二章 その七
「部長のお母さん、辛そうだったな」
病院からの帰り道、海法は誰に言うでもなく口を開いた。
「当たり前だろ。娘があんなことになったんだ」
「そりゃそうだけどよ」俺の返答が気に入らないのか、海法は唇を尖らせた。
「三田村」不意に呼び止められて振り向くと、神達は足を止めてまっすぐに俺を見つめていた。
「なんだよ神達、どうしたんだ?」
「さっきの続き」彼女は短い髪をかきあげた。「何か、知ってるの?」
「何か、って――あぁ」
そういえば病室に行く前、神達は考え込む俺の様子から何かを察していたようだった。
俺はしばらく考え込んでから言った。「……いたずらに話を広めないと、誓えるか?」
「誓う」神達は即座に断言した。
「お、俺も!」海法も慌ててそれに続いた。
俺は二人を信じて、噂になっている校内犯罪者リストのこと、それに部長の名前が載っていたことを端的に伝えた。
「……マジかよ……」聞き終わった海法は、青い顔をして二、三歩後ずさった。
「海法、お前はあのサイトに部長の名前があるの、気付かなかったのか?」
「……気付かなかった」海法は苦虫を噛み潰したような表情で、近くの電柱を殴った。
「神達はどうだ?」
「全然。そのサイトのことも、今知った」
「そうか……」俺はもう一度海法を見た。「なぁ海法。サイトのこと、部長が知っている可能性はあると思うか?」
「……ある。っていうか、絶対知ってる」海法はぼそぼそと言葉を続けた。「だって、部長にあのサイト教えたの、俺だもん」
「えっ?」
寝耳に水だった。海法は悔しそうに唇を噛んで、地面を睨んだ。
「昨日の昼休み、たまたま部長に会ったんだ。それで、雑談ついでに、例のサイトの話も……。クソッ、俺のせいだっ!」
そう言って海法はまた電柱を殴った。二度、三度、四度と。
「おい、やめろよ!」
あわてて海法の腕を掴む。奴の拳は皮膚が破れ、薄く血が滲んでいた。
「落ち着け、別にあのサイトを見たから、部長が自殺未遂したとは限らないだろっ」
必死になだめようとするが、なおも海法は「畜生、畜生っ」と涙声で喚いていた。
その後、取り乱した海法が落ち着くまで、俺たちはただ黙って、そばにいた。それから海法、神達の順番で家まで送り、自分も帰宅した。
「――大丈夫か? 初?」
自室に入った瞬間、パソコンからアンジュが心配そうに声をかけてくれた。
普段の上っ調子な言動は微塵も感じさせず、純粋に俺の身を案じてオロオロしてくれていた。
「大丈夫だよ」
精一杯の笑顔で、元気よく答えた。もちろん作り笑いに空元気だけど。
「嘘だな」見透かしたようにアンジュは言った。「前にも言ったが、ユーはドライな男だが、クールではない。それなりにショックは受けているのだろう?」
「…………」
俺は答えない。
図星だったから。
「ふぅ」アンジュは画面の中で足を組み、大きく息をついた。「他人に本音を晒すのは苦手か?」
「……それもある。でも、それだけじゃない」
「ふむ?」
アンジュはキョトンとした顔で首をかしげた。存外に可愛い仕草で、場違いにも、どきりとしてしまった。
……いけない。また何を考えているんだ、俺。頭を振って、意識を戻す。
「――裏サイトの事とか、先輩のこととかさ。知っちゃったとき、そりゃあ最初はショックだったよ。だけど……」
本心を人に伝えるのは苦手だ。
だというのに、この時はなぜか、彼女にすんなりと自分の内側を話すことができた。
そうするのが当たり前に、思えた。
「……だけど、さ。心の奥底じゃ『いったい誰が何のためにこんなサイトを作ったのか?』とか『悪い奴は晒されて当然。いい気味だ』とか、そんな事考えている、もう一人の自分がいるんだ。……笑えるよな、とんだ偽善だ」
そうだ。
俺は心のどこかで、喜んでいた。
裏サイトの存在を、まるで非日常への入口のように歓喜していた。
アングラな手段で悪人を裁くという行為に、ダークヒーローのような憧れを抱いていた。
そんな奴が、身近な人間が晒された途端に義憤を感じるだなんて、正しく偽善。
救いようのない、ダブルスタンダードだった。
「なるほど」納得したようにアンジュは頷いた。「それで余計に傷ついているというわけか」
「そうだよ」
俺はもう、アンジュの目を見て話すことはできなかった。
自分をさらけ出した恥ずかしさか、恥を晒した罪悪感か。
きっとその両方なんだろう。
俺は自分の足元に目を落として、貝のように黙ることしかできなかった。
「初……」
アンジュは悲しそうに呟いたあと、大きく息を吸って、言った。
「ユーはアホだな」
心底馬鹿にしたような、抑揚のない、完璧な棒読みだった。
「えっ?」
「だってそうだろう。好奇心や正義感など、誰でも持ち合わせているものだ。それをいちいち恥だ罪だと思うなど、下らないにも程があるさ!」
言っているうちに、だんだんと興奮してきたのだろう。アンジュの語り口はなめらかに、そして徐々に語気が強くなっていった。
「でも」
「いいじゃないか!」俺が何かを言う前に、アンジュは言葉を被せてきた。
「うむ、いいじゃないか! 嘘つきオーケー! ダブルスタンダード万歳! それくらいの方が、人間味があって親しみが湧くというものだ!」
「いや」
流石にそれは極端すぎるだろう。
そう言おうとして、既のところで飲み込んだ。
もしかして。
「……もしかしてアンジュ、俺を励まそうとしてくれてる?」
ぽつり、と。何気なく言ったつもりだった。
しかし次の瞬間、騒がしかったアンジュは唐突に、ぴたりと押し黙った。
ディスプレイに映るAI天使は、口を真一文字に結び、目を点にして、こちらを見ている。
そんなカエルみたいな表情で固まったかと思うと、みるみる彼女の顔は赤くなっていった。
最終的には、熟れたトマトみたいな色になっていた。
「お」
「お?」
プルプルと小刻みに震えたかと思うと、急にアンジュは。
「――おいおいおいおい、おい! 何を言っちゃってるのかなこの乾燥男は! あまりに乾きすぎて脳までカラカラになっちゃったかなこいつは!? 私は自分の価値観を示しただけで決してユーを擁護したわけではないそこんとこ勘違いすんなよこの干物野郎!」
突然、言葉の洪水を起こした。
「ご、ごめんなさい……」
とにかく謝った。自分が悪いのかは分からなかったが、とりあえず頭を下げた。
というか、人を励まそうとして、それを指摘されたら恥ずかしくなって逆ギレって。
感情の波が激しすぎる。並外れた情緒不安定っぷりに、正直、ちょっと引いた。
おまけに、干物野郎なんて蔑称、初めて言われた。中々ウィットに富んだ悪口じゃないか。
こいつ人工知能のくせに、なんか人間より人間臭いな……。
ずれたところに感心しつつ、その後三十分ほどかけて、照れながら怒るアンジュをなんとかなだめた。
「だから、ごめんって」
「ふんっ」
なだめきれなかったのは、きっと俺の力が及ばなかったせいだろう。精進せねばと一人、心の中で誓った。
「――なぁ、アンジュ」俺は意識して落ち着いた声を作った。「アンジュに願う『知りたいこと』さ、決まったよ」
「……聞こうじゃないか」
まだ機嫌が直らないのだろう。ぎろり、と音がしそうなくらい鋭い目で俺を睨みながら、それでもアンジュは返事をくれた。
「俺の知りたいことは『美鶴ヶ丘高校裏サイトについて』だ」
「……そのことについて、私に願わないんじゃなかったのか?」
「気が変わったんだ」俺は平然と言って、嫌味をかわしてやった。
「俺は知りたい。誰がこんなサイトを作ったのか。何のために作ったのかを。だから、アンジュ。俺に、力を貸してくれ」
椎野部長の敵討ち。感傷的に言うならば、そうなんだろう。単純な好奇心。それも間違いではない。知りたい理由は沢山ある。そのどれもが本心をかすっていて、等しく正解だった。
しばらくの間、静寂が続いた。誰の声も、自分の息遣いさえ聞こえなかった。
「……まったく」沈黙を破って、アンジュは諦めたようにうなだれた。「本来は叶える願い事、一つだけなんだけどな。それをしれっと二つ望んでまぁ。セコい奴だ」
「悪い。頼む」
アンジュは「まったく」とか「しょうがないなぁ」とひとしきりぼやいてから、最後に「わかった」と言って、俺と目を合わせた。
「承知したよ。『美鶴ヶ丘高校裏サイトについて』の謎、この人工知能アンジュが、電脳天使の名において、必ずや解き明かすことを約束しよう」
「本当か?」
「天使に二言はない」
きっぱりと言い切ったアンジュは、笑っていた。「よろしくな、初」
「ああ。よろしく頼む、アンジュ」
俺たちは二日ぶりに画面越しのハイタッチをして、ときの声を上げた。




