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例えばこんな恋語り  作者: K+
3章 出会い(デアい)

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13/125

 関東地方は朝から各地で気温が上がっています、と〝お天気お姉さん〟が言っている。

 ここ一週間、絵日記の天気欄には〝はれ〟としか書いていない。

 九十五里(くじゅうごり)も晴れてるのかな、と小学四年生の琴巳(ことみ)は小首を傾げた。母に訊いてみようと思う。

 今日は、母が家に居る。朝御飯を食べてから仕事に出かけていない。本当は忙しいのに、仕事を休んでくれた。

 琴巳は〝お姉さん〟が映っているテレビを消すと、ぱたぱた階段を登った。登ってすぐの部屋をノックする。

 入ってー、と言う声にそっとドアを開けると、三面鏡の前に座っていた母が振り返った。

「ごめんねぇ。時間かかって」

 ううん、と琴巳は首を振る。母は綺麗に口紅を塗っているところだった。もう終わる段階だ。塗り終えてから質問しようか迷っていたら、母が弟のあだ名を口にした。「コウは?」

「朝顔のトコに居る」

 琴巳は、二つのお下げの片方をいじった。「どれを持ってくか、まだ悩んでるんだと思う」

 小学一年生の弟は、宿題で朝顔の観察をしている。五粒蒔いた種の内、三つ芽が出て育っている。

 母が可笑しそうに言った。

「全部持ってくとかゴウゴしてなかったっけ」

「運ぶの手伝わないからね、って言ったら諦めたみたい」

 ぷっと母は吹き出してから、肩をすくめた。

「わたしが車運転できたら、全部持ってけたんだけどね」

 琴巳は急いで言った。

「でもあたしね、三時間も電車乗るの初めてだから楽しみにしてるの」

「あ、そっかぁ。窓の所に座れるといいね」

 母は目を細め、紅筆を持ち直す。琴巳は、ようやく尋ねられた。

「あのねあのね、九十五里もお天気かなぁ」



 琴巳は〝九十五里〟という駅までの切符だと思っていたのに、母は五十円余計に払った。切符売場の上にある表を見上げると〝九十五里〟の隣の駅までの値段だ。

 途中まで快速電車に乗り、大きな駅で各駅停車に乗り換えた。

 乗り換えてから席が空いていなくて、三人共立っていた。

 しばらくして、お姉ちゃん、と横から弟が情けない声で呼んだ。

「朝顔、上げちゃ駄目なの?」

 網棚を見上げて、公士(こうし)が言う。琴巳はそっぽを向いて応えた。

「だぁめ。横にするしかないもの。土がこぼれちゃう。座ってる人に迷惑でしょ」

「う……重いの」

 琴巳は口をすぼめた。弟は出かける間際まで決めかねていたが、結局、一番育っていたのを選んだ。琴巳は、一番小さいのにしたら? と言ったのに。

「そんなでよく、全部持ってくとか言ってたよねー、コウの弱虫」

「だって全部ボクがお水あげてたんだもんっ」

「弱虫と何の関係があるんだろー?」

 言い合う二人の間に、母が入った。

「コウ、しょーがない、お母さんが持ってあげよー」

 わぁい、と公士が顔を輝かせ、琴巳は慌てて母を仰いだ。

「駄目っ、お母さん、いっぱい荷物持ってるのに。だったら、あたしが持つっ」

 かして、と琴巳は弟から素焼きの鉢を入れたレジ袋を取る。ビニールの持ち手が、ぎゅっと手に食い込んだ。あの小さい手でここまで提げていたのかと、少々驚いてしまう。公士は公士なりに懸命に持っていたのだ。

 母が、心配そうに見つめてきた。

「琴巳こそ、いっぱい荷物持ってるのに……」

 平気、と琴巳は頬にえくぼを作って応じた。既に宿題道具を入れたリュックを背負い、着替えの入ったバッグも提げていたから、実際はキツかった。が、本当に重いと判ってしまっては、母にも弟にも渡せない。

 下に置いてしまえれば楽だったろうが、車内は混んでいる。それに、床にはジュースか何かがこぼれた跡があり、ゴミも落ちていて汚い。

 席が空くまでの辛抱と、琴巳は必死に我慢した。

 気晴らしに見つめる窓外の景色は、徐々に緑が増えていった。鬱蒼と繁った木々が次々横手に流れ、田んぼや畑が登場し始める。

 田舎っぽさが濃くなってくると、乗客は減ってきた。やっと三人並んで席に座れて、琴巳はじんじんする手で弟の膝に朝顔を乗せた。

「後はちゃんと抱えてなさいよ?」

 こっくり頷いて鉢を抱き込んだ公士を、母が見据えた。

「コウ、言う機会を逃したら損するよ」

 公士はきょとんとする。琴巳も軽く瞬くと、母はこちらに目を流す。姉弟は合点した。少年が口を開く。

「持ってくれてありがと、お姉ちゃん」

「うん」

 頬に、今度は自然にえくぼが浮かんだ。

「あ、ほら、海だ」

 母が窓の外を指さした。深い深い青の色が、切れ切れに目に飛び込んでくる。

 姉弟は、わぁ、と揃って窓にへばりついた。

 母の声が、焦ったように言った。

「わ、こらこら、後ろ向いてもいいけど、先ず靴脱ぎなさい」


〔次は、九十五里ー、九十五里ー。お出口は左側に変わります〕

 車内にアナウンスが流れ、公士がこちらを見た。

「くじゅーごりーだ、お姉ちゃん」

「まだ降りないけど、そろそろお靴履いておく?」

 琴巳は屈んで、座席の下に揃えておいた靴に手をのばす。床に届かない足をぶらぶらさせて、公士は尋ねた。

「お母さん、くじゅーごりーに行くんじゃなかったの?」

 それは馬安(うまやす)駅でちょっぴり不安に思ったことだったので、琴巳は弟に靴を履かせながら聞き耳を立ててしまう。

『お祖父(じい)ちゃんとお祖母(ばあ)ちゃんがね、会いたいんだって』

 去年、母からそう言われた。

 最初、琴巳はよく解らなかった。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんというのは、友達にはいた。自分にはいないと思っていた。琴巳に会う前に死んでしまったと、思い込んでいた。

 生きていたらしい祖父母は、珍しい遊び場がたくさんある所に住んでいるという。

 行ってみない? と母は窺うように覗き込んできた。

 公士は喜んだ。

 琴巳は、ショックを受けた。

〝ヘンゼルとグレーテル〟に、そっくりだったから。暮らしが大変になって、両親に森に置き去りにされてしまう兄と妹に――

「もう九十五里に来てるんだよ?」

 母が笑みを含んだ声で言った。「コウ達が住んでる所はぁ、馬安って呼ばれてる広い所の、美羽馬(みはま)って地区でしょ。お祖父ちゃん達が住んでる所はぁ――」

「くじゅーごりーって広い所の、どっかの地区なんだ!」

 途中で、公士が甲高い声をあげる。

「お、解ってるじゃないか、コーシ君」

 母が弟の頭をくしゃくしゃかき回す。

 琴巳は、ホッとしていた。


 九十五里駅を過ぎ、次の〝白貝塚(しろかいづか)〟という駅で三人は電車を降りた。

 クーラーの効いていた車内との温度差に、琴巳はややの間、立ち尽くす。

 周りの木立で、蝉がとても大きな声で鳴いている。ジィーッと云っているのは馬安でもよく聞くけれど、ミーンミーンと云うのは滅多に聞く機会がなかった。それがここでは盛大に合唱している。

 一つ前の九十五里駅は都会風だったが、ここは小さかった。ホームは狭くて短いし、売店も自動販売機も無い。汚れた駅名の看板が、端寄りにぽつんと立っているだけだ。

 降りたのは琴巳達だけで、トトントトン、と軽い音をたてて電車が行ってしまうと、辺りは蝉の声だけになってしまった。

 小屋みたいな所の方へ母が向かい、琴巳も後を追った。待ってぇ、と公士が言って、慌てて振り返る。彼は、しょっちゅう転ぶのだ。

「待ってるから、気をつけて。コウが転んだら、朝顔も転んじゃうんだからね」

 琴巳は声をかけてから、急いで母へ目を走らせる。母は数歩先で立ち止まり、こちらを見ていた。琴巳は安心して、弟が追いつくと横に並んで歩き出す。

「お祖父ちゃん、迎えに来てくれてるよ」

 母は少し早口に言うと、小屋への短い階段を降りた。降りた所に改札があったが、機械ではなく、駅員も居ない。駅員が居るべき場所に、大きな箱だけが在った。母は、それに三人分の切符を入れる。ポストのような感じだった。

 切符を投函した母が改札を通り、琴巳は弟を先に促しつつ首を傾げる。ここでは、タダで電車に乗れるんだろうか。

 改札を出てすぐ左手は、小ぢんまりとした待合室らしかった。煤けた木のベンチと、灰皿と、壁に時計が掛かっている。それしかない。誰も居ない。

 時計は十二時過ぎを指していた。八時半に家を出たから、本当に、たっぷり三時間かかったわけだ。

 母は、待合室の前を横切り、かんかんに照っている所に出た。琴巳もかぶっていた麦わら帽子をちょっと手で押さえてから、日向に出る。

 待合室の横手、僅かな木陰に、エンジンのかかった白い乗用車が停まっていた。

 さっと運転席のドアが開き、灰色の髪の男の人が降りて来た。すぐに、母が頭を下げた。

「御無沙汰してました」

 見かけの印象より張りのある低い声が、応じた。

「遠いとこまで、この暑い中、よく来てくれた」

 母は微笑んで、琴巳と公士を僅かに押し出した。

「お祖父ちゃんよ」

 琴巳は上目づかい気味に見上げ、荷物の持ち手を握り締めた。

「こんにちは」

 ふっと、老人は優しく目を細めた。腰を屈め、こんにちは、と応じてくれる。

 琴巳が挨拶できると、その背後に半ば隠れていた公士も真似をした。祖父は、弟にも丁寧に応じてから、身を起こした。

「それじゃ、お祖母ちゃんが今か今かと待ってるから行こうか。今エンジンをかけたんで、あんまり涼しくないがね」

 祖父は車の背後に手をかけつつ言った。「荷物はここと――助手席がいいかな。千鶴子(ちづこ)さん、後ろに三人で座るかね?」

 そうですね、と母が応じると、祖父はトランクを開けた。琴巳達が持っていた荷物を入れていく。公士の朝顔だけは、持って乗り込むことになった。

 公士が乗って、母が続き、琴巳が最後にシートに座った。勢いをつけて閉めておくれ、と祖父に言われ、その通りにドアを閉める。閉めたが、勢いが足りなかった。もう一度やると、閉まった。

「琴巳も、あまり乗り慣れてないんだな」

 シートベルトを嵌めながら、祖父が軽く笑った。「みんな、気分が悪くなってきたら、すぐ言いなさい」

 三人が頷くと、祖父は車を動かし始めた。先ずは、ゆっくりバックする。

 ハンドルに手をかけ、ちらちら後ろを見ながら、祖父は続けて言った。

「まぁ、多分、大丈夫だろうがな。琇那(しゅうな)のお蔭で、酔いにくい運転のコツを掴んだんだよ」

「琇那君、体力ついてきたそうですけど……」

 母は言いながら、祖父のように背後を見やった。オーライです、と声をかける。

「おぉ、了解了解」

 祖父は左手でハンドル以外のバーを操作する。車は走り出した。走り出すと、祖父は母が言いかけた話を続けた。「今年辺りから酔わなくなったんだ。わたしの運転の腕が上がったのか、あの子が強くなったのか、微妙なんだがね」

「こういう場合は両方ですね」

 母が楽しそうに言うと、老人は短く笑った。

「酔わなくなったし、本当は一緒に来たかったんだよ。だが、今日は中学校が登校日でね。こっちの時間までに終わらなかったみたいだ。着く頃には、帰って来てると思うが」

 両脇に林が続くさほど広くない道は、他に車の姿が無い。濃い緑の間を滑るように進む車の中で、琴巳は今年、年賀状をくれた男の子を思い出していた。

 彼が、この九十五里に誘ってくれたのだ。

 彼は〝ヘンゼルとグレーテル〟を別の物語に変えてしまった。

 琴巳は、賀状に書いてあった文をはっきり覚えている。

【――二人だけで来て帰るのは大変です。でも、お母さんに連れて来てもらって、連れて帰ってもらえば安心です。お願いしてみて下さい】

〝加賀琇那〟という差出人の所を指して、お祖父ちゃん? と琴巳が尋ねると、母は、あはは、と笑った。

『琴巳より三つ上のお兄ちゃんだよ』

 えっ、と琴巳は目を丸くした。弟に世話を焼かされていたから、琴巳は常々、姉か兄が欲しかった。どちらかと言えば、祖父母よりそっち。

『あたしにはお兄ちゃんもいたの!?』

『あぁ、えっとねー、親戚のお兄ちゃん、ってヤツ』

 母は、考え考えという感で説明してくれた。琇那は父親だけでなく母親も亡くなってしまった事。琴巳達の祖父母は彼とは赤の他人だけれど、親代わりになって引き取った事。そういう子は、養子、というらしい。

 琴巳の隣で聞いていた公士が、訊いた。

『どっちも偽物なんだ?』

『うーんとね……そう見えて、でも、本物なの』

 母は謎々のように言った。『お祖父ちゃん達は琇那君が可愛くて大事だし、琇那君もお祖父ちゃん達をお父さんやお母さんと思ってる。コウ達が、わたしのトコに、お母さん、って来てくれるのと気持ちは同じ』

『お母さん、ボク、可愛くて大事?』

 公士がストレートに問うと、母は二人いっぺんに抱き込んでくれた。

『うふふー。あったり前じゃないの』

 琴巳は母の腕の中で、その時、祖父母に会う決心がついたのだ。

 その後、春に、弟は祖父母からぴかぴかのランドセルを貰った。

 ちゃんとお礼の手紙を出すのよ? と母に言われ、文章を考えたのは琴巳である。公士は、分かんないよぅ、と泣きべそをかいて、琴巳の書いてみた手本を清書しただけだ。

 数日後に、お葉書ありがとう、と公士宛に祖父母から葉書が届き、琴巳は何だかすっきりしない気分だった。

 しばらく過ぎて、琴巳は母から使いを頼まれた。〝琇那君へのお祝いに、一万円の図書カード〟。

 又も、琴巳はもやもやした心地になった。それでも、言われた通りに使いを果たす。果たせば、母が、ありがと、と嬉しそうに言ってくれるから。

 やっぱり数日後に、礼を綴った葉書が来た。差出人は〝加賀琇那〟で、〝加賀千鶴子様〟宛。何故か横に〝琴巳様〟とも書いてあった。

 何やら、無性に嬉しかった。

 忙しい母の隙を見つけ、琴巳は何とか〝九十五里のお兄ちゃん〟のことを少し聞き出した。

『かーなりかっこいいお兄ちゃんだから、期待するベシ』

「お、琇那だ」

 祖父の声で、琴巳は我に返った。低声を更に低め、老人は呟くように祖母の名を口にした。「又、光乃の奴、あんな……」

 琴巳は目をくりくり動かし、窓の外に〝かーなりかっこいいお兄ちゃん〟を捜した。琴巳の座っていた左側の窓からは、木ばかりで人の姿が見当たらない。

 母が、少々驚いた口調で言った。

「あれ、ラムネでしょうか」

「あぁ。みんなで飲もうと光乃(みつの)が言い出して……わたしが車で買いに行くつもりだったのに」

 祖父は言いながら、車のスピードを徐々に落とした。琴巳は、右手――母と弟越しに、脇で止まった大きな箱らしき物と白い腕を見いだした。

 微かな機械音がして、涼しくなっていた車内に熱気が舞い込んだ。祖父が運転席の窓を下ろしたようだ。

「琇那、トランクに余裕があるから、入れて、乗りなさい」

「もう門が見えてるのに」

 男の子だと思えないほど綺麗な声が、笑みを含んで響いた。「俺が乗ったら汗臭くなります。行ってください」

「あぁ……まぁ、仕方無い」

 歯切れの悪い言い方をして、祖父は渋々という感じで車を出した。琴巳は振り返り、後ろの窓から見やった。黒いズボンを履いた小柄な姿が、遠ざかる。顔はいま一つ判別できない。頭が、薄茶色だった。染めているのだろうか。

 琴巳と同じように顔を向けていた公士が、高い声で訊いた。

「お兄ちゃんて、外人?」

 いや、と祖父が前を向いたまま答えた。

「日本人だが、あの子は生まれつき、髪や眼の色が薄めなんだよ」

「相変わらず華奢だったけど、流石に男の子ですねぇ。中学生ともなると力持ちだわぁ」

 母が感心したように言うと、バックミラーに映っていた祖父は苦笑いした。

「光乃が褒め上げるもんだから、琇那は何でもかんでも重い物を引き受ける。程々にしなさいと言っているのに、若いからか、加減が掴みきれていないらしい。困ったもんだ」

「まぁ。でも、頼もしいですね」

 大人達の会話を聞きながら、琴巳はもう一度振り向いた。小さくなっていた姿は、もはや、足の生えた箱が動いているようにしか見えなかった。



 加賀家の駐車場は、家と庭を囲んだ垣根の外にある。五台ほど置けるスペースがあったが、所有している車は一台きりだ。

 駐車場の中央に、白い車は停まった。

 運転席のドアが開き、老人が降りる。続いて後部のドアが左右とも開いて、琴巳、公士、最後に千鶴子が出て来た。その間に、亘はトランクに回り込み、そちらを開く。

 駅に着いた時に持っていた荷物をそれぞれが受け取ると、(わたる)はドアに鍵をかけた。

「入口は、さっき通り過ぎた所だ」

 老人は言って、足を向ける。親子は後ろについて行った。

 カラタチの垣根が門柱を挟んでいる。門は、扉は無いが屋根付きの、少々古風な代物だ。

 亘は門をくぐる前に、私道から公道へ出る方に目をやった。私道に入る手前で追い越した彼の養子が、プラスチックボックスを抱えてやって来るのが判る。

「千鶴子さん、敷石を辿れば玄関に着くから、行ってください」

 老人が庭に手を向けると、千鶴子は示された方を見てから、とぼとぼと向かって来る少年に視線を移した。

「上げていただく前に、琇那君にもこの子達から御挨拶を――宜しいですか?」

 亘は、あぁ、と嬉しそうに応じた。

「じゃあ、わたしは一足先に光乃に知らせてこよう。冷たい物を用意しておく」

 千鶴子は微笑んで一礼した。


 栩麗琇那は、当惑気味に門へ近づいた。

 ちょっと前に、養父の一行は門前で立ち止まり、どうしたのか亘だけ家の方へ行った。千鶴子とその子供達はとどまっている。こちらを見て、待っている風情だ。

 距離が縮まり、栩麗琇那はともかく礼を守って先に口を開いた。

「お久しぶりです」

「ホントに」

 千鶴子は、変わらず活き活きとしていた。知らず目を細め、栩麗琇那は言った。

「遠路、お疲れでしょう。こんな所で、どうしたんですか」

「この子達が今日来れたのは、琇那君がお年賀をくれたお蔭だから」

 存在を認めてくれる台詞に、栩麗琇那は胸がじんわりとした。

 何やら、安堵してくる。不安定さに彷徨っていた足が、安住の地に届きそうな……そんな、感覚。

 千鶴子は地面に荷物を下ろして腰を落とすと、二人の子供を包むように腕をまわした。

「琴巳と公士です」

 姉弟の黒くて丸い瞳が、揃って見つめてくる。三人が並んだのを見ると、あぁ親子だな、と思えた。目元がそっくりだ。

「初めまして」

 栩麗琇那が挨拶すると、姉の方が小さく口をもごもごさせた。意を決したように荷物を持ち直し、可愛らしい声を紡ぐ。

「こんにちは」

「こんにちはっ」

 姉が言った途端に勇気が出たのか、弟も子供らしく通る声で追う。よくできました、と言いたげな表情を千鶴子は浮かべてから、見上げてきた。

「ね、琇那君、この二人の、お兄ちゃんになってくれるかなぁ」

「前から、兄弟、欲しかったんです」

 それは故郷に居た頃からの本心だった。

 良かった、と千鶴子は白い歯をこぼす。姉弟は、はにかんだ顔つきになった。

 家から養父母が顔を見せ、栩麗琇那はそのままの位置から声をかけた。

養母(かあ)さん、植野さんからトウモロコシを貰ったよ」

「まぁまぁ、ついでに持って来てくれたの? どうもありがとう」

「琇那、水風呂の用意をしたから、さっぱりしなさい」

 養母と養父に相次いでかけられた言葉に、少年は頷く。

「あ、ごめんね、琇那君、重い物持ってたのに引き止めちゃって」

 立ち上がった千鶴子がすまなそうに言ったので、栩麗琇那は箱を掲げて見せた。

「大して重い物じゃありません」

 わぁー、と琴巳と公士が歓声をあげる。光乃がぱちぱち手を叩き、千鶴子もノった。亘が複雑そうな顔で、その辺にしておきなさい、とストップをかける。

 しまった、と栩麗琇那は内心で悪戯っぽく舌を出した。



 九十五里駅で、栩麗琇那は亘と一緒に千鶴子を見送った。昼食を囲んだだけで、彼女はとんぼ返りに馬安へ戻って行く。

 この時季、九十五里駅は白貝塚駅と雲泥の差の賑わいだった。海を目指す行楽客は、ローカルでマイナーな遺跡のある白貝塚には目もくれず、この駅で降り、この駅から帰って行くのだろう。

 九十五里駅は急行も快速も停まるが、白貝塚駅にはどちらも停まらない。帰宅ラッシュの寸前で馬安に着く為には、快速に乗っておきたかった。

 機械式の改札が並んだ脇で、千鶴子は子供達をどうぞ宜しくと頭を下げた。鷹揚に亘が応じると、千鶴子は栩麗琇那にも言った。

「お兄ちゃんも、宜しくね」

 栩麗琇那は黙って頷く。当の姉弟は、庭で光乃と朝顔の置き場を物色している筈だ。

 千鶴子は改札を通ると階段を降り、その颯爽とした姿は見えなくなった。

 義理の親子はのんびりと踵を返し、自家用車に乗り込むと帰路につく。

 駅前のロータリーを抜けて南に向かうと、道はみるみる()いていった。

 軒を並べていた民宿や土産物店も姿を消し、民家もまばらになって、低い山嶺が見えてくる。山と呼ぶには低いが、さりとて丘とも言いがたい高さの峰は、九十五里駅近郊から広がる都会化の波を遮断している。

 緑に囲まれた緩いカーブの上り坂が、繰り返し現れる。

 ゆっくりハンドルをきりながら、養父が話しかけてきた。

「妹と弟が出来て、良かったな」

「お孫さんに会えて、良かったですね」

 栩麗琇那が樹木の群れから隣に目を流すと、老人はちょっと笑っていた。

「孫に会えたと言うより、増えたって印象が強いんだ」

 栩麗琇那は額を軽く指先で掻いた。

 琴巳と公士が来ても、自分にはちゃんと加賀家に居場所があって、役割もある――

 亘はギアを切り換えながら、言った。

「しばらく五人家族だな」

 皇子(みこ)は緑の切れ間に碧い海を見はるかし、自分は幸せだと気がついた。

「俺、五人家族なんて初めてだ」

「貴重な体験になるな」

 白い乗用車は、夏の山林の合間を軽快に下って行った。

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