タイムマシンにお願い
「ついにあの男を捕えました。この望人と希香の物語を、語り部『オズマ』が語ることが、素晴らしい呼び水となったようです」
気が付くと私達の意識と心は、白い壁で塗装され、二階へと螺旋階段の伸びる執筆オフィスへと運ばれていた。そこでは宗一郎がずっと行方を追っていた、あの男、栗色の髪の男が、宗一郎に体を抑えられている。男は宗一郎にレーザー・ガンを突きつけられている。
宗一郎と栗色の髪の男の傍には、目の前で起こった出来事を何とか把握しようとしている、眼鏡を掛けた、細面の男が立っている。彼は手書きの原稿を推敲していたようだ。彼は作家か何かだろうか。そんな私達の推理、困惑、戸惑いをよそに、捕えられた栗色の髪の男が叫ぶ。
「ガトゥ! 未来は変えられるはずだ! 地球が巨大隕石で滅亡する運命など受け入れたくないだろう!」
「ガトゥ」。その言葉は確かに宗一郎に投げ掛けられたものだった。宗一郎は六十代に仕立て上げられた顔貌をマスクのように脱ぎ捨てると、若く妖艶な顔を見せる。そこには、まだ三十代前半とおぼしき、精気に満ちた男の顔があった。切れ長の瞳、薄く締まった口元。やはり。宗一郎が醸していた魅力はこの隠された、宗一郎の本当の姿にあったのだ。宗一郎は栗色の髪の男、彼の手を捻り上げる。
「ジン・ガド、物語は終わりだ。過去を改竄し、未来を修正するのを私達『時空警護局』が許さない」
「ガトゥ、お前の頑迷さは必ず身の破滅を招くぞ!」
ジン・ガドと呼ばれた栗色の髪の男は、宗一郎、いや今やガトゥという名だと私達に知らされた男に警告する。だがガトゥは動じる気配さえ見せない。
「何とでも言え。歴史は修正してはならない。歴史はそこにあるべくして、存在するべきだ。それが私の『正しい歴史』への『愛』だ」
執筆中だったであろう眼鏡姿の男は、ガトゥに静かに歩み寄る。彼はこの事態をある程度予想していたようだ。
「ガトゥさん、彼が僕を狙っていた未来の暗殺者?」
ガトゥは豪胆に顔をもたげる。肩口にまで伸びた髪の毛は妖しげに揺れる。
「その通りだ。『オズマ』。迷惑を掛けたな。これで9090年の東京に端を発する歴史修正事件も解決だ。首謀者を捕えたのだから」
オズマ。ガトゥは確かにそう言った。この眼鏡姿の物書きこそ、私達を幾つもの物語に誘った語り部「オズマ」だったのだ。オズマはガトゥに語り掛ける。
「君が僕のもとへ現れて以来、僕は動揺しっ放しだったよ。何せ、未来から突然訪問者、『君』が現れて、刺客が僕の命を狙っているというのだから」
ガトゥは一度微笑んで、謝意をオズマに伝える。オフィスにはいつの間にかタイムマシンを使って現れた、「時空警護局」の人間たち、ガトゥの部下だろうか、がジン・ガドを拘束し、連行していく。そしてガトゥは私達に向き合うと事件の全容を繙く。
「タイムマシンが初めて開発されたのは、この男がいる9090年の東京でね。その年から多くの人間が過去、現在、未来を行き来し、歴史に混乱を引き起こすようになってしまった」
ガトゥは冷静に、そして時に怜悧な表情を浮かべて、右手を軽く挙げる。
「中でも悪質だったのが、この男、ジン・ガドだった。幾つもの歴史に干渉し、未来を変えようとした」
ガトゥは、一度オズマに振り返る。
「そしてジン・ガドは地球最後の日を目にして、それを阻止しようとした。ジン・ガドが考えた計画は二つ」
私達は余りに速い物事の展開に息を飲む。ガトゥは一つ一つ指を折っていく。
「まず一つは、君達が目にした、安岡の暗殺計画だった。ジン・ガドは安岡を暗殺することで、別惑星移民計画を早めようとした。そうすることで多くの人命が別惑星に逃れられると考えたからだ」
ガトゥはそのアイデアを切り捨てる。
「しかし、それは浅はかだった。あの時代、9090年、東京の安岡を暗殺するのはむしろ地球の壊滅を早めるものだったからだ」
ガトゥは両手を開いて、更に論旨を重ねる。
「もっとも、安岡暗殺で移民計画が成功するとしても、私は歴史の修正を許さなかっただろうが」
ガトゥには冷たい感情、そして冷たい思想が背景にあるようだった。ガトゥとジン・ガド。どちらが善でどちらが悪かは分からない。しかしこれだけは確かなのが、ガトゥは歴史修正に強い忌避感を持っているという事実だった。私達があれこれと推察を巡らせていると、オズマがガトゥに尋ねる。
「それにしてもどうして僕が狙われたんだい?」
ガトゥはほっとしたような、しかし同時に少し呆れたような表情を見せる。
「それはジン・ガドのある種のフライングだった。未来を見通し、書き記す力を期せずして天から授けられた君、オズマを暗殺することで未来に何らかの変化をもたらすことが出来ると、ジン・ガドは考えたんだ」
そして清々しい笑みを浮かべて執筆オフィスの天井を見上げる。
「それはミステイクだった。ジン・ガドは自ら足を出し、歴史修正者を取り締まる『時空警護局』の幹部、私だ。私に追われる羽目になった。そして未来と過去を幾度も行き来し、逃亡せざるをえなくなったというわけさ」
なるほど、と私達とオズマが頷いていると、ガトゥは話を纏めに掛かる。
「そうして私が待機していたバーで、偶然、あなた方と私は鉢合わせた。私は過去の人間に出逢ってしまったからには、二つの選択肢しかなかった」
ガトゥは一際鋭い顔つきを見せる。それは残酷な趣きさえあった。
「一つはあなた方の記憶を全て『消す』こと。そうすることで、あなた方は、何もかもなかった出来事として今を、そして未来を生きることが出来る」
ガトゥは両掌を握り合わせる。ガトゥの猟奇性さえある瞳が私達を瞬時震わせる。
「だが、私の良心がそれを良しとしなかった。あなた方の記憶を抹消するのはさすがの私も気が咎めたというわけだよ」
ガトゥは美徳と悪徳、善と悪の狭間にいる。いやそんな基準さえ飛び越えてしまうような高い意識の持ち主であるのが私達にはわかった。ガトゥは口にする。
「そしてもう一つの選択肢が、全てを明らかにして、その事実を誰にも君達が話さない。秘密にしてくれることを期待する、という考えだったんだよ」
そして不敵な笑みをガトゥは浮かべる。
「君達がこの私との約束。私と一緒に見聞きした全てを秘匿してくれるのならば、それに勝る幸せはないがね」
ガトゥは沈黙する私達の解答を待った。私達の答えは……、「イエス」しかないではないか。これだけ豊潤な物語を見せてくれて、過去、未来へと案内してくれたガトゥを裏切る理由などどこにもない。ガトゥには感謝しこそすれ、恨みなど何もないのだから。それに……、と私達は考えた。
ガトゥとの約束を守らなければ、ガトゥは冷徹非情に、迷わず私達の記憶を消すだろう。その事が私達には分かっていた。そうと決まると決断は早い。私達は優しくガトゥに頷く。ガトゥは安心したように笑みを浮かべる。
「それは良かった。私とあなた方の想い出が、ひっそりとあなた方の胸に息づき、秘密とされることを私は望む。『シークレット』。素晴らしい響きじゃないか」
満足げなガトゥに今一度、オズマが尋ねる。
「ガトゥ、僕はどうしたらいいのかな。未来からの使者、ガトゥ。ガトゥ・バラディンと僕は出逢い、未来の一部始終を知ってしまった。その僕はどうすればいい?」
ガトゥはオズマの躊躇いを、意にも介していないようだった。ガトゥは笑顔でオズマの肩に優しく触れる。
「君はこれまで通り、未来の物語の語り部として生きて、執筆していくといいよ。それが作家という生き物の宿命なのだから」
そしてガトゥは少し悪戯っぽく笑う。
「それは、ずっと昔、時には預言者とも呼ばれる役割だったのだが」
私達とオズマは、ガトゥの話して聞かせる物語、事件のあらましをようやく全て把握することが出来た。それを理解したガトゥは一息ついて別れの言葉を述べる。
「さて、こうしてはいられない。君達も目の当たりにしたように、地球にはやがて最後の日がやってくる。君達はそれまで一体誰と、一体どんな日々を送る? それは人類にとって永遠のテーマだ」
私達が答えあぐねていると、オズマがからかい半分にガトゥに訊く。
「そう言う君はどうするつもりだい? ガトゥ」
ガトゥは白い歯を零して笑みを浮かべる。その風貌は颯爽としていた。
「私かい。私は勿論、妻と娘とともに時を過ごすよ。おっと、こうはしていられない。今日は私の妻の誕生日でね。妻にバースデーケーキと花束を買ってあげなけれぱいけないんだよ。大切な人と夜のひと時を、と言う奴だ」
私達はその時、初めて超俗的であった宗一郎、そして超人的でさえあったガトゥに一人の人間としての感情を、面影を見た気がした。そしてガトゥは優しく微笑んで最後に告げる。
「あなた方は今夜、誰と一緒に夜を過ごす? それではまたいつの日か、お会い出来る日もくるだろう。それでは、その日まで! ……ご機嫌よう」
その言葉を最後にガトゥは大きく風を靡かせて私達の前から消えた。あとには、オズマと私達が残された。困ったようにオズマは頭を掻く。
「やれやれ忙しい男だ。初めて出会った時からそうだった。一方的に事情を説明して、要件を告げる。そういう男だった。さて……」
そう言ってオズマは私達を見据える。
「君達はどうするつもりだい? 僕は今度刊行予定の短編集『タイムマシンにお願い』を完成させるつもりだ。良かったら本屋で立ち読みでもして、覗いてくれると嬉しいよ」
私達は、どうするべきだろう。取り敢えずこの場から立ち去り、普段の日常に戻るべきだろう。勉強なり、仕事なり、趣味なり、各々の日常へ。そう思っているとオズマが私の肩を叩く。
「さぁ、あなた方は、あなた方の人生へ。しっかり自分の人生を愛してやって欲しい。それは一度きり。決して二度とは繰り返されないものなのだから」
その言葉を聞いた私達は胸の奥で何かがうずくのを感じた。そしてその場から一人、また一人と立ち去っていく。家族へ、恋人へ、友人のもとへと向かうべく。そして最後に一人残された「私」もオズマの執筆オフィスをあとにする。オズマは軽く手を振って私を見送ってくれた。感謝だ。その言葉が私の頭を過った。
私は、オズマの執筆オフィスを出ると、街へと足を踏み出した。外は上天気で太陽の陽射しが降り注いでいる。私は手傘を差すと、空を仰ぎ見て、新しい人生、新しい明日へと歩みを進めて行った。
それから数週間後、私は書店でオズマの手による短編集「タイムマシンにお願い」を手に取った。そこには私と、宗一郎、いやガトゥが目にした、物語と人々の数々が活き活きと描かれていた。私はその想い出を胸にすると嬉々として、文庫本「タイムマシンにお願い」を片手にレジへと向かう。清算され、私のものとなった著作「タイムマシンにお願い」は今でも、いつの日にでも、あの淡く、儚く、そして時に激しい物語へと私を運んでくれるようだった。幾つもの想い出を携えて。煌々と輝くあの光とともに。




