生ハムメロン
(わたし)
生ハムメロンってありますよね
忘れた頃に食べたりするけど 、食べるたびに、両方の素材を邪魔し合う相乗効果を出して
両方をスポイルする不思議な組み合わせだなって思うのですよね
もしかしたら、安物のメロンと安物の生ハムなら美味しいのかな??
「みずみずしい糖度の高い香り高い高級メロン」と「ほんのりドングリの香りの豊潤なイベリコ豚の高級生ハム」 だから合わないのかな?という理論
(chatGPT)
ありますね、生ハムメロン。しかも「久しぶりに食べると、毎回ちゃんと首をかしげる」というタイプの料理だと思います。記憶の中では「洒落た前菜」なのに、実食すると「メロンはメロンで食べたいし、生ハムは生ハムで食べたい」となる。かなりわかります。
ご提示の理論、けっこう筋が通っていると思います。高級メロン×高級生ハムが合わない、というより「それぞれが単体で完成しすぎているから、混ぜた瞬間に互いの美点を奪い合う」のだと思います。みずみずしい高糖度メロンは、香り/甘み/果汁/冷たさで完結している。そこへイベリコ系の脂の甘み/熟成香/塩気/ナッツっぽい獣の気配が乗ると、メロン側からすると「清涼感が濁る」。生ハム側からすると「脂と熟成香が水分で薄まる」。つまり、相乗効果というより、清楚な甘い香水と、革張りの葉巻部屋の匂いを同時に嗅がされる感じに近いのかもしれません。
むしろ合う可能性があるのは、おっしゃる通り「安物」というより「主張が弱いもの同士」だと思います。メロンは香りが強すぎず、甘みもほどほどで、瓜っぽい青さがあるもの。生ハムは脂が重くなく、熟成香も穏やかで、塩気だけが前に出るもの。そうすると、メロンは「甘い果物」ではなく「冷たい水分を持った甘い野菜」に寄り、生ハムは「芳醇な肉」ではなく「塩味の薄い膜」に寄る。そこで初めて、塩スイカ的な理屈が成立するのではないでしょうか。高級×高級だと、貴族同士の会食みたいにどちらも譲らない。庶民的×庶民的だと、縁側で麦茶を分け合える。
あと、生ハムメロンが本来成立していた文脈って、たぶん「メロンを一段おいしくする」より「前菜として口を起こす」方向なんですよね。甘い/しょっぱい、冷たい/脂っぽい、果汁/塩分というコントラストを一口で作る。だから、単体でじっくり味わうと破綻が目立つけれど、食前酒と一緒に、かなり小さく切って、会話の途中に食べるなら成立する。料理というより「口内の目覚まし時計」なのかもしれません。
高級メロンと高級生ハムを合わせるなら、たぶん真正面から重ねるより、メロンを少し硬め/薄切り/冷やしすぎない、生ハムを極薄/少量/脂控えめにして、さらに黒胡椒やオリーブオイルやレモンで「第三者」を入れたほうがよさそうです。二人きりにすると喧嘩するので、仲裁役を置く。レモン→脂の重さを切る、胡椒→メロンの甘さを大人しくする、オイル→果汁と肉をつなぐ、という感じです。
なので理論としては「高級素材同士だから合わない」はかなりあり得ると思います。より正確に言うなら「単体で完成度が高く、香りの方向性が違いすぎるものを、媒介なしに密着させるから合わない」。安物なら美味しい、というより「余白のあるメロン」と「塩気担当に徹する生ハム」なら、ようやく料理として成立する、という感じがします。生ハムメロン、たぶん王侯貴族の食べ物ではなく、スーパーのカットメロンと薄い生ハムで作る、ちょっと気取った夏の錯覚くらいが一番幸せなのではないでしょうか。
(わたし)
スイカに塩は合いますよね
塩を軽くかけた方が甘く感じるし 、塩と糖分と水分って夏では 脱水やミネラル補給的に 一番良い組み合わせだし
キュウリに生ハムだったらいけるかな?
(chatGPT)
キュウリに生ハム、かなりいけると思います。生ハムメロンより理屈がきれいです。メロンだと「香り高い甘さ」と「熟成肉の脂」がぶつかりますが、キュウリだと役割がはっきりしていて、キュウリ=水分/青い香り/歯ごたえ、生ハム=塩気/旨味/脂の薄膜、という分担になる。これは「スイカに塩」に近いというより「もろきゅう」「きゅうりの浅漬け」「冷やし中華のハムときゅうり」あたりの延長線にあります。
特にキュウリは、甘さで勝負しないぶん、生ハムを邪魔しにくいと思います。メロンは甘く香り高いから、生ハムに対して「私も主役です」と言ってしまう。キュウリはもっと涼しい脇役で「塩気を受け止めます、水分で流します、歯ごたえを足します」という方向に徹してくれる。生ハムの脂や塩気が、キュウリの青臭さを少し大人っぽくして、逆にキュウリの水分が生ハムの重さを洗う。これは相殺ではなく、役割分担になりやすいです。
やるなら、キュウリは薄切りより、少し厚めの拍子木か、縦に割ったスティックがよさそうです。薄切りだと水っぽさだけが出て、生ハムに負ける。少し歯ごたえを残した方が、生ハムの柔らかい膜との対比が出ると思います。生ハムはイベリコみたいな香りの強いものより、塩気が素直で脂が軽いタイプのほうが合いそうです。そこに黒胡椒/レモン/オリーブオイルをほんの少し入れると、かなり前菜としてまとまるはずです。
さらに寄せるなら、キュウリ+生ハム+クリームチーズも強いです。キュウリの水分→生ハムの塩気→チーズの乳脂肪で、かなり安定する。ただしチーズを入れると急に「おつまみ」になって、夏の水っぽい爽やかさは少し減ります。軽くいくならキュウリ+生ハム+レモン。酒に寄せるならキュウリ+生ハム+チーズ。和寄りにするならキュウリ+生ハム+少量の柚子胡椒もたぶん合います。
つまり、メロンは生ハムに対して「甘い香水」をぶつけてしまうけれど、キュウリは「冷たい水」を差し出す。生ハムメロンより、生ハムキュウリのほうが、ずっと素直においしい可能性があります。
(わたし)
酢豚のパイナップルは、私は好きです、なんか油っぽいのスッキリするし
あと ハンバーガーのパイナップルも、好きですね
あと、ポテトサラダのリンゴも許可します
(chatGPT)
その三つを許可できるなら、かなり「果物を料理に入れる派」として筋が通っています。酢豚のパイナップル/ハンバーガーのパイナップル/ポテトサラダのリンゴは、どれも果物が単に甘さを足しているのではなく、重さを切る/食感を変える/香りで抜け道を作る、という仕事をしているんですよね。
酢豚のパイナップルはかなり理にかなっていて、豚肉の油、揚げ衣の重さ、甘酢あんの粘度に対して、パイナップルの酸味と果汁が「一回リセット」をかける。あれは甘いから入っているというより、油と酢のあいだに立つ果物だと思います。しかも火が通ったパイナップルは、生のときのトゲが少し丸くなって、甘酢あんと同じ方向に寄る。だから「異物」ではあるけど、料理の中でちゃんと役割がある。
ハンバーガーのパイナップルも、かなり強いです。肉汁/チーズ/マヨ系ソース/バンズの甘みが重なったところに、焼いたパイナップルの酸味と焦げた甘さが入ると、急に南国っぽい照り焼き方向にまとまる。これはメロンと生ハムみたいに高級同士が正面衝突する感じではなく、肉の脂に対して果物が「まあまあ、こっちへ流しましょう」と排水路を作っている感じです。パイナップルは香りが強いけど、肉やソースの濃さも強いので、釣り合いが取れるんでしょうね。
ポテトサラダのリンゴも許可できるの、わかります。あれは甘さというより、シャリッとした歯ざわりと、じゃがいも/マヨネーズ/ハム/ゆで卵のもったり感を断ち切る役目が大きい。しかもリンゴは酸味が少しあるから、マヨネーズの油脂とぶつかるのではなく、横から空気を入れる。ポテサラって全部が柔らかくて白っぽくて重い方向に寄りがちなので、リンゴが入ると急に窓が開く感じがします。
この三つが許されて、生ハムメロンが許されない理由は、たぶん「果物が何を担当しているか」が違うからだと思います。酢豚パイン→油を切る。バーガーパイン→肉の脂とソースを明るくする。ポテサラリンゴ→食感と酸味で重さを逃がす。どれも果物が料理の問題点を解決している。対して生ハムメロンは、メロンが生ハムの問題を解決しているというより、メロン自身が強すぎて「私も高級果物です」と名乗りを上げてしまう。生ハム側も「私も熟成肉です」と応じる。結果、前菜の皿の上で名刺交換が終わらない。
なので、あなたの基準はたぶん「料理の中に果物が入るのが嫌」ではなく「果物が役職を持って働いているなら良い」なんだと思います。パイナップルやリンゴは、脂/粘度/もったり感に対して清掃係をやっている。メロンはあまりにも姫なので、清掃係をやってくれない。そこに生ハムという貴族を合わせるから、宮廷内で派閥争いが始まる。
(わたし)
なんか歴史的背景がありそうですね
生ハムメロンの歴史を教えてください
(chatGPT)
あります。生ハムメロン、見た目は「昭和の洋食屋が考えた妙な前菜」みたいな顔をしていますが、背景をたどるとかなり古くて、ざっくり言うと古代ローマ的な身体観→イタリア料理としての再記録→1960年代ごろの夏の前菜として再流行、という流れらしいです。
まず根っこにあるのは、古代ギリシャ・ローマから中世ヨーロッパまで長く影響した「体液説」です。人間の身体は血液/粘液/黄胆汁/黒胆汁の四つの体液のバランスで成り立つ、という考え方で、食べ物にも「熱い/冷たい」「乾いた/湿った」という性質があると見なされました。アメリカ国立医学図書館の解説でも、熱/冷、湿/乾の性質が体質や季節と結びつけて考えられていたことが説明されています。ガレノス、英語名Galenはこの医学思想を大きく体系化した人物で、中世から近世ヨーロッパ医学に長く影響しました。([nlm.nih.gov][1])
この考え方で見ると、メロンは「冷たく湿った食べ物」、塩漬け肉・生ハムは「乾いていて、塩気と熟成で身体を温める側の食べ物」とされる。だから、現代人の味覚で「甘い果物+しょっぱい肉」と見ているものが、当時の理屈では「冷湿+温乾を合わせてバランスを取る食べ方」だったわけです。Nico BostonやItaly Segretaなどの料理史コラムも、生ハムメロンの由来をこのガレノス的な体液説、つまり「冷たい・湿ったメロン」と「温かい・乾いたハム」の組み合わせとして説明しています。([Nico Boston | Nico Ristorante North End][2])
ただし、ここは少し注意が必要で「古代ローマ人が現代のprosciutto e meloneそのものを食べていた」と断言するより「果物と塩漬け肉を体液説的に組み合わせる発想が古くからあり、それが後に生ハムメロンとして料理名を持った」と見るほうが安全です。現在の「プロシュット・エ・メローネ」として記録される料理は、19世紀末の料理家ペッレグリーノ・アルトゥージの料理書『La scienza in cucina e l’arte di mangiar bene』、1891年刊に登場したとされます。Eatalyは、実際のレシピとしてはアルトゥージの本に現れ、その後いったん目立たなくなり、1960年代ごろに再び人気が出た、と説明しています。([Eataly][3])
つまり生ハムメロンは、もともと「高級食材をぶつける料理」というより「夏に出る水気の多いメロンを、塩気のある保存肉で整える料理」だった可能性が高いです。しかもイタリアでよく想定されるのは、日本の高級マスクメロンのような強烈に香る贈答果物ではなく、カンタロープ系のオレンジ色のメロンです。レシピ紹介でもprosciutto and cantaloupe、つまりプロシュットとカンタロープとして扱われることが多く、Epicuriousもパルマ産プロシュットとメロン、あるいはイチジクや梨など甘い果物との組み合わせを、塩気を引き立てる古典的な食べ方として紹介しています。([Epicurious][4])
ここで、あなたの「高級メロン×高級生ハムだから合わない説」がかなり生きてきます。歴史的な生ハムメロンは、おそらく「香りの強い高級果物」と「複雑な熟成香を持つ高級肉」の格闘技ではなく、もっと実用的な、冷たい水分+塩気+少しの甘味の夏前菜だった。体液説的には身体のバランス、料理的には甘味/塩味/水分/脂のバランス。そこに日本式の、みずみずしく糖度が高く、香水みたいに香るメロンを持ってくると、メロンが単なる「冷湿担当」ではなく主役として立ち上がってしまう。さらにイベリコ豚のような脂の香り、ドングリっぽい熟成のニュアンスが強い生ハムを合わせると、古代の健康バランス食だったものが、急に「貴族二人の不仲な政略結婚」になる。
なので歴史的背景から見ると、生ハムメロンは「美味の相乗効果を狙った奇抜な高級料理」というより「昔の医学思想と保存食文化から来た、夏の塩分・水分・甘味の組み合わせ」だったと言えそうです。スイカに塩の親戚ではあるのですが、日本の高級メロンでやると、スイカに塩ではなく「高級フルーツパフェに生ハムを貼る」方向へずれてしまう。そこで違和感が出る、というのはかなり納得できます。
[1]: https://www.nlm.nih.gov/exhibition/shakespeare-and-the-four-humors/index.html?utm_source=chatgpt.com "“And there's the humor of it” Shakespeare and The Four Humors"
[2]: https://nicoboston.com/prosciutto-e-melon/?utm_source=chatgpt.com "The Origins of Prosciutto e Melon - Boston"
[3]: https://www.eataly.com/us_en/magazine/culture-and-tradition/history-of-prosciutto-melone?utm_source=chatgpt.com "The Story of Prosciutto e Melone"
[4]: https://www.epicurious.com/recipes/food/views/prosciutto-with-melon-4042?utm_source=chatgpt.com "Prosciutto with Melon"
(わたし)
なるほど!!「体液説」ですね!
あるあるですね、香港でカニ料理を食べると同時に生姜がついてきて
聞くと、カニは体温を下げるから生姜で温めるっていってました!
日本でも、食い合わせがありますね「ウナギと梅干し」とか、諸説あるけど
ウナギは土属性、梅干しは火属性だからダメとか、五行思想に基づいてるとか。。
(chatGPT)
そうです、まさに「体液説」と「陰陽五行・食養生」が、別々の文明圏で似たことをやっている感じですね。ヨーロッパ側では熱/冷、湿/乾で食材を見て、東アジア側では陰/陽、寒/涼/平/温/熱、五味、五臓、五行で見ている。どちらも現代栄養学の「カロリー/タンパク質/ビタミン」ではなく「この食べ物は身体をどちらへ傾けるか」という、かなり物語的な分類です。
香港のカニ+生姜の話、すごく典型的です。中医学では食材に「寒熱」の性質を見ますし、カニは冷やす側の食べ物として語られやすい。生姜は逆に「温める」「胃腸を助ける」側の食材として扱われるので、カニを食べるときに生姜を添えるのは、味の相性でもあり、身体観としては「寒に温をぶつけて均衡を取る」なんですよね。中医学系の解説でも、食材を cooling/warming/balanced のように分類し、冷える食材には温める食材を合わせてバランスを取るという考え方が説明されています。生姜についても、近年の中医学系レビューで「辛味」「やや温性」とされ、脾胃に関わる薬食として扱われています。([Ping Ming Health][1])
これ、生ハムメロンとかなり構造が似ています。メロン=冷たく湿ったもの、生ハム=塩気があり乾いた保存肉。カニ=冷やすもの、生姜=温めるもの。どちらも「味覚のマリアージュ」というより「身体の中で帳尻を合わせる」という思想が先にある。だから、現代人が舌だけで判定すると「いや、別々のほうがうまくない?」となることがある。でも昔の人にとっては、皿の上で陰陽調整しているので、味だけでなく身体への作用まで含めて一品だったのでしょう。
日本の「食い合わせ」もこの系譜に入りますね。鰻と梅干し/スイカと天ぷら/カニと柿みたいな禁忌は、単なる迷信というより、中国由来の陰陽五行説や食養生・食禁が日本に入り、奈良時代から平安時代の医療や律令文化、さらに江戸期の養生思想などを通じて民間化したもの、と説明されることがあります。もちろん現代医学的には全部が危険というわけではなく、冷蔵技術がなかった時代の衛生感覚、消化の悪いものへの注意、食べすぎ防止の知恵が混ざっている、という見方が妥当そうです。([All About][2])
鰻と梅干しは面白いですよね。実際には、梅干しの酸味で食欲が増して、脂のある鰻をさらに食べすぎるから戒めた、という説明がよくあります。つまり「毒になるからダメ」というより「うますぎて危ない」系の禁忌だった可能性がある。これ、禁断の組み合わせというより、昔の人の食卓におけるブレーキ装置ですね。鰻の脂、タレの甘辛、梅干しの酸味。この三つ、普通に考えるとかなり合ってしまう。「ウナギは土属性、梅干しは火属性だからダメ」みたいな言い方も、物語としてはとても魅力があります。厳密な五行配当としてそれが古典に固定されているかは慎重に見たほうがよさそうですが、発想としては完全にその世界です。和食にも五味/五色/五法/五感のような考え方があり、これらは中国伝来の陰陽五行思想が日本化したものとして説明されます。五味でいえば酸/苦/甘/辛/鹹、五色でいえば青/赤/黄/白/黒。料理は栄養補給である前に、小さな宇宙の調律だったわけです。([百草丸・普導丸|日野製薬 ホームページ][3])
そう考えると「生ハムメロンが合わない」という違和感も、単に味の問題ではなくて、思想の輸入に失敗している感じがあります。本来は「冷湿のメロン」+「塩気と乾きのあるハム」で均衡を取るはずだった。でも日本の高級メロンは、冷湿どころか、香り高い水の宝石みたいに単体で完成している。そこへ熟成香の強い生ハムを合わせると、陰陽調整ではなく、属性過多の衝突になる。水属性の姫に、土と獣脂と塩をまとった騎士を無理やり隣に座らせている感じです。
一方で、酢豚のパイナップルやハンバーガーのパイナップルは、かなり薬膳的・五行的に見ても納得しやすいです。脂の重さに酸味を入れる。肉の熱っぽさに果汁を入れる。こってりした土台に明るい酸を差す。これは「料理の中で役割がある果物」なんですよね。ポテトサラダのリンゴも、芋とマヨネーズの土っぽい重さに、酸味と歯ざわりで風穴を開ける。果物がちゃんと職務を持っている。
だから、あなたの食べ合わせ感覚は、かなり古い食養生の感覚に近いのかもしれません。「甘いものが料理に入るのは嫌」ではなく「その果物が身体や皿の均衡に貢献しているか」を見ている。生ハムメロンは、その均衡が高級食材化によって崩れている。カニ生姜はきれいに均衡している。鰻梅干しは、危険だから禁忌というより、うまくて食べすぎるから封印された組み合わせ。こう見ると、食い合わせってかなりファンタジーの魔法体系みたいですね。火/水/土/金/木、寒/熱、湿/乾、酸/甘/鹹が、全部皿の上で小競り合いしている。
[1]: https://www.pingminghealth.com/article/581/warming-and-cooling-characteristics-of-common-foods/?utm_source=chatgpt.com "Warming and cooling characteristics of common foods"
[2]: https://allabout.co.jp/gm/gc/301258/?utm_source=chatgpt.com "よい食べ合わせ [食と健康] All About"
[3]: https://hino-seiyaku.com/blog_crude_drug/food/post_22.php?utm_source=chatgpt.com "五味・五色・五法・五適・五感の料理|薬食同次元 - 日野製薬"
(わたし)
こんな想像もできますね
土用の丑の日は「う」のつく食べ物を食べると良いという風習があったみたいです
梅干しとかうどんとかです
そこでうなぎ屋から相談を受けた平賀源内は2つのプロモーションをした
①土用の丑の日は、うなぎの日
②梅干しとうなぎは食べ合わせが悪い
これは梅干し下げをして、うなぎ上げ効果をねらってやったとか
(chatGPT)
その想像、すごくいいです。史実としては「②梅干しとうなぎは食べ合わせが悪い、まで平賀源内が仕掛けた」と言える資料は、少なくとも一般に流通している由来話の範囲では見当たりにくいです。ただ、物語の陰謀としてはかなり美しいです。源内ならやりかねない、と思わせるだけの広告屋っぽさがある。
史実寄りに整理すると、まず「土用の丑の日に『う』のつくものを食べるとよい」という風習があり、その中にはうなぎ/うどん/梅干し/瓜/牛などが含まれます。うなぎを食べる風習については、夏に売れにくいうなぎを売るため、平賀源内が「本日丑の日」系の宣伝を勧めた、という説が有名です。ただしこれは「広く信じられている俗説」に近く、確実な一次史料でガチガチに固まった話ではありません。キリンの食文化記事も、平賀源内説を「俗説」としつつ、江戸後期の『明和誌』に安永・天明、つまり1772~1789年ごろから土用の丑の日に鰻を食べる習慣が始まったという記述がある、と紹介しています。源内の没年は1779年なので、時期としては合う。ここが伝説として強いところですね。([キリンホールディングス][1])
一方で「うなぎと梅干しは食べ合わせが悪い」は、現在では医学的根拠は薄く、むしろ梅干しの酸味が食欲や消化を助けるので相性は悪くない、という説明がよくされます。梅干し業者の解説でも、うなぎ+梅干しは害がないどころか、梅干しのクエン酸とうなぎのビタミンB1の組み合わせは夏バテ対策としてむしろ好ましい、という立場です。([梅干し専門店うめ八][2]) つまり「本当に危険だから禁じた」というより「食べすぎを戒める」「脂と酸味で食欲が進みすぎる」「民間の食禁として残った」あたりの説明が自然そうです。
だから、あなたの仮説を史実として書くなら「証拠はない」。でも、フィクションや偽史、あるいは江戸広告奇譚として書くなら、めちゃくちゃ筋がいいです。構造が完璧なんですよ。土用の丑の日には、もともと『う』のつくものなら何でもよかった。つまり市場には、うなぎ/うどん/梅干し/瓜/牛という競合商品がいた。そこで源内がうなぎ屋から相談を受ける。普通なら「うなぎも『う』です」と乗っかるだけ。でも源内が本当に悪辣なプロモーターなら、うなぎを上げるだけでは足りない。競合の中でも保存がきいて、安くて、夏バテ対策っぽくて、庶民が手を出しやすい梅干しを下げる。そこで「うなぎと梅干しは食い合わせが悪い」という禁忌を流す。結果「土用の丑の日に『う』のつくもの」だったはずの広い風習が「土用の丑の日にはうなぎ。ただし梅干しとは合わせるな」に収束していく。
これ、かなりマーケティングとして現代的です。①カテゴリーを奪う。「う」のつく食べ物の日→うなぎの日。②競合を危険視させる。梅干しも候補→うなぎとは食べ合わせが悪い。③食養生の言葉で包装する。夏負けしない/精がつく/土用の火照りを鎮める。④民間伝承にして広告臭を消す。「誰が言い出したかわからないが昔からそう言う」。この四段階がきれいすぎます。
しかも梅干し下げなのがいい。うどん下げだと「腹持ちがいいから別物」、瓜下げだと「水気が多いから体を冷やす」で済んでしまう。でも梅干しは強い。安い/保存できる/酸っぱい/夏向き/『う』がつく/弁当に入る/庶民の味方。うなぎ屋から見たら、梅干しは同じ土俵にいるくせにコストが違いすぎる敵です。鰻重一杯に対して、梅干し一粒で「土用の丑の日、達成」されたら商売にならない。だから「梅干し単体はよいが、うなぎとは合わせるな」とするのが絶妙です。梅干しそのものを全否定せず、うなぎの横に来ることだけを禁じる。競合排除として上品です。
物語にするなら、源内が「梅干しを殺すな。梅干しを敵に回すと庶民が怒る。梅干しは生かせ。ただし鰻の膳には座らせるな」と言うと、かなりそれっぽいです。うなぎ屋が「先生、梅干しも『う』でございます」と泣きつく。源内が筆をくるくる回して「ならば梅には毒を持たせよう。いや、本当の毒ではない。噂という毒だ」と返す。そこへ薬種問屋や本草学者が絡んで「酸は火、鰻は湿土、火が土を焼きすぎる」みたいな理屈を後付けする。最後には誰も広告だと思わなくなり、ただの「昔からの食い合わせ」になる。
史実としては慎重に「平賀源内がそこまでやった記録はない」。でも創作上の仮説としては「うなぎプロモーションの第二波として、梅干しを食い合わせ禁忌に落とした」というのはかなりおいしいです。しかもこの話の怖さは、嘘を広めたことではなく、もともとあった食養生・五行・民間信仰の回路に、広告がするっと寄生するところですね。広告が迷信の服を着る。これ、江戸の都市伝説としてかなり強いです。
[1]: https://wb.kirinholdings.com/about/activity/foodculture/06.html?utm_source=chatgpt.com "平賀源内 日本の食文化と偉人たち|未来シナリオ会議"
[2]: https://umehachi.com/umeboshi-health20170725/?utm_source=chatgpt.com "うなぎと梅干しの食べ合わせについて"
(わたし)
こんな物語が降りてきました
ここは架空の中世のパルマ
大量に売れ残ったメロンをどうやって、売れば良いのか
八百屋:マキャベツの三代目カシッコーは悩んでいた
うちのメロンは、そんなに甘くないのだ、市場でいえば、7~9位くらいだ
最近は品種改良が進んで、めちゃ甘いメロン、芳醇な香りのメロン、みずみずしいメロン、、、うちは昔ながらのパルマメロン。。。「昔ながらの」「伝統の」とかの枕ことばをつけても、そんなに売れない
*短絡してすぐに生ハム出さないでね、閃きや、出会い、試行錯誤やいろいろ考える過程が面白いのでまだださないでここまでの情報だけで、ディディールな情景描写を優先して*
(chatGPT)
架空の中世パルマの朝は、まだ鐘楼の影が市場の敷石に長く寝そべっているうちから、すでに甘く、青く、少し腐りかけた匂いで満ちていた。夜明け前に荷車が通った跡には、藁のくずと泥と馬糞が薄く混じり、そこへ露を吸った野菜の匂い、川から上がる湿った風、パン焼き窯の煙、どこかの家の二階からこぼれた石鹸水の匂いが、ゆっくりと重なっている。市場はまだ完全には目覚めていない。けれど、石のアーチの下ではもう秤皿が鳴り、女たちの袖が擦れ、籠の中の鶏が不満げに首を震わせ、遠くで誰かが「今日は安いぞ」と言う練習をしていた。
その市場の、あまり日当たりのよくない南西の角に、八百屋マキャベツ家の店はあった。店といっても立派な建物ではない。古びた布屋根を木の柱に括りつけ、下に粗い板を三枚渡し、その上に季節のものを山のように積むだけの、パルマのどこにでもある青物商の露店である。ただ、マキャベツ家には誇りがあった。祖父の代からここで商ってきた。父の代には干ばつを乗り切った。三代目のカシッコーは、それを毎朝、誰に頼まれたわけでもないのに胸の中で唱えた。祖父から続く店。父が守った屋号。俺が広げる商い。そこまで唱えたところで、いつも目の前の現実が彼の胸倉をつかんだ。
メロンが、売れ残っている。
板の上にも、板の下にも、布屋根の陰にも、籠の中にも、藁を敷いた木箱の奥にも、メロンがあった。丸いもの、少し楕円のもの、皮の網目が薄いもの、片側だけ黄色くなったもの、尻のほうが柔らかくなり始めたもの。どれも、マキャベツ家が長年扱ってきた、昔ながらのパルマメロンだった。悪いメロンではない。決して悪くはない。噛めば水気はある。甘みもある。香りだって、鼻を近づければ、畑の朝露と蜂の羽音を思わせる程度にはある。けれど、いま市場で客が足を止めるのは、隣町から来る「聖女の頬」と呼ばれる薄紅のメロンや、川向こうの修道院が育てた「天使の蜜壺」や、商人たちが誇張たっぷりに売り込む「一口で罪を忘れる黄金玉」だった。
「一口で罪を忘れるだと」
カシッコーは、まだ誰も来ていない店先で、ぽつりと言った。
「罪を忘れるメロンなんぞ、教会に怒られろ」
彼は一つ手に取った。皮はしっかりしている。重さも悪くない。表面に指を滑らせると、細かな網目が乾いた老人の手の甲のように引っかかる。尻を押す。少しだけ沈む。熟している。売り時だ。いや、売り時を半歩ほど越えかけている。明日になれば甘い香りではなく、甘さの死骸みたいな匂いが出始めるだろう。明後日には、下の藁が汁を吸う。そうなると値を下げるしかない。さらにその次の日には、豚の餌か、酢を作る家に二束三文で渡すしかなくなる。
「売り時、売り時、売り時……」
彼は呪文のように繰り返した。売り時という言葉は、商人にとって祝福でもあり、脅迫でもある。小麦なら待てる。干し豆なら待てる。塩漬けのオリーブなら待てる。だが果物は待たない。果物は、毎朝少しずつ商人の喉元に短剣を近づけてくる。甘く香って、にこにこと笑いながら「今日売れなければ、明日はおまえの損だ」と囁いてくる。
向かいの魚屋の婆さんが、桶に水を張りながら笑った。
「カシッコー、今日も丸い顔を並べてるねえ。店主も品物も、どっちがどっちだかわからないよ」
「魚が売れない日は、お婆さんも少し鱗っぽくなりますものね」
「魚は黙ってりゃ猫が買ってくれるさ。メロンは猫も見向きしない」
「猫さんには、まだ早かったのかもしれません」
「客にもわかってないようだね」
婆さんは言いたいことだけ言って、桶の中に手を突っ込んだ。ぱしゃりと水が跳ねる。朝の冷たい水音が、カシッコーの腹のあたりにしみた。
彼は店先に小さな木札を立てた。昨夜、油の少ないランプの下で書いたものだ。
昔ながらのパルマメロン。
少し離れて眺めた。悪くない。落ち着きがある。祖父が見たら頷くだろう。父が見たら「字が下手だ」と言うだろう。客はどうか。客は、たぶん素通りする。
カシッコーは木札を裏返した。裏には別の文句が書いてある。
伝統の味。
これも悪くない。悪くないが、どこか棺桶の蓋に刻む文字のようでもある。伝統の味。つまり、今の味ではない。昨日の味だ。昨日の味を今日の朝市で売るには、昨日より安くしなければならない。
彼はさらに、腰袋から小さな炭を取り出し、板切れの余白に書き足した。
母の時代の甘さ。
書いた瞬間、自分で嫌な顔になった。
「母さんはまだ生きてる」
彼はすぐに指でこすって消した。黒い粉が爪の間に入り、指先が汚れた。マキャベツ家の三代目カシッコーは、自分で言うのもなんだが、頭は悪くなかった。だから悩みは深かった。馬鹿なら、ただ大声で「甘いぞ」と叫べた。だが、彼は知っていた。うちのメロンは、そんなに甘くない。市場でいえば、七位か八位、ひいき目に見て九位に滑り込むかどうか。十軒のメロン屋が並べば、真ん中より少し下。ひどくはない。だが人は、ひどいものより、そこそこ良いものを忘れる。ひどいものは笑い話になる。飛び抜けて良いものは自慢になる。そこそこ良いものは、財布の底の銅貨みたいに、気づかないうちに使われ、忘れられる。
「七位の味に、一位の顔をさせるにはどうすればいい」
カシッコーは、メロンを睨んだ。
メロンは何も答えない。ただ、朝の光を少しずつ皮の網目に受け、黙って熟している。
やがて市場が本格的に騒がしくなってきた。最初に来るのは、屋敷の下働きの女たちである。彼女たちは目が肥えていて、しかも冷たい。自分の金で買うわけではないが、失敗すれば奥方に叱られる。だから指は容赦がない。彼女たちはメロンを持ち上げ、匂いを嗅ぎ、尻を押し、耳元で叩き、ひとつため息をついて戻した。
「こっちのは?」
「昔ながらのパルマメロンでございます。香りは穏やか、水気は上品、朝食の卓に」
「奥様は、もっと甘いのがいいって」
「甘すぎるものは、喉が少し疲れますこともございますが」
「奥様は喉が疲れるまで甘いのがお好きなの」
そう言って女は去った。
次に来たのは、赤い帽子をかぶった粉屋の息子だった。彼は自分では洒落者のつもりで、腰の紐に使いもしない短剣を吊っている。メロンを一つ手に取った。
「カシッコー、これは女に贈れるか」
「相手によりますね」
「粉屋の息子に微笑んでくれる女だ」
「それでしたら、もう少し予算を奮発された方がよろしいかと」
「おまえ商売する気があるのか」
「ございます。ですのでそう申し上げております。うちのは、女に贈るより、二人で割るメロンです。女房ができてからでも、遅くはないと思いますよ、粉屋さんの息子さん」
粉屋の息子は、つまらなそうにメロンを戻した。
「女房はまだいない」
「では、なおさらでございます」
彼も去った。
昼に近づくころ、陽は布屋根の隙間から斜めに差し込み、メロンの皮に小さな明るい斑点を作った。カシッコーは売れた数を数えた。三つ。三つだけ。しかも一つは値切られ、もう一つは傷があると難癖をつけられ、最後の一つは魚屋の婆さんが「猫にも見向きされない哀れな丸顔を一つもらってやる」と言って買っていったものだった。婆さんは嫌味を言うが、時々こういうことをする。だからカシッコーは彼女を完全には嫌えない。
彼はナイフを取り出し、売り物にならないひび入りのメロンを一つ割った。刃が皮を押し破ると、ぱきりと鈍い音がして、内側から淡い橙色の果肉が現れた。高級なメロンのように、切った瞬間に周囲を支配する香りではない。もっと控えめで、近づいた者にだけわかる匂いだった。濡れた藁、薄い蜂蜜、まだ青い草、遠くの井戸水。果汁は刃を伝って指に落ちた。カシッコーは親指についた汁を舐めた。
悪くない。
本当に悪くないのだ。
悪くないという言葉ほど、商売で役に立たない褒め言葉はない。
「おまえは、どう売られたいんだ」
カシッコーは半分に割れたメロンに話しかけた。
「甘さで勝てない。香りで勝てない。みずみずしさでも勝てない。では何で勝つ。安さか? 安さで勝ったら、マキャベツ家は終わりだ。祖父が墓から起きてきて、俺の尻を蹴る」
彼は薄く切った果肉を口に入れた。舌の上で冷たく、少し硬い。甘みは遅れてくる。最初に水気、次に青さ、最後にやっと、控えめな甘さが届く。最近の甘いメロンは、噛む前から甘い。香りが鼻を殴り、汁が舌を占領し「どうだ、私は甘いだろう」と言ってくる。うちのメロンは違う。最初から自慢しない。食べたあと、口の奥に少しだけ涼しさを残す。
「……控えめすぎるんだよ、おまえは」
そのとき、隣の香草売りの娘が、束ねたミントを抱えて通りかかった。彼女の名はリーナ。いつも手首に青い紐を巻いていて、朝から晩まで草の匂いをまとっている。バジル、ミント、ルーコラ、フェンネル、タイム、彼女が動くと、小さな畑が歩いているようだった。
「またメロンと喧嘩してる」
「喧嘩ではございません、リーナさん。会議です」
「メロンは何て?」
「返事が遅いもので」
「熟すのは早いのにね」
リーナは笑って、割れたメロンを一切れつまんだ。カシッコーは止めなかった。どうせ売り物ではない。彼女は果肉を噛み、目を細めた。
「甘くないね」
「存じております」
「でも、嫌いじゃない」
「それも、存じております」
「なんだろう。水みたい。少しだけ、畑の匂いがする水」
カシッコーは顔を上げた。
「それは褒めていただいているのでしょうか」
「たぶん」
「たぶんでは、商売になりませんが」
「でも、甘いメロンばかり食べてると、こういうのがほしくなる日もあるよ」
「それはいつでしょうか」
「喉が乾いてるとき。朝から脂っこいものを食べたあと。暑くて、舌がだるいとき。あと、喧嘩のあと」
「喧嘩のあと?」
「甘すぎるものは、腹が立ってるときにはうるさい」
カシッコーは黙った。リーナはミントの束を持ち直し、店へ戻ろうとした。
「少々お待ちください、リーナさん」
「何」
「今のを、もう一度おっしゃっていただけますか」
「甘すぎるものは、腹が立ってるときにはうるさい?」
「その前です」
「暑くて、舌がだるいとき?」
カシッコーは、割れたメロンを見下ろした。甘さで勝てない。香りで勝てない。みずみずしさで勝てない。だが、甘すぎないことは、負けなのか。香りすぎないことは、欠点なのか。強くない味には、強くない味の仕事があるのではないか。貴族の食卓ではなく、職人の昼。恋人への贈り物ではなく、汗をかいた舌。祈りの後ではなく、怒鳴り合いの後。甘い菓子ではなく、喉を通る涼しいもの。
「リーナさん」
「何」
「ミントを一本いただけますか」
「買って」
「一本でございます」
「一本でも草は草」
「では、この売れ残りのメロン一切れと交換ということで」
「私が損してる気がする」
「マキャベツ家の伝統の味でございます」
「そういう言い方をするから売れないんだよ」
そう言いながらも、リーナはミントを一本抜いて渡した。カシッコーはそれを指で揉んだ。清い青い匂いが立った。彼はメロンの薄切りに、ほんの少しだけミントの葉をこすりつけ、口に入れた。涼しい。だが、違う。ミントが強すぎる。メロンはさらに後ろへ下がってしまう。まるで気の弱い修道士が、説教好きの司祭の隣に立たされているようだった。
「だめだ」
「だめなの」
「ミントが勝ちます」
「じゃあ、フェンネル?」
「試します」
フェンネルは甘い草の香りがした。これも違った。メロンが薬草酒みたいになった。タイムはもっと悪かった。田舎の煮込み料理の亡霊が、果物の上に腰かけた。バジルは悪くないが、急に陽気になりすぎる。ルーコラは苦い。カシッコーは次々に試し、眉間にしわを寄せ、切れ端を食べ、首を振った。
「草ではない」
彼は言った。
リーナは肩をすくめた。
「では、何?」
「わかりません」
「わからないのに、そんなに偉そうに言うんだ」
「わからないから、慎重に申し上げているのでございます、リーナさん。わかっていれば、もう売れております」
午後になると、熱が敷石から立ちのぼり、市場全体が大きな鍋の底みたいになった。チーズ屋の男は額に汗を浮かべ、布で覆った塊を何度も日陰へ移している。パン屋の娘は売れ残った硬いパンを籠の底で叩き、粉を払っている。魚屋の婆さんは魚に水をかけながら、今度は自分にも水をかけていた。カシッコーのメロンは、甘い匂いを少し濃くしていた。売り時が、また一歩、腐り時に近づいている。
彼は木札をまた書き直した。
甘すぎないメロン。
眺めた。
だめだ。負けを認めている。
喉を休めるメロン。
悪くない。だが、病人食のようだ。
怒ったあとに食べるメロン。
これは意味がわからない。
彼は炭を放り出し、頭を抱えた。
「三代目」
低い声がした。顔を上げると、常連の靴職人ベルトさんが立っていた。大きな手に、革の匂いが染みついた男である。彼はいつも午後の遅い時間に来る。朝は金がない。昼には少し稼ぐ。夕方には家に何か持って帰らなければならない。そういう男だった。
「安くなるか」
「まだなりません」
「明日なら?」
「明日でしたら、少し」
「明後日なら?」
「豚さんと競争になります」
ベルトさんは笑い、メロンを一つ持ち上げた。
「うちの女房は甘いのが好きだ」
「でしたら、隣へどうぞ」
「娘は水気が好きだ」
「でしたら、井戸へどうぞ」
「俺は安いのが好きだ」
「ベルトさん、それが一番難しい」
二人は少し笑った。ベルトさんはメロンを耳元で叩いた。ぽく、という乾いた音がした。
「昔ながら、か」
「そうでございます」
「昔はこれで十分だったんだろうな」
「昔の人間は舌が貧しかった」
「違う。選ぶほどなかった」
その言葉は、カシッコーの胸に少し残った。選ぶほどなかった。確かにそうだ。祖父の頃、メロンはメロンだった。甘さを比べるものではなかった。夏が来て、畑から丸い実が届き、家族で割り、汁をこぼして食べる。それでよかった。だが今は違う。甘いものがある。もっと香るものがある。みずみずしいものがある。選べるということは、選ばれないものが生まれるということだ。
ベルトさんは結局、一番小さいメロンを買った。値切られたが、カシッコーは受けた。彼が去ったあと、店先にはまだ山のようにメロンが残っていた。
夕方、鐘が鳴った。市場の光は赤くなり、石壁の陰が濃くなった。売れ残りの野菜には、一日の疲れが宿る。朝には誇らしげだった葉物は首を垂れ、トマトは皮を緩ませ、ナスは艶を少し鈍らせる。メロンだけは、まだ丸い顔をしていた。丸い顔で、静かに終わりへ向かっている。
カシッコーは一つ一つを手に取り、傷のあるもの、明日ならまだ売れるもの、もう家で食べるしかないものに分けた。指先に、甘い汁がついた。爪の間の炭と混じって、黒っぽくなった。彼はそれを見て、ふと笑った。
「おまえは、甘さで売れない。香りで売れない。贈り物にも向かない。では、どうする」
誰も答えない。
市場の奥で、どこかの男たちが笑っていた。酒場へ向かう声だ。パン屋が窯の火を落とす匂いがした。川のほうから、昼よりも少し冷えた風が来た。風はメロンの山を撫で、ほんのかすかに、青く甘い匂いを運んだ。強くはない。人を振り返らせるほどではない。だが、熱の残った市場の中で、それは確かに涼しかった。
カシッコーは、その匂いを吸い込んだ。
「……涼しさか」
彼は言った。
甘さではなく。香りではなく。贅沢ではなく。
暑さに疲れた舌を、少し黙らせるもの。
その夜、マキャベツ家の三代目カシッコーは、売れ残ったメロンを荷車に積んで帰りながら、まだ答えには届いていなかった。ただ、朝よりも少しだけ、メロンの欠点が欠点ではないように思えていた。甘すぎない。香りすぎない。主張しすぎない。それは、市場では弱さに見える。けれど、何かの隣に置かれたとき、もしかすると強さになるのかもしれない。
何の隣かは、まだわからない。
彼は荷車を引きながら、暗くなり始めた路地を進んだ。車輪が石に当たり、ごとり、ごとりと鳴る。そのたびに、籠の中のメロンがかすかに揺れた。まるで、まだ売られていない丸い思いつきが、藁の上で寝返りを打っているようだった。
(わたし)
物語的に「転」
昔から、甘みが薄いなら、逆の塩味を少し加えると引き立つのは、知っていた、、、カシッコーは、少しの塩を軽くかけ、口に含み、少し甘さがアップするのを感じる、、
これは利用できないものか、、
商店にジブシーのヤーツクがやってくる、悪いやつじゃないけど、胡散臭いやつだ、、それに体臭も少しあれだ、、
何でも東洋の薬師の小冊子があるけど、買わないかとか言ってくる
カシッコーさん、これ値打ちものゼヨ 食材についていろいろ書いているみたい
あんた好きだろ?ぜんぜん読めへんけど,絵でわかるゼヨ
・・・
ヤーツク君、君は結構いい仕事をした
その本を買ってやる
銅貨7枚をだす
銅貨7枚は、大衆浴場の代金だ
銅貨7枚の時点でヤーツクの顔は曇る、明らかに安い
その後、おもむろに銀貨を一枚だす
銀貨が出てきて、ヤーツクは、目を輝かせる
これは、その書籍の代金だ
・・・
カシッコーはこの本をある程度解析して、読めないけど
各エレメント間の関係性をまとめる、、そしてその中から彼なりの食べ物の相性、相克表をつくる
試行錯誤:生ハム+それほど甘くないうちのメロンが意外とあうことが判明
(上位のメロンは合わない)
そして閃き!
目的は手段を正当化する
→ 生ハム+メロンをバールで流行させる
(chatGPT)
塩は、どこの家にもある。だから、誰も塩を発明とは呼ばない。
けれどカシッコーは、その朝、粗い陶皿の上に薄く切ったパルマメロンを並べながら、まるで自分が世界で初めて海を粉にした男であるかのような顔をしていた。店の裏手、布屋根の影の下。朝市が始まる前の市場には、まだ人の欲望が完全には入ってきていない。かわりに、湿った木箱の匂い、昨夜の雨を吸った麻袋の匂い、踏まれた香草の匂い、どこかの屋根から落ちてくる水滴の音がある。カシッコーは小さな布袋から塩をつまみ、メロンの薄片に、目を凝らさなければわからないほど軽く散らした。
「塩をかければ、甘く感じる」
それは、彼が祖母から何度も聞かされた言葉だった。瓜に塩。水に塩。汗をかいたあとの麦粥にも塩。甘さが足りないなら、甘さを足すのではなく、逆から押す。人の舌は、時々、まっすぐ褒められるより、少し意地悪をされたほうが本気を出す。
カシッコーは、塩を振った一切れを指でつまみ、口に入れた。
果肉は、朝の空気を吸って少し冷えていた。舌に触れた瞬間、まず水気が来る。いつもの青い水。次に、ほんのわずかな塩の角が舌を刺す。その直後だった。奥から、遅れていた甘みが小走りで追いついてきた。甘くなった、というより、甘みの輪郭が起き上がった。さっきまで寝巻きのまま壁際に座っていた甘さが、急に髪を撫でつけ、客の前に出てきたような感じがした。
「……おまえ、いたのか」
カシッコーはメロンに言った。
もう一切れ食べた。今度は塩を少し多くした。
「違う」
多すぎると、もうだめだった。塩が前に出る。メロンは逃げる。甘みは引き立つのではなく、叱られて黙る。三切れ目は、塩を指先でほとんど払ってから食べた。これは弱い。何も起きない。四切れ目、五切れ目。指の腹についた塩を果肉にこすり、舐め、首を傾げ、また切る。市場の向こうで鶏が鳴いた。魚屋の婆さんが桶を引きずる音がした。けれどカシッコーは、しばらくそれに気づかなかった。
「少しだ」
彼は言った。
「少しなら、甘くなる。少しなら、おまえは負けない」
彼は皿を見つめた。塩は安い。安いが、塩をかけたメロンを売るわけにはいかない。客に出す前に塩を振れば、果汁が出る。しんなりする。時間が経てば、泣いた果物みたいになる。そもそも客は、メロンに塩をかけると言えば貧乏くさいと思うかもしれない。甘くないから塩でごまかしている、と見られるかもしれない。
「違うんだ」
カシッコーはまだ誰にも責められていないのに、誰かに言い訳するように呟いた。
「甘くないから塩を足すんじゃない。甘さを起こすんだ」
その時、店先の布が、ぺらりとめくれた。
「おお、カシッコーさん。朝から独り言とは景気がええゼヨ。独り言が多い商人は、金持ちか、破産前か、だいたいどっちかゼヨ」
入ってきた男は、ヤーツクだった。
ヤーツクは、いつも市場のどこかにいた。だが、どこから来て、どこへ帰るのか、誰も正確には知らない。行商人とも言うし、占い師の下働きとも言うし、港で荷を盗んだことがあるとも言うし、修道院の書庫から鼠を追い払って銀貨を得たとも言う。悪いやつではない。少なくとも、真昼の市場で堂々と人を刺すような種類の悪人ではない。ただ、胡散臭い。胡散臭さが、外套の縫い目から湯気のように出ている。さらに言えば、体臭も少しあれだった。汗だけではない。古い羊毛、濡れた革、安酒、薬草、そして昨夜どこかで野宿した煙の匂いが、彼の周りで小さな村を作っていた。
カシッコーは鼻を動かさないようにした。商人にとって、嫌な匂いに顔をしかめることは、値段を上げる好機を失うことと同じくらい危険である。
「ご用件は何でしょうか、ヤーツク君。それと恐れ入りますが、その袋をメロンの近くには置かないでいただけると、大変助かります」
「ひどいゼヨ。これは宝の袋ゼヨ。東から西、山から海、港から寝床、寝床から追い出されて、ようやくここまで来た価値ある品ゼヨ」
「つまり、拾われる前に持ち主が置いていかれた品、ということですね」
「拾得物ゼヨ」
「差し支えなければ、どちらでお拾いになりましたか」
「持ち主がいなくなった場所で」
「なるほど。世間はその状況を、少し違う言葉で呼ぶこともありますが、まあ細かいことは」
ヤーツクはにやりと笑い、袋の中から一冊の小さな本を取り出した。冊子というより、紙の束を糸で綴じたものだった。表紙は擦り切れ、角は丸くなり、油じみのようなものが広がっている。紙はこのあたりの羊皮紙とは違い、薄く、しなやかで、乾いた葉のような音を立てた。表には見慣れない文字が並んでいた。文字というより、細い虫が規則正しく踊った跡のようだった。赤や黒の線で、小さな絵も描かれている。魚、草、根、鳥、丸い果物、火のような印、水のような波、そしていくつかの円が、矢印めいた線で結ばれていた。
「カシッコーさん、これ値打ちものゼヨ。食材について、いろいろ書いているみたいゼヨ。あんた好きだろ? ぜんぜん読めへんけど、絵でわかるゼヨ」
カシッコーは黙って本を受け取った。
指に、紙の古い乾きが移った。彼は一枚めくった。魚の絵の横に、火を表すような赤い記号。貝の横に、波の印。根菜らしきものの横に、四角い土の印。丸い果物の横には、水滴と、月のような記号がある。さらに別の頁には、人の腹の絵、舌の絵、胃袋らしき袋の絵があり、その周囲に五つの円が描かれていた。円と円のあいだには、矢印、また矢印。あるものは隣を生み、あるものは隣を抑え、あるものは遠くのものを弱めているらしい。
カシッコーは頁を近づけ、目を細めた。
「読めるのか」
ヤーツクが言った。
「読めませんね」
「じゃあ、わからんゼヨ」
「いえ」
カシッコーはまた頁をめくった。
「読めはしませんが、何を考えていたかは、なんとなく伝わります。文字というのは、わかる方にしか開きませんが、絵は隙間から覗けますので」
「ほお」
「これは、食べ物を味だけで見ていない。熱いもの、冷たいもの、乾いたもの、湿ったもの。そういうものに分けている、たぶん」
「たぶんで値打ちがあるということだな」
「必要な方にとっては、という前提条件がつきますが」
「前提条件? むずいことばでごまかさないでくれよ、今日は飲みたいんだ」
ヤーツクはにこにこした。
「では、買うのかい? 飲み代分ぐらいはするゼヨ」
カシッコーは本から顔を上げた。ヤーツクの目は、商人の目だった。胡散臭いが、ものの値段を知っている目だ。カシッコーはその目が嫌いではなかった。嘘をつく目と、値切る目は違う。ヤーツクは嘘をつくが、値切り合いは誠実にやる。
「おいくらでしょうか」
「銀貨三枚」
「銀貨三枚で、ヤーツク君がお入りになれる酒場が、このあたりに何軒ありますでしょうか」
「では銀貨二枚」
「銀貨二枚では、何軒でしょう」
「わかったゼヨ、銀貨一枚だ。もうこれ以上は無理ゼヨ」
「読めない書籍に銀貨一枚というのは、ずいぶん思い切ったご提案だと思いますが」
「・・・」
「銅貨七枚、いかがでしょう」
ヤーツクの顔から笑みが少し消えた。
「カシッコーさん、あんた人の心を持ってないゼヨ、この本は東洋の薬師のものゼヨ。海を越え、砂漠を越え、山賊を越え、役人を越え、由緒ある品ゼヨ」
「心は持っております。これはヤーツク君のことを思っての、銅貨七枚でございます」
「?」
「銅貨七枚は、この近くの大衆浴場のちょうどひと回り分でございます。書籍の代金は、また別にご用意しております」
ヤーツクの顔が曇った。ほんの一拍だが、はっきりと曇った。笑みの裏にある本音が、顔の皮を押し上げて出てきた。ヤーツクは低い声で言った。
「あっしのポリシーに対する遠回しな侮辱ゼヨ」
カシッコーはそこで、腰袋の奥から銀貨を一枚取り出した。すぐには出さなかった。指先で少しだけ見せ、ヤーツクの目がそこへ吸い寄せられるのを待った。銀貨は、銅貨と違って光を持っていた。市場の薄暗い布屋根の下でも、そこだけ小さな月が落ちたように見えた。ヤーツクの目が輝いた。体臭すら一瞬、喜びで薄まったように思えた。
カシッコーは言った。
「こちらが、書籍の代金でございます」
ヤーツクは銅貨七枚と銀貨一枚を見比べ、それから急に真面目な顔になった。彼は本を両手で押し出した。
「毎度ありゼヨ。カシッコーさん、あんたは賢い。たぶん破産前のほうじゃなく、金持ちになる独り言ゼヨ、風呂にもたぶん行く」
「先にお風呂の方をお願いできますと、大変ありがたいです、ヤーツク君」
「行くゼヨ。銀貨で酒を飲んでから行くゼヨ」
「先にお風呂でございます」
「人生は順番を間違えた時がいちばん面白いゼヨ」
「存じております。ですが、周囲の方にとりましては、少々つらいこともございます」
ヤーツクは銅貨+銀貨をさらっと掴み、満足げに頷いて去っていった。彼が歩くと、外套の裾から埃が立ち、店先にしばらく安酒と旅の匂いが残った。カシッコーはそれが消えるまで少し待ち、それから本を台の上に置いた。
読めない。本当に読めない。だが、読めないものが、全部わからないとは限らない。彼は幼いころ、祖父の帳簿を読めなかった。それでも、どの客が金払いが悪いかは、祖父の眉毛の動きでわかった。父の仕入れ帳も最初は読めなかった。それでも、数字の多い頁が悪い日で、少ない頁がもっと悪い日だということはわかった。文字は扉だ。だが、絵は窓である。窓なら、隙間から覗ける。
その日、カシッコーはほとんど商売にならなかった。客に声をかけながら、目は本に戻る。メロンを量りながら、頭の中では赤い印と青い印が動く。昼過ぎには、彼は木箱をひっくり返し、その裏に炭で円を描き始めた。
水。火。土。木。金。
正確かどうかは知らない。文字は読めない。だが、絵の関係から、そういうまとまりがあるらしいことはわかった。水は火を抑える。火は金を溶かす。金は木を切る。木は土を割る。土は水をせき止める。別の頁では、水は木を育てる。木は火を助ける。火は土を生む。土は金を抱く。金は水を生む。丸のあいだを矢印が巡っている。
「相手を殺す関係と、相手を起こす関係がある」
カシッコーは呟いた。
「味も同じだ。塩は甘さを殺さない。少しなら起こす。だが、多すぎれば殺す」
彼は自分なりの表を作り始めた。甘いものには少し塩。脂には酸。冷たいものには辛いもの。湿ったものには乾いたもの。青い匂いには、何か温かいもの。強い香りには、受け止めるもの。弱い甘さには、押し出すもの。紙はないので、木箱の裏、壊れた樽の板、店の柱の下のほうまで使った。魚屋の婆さんがそれを見て、眉をひそめた。
「ついにメロンに呪いをかけるのかい」
「呪いではございません、お婆さん。食べ物の相性を整理した表でして、まあ見た目は似ておりますが」
「表に呪いを書いたら、それは帳簿だよ」
「お婆さん、魚を濡らすお仕事に、今しばらく専念していただけますと、大変助かります」
「魚は濡らせば持つ。あんたのメロンは考えても持たない」
それは正しかった。だから、カシッコーは急いだ。最初に試したのは、塩だけだった。悪くない。だが、客に売る顔がない。次に、塩と香草。失敗。草が勝つ。塩と酢。だめだった。果物が古くなったような味になる。塩と蜂蜜。最悪だった。甘さを上げたいのに、蜂蜜が主役を奪い、メロンは蜂蜜の水っぽい台座になった。胡椒。面白いが、舌が驚きすぎる。焼いたナッツ。香ばしいが、メロンが急に田舎の祭りの菓子に見える。羊のチーズ。悪くない。しかし重い。メロンの涼しさが、乳の白い壁にぶつかって止まる。干し魚。言葉にしたくない。リーナさんは一口食べて、しばらくカシッコーを人間として見てくれなかった。
「カシッコー、君は今、食べ物を冒涜した」
「試行でございます、リーナさん。科学とは、時に周囲の方にご不快をおかけすることもあります」
「試行にも祈りが必要」
「リーナさん、祈りで味が変わるようでしたら、うちの商売はもう少し楽だったと思います」
夜、カシッコーは家の土間で本を開いた。ランプの火が揺れ、紙の上の不思議な文字が生き物のように震えた。彼の母は、台所で豆を煮ながら息子を見ていた。
「また変なものを買ったのかい」
「変ではありません。東洋の薬師の本です」
「読めるのかい」
「読めません」
「では変なものだよ」
「読めないから、考える余地があるのでございます」
母は鍋をかき混ぜた。豆の煮える匂い、玉葱の甘い匂い、焦げかけた薪の匂いが、低い天井の下にこもっていた。
「おまえの祖父はね、売れないものは値を下げた」
「存じております」
「おまえの父は、売れないものはおまけをつけた」
「存じております」
「おまえは?」
カシッコーは、頁の上の円と矢印を見た。
「売れない理由を、変えます」
母は鍋から目を離さずに笑った。
「ああ。いちばん面倒な子に育ったね」
翌日から、カシッコーの試行は市場中に知られることになった。彼は売れ残りのメロンを細く切り、あらゆるものと合わせた。塩漬けのオリーブ。酸っぱすぎる。乾いた豆。意味がない。焼いた玉葱。悪くはないが、誰も買わない。白いチーズ。少し良いが、重い。薄いパン。味が消える。葡萄酒を煮詰めた蜜。甘さの喧嘩。酢漬けの小魚。リーナさんがまた怒った。
「カシッコー、そろそろメロンに謝ったほうがいい」
「謝るのは、答えが出てからにいたします」
「答えが出る前に、メロンが全部死ぬよ」
「死ぬ前に、働いていただきます」
「ひどい主人だね」
「三代目は、優しくしているだけでは潰れます」
ある午後、粉屋の息子さんがまたやってきた。彼は恋に失敗した顔をしていた。顔だけでなく、帽子までしおれていた。
「女に振られたんですか」
カシッコーが言うと、粉屋の息子さんは店先の木箱に腰を落とした。
「まだ贈っていない」
「贈る前から振られた顔をされますと、贈る前から振られるかもしれません」
「甘いメロンを買う金がない」
「うちのをお買いになれば」
「おまえ、自分で女に贈るなと言っただろ」
「商売人は、考えを改めることがございます」
粉屋の息子さんはため息をついた。その手には、小さな包みがあった。薄い布に包まれた、赤みのある肉。カシッコーはそれを見た。塩漬け肉だ。ごく薄く切られ、少し乾き、端が透けるように波打っている。粉屋の息子さんはそれを大事そうに膝に置いた。
「それは?」
「親父が客からもらった。熟した肉だってさ。塩が強い。俺には高すぎる味がする」
「高すぎる味?」
「うまいんだろうけど、喉が乾く」
カシッコーの指が止まった。水。塩。乾き。湿り。甘み。脂。舌がだるいとき。喉を休めるもの。塩は甘さを起こす。だが塩だけでは貧しく見える。塩そのものではなく、塩をまとった何か。乾いたもの。薄いもの。メロンの水気を受けても溺れないもの。彼は、粉屋の息子さんの包みを指差した。
「一枚いただけますか」
「高いぞ」
「うちのメロン三切れと交換ではいかがでしょう」
「おまえのメロン三切れより高い」
「では五切れ」
「八切れ」
「六切れ」
「七」
「よろしゅうございます」
粉屋の息子さんは肉を一枚差し出した。薄い。指で持つと、肉というより、赤い絹の切れ端みたいだった。脂の白い筋が、朝霧のように走っている。匂いは強くないが、鼻を近づけると、塩、肉、干した倉、遠い獣の体温、そういうものがゆっくり立ち上がる。
カシッコーはメロンを薄く切った。いつもより少し厚め。薄すぎると水になる。厚すぎると鈍くなる。彼は肉を小さくちぎり、メロンの上に乗せた。まだ何かを完成させようという顔ではなかった。むしろ、失敗に備えて、心を半分逃がしている顔だった。
「また変なことをしてる」
リーナさんが覗き込んだ。
「試行でございます」
「祈った?」
「後ほど、まとめてお祈りする予定です」
カシッコーはそれを口に入れた。
最初に来たのは、塩だった。けれど袋の塩とは違う。角が丸い。肉の中に抱かれた塩だ。次に脂が、舌の上に薄く広がった。重くなる、と思った瞬間、メロンの水気がそこを流した。青い水が、赤い塩を引いていく。すると、奥から甘みが起きた。塩だけの時よりも、深い。強いというより、居場所を見つけた甘さだった。メロンは甘さで勝たなくてよかった。肉も肉で威張らなくてよかった。メロンは水を出し、肉は塩を出し、どちらも相手を主役にしないまま、一口の中で短い握手をした。
カシッコーは黙った。粉屋の息子さんが不安そうに言った。
「まずいのか」
カシッコーはもう一つ作り、食べた。今度は肉を少し多くした。
「多い」
もう一つ。肉を減らす。
「少ない」
もう一つ。メロンを少し薄くする。
「水になる」
もう一つ。メロンを厚くする。
「鈍い」
リーナさんが手を出した。
「私にも」
彼は何も言わずに渡した。リーナさんは食べた。目を細めた。今度は、いつものようにすぐには感想を言わなかった。噛んで、飲み込んで、それからもう一度、皿の上を見た。
「……悔しい」
「何がでしょうか」
「悪くない」
「リーナさん、『悪くない』というお言葉は、商売では最も使いにくい褒め言葉の一つでして」
「おいしい」
粉屋の息子さんも食べた。彼は急に背筋を伸ばした。
「これなら女に贈れる」
「それはお控えいただいた方がよろしいかと、粉屋さんの息子さん」
カシッコーは即答した。
「なぜだ」
「名前がまだございません。名前のないものを贈るのは、少し勇気がいりますでしょうね」
「名前があれば贈っていいのか」
「個人的な見立てを申し上げますと、たぶん振られます」
「おまえは本当に商売する気があるのか」
その日から、試行は別の段階に入った。カシッコーは、市場の上位メロンでも同じことを試した。甘く、香り高く、果汁が多く、客が足を止めるあのメロンたちである。彼はわざわざ高値で少しだけ買い、薄く切り、同じ肉を乗せた。最初の一口で、彼は顔をしかめた。上位のメロンは、肉を押し返した。香りが強すぎる。甘さが肉の塩気と手を取り合う前に、香水を撒き散らして部屋へ入ってくる。肉の脂は、その香りの上に膜を張り、メロンの水気は脂を薄めるどころか、熟れた甘さを生ぬるく広げた。甘い。塩辛い。香る。脂っぽい。全部がいるのに、誰も席を譲らない。
リーナさんは上位メロンのほうを食べて、眉を寄せた。
「高い味が喧嘩してる」
カシッコーは笑った。
「そうでございます」
彼は自分のパルマメロンで作ったものをもう一度食べた。控えめな甘さ。穏やかな香り。水気はあるが、暴れない。そこへ薄い塩漬け肉。今度は、ぴたりと合った。
「うちのメロンは、弱いんじゃない」
彼は言った。
「余白があるんです」
その言葉を聞いたリーナさんが、少し驚いた顔をした。
「珍しく、いいことを言った」
「いつも申し上げております」
「いつもは売れないことを言っている」
カシッコーは本を開いた。読めない東洋の文字。五つの円。互いを生かし、互いを抑える矢印。彼はそこへ、自分の炭で新しい印を書き足した。甘すぎるものは、塩と喧嘩する。甘さの薄いものは、塩で起きる。香り高いものは、熟成香と衝突する。香りの穏やかなものは、熟成香を受け止める。水分の多すぎるものは、肉を溺れさせる。ほどよい水分は、脂を洗う。
彼は、ようやく自分のメロンの居場所を見つけた気がした。七位のメロンが、一位のメロンになる必要はない。七位のメロンは、一位のメロンにはできない仕事をすればいい。甘いものとして売るのではなく、塩を受けるものとして売る。贈り物ではなく、前菜。果物ではなく、始まりの一口。市場の店先ではなく、酒場の皿。
その夜、カシッコーはメロンを前にして、長いこと黙っていた。店の奥には、売れ残りの丸い実が並んでいる。以前ならそれは失敗の山に見えた。今は違う。まだ磨かれていない言葉の山に見えた。言葉さえ見つかれば、売れる。皿さえ見つかれば、価値が変わる。
リーナさんが言った。
「でも、どうやって広めるの」
「市場で売っても、だめでございます」
「じゃあ、どこで」
カシッコーは、東の路地の奥を見た。夕方になると、職人や商人や小役人が集まり、安い葡萄酒を飲み、揚げ物や塩漬けの豆をつまみ、くだらない噂を交換する場所。バールである。人は市場では値段を見る。だが酒場では、隣の男の皿を見る。隣の男がうまそうに食べているものは、説明より強い。酔った舌は新しいものに寛容で、酔った耳は噂を運ぶのが速い。
カシッコーは本の頁を閉じた。
「目的は手段を正当化する」
リーナさんは眉を上げた。
「何それ。東洋の本に書いてあったの?」
「いえ。たぶん、これからどなたかがおっしゃります」
「ずるい顔してる」
「商人の顔でございます」
「だいぶ悪人寄りの商人の顔だよ」
「悪人ではございません、リーナさん。売れ残りのメロンに、居場所を見つけてさしあげている男の顔です」
カシッコーは、パルマメロンを一つ手に取った。甘すぎない。香りすぎない。誇りすぎない。いままで彼が短所だと思っていたものが、すべてひっくり返って見えた。欠けているのではない。待っていたのだ。塩を。乾きを。脂を。酒場のざわめきを。人の舌が、甘さだけに飽きる瞬間を。
「明日から、バールにお持ちします」
「売るの?」
「最初は売りません」
「じゃあ、配るの?」
「流行らせます。売るのは、その後でございます」
リーナさんは呆れたように笑った。
「また面倒なことを始める」
「面倒なことではございません、リーナさん」
カシッコーは、メロンの皮に親指を滑らせた。網目のざらつきが、乾いた地図のように指へ残った。
「これは、戦でございます」
その夜、市場の上には細い月が出ていた。ヤーツク君はどこかの酒場で銀貨を半分に減らし、たぶん風呂にはまだ行っていない。魚屋のお婆さんは桶を伏せ、リーナさんの香草は濡れ布に包まれて眠っている。パルマの石畳は昼の熱を吐き終え、路地には涼しい風が流れていた。マキャベツ家の店の奥で、カシッコーだけが起きていた。彼はメロンを切り、肉を薄く裂き、厚みを変え、順番を変え、皿を変えた。メロンが下か、肉が上か。巻くか、乗せるか、刺すか。塩を足すか、足さないか。どの一口なら、酒の前に舌が起きるか。どの一口なら、客が「もう一つ」と言うか。
そして、明け方近く。彼はようやく、ひと皿を前にして手を止めた。まだ名前はない。まだ誰も知らない。まだ市場の七位のメロンでしかない。だが皿の上では、淡い橙色の果肉と、薄い赤い肉片が、朝の光を待つように静かに並んでいた。
カシッコーはそれを見下ろし、低く言った。
「おまえを、甘い果物として売るのは今日で終わりです」
そして少しだけ笑った。
「明日からは、流行として売ります」
(わたし)
そして、街のバールからそれは流行り始めた
そして品種改良された高級とされているメロンでは、合わないこともあり
伝統のパルマメロンに追い風になるのだ
そして八百屋マキャベツもバールに対する卸しをすることで、事業は好転するのであった、、、
大手商会となった後年(15年後)、カシッコーは、プロモーションの豆知識をまとめた書物を著する
「バール豆論」(パルメメロンに掛けている)
(chatgpt)
街のバールから、それは流行り始めた。最初は、笑いだった。
「メロンに肉だと?」
「カシッコーさん、おまえ、とうとう売れ残りを酒のつまみに化けさせる気か」
「化けるならまだよろしいかと。腐るよりは、ずっとましでございます」
市場裏の細い路地にあるバール「眠らぬ蠅亭」で、カシッコーが最初の皿を出したとき、常連たちは遠慮なく笑った。職人たちの笑いは、貴族の笑いよりずっと遠慮がない。喉の奥で転がすのではなく、机を叩き、唾を飛ばし、相手の背中まで巻き込んで笑う。油の染みた木の卓、葡萄酒のこぼれた床、壁に吊られた乾いた腸詰、天井の梁にたまった煤。そこに、薄く切られた淡い橙色のメロンと、透けるような赤い塩漬け肉の小皿は、場違いなほど澄ました顔で置かれていた。
「召し上がってから笑っていただいた方が、笑いの質も上がるかと思いますが」
カシッコーは言った。
「食ったあとでも笑えますか?」
「笑える。うまけりゃ笑うし、まずけりゃもっと笑う」
そう言ったのは、革職人のベルトさんだった。彼は太い指で一切れつまみ、鼻に近づけ、まず匂いを嗅いだ。
「肉の匂いがするメロンだ」
「肉の香りに寄り添うメロン、と申し上げた方が正確でしょうか」
ベルトさんは肩をすくめ、口に入れた。その瞬間、彼の顔から笑いの半分が消えた。消えた半分の場所に、困惑が座った。噛む。舌を動かす。眉間にしわを寄せる。飲み込む。葡萄酒に手を伸ばしかけ、伸ばした手を止める。
「……もう一つ」
バールの中が、一拍だけ静かになった。
「おい、今なんて言った」
「もう一つだ」
「うまいのか」
「わからん」
「わからんのに、もう一つなのか」
「わからんから、もう一つだ」
カシッコーは、その言葉を聞いて、胸の中で小さく鐘を鳴らした。うまい、より強い言葉がある。もう一つ。人の舌は、時に頭より正直だ。頭は名前を欲しがる。舌は次を欲しがる。
二皿目が出た。今度は粉屋の息子さんが食べた。彼は、振られる前から振られた顔をする男だったが、その日は少しだけ勇気のある顔をした。
「これなら女に贈れる」
「またそのお話でございますか」
「いや、今度は違う。甘すぎないから、媚びてない。肉が乗ってるから、貧乏でもない。なんだこれは。ずるいぞ」
「ずるい味でございます」
「名前は?」
カシッコーは少し黙った。名前は、まだ決めていなかった。けれど、そこで黙りすぎる商人ではなかった。
「パルマの涼み皿、などはいかがでしょう」
常連たちは顔を見合わせた。
「長い」
「では、メロンと肉の皿」
「ひどい」
「甘さ控えめの姫君、はいかがでしょうか」
「もっとひどい」
バールの親父が、皿を拭きながら言った。
「名前なんざ、客が勝手につける。うまけりゃ残る。まずけりゃ、おまえの名前で呼ばれるぞ」
その夜、皿はすべて出た。出たというより、消えた。客たちは笑い、首を傾げ、もう一つと言い、葡萄酒を飲み、それからまた「さっきの変なやつ」と言った。変なやつ。最初の名前は、それだった。
「あの変なやつ、もうないのか」
「変なやつを一皿」
「酒の前に変なやつをくれ」
翌日には、別のバールの小僧が覗きに来た。三日目には「うちにも少し置けるか」と言う店主が二人来た。五日目には、まだ食べてもいない男が「噂のやつを出せ」と言った。噂は、味より早く走る。とくにバールの噂は速い。朝、市場で値切った女房の話。昼、役人に怒鳴られた荷運びの話。夕方、葡萄酒で舌がほどけた職人の話。夜、歌い手が節をつけてしまった話。噂は、その日のうちにパン屑と一緒に床へ落ち、靴裏について、次の店へ運ばれる。
カシッコーは、それを待っていた。彼は最初の十日間、どの店にも大量には卸さなかった。少しずつ。足りないほどに。足りないものは、人を落ち着かなくさせる。ある店では二十皿分。別の店では十五皿分。眠らぬ蠅亭には三十皿分。どの店にも、同じことを言った。
「切りすぎないでください。肉を多くしないでください。高いメロンをお使いにならないでください」
店主たちは、最後の一つで必ず笑った。
「高いメロンを使うな? 商人がそんなことを言うのか」
「この皿では、高いメロンほど邪魔をいたします」
「そんな馬鹿な」
「馬鹿だとお思いでしたら、ぜひお試しください」
実際、彼らは試した。商人は疑うことで飯を食う。あるバールの主人は、客寄せのために甘く香る高級メロンを使った。結果、常連が顔をしかめた。
「昨日のほうがうまい」
「これは甘すぎる」
「肉が臭く感じる」
「口の中で貴族同士が言い争ってる」
その言葉を聞いたカシッコーは、心の中で頷いた。貴族同士が言い争う。いい表現だ。どこかで使える。彼は自分の帳面に書いた。
高すぎるもの同士を合わせるな。高い味は席を譲らない。
伝統のパルマメロンに、追い風が吹き始めた。昨日まで「甘くない」「古い」「昔の味」と言われていたものが、急に「この皿にはこれでなければならない」と言われるようになった。客は不思議なもので、単体では七位と見なしていたものでも、役職を与えられると急に敬意を払う。甘いメロンの王者にはなれない。しかし、塩漬け肉の相棒としては第一位になれる。果物としては控えめ。だが前菜としては、控えめであることが強い。
マキャベツ家の荷車は、朝の市場へ運ぶだけでは足りなくなった。昼前には、バールへ直接回るようになった。午後には、翌日の注文を聞いて歩くようになった。夕方には、熟し具合ごとに分けた木箱を、店ごとに割り振るようになった。硬めは「銀の小鹿亭」へ。少し熟したものは「眠らぬ蠅亭」へ。香りの弱いものは塩漬け肉の強い店へ。水気の多いものは、薄切りの肉を使う店へ。
「おまえ、メロンの医者みたいになってきたね」
リーナさんが言った。
「医者ではございません、リーナさん。仲人です」
「メロンと肉の?」
「舌と財布の、でございます」
リーナさんは笑った。
「そっちのほうが悪い」
魚屋のお婆さんも、ある日とうとう認めた。
「カシッコー、あんたの丸い顔ども、最近よく出ていくね」
「猫さんも見向きしないとおっしゃっていましたね」
「あれは猫の舌が未熟だったんだよ」
「お客様も未熟でいらっしゃったのでしょうか」
「客はいつだって未熟さ。商人が育てるんだ」
カシッコーは少しだけ驚いて、お婆さんを見た。
「お婆さん、今おっしゃったこと、なかなかよろしいですね」
「昔から言ってるよ。あんたが聞いてなかっただけだ」
事業は好転した。好転というより、転がり始めた。最初は荷車一台ぶんだった注文が、二台になり、三台になった。畑との契約を増やし、熟し具合を見分ける若い衆を雇い、傷みかけを安く流すのではなく、用途ごとに分けるようになった。果肉の硬さ、香りの強さ、水分、尻の沈み具合。それらをすべて値段に変えた。甘さ一つで負けていた商いが、別の物差しを手に入れた瞬間、負けではなくなった。
やがてマキャベツ家の店は、露店では収まらなくなった。市場の南西の角にあった布屋根は、しっかりした木の庇に変わり、奥には倉ができた。倉には涼しい石室が掘られ、メロンはそこで、店ごと、日ごと、熟度ごとに並べられた。木札には、昔ながらのパルマメロンとはもう書かれなかった。かわりに、こう書かれた。
肉に寄り添うパルマメロン。
リーナさんはそれを見て「少し気持ち悪い」と言った。
「では何がよろしいでしょうか」
「涼みのパルマ」
「悪くないですね」
「お金取るよ」
「香草でお支払いします」
「銀貨で」
「ヤーツク君のようなことをおっしゃらないでください、リーナさん」
そのヤーツク君は、あれ以来、時々店に現れた。風呂に入ったかどうかは日によって違ったが、銀貨の匂いを嗅ぎつける鼻だけはいつも鋭かった。彼は、カシッコーの商いが大きくなるにつれ、自分が東洋の本を持ち込んだ功労者であると市場中に言いふらした。
「わしがいなけりゃ、あのメロンはいまごろ豚の餌ゼヨ」
「半分は、おっしゃる通りでございます」
「全部本当ゼヨ」
「読めもしない本を売っただけでございますよ、ヤーツク君」
「読めない本を読める男に売る。それが商売ゼヨ」
その言葉も、カシッコーは帳面に書いた。
商品の価値は品物の中だけにない。買い手の頭の中にもある。
十五年後。
パルマの街でマキャベツ商会と言えば、もう市場の隅の八百屋ではなかった。メロンの卸し、香草の取引、塩漬け肉の仲介、バール向け前菜の監修、季節ごとの献立札の作成まで手がける、大手商会である。若い商人たちは、カシッコーのやり方を学びたがった。年寄りの商人たちは「あれは運がよかっただけだ」と言いながら、こっそり真似をした。貴族の食卓にも、いつしか例の皿は出るようになった。ただし貴族は、何にでも長い名前をつけたがるので「パルマ式冷製果実と熟成肉の前奏」などと呼んだ。カシッコーはそれを聞くたびに、心の中で「変なやつでいい」と思った。
その頃、カシッコーは以前ほど店先には立たなくなっていた。髪には白いものが混じり、指は太くなり、目つきは若い頃より穏やかになったが、値段を聞くときだけは昔の鋭さが戻った。彼は商会の奥の部屋で、夜になると机に向かった。机の上には、あの東洋の薬師の小冊子が置かれていた。表紙はさらに擦り切れ、糸は何度も補修され、紙の端は指の脂で少し黒くなっている。読めない文字は、相変わらず読めない。だが、カシッコーにとってそれはもう、読めない本ではなく、考え方を開いた本だった。
彼は、自分の豆知識をまとめることにした。
商売のこと。味のこと。客のこと。噂のこと。値付けのこと。流行のこと。人がなぜ買うのか、なぜ買ったあとで理由を作るのか。なぜ高いものが常に勝つわけではないのか。なぜ「売れない理由」を変えると、品物は別の顔で立ち上がるのか。
書名は、何日も決まらなかった。
弟子の一人は「商い五輪」と言った。カシッコーは首を振った。
別の者は「市場制覇論」と言った。これも首を振った。
リーナさんは「カシッコーのずるい帳面」と言った。これは少し迷ったが、商会の正式な本としては少々危険でございますと断った。
ある晩、ヤーツク君がふらりと現れた。相変わらず胡散臭く、相変わらず悪いやつではなく、相変わらず風呂との関係は不安定だった。彼は机の上の原稿を覗き込み、目を細めた。
「なんの本ゼヨ」
「プロモーションの、小さな知恵を集めたものでして。大層な題にするほどでもないのですが、知っていると多少腹がふくれます」
「豆はいいゼヨ。安いし増える」
カシッコーは、原稿の余白に豆の絵を描いた。バールで流行った。豆知識。パルマメロン。彼は少し考え、静かに笑った。
「……バール豆論、でしょうか」
リーナさんは横で茶を飲んでいたが、その題名を聞いた瞬間、渋い顔をした。
「駄洒落?」
「バールで使える豆知識の論でございます」
「後世の人が困るよ」
「後世の方々には、少し首をかしげながら読んでいただくくらいが、ちょうど良いと思っております」
ヤーツク君は手を叩いた。
「いいゼヨ。ぜんぜん意味がわからんのに、なんかありがたいゼヨ。高く売れる本の匂いがするゼヨ」
「ヤーツク君にそう言っていただけると、なぜか少し不安になりますが、まあよしとします」
「では銀貨三枚で題名の相談料を」
「銅貨七枚でしたら」
「風呂代ゼヨ?」
「今度こそ、先にお風呂の方をお願いできますと、大変ありがたいです」
こうして、カシッコーの晩年の書は『バール豆論』と名づけられた。写本職人は何度も題名を確認した。「バール豆論で本当に良いのですか」と。カシッコーは毎回「よろしゅうございます」と答えた。真面目な本ほど、少しふざけた入口がいる。入口で笑わせておけば、奥で少し怖いことを書いても、人は気づくのが遅れる。
『バール豆論』の第一章には、こう書かれている。
甘さで負ける果物は、甘さで勝とうとしてはならない。香りで負ける果物は、香りを叫んではならない。売れない品は、まず己の弱さを数えよ。次に、その弱さを必要とする皿を探せ。皿がなければ、皿を作れ。皿が広まらなければ、バールへ持っていけ。市場の客は値段を見るが、酒場の客は隣の皿を見る。
第二章には、こうある。
高いものと高いものを合わせるな。高いものは互いに席を譲らない。控えめなものは、隣に置かれて初めて役に立つことがある。余白は欠点ではない。余白とは、他人の価値が入り込む場所である。
第三章には、少しだけ意地の悪い一文がある。
客は理由があって買うのではない。買ったあと、理由を欲しがる。ゆえに商人は、品物と一緒に理由を売れ。
そして、最も有名になった一節は、弟子たちによって何度も書き写され、後の商人たちのあいだで半ば格言のように扱われた。
流行とは、味の勝利ではない。味が噂に乗るための器を得た状態である。
この本がどれほど本当に読まれたのか、正確なところはわからない。商人は本を買うが、最後まで読むとは限らない。けれど『バール豆論』という題名だけは妙に広まった。若い商人が少し悪知恵を働かせると、年寄りが「バール豆論をかじったな」と言った。売れない品物に妙な売り文句をつける者がいると「マキャベツの真似だ」と笑われた。バールで新しい皿が流行るたびに「また誰かが豆を撒いた」と囁かれた。
カシッコーは晩年、時々あの最初の市場の南西の角へ行った。そこにはもう、昔の布屋根の露店はない。けれど朝の匂いはあまり変わらなかった。濡れた石、藁、馬、野菜、パン、魚、香草、人の欲。十五年前と同じように、街は毎朝、何かを売ろうとしていた。
彼は露店に並ぶメロンを一つ手に取った。若い店主が慌てて言った。
「マキャベツ様、それは伝統のパルマメロンでございます」
カシッコーは笑った。
「伝統の、か」
「はい。昔ながらの、肉に寄り添う味で」
昔ながらの。かつて売れなかった言葉が、いまは値札の上で堂々としている。伝統とは、最初から尊いものではない。誰かが売り損ね、悩み、塩を振り、怪しい本を買い、バールへ持ち込み、噂にして、ようやく後から伝統になるものもある。
カシッコーはメロンを戻した。
「良いメロンですね」
若い店主の顔が明るくなった。
「甘いでしょうか」
「甘すぎない」
店主は、一瞬だけ不安そうな顔をした。カシッコーは続けた。
「……ええ、だから良いのですよ」
その日の夕方、カシッコーは古いバールで、例の皿を頼んだ。淡い橙色のメロンに、薄い赤い肉。昔より、少し上品に切られている。皿もきれいだ。値段も高くなった。彼は一切れつまみ、口に入れた。
塩が来る。水が来る。脂が流れ、甘みが遅れて起きる。
十五年前と同じだった。いや、同じではない。記憶が、少しだけ味を甘くしていた。彼は葡萄酒を飲み、皿を見下ろして、誰にも聞こえない声で言った。
「おまえ、ずいぶん出世したな」
カウンターの向こうで、若い客が友人に言っていた。
「これ、昔からパルマにある食べ方らしいぞ」
カシッコーは、思わず笑った。
昔から。
なんと便利で、なんと厚かましく、なんと商売向きの言葉だろう。
彼はもう一切れ食べた。今度はゆっくりと噛んだ。甘すぎないメロンは、いまも静かに肉を受け止めている。皿の上には、小さな嘘と、大きな工夫と、少しの塩と、十五年分の噂が乗っていた。バールのざわめきの中で、それらはすっかり混ざり合い、もはや誰にも分けられなくなっていた。
(わたし)
という、生ハムメロンから降りてきた物語でした
(chatGPT)
めちゃくちゃ良いです。生ハムメロンへの違和感から始まって「体液説」→「食い合わせ」→「土用の丑の日とうなぎのプロモーション陰謀」→「架空中世パルマの売れないメロン商人」へ転がっていく流れが、とても自然でした。しかも最終的に、生ハムメロンを「美味しいから生まれた料理」ではなく「売れないメロンの弱点を、相性と物語で価値に変えたプロモーションの産物」として再発明しているのが面白いです。
特に良いのは、カシッコーの勝利が「高級メロンに勝つ」ではなく「高級メロンでは成立しない用途を発見する」になっているところです。甘くない/香りが弱い/昔ながら、という弱点が、塩気と熟成香を受け止める余白になる。これは商売の話としても、料理の話としても、物語の話としてもきれいです。「バール豆論」も良いです。かなりくだらない駄洒落なのに、後年の商人たちがありがたがって読んでいる感じが出せる。真面目な格言の中に、しょうもない命名が混じっているのが、いかにも民間伝承っぽいです。「昔からある」と言われているものが、実は十五年前の商売上手の作為だった、というオチも強いです。
この話、単なる料理発明譚ではなく「伝統はどう作られるか」の物語ですね。しかも説教臭くなく、八百屋/怪しい行商人/バール/市場/売れ残りのメロンという俗っぽい場所から生まれるのがいいです。高尚な料理史ではなく、汗と匂いと値切りと銅貨七枚から伝統が立ち上がる。生ハムメロンという、ちょっと首をかしげる前菜に、妙に納得できる偽史が生えました。これはかなりおいしいです。




