おもてなし
ひのきヶ丘の夜は、静寂そのものだった。
だが、その静寂は今や、薄氷の上に成り立つ危うい均衡に過ぎない。鷺ノ宮満里奈は、自宅の自室でベッドに寝転びながら、手元のスマートフォンの画面をじっと見つめていた。
画面には、天文学的な数字の羅列と、観測された宇宙の深淵に蠢く無数の光点が映し出されている。
SNSサイトでは宇宙人の話題がトレンドとなり、ニュースでも連日トップ扱いで報道されている。
かつて、凄惨な交通事故で死の淵を彷徨った彼女を救ったのは、銀河の彼方から来た皇女オルガの「スペシャル・ヒーリング」だった。
それ以来、満里奈の身体には、単なる人間を超越した「奇跡の不死身系タヌキ」とも称される強靭なバイタリティが宿っている。そして同時に、彼女はこの地球という惑星の文化をオルガに教える「センセー」としての役割を担うことになったのだ。
満里奈は通話ボタンを押し、スピーカーモードに切り替えた。
「……で、実際のところどうなのよ、オルガ。その十万隻の『観光客』たち。まだ冥王星あたりにいるんでしょ? でも、そんな大艦隊が月の軌道まで入ってきたら、さすがに地球の軍隊も黙ってないわよ。下手をすれば、挨拶代わりに核ミサイルの雨を降らせるかも…」
スピーカーから、オルガの低く、どこか超然とした声が返ってくる。
『……ドウシマシタも、彼らはワタシの部下デス。規律には死よりも厳しいですが、今は観光の許可を今か今かと待っている忠実な猟犬たちデスヨ。ですが、確かに問題はありマス。彼らの『期待という名の重圧』は、すでに精神的な質量を伴って地球の磁場を狂わせかねないレベルに達していマス。……先ほど、旗艦ペルセフォネ・デルタから、兵士たちが地球の音楽番組を傍受して熱狂のあまり小規模な暴動を起こしたという報告が入りマシタ』
満里奈「あの巨人族かよ…」
オルガの声には、珍しく微かな疲労の色が混じっていた。
ノースライビア帝国宇宙軍・第四艦隊。全銀河を震え上がらせる「無敵の軍隊」が、今や地球のポップスやアニメソングを聴いて狂喜乱舞する「史上最強の観光団体」と化している。その矛盾が、現場の指揮を執るオルガにとっても計算外の負荷となっているようだった。
「……音楽、ね」
満里奈は窓の外、月明かりに照らされたひのきヶ丘の街並みを見つめた。
この平和な日常、吹奏楽部の部室で鳴り響く不器用な楽器の音、商店街の喧騒。それらすべてが、あと数日、あるいは数時間で消えてなくなるかもしれない。十万隻の宇宙戦艦が空を埋め尽くせば、それはもはや「観光」ではなく「侵略」の風景だ。
(……でも、あいつらが求めてるのが『文化』だって言うなら、やりようはあるはず……)
満里奈の中で、ある「おもてなし」の構想が形を結び始めた。それは、常識的に考えれば狂気の沙汰だったが、彼女の野生の直感は、それが唯一の防衛線になると告げていた。
「ねえ、オルガ。歓迎してあげたらどうかな」
『……カンゲイ、デスか?』
「そう。いきなり宇宙人が大勢降りてきたら世界がパニックだけど、まずは代表者だけでも招待してさ。私たちの部活……吹奏楽部で、コンサートを開いてあげるのよ。地球の文化でおもてなしするの」
『!?』
スマートフォンの向こうで、オルガの絶句する気配が伝わってきた……数秒の沈黙……。
彼女の脳内で満里奈の提案を文字通り一億回以上のパターンでシミュレーションしたであろう時間が流れる。
『センセー……自分が何を言っているのか理解していマスカ? 相手は銀河の半分を版図に収める軍隊の最高幹部たちデスヨ。次期総司令官候補であり、数多の星系を落としてきたあのゼノ提督を、ひのきヶ丘中学吹奏楽部の……あのお世辞にも完璧とは言えない演奏で満足させようというノデスカ?』
「満足させるのよ。音楽は宇宙共通の言語だって、誰かが言ってたし! そもそも、彼らが求めているのは『完璧な文化』じゃないはずよ。音であれば、自分たちの知らない星で、自分たちの知らない命が鳴らす『生きた音』でしょう? 戦うより、一緒に音楽を楽しんだ方が、結果的に地球へのダメージも少ないわ。……あいつら、地球の文化に飢えてるんでしょ?」
満里奈の言葉は、熱を帯びていた。
彼女はただの女子中学生ではない。死を乗り越え、宇宙の皇女と対等に渡り合う覚悟を持った、この星の
「おもてなし」
担当なのだ。
『……確かに、ゼノ提督は帝国でも指折りの地球音楽コレクターデス。彼にとって、地球の生演奏を聴くことは、神話の黄金郷に足を踏み入れるのに等しい価値があるでしょうネ。……もし彼が満足すれば、感動のあまり全艦隊を武装解除させ、観光ビザの発給を待つ大人しい羊に変えてしまうことさえ、計算上は可能デス。アイツならやりかねん…』
オルガの声に、冷徹な分析が戻ってくる。だが、そこには満里奈の無謀さを面白がるような、僅かな好奇心も混じっていた。
『しかし、ジャンルはどうしマス? 提督たちの好みは多岐にわたりマスヨ』
「クラシックで格調高く始めて、アニソンで情熱を灯す。Jポップで今の地球を感じさせて、オリジナル曲で私たちの個性をぶつけるの。……そして、締めはこれよ」
満里奈は自分の机に置いてあった「ある経典」を手に取った。
「『般若心経』をポップにアレンジして吹奏楽で演奏するの。宇宙の真理を突くリズム。これなら銀河の提督たちにも響くはずよ」
『……アンタ正気か!?』
「正気だよバーロー!」
『……般若心経、デスか。ソレハまた、銀河帝国軍のド肝を抜くチョイスデスネ。ですが、センセーのその『根拠のない自信』、ワタシは嫌いじゃありマセン。お◯゛◯も成層圏を突き抜けると、ある意味才能デスネ。ココココ♪』
「覚えてろよ、コノヤロー♫」
オルガは、脳内でゼノ提督の表情を予測した。
おそらく、彼は泣いて喜ぶだろう。武骨な名将が、中学生の演奏する般若心経で涙を流す光景。それは帝国軍の威信としては致命的かもしれないが、地球とノースライビアの平和にとっては、核抑止力以上の価値を持つはずだ。
『ヨシ、採用しマショウ。……ただし、これは極秘任務デス。柊会長の権力を用いて、学校のコンサートホールを『国家間密約に基づく聖域』として確保し、外部の干渉を一切遮断しマス。吹奏楽部のメンバーには、あくまで『外国のVIPを招いた親善演奏会』として話を通すヨウニ会長には伝えておきまショウ』
「了解! さすが話が早いわね、オルガ。……よし、そうと決まれば明日から猛練習よ。一見先輩に話をつけなきゃ。これ、少し前にイベントで使った曲だから他の曲と一緒にすればすぐに演奏できるから問題無しと…」
『健闘を祈りマス、センセー。……ワタシも、提督に連絡を入れマショウ。彼が狂喜のあまり旗艦のエンジンを暴走させないことを祈るばかりデス』
通話が切れた後、満里奈は夜空に向かって大きく伸びをした。
十万隻の巨影。期待と狂気に満ちた宇宙の軍勢。それらすべてを「おもてなし」で屈服させるという、前代未聞のコンサート。
「……やってやろうじゃないの。地球の音楽、なめないでよね」
月明かりの下、満里奈の瞳が不敵に輝いた。
作者「…エヴァ新作製作進行中らしいけど、ちと気になることがあるんですよ満里奈さん…」
満里奈「なになに?どうしたの?」
作者「……予告動画に朽ちたピアノやバイオリン、石造りのコンサート会場ありましたよね。」
満里奈「うん。あったあった……あ…………ジークアクス…………」(^_^;)
作者「その通り」(^_^;)




