前に、琇那君にもこの子達から御挨拶を――宜しいですか?」
亘は、あぁ、と嬉しそうに応じた。
「じゃあ、わたしは一足先に光乃に知らせてこよう。冷たい物を用意しておく」
千鶴子は微笑んで一礼した。
栩麗琇那は、当惑気味に門へ近づいた。
ちょっと前に、養父の一行は門前で立ち止まり、どうしたのか亘だけ家の方へ行った。千鶴子とその子供達はとどまっている。こちらを見て、待っている風情だ。
距離が縮まり、栩麗琇那はともかく礼を守って先に口を開いた。
「お久しぶりです」
「ホントに」
千鶴子は、変わらず活き活きとしていた。知らず目を細め、栩麗琇那は言った。
「遠路、お疲れでしょう。こんな所で、どうしたんですか」
「この子達が今日来れたのは、琇那君がお年賀をくれたお蔭だから」
存在を認めてくれる台詞に、栩麗琇那は胸がじんわりとした。
何やら、安堵してくる。不安定さに彷徨っていた足が、安住の地に届きそうな……そんな、感覚。
千鶴子は地面に荷物を下ろして腰を落とすと、二人の子供を包むように腕をまわした。
「琴巳と公士です」
姉弟の黒くて丸い瞳が、揃って見つめてくる。三人が並んだのを見ると、あぁ親子だな、と思えた。目元がそっくりだ。
「初めまして」
栩麗琇那が挨拶すると、姉の方が小さく口をもごもごさせた。意を決したように荷物を持ち直し、可愛らしい声を紡ぐ。
「こんにちは」
「こんにちはっ」
姉が言った途端に勇気が出たのか、弟も子供らしく通る声で追う。よくできました、と言いたげな表情を千鶴子は浮かべてから、見上げてきた。
「ね、琇那君、この二人の、お兄ちゃんになってくれるかなぁ」
「前から、兄弟、欲しかったんです」
それは故郷に居た頃からの本心だった。
良かった、と千鶴子は白い歯をこぼす。姉弟は、はにかんだ顔つきになった。
家から養父母が顔を見せ、栩麗琇那はそのままの位置から声をかけた。
「養母さん、植野さんからトウモロコシを貰ったよ」
「まぁまぁ、ついでに持って来てくれたの? どうもありがとう」
「琇那、水風呂の用意をしたから、さっぱりしなさい」
養母と養父に相次いでかけられた言葉に、少年は頷く。
「あ、ごめんね、琇那君、重い物持ってたのに引き止めちゃって」
立ち上がった千鶴子がすまなそうに言ったので、栩麗琇那は箱を掲げて見せた。
「大して重い物じゃありません」
わぁー、と琴巳と公士が歓声をあげる。光乃がぱちぱち手を叩き、千鶴子もノった。亘が複雑そうな顔で、その辺にしておきなさい、とストップをかける。
しまった、と栩麗琇那は内心で悪戯っぽく舌を出した。
九十五里駅で、栩麗琇那は亘と一緒に千鶴子を見送った。昼食を囲んだだけで、彼女はとんぼ返りに馬安へ戻って行く。
この時季、九十五里駅は白貝塚駅と雲泥の差の賑わいだった。海を目指す行楽客は、ローカルでマイナーな遺跡のある白貝塚には目もくれず、この駅で降り、この駅から帰って行くのだろう。
九十五里駅は急行も快速も停まるが、白貝塚駅にはどちらも停まらない。帰宅ラッシュの寸前で馬安に着く為には、快速に乗っておきたかった。
機械式の改札が並んだ脇で、千鶴子は子供達をどうぞ宜しくと頭を下げた。鷹揚に亘が応じると、千鶴子は栩麗琇那にも言った。
「お兄ちゃんも、宜しくね」
栩麗琇那は黙って頷く。当の姉弟は、庭で光乃と朝顔の置き場を物色している筈だ。
千鶴子は改札を通ると階段を降り、その颯爽とした姿は見えなくなった。
義理の親子はのんびりと踵を返し、自家用車に乗り込むと帰路につく。
駅前のロータリーを抜けて南に向かうと、道はみるみる空いていった。
軒を並べていた民宿や土産物店も姿を消し、民家もまばらになって、低い山嶺が見えてくる。山と呼ぶには低いが、さりとて丘とも言いがたい高さの峰は、九十五里駅近郊から広がる都会化の波を遮断している。
緑に囲まれた緩いカーブの上り坂が、繰り返し現れる。
ゆっくりハンドルをきりながら、養父が話しかけてきた。
「妹と弟が出来て、良かったな」
「お孫さんに会えて、良かったですね」
栩麗琇那が樹木の群れから隣に目を流すと、老人はちょっと笑っていた。
「孫に会えたと言うより、増えたって印象が強いんだ」
栩麗琇那は額を軽く指先で掻いた。
琴巳と公士が来ても、自分にはちゃんと加賀家に居場所があって、役割もある――
亘はギアを切り換えながら、言った。
「しばらく五人家族だな」
皇子は緑の切れ間に碧い海を見はるかし、自分は幸せだと気がついた。
「俺、五人家族なんて初めてだ」
「貴重な体験になるな」
白い乗用車は、夏の山林の合間を軽快に下って行った。




