↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/35

三章 その十二

 その後も十五分ほど部長から話を聞いたが、目立って新しい情報は得られなかった。

 ここらへんが潮時かな。そろそろ帰ろうかと考え、秒室内を見渡す。掛け時計はもうすぐ四時を示すところだった。

「それじゃ、部長。俺、そろそろ帰ります」

「わかった」特に引き止める様子もなく部長は言った。「また来てね」

「はい」俺は退室しようと踵を返す。が、そこで一旦足を止めて、再び先輩に向き直った。「あの、部長。最後にもう一つ、訊いてもいいですか」

「何?」

「花瓶、どうしたんですか」俺は床に散らばったままの破片を指差した。

「それ、今頃聞くの?」馬鹿にしたような口調だった。「普通、入ってきて最初に聞くもんじゃない?」

 そういうものだろうか。なんとなく聞きそびれてしまっただけなのだが。

「すみません。で、なんで割れているんですか」

「割ったの」さも当然のように部長は言う。「ベッドの上から投げて、勢いよく叩きつけて。三田村くんが来る前、ちょっと不愉快な人が来てたから。ちょっと、ぶつけようと思ったの」

「……お見舞いの人ですか?」

「クラスメイト」部長はあからさまに不機嫌になって、唇を尖らせた。「の、男子が一人」

「同級生相手に花瓶で攻撃だなんて穏やかじゃないですね……」

「私は悪くないよ。あいつが失礼なのが悪い」

 嫌な予感がした。部長が今、一番言われたくないこと。傷つくこと。

 そんなの分かりきっている。

 俺が何かを口にするより早く、部長は話した。

「そいつ、こう言ったのよ。『お前、ウリやってるんだろ? だったら同級生のよしみで、安くヤらせてくれよ』ってね」

「……」

「まぁ、そういうバカが出てくるかもって、少しくらいは予想していたけれど」

 なんでもないように話す姿が、かえって痛々しい。

 まさかわざわざ直接会いに来てまで、からかう奴がいるとは。デリカシーというか、モラルというか、そいつにそういうものはないのだろうか。部長にそう言ったとき、そいつは心が痛まなかったのだろうか。

「三田村くん」名前を呼ばれ、我に返る。「すごい怖い顔しているよ」

 慌てて自分の眉間を触ると、確かにシワが寄っている。きっとよほど険しい表情になっていたんだろう。

「私のために怒ってくれたんだね。優しいね」部長は柔らかく笑った。「一緒に部活やってる時は気付けなかったよ」

「……どうも」褒められるのは苦手だった。どう返事をしていいか分からなくなる。

 先輩は少しだけ考える素振りをして、訊いてきた。

「ねえ、三田村くん」

「なんですか?」

「お礼に、シてあげようか」部長は扇情的に笑った。「そういう、イイコト」

 言葉に詰まる。すぐには答えられなかった。冗談にしても、タチが悪い。それに、俺の知っている部長は、そんな目で、そんな言葉を吐かない。

 そう、そんな濁った目で――。

 その時、唐突に俺は理解した。さっきから感じていた違和感の正体が、やっと分かったのだ。

 そうか。瞳だ。いつもの部長は切れ長の澄んだ瞳で、それが大人びた印象を与えるのに一役買っていたようにも思う。

 それが今は、ドブの底みたいに濁った色をして、只々虚ろに開かれているだけだ。

『心春、ずっとショックで塞ぎこんでてね。今日になって、ようやく話をしてくれるようになったの。面会もできるわよ。といっても、まだ精神的に不安定なんだけど――』

 部長の母親が話した言葉が蘇る。

 精神的に不安定。そうか、そうだった。

 会話が成り立つから大丈夫だと思っていた。意思疎通ができていると錯覚していた。

 先輩の心は、もうとっくに――

「ふふふ、どうする、三田村くん。ふふ、うふふふふふふふふ」

 ――壊れていたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。