二章 その六
「大丈夫。命に別状はないって」
受付から帰ってきた神達の言葉に、俺と海法は、とりあえずホッと胸を撫で下ろした。
美鶴ヶ丘総合病院。
この辺では一番大きい、夜間診療や救急外来も行ってくれる、公立の医療センターだ。
ここの個室に、部長は現在、入院しているらしい。
学校で海法が語った話からは、二つの情報が得られた。
一つ。部長は昨日、自室で首を吊っていた。
二つ。部長の両親が発見し、すぐさま美鶴ヶ丘総合病院に救急搬送された。
これだけだ。たったこれだけだが、混乱する海法から話を聞いて、行ったり来たりする内容を整理するのに、軽く三十分はかかった。
それから俺たちは病院へ駆けつけ、代表して神達が受付で部長の容態を聞いたところだった。
「良かった……」
自然と、自分の口から安堵の声が漏れた。隣で海法も明らかに安心した顔をしていた。
「でも、なんで部長が自殺なんか……」
一息ついたところで、海法は誰もが疑問に思っているであろうことを口にした。
そう。俺も、それが気になっていた。
まだはっきり自殺と決まったわけではないが、状況からしてまず間違いはないだろう。
だけど、問題は自殺を図った理由の方だ。
部長は理路整然としていてハキハキと物を言う、どちらかといえば悩みやストレスをあまり溜め込まないタイプに思えた。
そんな人が自殺未遂ともなればそれなりの理由があったと考えるべきだろう。
自殺を図る、それなりの理由。
部長の、ストレスの原因。
「……まさかな」
真っ先に浮かんだのは、やはり例のサイトのことだ。
あのサイトは、人に知られたくない過去を、無慈悲に暴き、晒していた。
まさか、あれが原因で、部長は……?
「どうした、初?」
不意に声をかけられ、俺はハッと意識を戻した。顔を上げると、海法が怪訝な表情でこちらを覗き込んでいる。どうやら少しの間、考え事に集中しすぎていたようだ。
「三田村」神達は冷静な口調を保ったまま聞いてきた。「何か知っているの?」
「……まだ確信があるわけじゃない。だから、一度先輩のところに行って、話を聞いてみようと思う。二人はどうする?」
神達と海法は少しの間、考える素振りを見せたが、やがて二人同時に「行く」と答えた。
やはりみんな、曲がりなりにも新聞部員なだけはある。好奇心旺盛だ。
何か事件が起きれば、大人しくなんてしていられない。
俺たちは部長が入院している病室へと、揃って歩き出した。
病室の前には、中年の女性が沈んだ表情で佇んでいた。
ひと目で部長の母親だとわかった。顔の特徴や全体の雰囲気が、部長とよく似ていた。
向こうも俺達に気付いたらしく、真っ赤に泣き腫らした瞳をこちらへ向けてきた。
「あの」おずおずといった口調で、海法は言った。「椎野部長の、お母さんっすか」
「ええ」女性は枯れた声で答える。「あなた達は、心春の学校の……」
「後輩っす。新聞部の」
母親は「ああ……」と短く呟いてから「娘がいつも、お世話になっております」と弱々しく、高校生相手にしては若干堅苦しい挨拶をした。
「い、いえ……」
そこで海法は言葉を濁したっきり、黙り込んでしまった。
無理もない。相手は娘が自殺未遂を起こした直後なのだ。どう声をかけていいかなんて、十五、六歳の俺たちに、分かるわけがない。そこまで俺たちは、世間なれしていない。
「……すみません。少しお聞きしたい事があるんですが、いいでしょうか?」
かといって、このまま沈黙していたのでは埒が明かない。俺は意を決して母親に話しかけた。
「なんでしょう」
母親はあからさまに疲弊した様子で、ため息をついた。見ているだけで不憫になり、一瞬、話を聞くのをためらった。
しかし、後ろから神達が「三田村」とせっついてきたので、俺は不承不承、質問をした。
「その、部長……心春さんの容態は、どうなんですか」
俺の言葉を聞いた母親は一瞬、ぴくりと体をこわばらせた。
それから少しだけうつむいて「……命に別状はありません」と、震える声で言った。
「娘は、昨日の夕方家に帰って、すぐさま自分の部屋に閉じこもりました。夕飯の時間になって、声をかけても返事がないので、部屋を覗いてみたら……」
うぅ、とうめいて、母親はハンカチを口元に押し当てた。
やはり無神経に聞き過ぎたか、と心配するが「でも」と言って母親は話を続けた。健気で、気丈な人だ。
「意識不明の重体でしたが、運良く一命を取り留め、ついさっき、やっと意識を取り戻したところなんです」
「そうなんですか……」自然と、こちらもうつむき加減になってしまう。「すみません、辛い話をさせてしまって」
「いいえ、あの子のお友達には、ちゃんと話しておこうと思っていたから。そのかわり、学校で心無い噂が流れたりしたら、否定して、あの子を守ってあげて欲しいの」
お願いね、と母親は力なく笑った。今にも泣き出しそうな笑顔だった。
俺たち三人は無言で頷く。
「みんな、いい子ね」痛みを堪えるように母親は言った。「うちの娘は幸せ者だわ」
「それで」神達は母親に構わず、淡々と喋った。「今、部長には会えますか?」
「ごめんなさい。それは無理なの。あの子、意識は戻ったけれど、精神的にかなり錯乱していて。とてもじゃないけれど、話ができる状態じゃないの。だから、悪いけれど、今は勘弁してあげて」
「わかりました」神達はまたも感情の見えない、平坦な返事をした。
「せっかく来てくれたのに、ごめんなさいね。……お医者様からも、下手に刺激を与えるとまた自殺を図る可能性があるから、面会はしばらく控えてくださいって。母親の私が言われるのよ? 本当、いやになっちゃうわ……」
そう言ってまた笑ってみせるが、どうしてもその笑顔は痛々しく、いびつに見えてしまう。
しかしそうなると、俺達は現在、部長の見舞いすらできないわけだ。部長に会えないならば、今日のところは出直すしかない。
さらに言えば、これ以上母親に話を聞くのは酷に過ぎるというものだろう。どうしても、こちらが居た堪れなくなってしまう。
「……大変な時に、いろいろ聞かせていただき、ありがとうございました」
俺と神達は同時に頭を下げた。ボケっとしていた海法だけがワンテンポ遅れて、会釈をした。
母親の「これからも心春のことをよろしくね」という消え入りそうな挨拶を聞いてから、俺たちは病院をあとにした。
母親は最後まで、俺達の前では涙を見せなかった。




