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入学式を前日に控えた四月七日、栩麗琇那は初めて、シェリフ以外から手紙を貰った。しかも葉書ではなく、封書。
裏側に〝加賀千鶴子〟と差出人の名前が書いてあった。住所は馬安市美羽馬。栩麗琇那が住んでいる山部郡九十五里町とは同じ千葉県内だったが、馬安は県の西端で、九十五里は東端である。
栩麗琇那は、一度だけ千鶴子に会っている。去年の春のことだ。
本当は、養父母の懇願が実を結んで、一昨年の暮れに会っている筈だった。
それが実現しなかったのは、他でもない養子の所為だ。栩麗琇那はその年、九月から結界を弱めた日常生活を試みていた。弱めただけでも、体にはかなりの負担がかかっていたらしい。事もあろうに約束の前日になって、音を上げた。酷く高い熱が出て、寝込まざるを得なくなくなったのだ。
あの時ばかりは、ルウの皇子も養父母に涙声で謝った。夫妻は表には落胆を見せずに、気にしないで体を休ませてやれと言ってくれた。
両親は許してくれても、栩麗琇那は自分の不甲斐なさが許せなかった。
対面できた筈の午後、熱に喘ぎながら、こっそり千鶴子に電話した。時間を作ってくれたのにすみません、と。
彼女は養子の存在に半信半疑だったようだが、その電話で信じる気になったらしい。翌日、向こうから、入学式シーズンが終わったら時間を作れるのでお会いしませんか、と連絡してきてくれた。
そうして去年、栩麗琇那は養父母と一緒に馬安へ出かけた。
電車という大きな乗り物で、三時間もかかった。断続的な揺れと籠もった空気で具合が悪くなってしまったが、我慢して何とか辿り着けた。
馬安は、九十五里よりずっと都会だった。
たくさんの様々な建物が立ち並ぶ中、と或る喫茶店で未亡人と会った。
千鶴子は、地味な服装だったが、活き活きとした黒髪黒眼で、若々しい雰囲気の女性だった。伴侶を早くに亡くして打ちひしがれているというより、くよくよしていられないと立ち向かう気概を感じた。
彼女は、元の世界では〝髪結い〟に当たる〝美容院〟を経営して、弟子が二人居るそうだ。店の営業と弟子の指導とで、私有時間が僅かなのだった。
千鶴子とは、栩麗琇那だけが初対面ではなかった。雅士の葬儀に参列できず、養父母も初めて会うとのことだった。
光乃は、喫茶店の片隅で立ち上がった女性を見て、目を潤ませた。
『貴女が……』
亘が、深々と頭を下げた。
『雅士が世話になった』
千鶴子はふるふるっと首を振った。
『わたしの方が、雅士サンにお世話になったんです』
何でも、千鶴子は雅士に会った頃、少々荒れていたらしい。高等学校をひと月で中退した後、定職に就かずふらふらしていた。そんな或る日に出会ったのが、ごくごく普通の公務員をしていた雅士だったという。
雅士が千鶴子をどうやって立ち直らせたのかは、栩麗琇那は知らない。が、彼女は水商売をしながら通信を使って高卒の学歴を取得、仕事を辞めて雅士と結婚した。
結婚後は、それまでに貯めた金で美容院の専門学校に通い出した。雅士に無心しなかった点が偉いと栩麗琇那は思ったが、当時の亘や光乃は前歴がとにかく気に入らなかったようである。
激昂した亘は、息子に勘当を言い渡した。数年後に初孫、更に経てもう一人生まれたと知らせてきた時、光乃はすっかり気持ちが傾いた。
だが、亘は無視し続けた。二人目の知らせと同時に、千鶴子が美容師として独り立ちしたことも伝えてきたそうだ。しかし、怒りの治まらない亘はこれも聞き流した。
それで、とうとう雅士の方が絶縁を決意してしまった。連絡を取り合わないまま、数年が過ぎ……
悲しいかな、亘がようやく耳を傾けたのは、雅士の死の知らせとなってしまった。
喫茶店で後悔を語り合っても仕方無く、一同は席に着いた。
千鶴子は、座るなり栩麗琇那に言った。
『去年、お電話ありがとう』
え? という顔を亘と光乃がして、千鶴子は年末の経緯を話した。まぁ、と言うなり、光乃は結界も気にせずに栩麗琇那の頭に頬を寄せてきた。亘が、しみじみした口調で言った。
『ありがとう、琇那』
栩麗琇那は慌てて結界を解くのが精一杯の反応で、頷くしかできない。光乃が、ごめんなさい、と急いで離れ、千鶴子はちょっとだけ不思議そうな顔で親子を見た。まさか少年が息を止めてこらえていたとは、思う筈もない。
ウエイトレスが注文品を運んで来てからは、完全に大人の間で話が交わされた。
皇子は端っこで、養母が勧めたフルーツパフェというのを食べていた。この世界に来た当初は何を食べても味気無かったが、味覚も段々と水準が合ってきて、果物とシャーベットが幾つか盛りつけられたパフェは結構美味しかった。
さておき、食べることに夢中だったわけではない。脇でなされている会話を、きちんと聞いていた。
養父母の願いは、いつでもいいので二人の孫と面会することだった。千鶴子は、呆気なく承諾した。どうやらやっと、彼等はお互いを認めたようだった。
ただ、些少の難点があった。大人達はそうして納得したからいいけれど、当の子供が同意するかが判らない。
千鶴子の両親は、彼女の結婚前に他界していた。子供には、生まれた時点で父方の祖父母しかいなかったことになる。
雅士は、一切祖父母のことを話さなかったようだ。結果、子供達は、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんはいない、と思い込んでいるらしい。
そんな事情があるから、急に誕生した祖父母を、受け入れてくれるかどうかが微妙なのだ。
『とにかく、話してみます』
千鶴子がそう言って、その時の会談は終わった。
その後、ゴールデンウイークに会ってみないか、夏休みはどうだと千鶴子は持ちかけたが、子供達はいずれも拒否した。〝達〟というのは多少語弊があり、下の六歳になる少年は、九歳になる姉が怯えている姿に触発されて嫌がったという。
千鶴子の語るところによると、長女は、普段はとてもしっかりした子、なのだそうだ。亘と光乃は、何故彼女が怖がるのかに首を傾げ、がっかりしていた。
栩麗琇那は、何となく解っていた。
長女は、父親が亡くなった事、母親が忙しい事、どちらも理解している。もしかすると、自分達が居なくなれば、母が時間的な余裕を得られることも気づいている。
ラル家の皇子は、母を失い父が多忙という似たような状況下で、自分が足手まといだと気づいていた。
だからこそ、帝王学に励んだ。それなのに、父は泰佐を養育係とした。疎まれたのかと気落ちした。父にそんな想いは無く、自分が構ってやれない代わりに、側役として泰佐を付けたのだ。それが解ったのは、少ししてからだ。
コトミという名前の長女は、母が大事で大好きなのだろう。
結局、年末の機会も断られ、一年間フられ続けた老夫妻は気落ちを隠せなかった。電話で告げてきた千鶴子も、流石に申し訳無いと思ったのか、寝てる隙に連れて行きましょうかと言い出したようだ。寝てる隙か、と養父が力無く繰り返したのを聞いて、栩麗琇那はとうとう口を挟んだ。
『俺が手紙を書いてみていいですか。子供には子供が説得した方がいいかもしれない』
電話口から、そうかもしれない、と千鶴子の声が聞こえた。亘も頷き、栩麗琇那は早速、義理の親戚姉弟に年賀状を書いた。
【今年は家に来ませんか。九十五里は馬安からは遠いので、二人だけで来て帰るのは大変です。でも、お母さんに連れて来てもらって、連れて帰ってもらえば安心です。お願いしてみて下さい】
年明け、親子三人で書いた年賀状が来た。
【お休みに、お母さんと、あそびに行きます。どうぞ、よろしく。 琴巳 公士】
一所懸命丁寧に書いたような子供らしい字と、日頃から字を書いているのか、手慣れた筆が並んでいた。
【都合の良い日を御連絡下さい。 千鶴子】
養父が養母の手を取って小躍りを始め、養母に手を取られて栩麗琇那も何だか踊ってしまった。踊って幕を開けたのが、今年である。
それから何度か電話で相談し、養父母は夏休みの一時期、二人の孫をあずかることになった。
自然が多く残っている九十五里で、めいいっぱい遊ばせてほしいと千鶴子は願ったそうだ。
夏までは、四ヵ月以上ある。
栩麗琇那は自分宛に来た手紙を、封を切らずに矯めつ眇めつしていた。こんな時期に、亘や光乃ではなく、一介の養子に何の便りだろう。
郵便受けからその書簡を取って来た光乃は、傍で小首を傾げた。
「上の方を鋏で切ればいいのよ? 中にお手紙が入ってるの」
同じく傍で夕刊を広げていた亘が、呆れたように言う。
「そんなことぐらい、知ってるだろう」
「あ、えぇ」
栩麗琇那は額を指先で掻き、封書をテーブルに置いた。鋏を取りに立つ。「何だろう」
両親は解答をくれない。封が開いていないのだから、当たり前だ。
トントンと軽く封筒を立ててから、栩麗琇那は上部を開封した。花模様が印刷された便箋が二枚と、名刺大の小さい封筒が入っていた。
「〝祝・御入学〟――」
無意識に、栩麗琇那は文面を声に出して読んでいた。「〝たくさんのステキな本に出会えますように。わたしが時間が無くて困っていたら、琴巳が買ってきてくれました。今年の夏に、会ってやってちょうだいネ〟」
まぁ、と光乃が嬉しそうに両手を合わせる。栩麗琇那は、困惑した。
今年、公士は小学校に入学するという。亘は先日、学習机かランドセルをお祝いに贈らせてくれないかと千鶴子に電話し、黒光りした丸っこい鞄を買った。〝ステキな本〟をたくさん入れられそうで、小さな子が背負うと似合うように思えた。
栩麗琇那はしかしもう、それほど年少ではない。ランドセルは、あまり似合いそうにない。
小ぶりの封筒を手にして、栩麗琇那は問うた。
「これ、ランドセルの引替券……?」
がさっと亘が新聞を持ち上げた。顔を隠したそれが、小刻みに震えている。笑っている。
光乃は頬に手をあてた。
「シュウ君、ランドセル欲しいの? 残念ねぇ、中学生は他の鞄なのよ」
尋ねるより見た方が早かったと悟り、封筒の中身を取り出した。薄いカードに〝図書カード〟と印刷されていた。
「本と取り替えてくれるんですか」
「そこに数字が書いてあるでしょ。幾ら分かしら」
〝1〟の後に〝0〟が四つも付いていた。
栩麗琇那は、琴巳と公士に、面白かった児童文学でも買ってあげようかと思った。




