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三章 その十一

 そんなわけで。

 午後三時。俺は美鶴ヶ丘総合病院の前にやってきていた。

 平日だというのにロビーはごった返していて、案内窓口にも長蛇の列が出来ている。面会票を出すだけでも、随分時間がかかりそうだった。

「はぁ」

 無意識にため息がこぼれる。一連の事件の調査は割と積極的に行ってきた自覚はあるが、図書室の件があってから、どうにも気が乗らない。億劫だった。

 それでなくとも、部長に直接話を聞くというのは気が引ける。だって、本人に「どうして首を吊ったんですか」「原因は裏サイトに援助交際をバラされたからですか」なんて、聞けるわけがない。俺はそこまで無神経では、ない。

 だけど結局、俺はこうして病院まで来た。気が進まないと思いながらも、部長に酷な質問をするために。まったく、大した矛盾だ。それとも偽善と言った方がいいだろうか。

 うだうだと悩んでいると、いつの間にか行列は消化されていた。俺は受付に面会表を出し、先輩の元まで、カメよりも重い足取りで向かった。

 目的の病室の前には、いつだかと同じように、部長の母親が立っていた。壁に背をもたれて、青い顔で床を睨んでいた。

「あの、こんにちは」とりあえず挨拶をする。それで初めて俺の存在に気がついたのか、母親はハッとした表情でこちらを見返してきた。

「こんにちは。……ええと」母親は少しだけ迷う素振りを見せる。「心春の後輩の子、よね? 前にも一度来てくれた……」

「そうです」軽く頷いてみせる。

「お見舞い、また来てくれたの? ありがとうね」

 そう言って笑って応えてくれたが、目元には濃いクマができていて、寝不足と疲労を感じさせる。笑顔もどこかぎこちない。無理をしているのがひと目で分かった。

「今日は部長……心春さんに会うことは、できますか」

 だけど、今の俺には他人を気遣う余裕はない。悪いと思ったが、用件を先に済ますことにした。

 母親はぎこちない笑顔のまま「少しだけならね」と困ったように言った。

「心春、ずっとショックで塞ぎこんでてね。今日になって、ようやく話をしてくれるようになったの。面会もできるわよ。といっても、まだ精神的に不安定なんだけど――」

 言いながら病室のドアを開けて、母親は「どうぞ」と中に入るよう示した。

「私は少し先生とお話があるから。だから、気にせずゆっくりしていってね」

「はぁ……」俺の生返事を最後まで聞かず、先輩の母親はあっという間に視界から去っていった。何かから逃れるように小走りだったのは、気のせいだろうか。

「……。ま、いいか」

 どっちみち、部長の親にはあまり聞かせたくない話をする予定だった。都合がいいといえば、その通りだ。

 俺はひとりごちて、病室の中へと足を踏み入れた。

 まず目に入ったのは、割れた花瓶だった。

 きっと、力を込めて叩き落としたのだろう。床のあちこちに破片が飛び散り、落下の中心と思われる場所は水浸しになっていた。散乱する花が何とも言えずもの哀しい。

「あ、三田村くん。こんにちは」

 花瓶だったものを凝視していた俺は、声をかけられて、初めてベッドにいる彼女へと目を向けた。

「椎野、部長」

 そこには、何日ぶりかに見る椎野部長の姿があった。

 パジャマ姿の部長は新鮮だったが、他はパッと見て、そこまで変わった様子は見られなかった。特段痩せこけていたり、憔悴しきっているということもなさそうだった。

 だけど、なんだろう。

 今の部長を見ていると、言いようのない違和感があふれてくる。例えるなら、間違えて他人の靴を履いてしまった時のような。そんな、落ち着かない気分だった。

「来てくれたんだね。ありがとう」

 そう言って部長はにっこりと笑った。

「この前も来たんですよ。だけどその時は面会できないって言われちゃって。あ、これ、よかったらどうぞ」

 俺は手に持っていたフルーツの盛り合わせを床頭台の上に置いた。芸がないとは思ったが、お見舞いに何を持って行っていいか、他に思いつかなかった。

「ありがと」部長は薄く微笑んだ。「それで? 本当は何の用で来たの?」

「何の用って……。お見舞いがメインですよ、もちろん。ただ、部長のこと学校でも色々噂になっているので、誤解を解くためにも、少しだけ話を聞かせて欲しいんです」

「はっ」鼻を鳴らして部長は口元を歪めた。「三田村くん、取材の交渉、上手くなったわね」

「どうも」

 どうやら失笑を買ってしまったらしいが、気にしていては先に進まない。

「噂ねぇ」部長は貼り付けたような笑顔で言った。「学校で流れている私の噂って、どんな?」

「どんな、と言われても」まさか正直に言うわけにもいかないので、言葉に詰まってしまう。

「援交」彼女はパジャマの裾を掴みながら淡々と言った。「……がバレて自殺した、とか?」

「……自殺未遂でしょう」

「どっちでもいいわよ、そんなの」

 生気のない顔で、自虐を口にする。その表情は見ているだけで憐憫を誘うものだった。

「いいわよ。気を使わなくて。三田村くんがぶっちゃけてくれたら、私も正直に言うから」

 投げやりな口調で言って、部長は抱きしめていた枕に顔をうずめた。

「……わかりました」

 半端な気遣いが人を傷つけることもある。多分、今がそうだろう。俺は覚悟を決めた。

「部長の自殺未遂の原因がなんなのかを調べに来ました。といっても、新聞に載せるとか、野次馬根性だとか、そういうのじゃありません。純粋に、力になりたかったからです」

 俺は直球で、だけど先輩への敬意は忘れないように気をつけて質問をした。

「へぇ」顔を上げた部長と、視線がぶつかる。「私の力に、ねぇ」

「さっきも言いましたけれど、部長のことは学校で噂になっています。それも結構、尾ひれが付いて。……俺、部長には色々世話になったし、先輩が早く学校に復帰できるよう、協力したいんです」

 まっすぐに部長を見つめて喋る。目を逸したら、信用してもらえないような気がした。

 そのまま十秒ほど見つめ合っただろうか。

「ふふっ」

 部長は不意に笑った。

「ふふふふふっ」

 それも声を上げて。心底可笑しそうに。

「ふふふっ、そっか。三田村くん、ドライな人に見えてたけど、案外、情熱的なんだね」

 何が面白かったのか、部長はしばらくクスクスと笑い続けていた。一度笑いが収まっても、よほどツボに入ったのか、またすぐさま笑い出した。

 というか俺、部長に『ドライな人』って思われていたのか……。そういえばアンジュにも同じことを言われたし、自覚がないだけで、他人からしてみれば共通認識レベルの乾きっぷりなのかもしれない。気をつけねば。

 照れ隠しに一つ、咳払いをする。幸い、部長もそれを閑話休題の合図と捉えてくれたようで、笑い声はそこで止まった。

「ありがと」部長は表情を変えない。「でも、残念。私、転校することになったの」

「……転校ですか?」

「そう。これだけ有名になっちゃったからね。なんだかんだで住みづらくなっちゃったのよ。私も、家族も。だから、今年中には引っ越す予定」

「……そうですか」

 迫害、と言うほどではないのかもしれない。

 でも、部長とその家族が心無い噂によって肩身の狭い思いをしているのも、また事実なのだろう。

 少なくとも、住み慣れた地から早々に去ろうと思うくらいには。

「だから、私のためにいろいろ調べようとしてくれるのは嬉しいけれど、もう意味がないの。ごめんね、せっかく張り切っているのに」

「いえ、そんな」

 目を伏せ、歯切れ悪く答える。やはりというか、どうやら先輩は裏サイトや自分の自殺未遂についてあまり語りたくない様子だった。ダメ元のつもりだったが、それでも落胆は隠せなかった。デリケートな問題だけに、無理強いするのもためらわれる。

「うーん」部長は抱いている枕をいじりながら唸った。「まぁでも、わざわざここまで来てくれたんだし。そのまま突き返すのも悪いか」

 その言葉に俺はハッと顔を上げる。部長は俺と目を合わせなかった。怖いくらいの、無表情だった。

「そうだね、三田村くん、せっかく来てくれたんだもんね。うん、いいよ。お礼と言ったらなんだけど、私に聞きたいことがあったら、なんでも訊いて。できるだけ答えるようにするから」

「いいんですか?」

「そう言ってるじゃない」

 部長は膝を立ててその上に顎を置くと、気だるげに目を細めた。「ほらほら、私の気が変わらないうちに、早くしなよ」

「……それでは、遠慮なく」

 本当は、言いたくないだろうに。それでも部長は、俺の気持ちや、ここに来た目的を汲んで、こうして自分の汚点を晒してくれている。

 すみません。ありがとうございます。俺は心の中で部長に礼を言ってから、質問を開始した。

「じゃあ、まず。……先輩が自殺未遂をした理由を、教えてください」

 意気込んで訊くと、部長は「援交がバレたから」と素っ気なく答えた。

「バレたって、どうしてですか?」

「……これも噂になってるから知ってると思うけど、学校の裏サイト。あれでクラスメイトとか、いろんな人にね。そんで、白い目で見られるようになったってわけ」

 やはりそうか。まぁ、これはほとんど確認みたいなものだ。

「そんなの嘘だ、デタラメだって否定すればよかったじゃないですか」

「そんなのできないよ」囁くような声だった。「だって、全部本当の事なんだもん」

 そう言った先輩は、どこか泣き出しそうな雰囲気だった。だけど顔は変わらず能面のような無表情だ。なぜだろう。なんで俺は、部長が泣き出しそうなんて思ったんだ?

「三田村くんも裏サイト、見た? なら分かるでしょ。……あそこに書いてあること、本当だから。どうやって調べたのか、日付や金額、相手のことまで事細かに、ね」

 部長は自嘲気味に笑った。「どう? 軽蔑する?」

「しませんよ」俺は即答した。「軽蔑なんて、しません」

「優しいね」

「身内に甘いだけです」

 部長は呆れたようにため息をついた。わずかに微笑んだ気がしたのは、気のせいだっただろうか。

「ま、いいわ。一応お礼言っておく。ありがと」

 俺は軽く頭を下げてから続きを訊いた。「部長はなんで、そのことがバレたんだと思いますか」

 少しだけ眉根を寄せて、部長は答えた。「分からないわ。誰にも話してないし」

「何者かにつけられていた様子とかは?」

「ないと思う。一応、悪いことやってる自覚はあったし、知り合いに見られないよう、周囲には気を配っていたもの」

「じゃあ、監視カメラは?」

「は?」途端に部長は怪訝な顔になった。

「監視カメラですよ。街中とか、お店とか、その、……ホテルとかに行ったとき。意識して避けていましたか? あとは、メールとか、通話履歴とか」

「ちょ、ちょっと待って」部長は余裕のない顔で俺の肩を掴んできた。「どういうこと? メールとか、監視カメラとか、そんなのでバレたって言うの?」

「その可能性もあります」

「嘘でしょ。ありえない。だって、私以外にも百人以上、あの裏サイトには載っていたんだよ? それを全員、そんな方法で調べたって言うの? そんなの、人間業じゃない」

「俺もそう思います。でも、可能性はあります」

 人間業じゃないことができるやつの、可能性。

 例えば、世界中から情報を一瞬で集められる、電脳世界の天使とか。

 部長は黙って、考え込むように顎をなでた。「私も、そこまでは気をつけていなかったけれど。でも……」

 なおも納得いかない表情の部長。だけど俺は、それとは対照的に、確信にも似た思いを持っていた。

 アンジュ。

 やっぱり、お前が――。

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