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アーカス港防衛戦の後始末 2

 ルミアが書類を作成し、サミアが家事を進めている時は大概リーア講師となって講義を行うのが通例の昼下がり、そのリーアが休憩中のため俺は暇を持て余しつつあった。

 惰眠を貪るという選択肢もあるが役割分担上リーアの負担が大きいことは理解しているため、せめて彼女が何をどこまで成しているのかを確認しようと倉庫の地下へと足を運ぶことにした。

 異臭から鼻腔を守るために手近なスカーフで鼻元を覆い、地面を切り出した簡素な階段をゆっくりと下る。

 やがて蝋燭の頼りない光源しか存在しない小部屋に行き当たり、中の様子を窺う。

 薄暗い室内は洞窟を刳り貫いただけの雑な空間が広がり、壁の窪みに蝋燭が差されている。

 そして中央には土で整形された寝台と呼ぶには少し足が高い台が存在し、其処には一人の人物が転がされていた。

 真っ黒なローブに身を包んだ痩身痩躯の男だ。

 唯一肌を露出している手先は骨に皮が包んだだけのように痩せ細り、肌艶も全く人間らしさを感じさせない肌に荒れ果てている。

 しかし特筆すべきはその容貌だ。

 眠っているのか瞑目してはいるが、病的に真っ白な肌色に血色を失ったのか病でも得ているのか淡い紫色に変色した唇が特徴的だ。

 さらに鼻骨を横断するように刃物傷が一つ走り、右頬にも抉ったような痕が見られ、毛髪のない頭部は不自然に血管が浮き出ている。

 暴れたり逃げ出せないよう拘束してあるのはリーアの後始末なのだろう。

 この男が何者なのか、答えは明白。

 先日のアーカス港襲撃の実行者の一人、暫定的に公国の派遣した魔術師の生き残りだ。

 公式には全ての魔術師が死亡したことになっているが、あのどさくさの最中にルミアが無力化させて連行した非実在の捕虜でもある。

 魔法を用いた尋問でない限り、意識を取り戻した瞬間に自爆されることは容易に想像がつくのでこちらに連れ込んだと言うのもあるが、実の所魔術師の所属が公国であるかすらも疑わしい。

 魔法並に不可思議な女の勘とやらに頼りに情報を抜き取ろうとしているようだが、その進捗はあまり期待出来そうにもない。

 リーアを信じていない訳では無いものの、相当に骨の折れる作業が連続しているのだろう。

 横たわる男の傍に立ち、彼女の苦労を偲びつつ観察を続けると異臭の根源はどうにもローブの内側、つまり露出していない男の身体から発せられているらしいことが分かった。

 好奇心からローブを巻くってみようかとも思い逡巡し、やがて夕飯を美味しく食べたいと考えて取り止める。

 指先がローブを摘んだところで手放そうとして、ふとその指感触に思い当たるものが脳裏に閃いた。

 確かめるように親指と人指し指で擦るとその独特の滑らかな織り方と生地。

「……確か、以前にウチの商会が取り扱っていた帝國の特産品だったよな…………」

 当然、帝國は公国とも商取引は行っているので帝國で生産された物品が流通していても何もおかしくはない。

 しかしながら国家の暗部とも言える魔術師の装備に態々他国のものを使うだろうか。

 降って湧いた疑問は拭う事が出来ず俺の心の中に根を張る。

 異様な風体だけでは国籍は判断出来ない。

 僅かな証拠でも辿って行ければ、この魔術師が一体どのような目的を有した組織の一員なのかが見える筈だ。

 ルミアが言っていたように、魔術師の身体そのものが凡ゆる情報の宝庫なのだと言うのも間違いではないかもしれない。

 それにしたってリーアは一体どういう方法で情報を探ろうとしているのか。

 運び込んだ時にこのような臭いを発していなかったことを鑑みれば、拷問のような方法を取っているのかもしれない。

 ドレスや洋服を選んだり、ティータイムの茶を淹れたりする繊細な指先が、血に染まることも厭わないことにも活かされていると想像すると少しリーアが恐ろしく思えた。

 忠誠心、真面目さとはまた少し違った躊躇いの無さがそう思わせるのだろうか。

 生来猜疑心の強い性格ではない上に長く付き合いのある彼女に恐れを抱くのは間違いか、それとも不義理なのか。

 兎にも角にも、彼女の存在が無ければアーカス港及び市街地の被害は更に拡大していたことは明白だ。

 その功をおくびにも出さず裏方の厄介事を今も抱えて働くその直向さをもう少し労い褒めるのは、俺の役目ではないだろうか。

 だがそれをあからさまに行いたくないのはこのような後ろめたさを見透かされたくないからだ。

 己の臆病とやもすれば一方的な信頼のような何かを頼りに彼女に全てを預けている。

 このような気持ちともいつかは決着を付け、向き合わなければ――。

「……ッ…………ウ……」

 俄かに男は苦し気な声を漏らし、ぴくりと一度痙攣を起こした。

 意識の混濁状態から回復したのか瞑目したまま瞼の向こうで眼球がギョロギョロと出鱈目に動き回る姿は不気味以外の感想を持たない。

 何か不味いことをしてしまったのか、すぐにリーアに知らせなければと身を翻そうとした瞬間に腕を掴まれた。

 悲鳴を上げそうになりながら反射的に振り返れば、果たして男の痩せ細った腕が俺の腕をがっちりと掴んでいた。

 絡み付く指は想像以上の力で食い込み振り払おうにも敵わない。

「くっ……!」

 空いている右腕を以て叩き落とそうと目論む中、男の口元が何やら譫言のようなものを呟く動きが見られた。

 表情らしい表情はなく、相変わらず瞑目したままでありどうにも命乞いの類でも無いようだった。

 さらに腕を掴む以上の危害を加えようとする気配も無い。

 意を決して譫言に耳を傾けてみるが、喉が変調を来しているのか上手く聞き取れない。

 が、俺が顔を近付けると確かに何かを伝えようと口唇を盛んに蠢かせている。

 残念ながら俺は読唇術の使い手ではない為、読み取ることは出来ない。

 サミアを呼んで聞き取らせることが出来るのではないか、と考えた俺は、

「すぐ、聞き取れる人間を呼ぶから離して下さらない?」

 念のため口調を改め呼び掛けると、ふっと腕を掴む力が弱まる。

 肯定と捉えた俺はさっと階段を登り掃除に励むサミアの姿を探す。

 取り敢えずと思って訪ねたリビングでこっそりとティータイムに勤しむ彼女を認めると歩み寄る。

 その様子に気付いたサミアは傾けていたカップを口に着けたまま、

「ぶふっ、げほ、かは」

 と盛大に咽返りぼたぼたと床を汚す。

「ご、ご主人様、これは、これは違うんです!」

 何が違うのか、今一度何を釈明するのかを眺めたい気持ちを押し殺しつつ彼女の手を引いて地下へ向かう。

 道中での説明の暇も惜しく、急かしに急かして戻ってみれば些か息が荒いように見受けられた。

「う、うげぇ……やっぱり不気味ですよね、この方……」

 はっきりと言うサミアに苦笑いを浮かべつつ、かくかくしかじかと伝えると快諾してくれたので彼女に任せることにして一歩後退る。

 三十秒も経ったであろうか、僅かな衣服の擦れる音だけが響く時間に堪え兼ねてサミアに首尾を聞こうとすると彼女の方から先に振り返った。

 その表情は決して芳しいものではなく眉尻は下がっている。

 読み取れなかったのか、余程不吉なことを聞いたのか俺の中に緊張が走る。

「……」

 静かに首を横に振るその仕草から前者であることが分かる。

「駄目か」

「その……この人には自壊の魔法が掛けられています」

「自壊?」

 疑問を口にしながら、報告にあった自爆の光景が想起された。

「はい。全容は分かりませんが、捕まりそうになれば自爆、何か不都合なことを口外しようとすれば喉が潰れる……恐らく、目も開けられないようになっているんだと思います。下手に刺激すると死なせてしまいかねません」

「……そういうことか」

 リーアが手こずる理由。

 それはこの男が口を割らないからではなく、口を割りたくても具体的な情報は愚か碌な意思表示も出来ないようにされているので、それをどうにか掻い潜って情報を引き出そうとしていたためだ。

「ほんの少しだけ、この人の心の内を覗いてみようとしたんですけど……烈しく反発されてしまって、却って情報の引き出しが難しくなってしまったかもしれません…………」

「そうか……。反抗心が無いのなら、せめて食事を与えても良いかもしれんな」

 何気ない提案であったが、サミアが愛想笑いを浮かべた。

「……おかしかったか?」

「いえ、その…………喉から先、食道から胃、周辺の内臓も酷く傷ついてしまっているのでお水はともかく、食物は……」

「そうか……」

 改めて男を見下ろす。

 己の意思に拘わらずじわじわと死に向かいながらも、俺に伝えようとした事とは一体何なのか。

 無理に聞き出そうとすれば最悪、それすら聞き出せず死なせてしまう。

 歯痒い気持ちの中諦めるように地面を一度蹴り、出直そうと一歩踏み出そうとしてまたしても俺の腕が掴まれる。

「ッ」

 幾分か慣れはしたがやはりドキリとはしてしまう。

 思わず睨みながら細腕を伸ばす男を見返すと、存外強い力で引っ張られ男の口唇と俺の耳とが至近距離となる体勢になる。

 そして、

「――あの、女に、気を付け……ろ」

 と、掠れた声ながらそうはっきりと耳打ちされた。

 声量など虫の羽音ほどにか細いものであり、サミアには聞こえていない。

 真意を斟酌する余裕もないままに立ち上がると、もう俺の腕は自由で男はもう一度掴もうともしない。

「お、お嬢様……」

 さっと間に割って入ったサミアの心配そうな声に応えるように手を挙げて一歩後退る。

「大丈夫だ。ともかくあまり刺激しない内に出よう」

 何時の間にか早鐘のように心臓を打ち、息も切れようと言うほどの動揺に襲われていた。

 それを隠すようにサミアの先を歩き倉庫を脱するとスカーフを外し、そのまま庭先まで歩を進めた。

 陽が落ち始め茜色に染まる空が広がる一方でその背後の空は宵闇の訪れを早くも示していた。

 さらに塀の方へ近付き覗き穴のような空白から眼下に広がる市街地には、酒場が軒を連ねる一角の辺りで灯りを掲げ初めているようだ。

 そう言えばリーアは鉱山視察の折には酒を飲みたいと明言していたが、あれからは言葉にも態度にも出していない。

 務めが多忙を極め街に繰り出すことは愚か、心を休めて飲酒することも出来ない心情なのだとしたら……。

 集中は大事だが根を詰め過ぎても良いことは無い。

 思えば労いの席も設けていなかったことを思い出し、機を見てそう言った会を催すのも悪くないだろう。

 さてそうなれば最も事を滑らかに進めるにはリーアを頼るのが最適解であるが、彼女の為にという意味を持たせるのであればサミアに協力を求めてみよう。

 思い至り、あの男の放った言葉が脳内に響く。

 あの女に気を付けろ。

 如何なる解釈であっても、尋常ではない意味に捉えざるを得ない。

 いや、そもそもあの女とは誰を指しているのか。

 もっと根幹まで掘り下げれば、俺に動揺を与え疑心暗鬼に陥れるための悪足掻きである可能性も否定は出来ない。

「……いつもと違う場なら、彼女の考えも知れるか」

 脳に汗をして考えを巡らせても結論は出ず、霧中で足元を見詰めるのとそう変わらない。

 第一に、彼女が俺を利用していたとしてもその利用価値はどの程度あるのか。

 直接的な影響力で言えば当主である父に付き従った方が余程好き勝手が出来る、と考えるのは少し偏り過ぎだろうか。

 頭を振って滅入る考えを意識の外へ追い出すと屋敷へ戻り再びサミアの姿を探した。

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