MY 9090 OF NOSTALGIA
「冥王星行き銀河超特急、15分の発車時刻の遅れをお知らせします」
9090年、朝方の霧が立ち込める、ネオ東京の駅にアナウンスが鳴り響く。細面の顔立ちの20代後半の青年、安岡はこのアナウンスを聴いて特急に乗り込んだ。霧は人けの少ない駅を覆い尽くし、安岡の心情を投影しているようでもあった。
安岡はある人物を探してこの駅に辿り着いた。安岡はこの日の為にあらゆる手立てを尽くし、準備を整えてきた。安岡が探している人物はただ一人、先の国連事務総長である久我建夫だった。安岡は、元は久我の部下だった男だ。
安岡は客車内を足早に歩いて久我を探す。安岡の心に迷いはない。一人の人物に焦点をあて、命を奪うための覚悟は出来ているようだった。安岡の手には簡素なデザインのアタッシュケースが握られている。
安岡は久我との1年前のやり取りを回想していた。安岡の一重の、切れ長の瞳は、しばし閉じられる。そこには安岡の痛々しい思いが映し出されている。回想は事務総長室での久我と安岡が交わした短い会話だった。久我は感慨深げに、冷淡に、その時確かにこう言った。
「地球の人口は増え続けるばかりだ。もう地球は人類を支えきれない。誰かが犠牲にならなければならないんだよ」
「犠牲」。その重苦しい言葉は、久我がこれから語る思想とプランを象徴しているようでもあった。久我は、安岡がその時一瞬だけ、痛ましげに閉じた瞳を見つめる。
「そして『選ばれた人間』だけが地球と離別するんだ」
「選ばれた人間」。久我の選民思想は安岡を失望させた。自分が仕えたこの男。自分が若き日の時間と労力を全て捧げたこの男は、かつて、確かに、熱いヒューマニズムの持ち主ではなかったか。その思いが裏切られるのを前にして安岡は静かな面持ちで久我に訊く。
「それで、恐慌の只中にある地球を見捨てるというのですか」
久我は回転椅子に腰かけ、顔を拭う。久我には久我の思想信条がある。久我の顔に刻まれた深い皺は、彼がその心情へ辿り着くのに相当の苦渋と痛みを伴ったのを表していた。久我は指を組み合わせる。
「振り返れば後悔ばかりが残る。地球の歴史とは汚辱と屈辱の歴史だ。だからこそ誰かがそれを断ち切らなければならない」
地球の歴史。壮大なスケールの話も、長きに渡り、重責を担ってきた彼にとっては、身近な日常の断片であるようでもあった。久我は持論を口にする。
「人生もそういうものだよ。安岡。誰かが幕を引かなければならない」
安岡は薄い唇を噛みしめる。自分の仕えてきた男が、晩年を迎えてこのような思想に辿り着くとは。それが悔しく、残念でならなかった。安岡は感情を押し殺し、もう一度久我に意見する。
「『選ばれた人間』だけが地球を離れる。私はそんな考えには反対です」
久我は安岡の意見に満足げだ。愛しげに、そして万感の思いをもって、安岡の両頬を両手で撫でる。
「君はもとからヒューマンな男だった。正義感が強く、不義を憎む。そういう男だ」
久我はそんな安岡を信頼し、重宝してきたのが、久我の仕草、表情の一つ一つから垣間見れる。久我は笑みを浮かべる
「だがもう避けられない。事態は動き出してるんだよ。人は時として非情にならなければならない」
安岡は、久我の諦念にも似た言葉を前にして、一つの時代が、終わりを迎えたのを悟る。冷淡な事実を耳にした安岡は久我と別れることを決意した。安岡はゆっくりと久我の手をどける。
「あなたに仕えた10年間、私は本当に幸せだった」
久我は冷たく凍った瞳で安岡を見ている。その瞳は安岡との離別が避けられないことを覚悟しているようでもあった。安岡は誇りを持って口にする。
「私は人類に貢献出来たと思う。それもあなたのお蔭です」
安岡は久我と歩んだ日々を噛みしめる。幾つもの残根を込めて。
「だが、それも終わりだ。私はあなたと今日を限りに袂を分かつ」
安岡の決別の想いを聞いても、久我は動揺しない。だからこそ安岡の感情と無念さは高まっていく。
「あなたには恩を感じている。だからこそ残念だ!」
久我は物静かに笑みを浮かべる。久我はこの純粋で実直な青年、安岡の顔を撫でる。
「君一人の力ではどうにもならない。どうにもならないんだよ。それは私の力とて、同様だ」
安岡と久我の間に、覆しがたい沈黙が覆う。二人の間には、望まずして敵対せざるを得ない人間の悲しみがあった。その時、部屋の扉をノックする音が響く。扉の外からは女性の声が届いてくる。
「お父さん、会見の時間が近づいてるわよ。早く準備して。草稿は整っているわ」
その声の主は久我の22になる娘であり、久我の秘書も務める里香だった。久我は娘の言葉に応えて会見の準備を始める。この瞬間、安岡と久我の離別は決定的になった。安岡は草稿を整える久我とすれ違うようにして、身支度をする。そして一礼すると部屋を静かにあとにした。事務総長室の扉を開いた時、安岡は里香とすれ違う。安岡は口を開く。
「里香さん、これまでお世話になりました。今、私は総長に辞意をお伝えました」
里香は突然の出来事に驚き、安岡の気持ちを把握し兼ねている様子だった。里香は安岡の真意を尋ねる。
「辞める? 安岡さんどうして? 待遇? それとも政策的なすれ違い?」
安岡は俯いたまま、口を閉ざして里香の言葉に応えなかった。一度、礼をすると、振り返らずにその場を立ち去る。安岡の無言の別れを前にして里香は、ただ立ち尽くすしかなかった。
事務総長室で交わしたその会話から半年後の8月、恐慌はさらに悪化した。紙幣は紙切れ同然となり、株や証券もただの紙屑になってしまった。食料、資源の供給もほぼ閉ざされ、人々の生活は困窮の一途を辿る。その最中に地球を離れて新世界へ向かう一団がいた。
「富裕層」である。彼らは次々と地球から離れ、新しい星へと植民を始めていた。「貧困層」を置き去りにしたままに。
安岡はその光景を冷たく見つめていた。安岡の焦点は決して振れない。彼の視線の先にあるのは、「恐慌を放置した男」、久我ただ一人だった。
そこで安岡の回想は終わった。銀河特急から蒸気が吐き出される。安岡はゆったりとした足取りで、久我のいる貴賓席へと向かう。この時期、この時間帯に銀河特急を利用出来る乗客など数少ない。人の気配の途絶えた車両を安岡は歩いていく。そして安岡は貴賓席の一つ。久我と、里香のいる座席に辿り着いた。
久我は安岡の姿を目にとめると、どこか安心したような表情を見せた。久我は覚悟している。静かに自分の運命を受け入れる。そんな物腰さえ見せている。安岡が久我の前に足を延ばすと、久我は顔を一度大きく両手で拭う。
「安岡……。安岡。久し振りだな。もう1年は経つだろうか。君が私のもとを離れて。長く、そして短い時間でもあった」
安岡は再会の余韻や感傷に浸る素振りさえ見せずに、冷たく久我に言い放つ。
「全て、あなたのイメージ通りになりましたね」
久我は諦めたような笑顔を見せる。久我はシナリオ通り進めながら、最後の詰めを誤ったのを悟っているようだった。
「ああ、その通り。君がここまで私を追ってきたのを除けばだ」
安岡は自分の勝利を確信していた。この老いて抵抗する構えさえ見せない諦念の老人を前にして、それは約束されたも同然だった。安岡は口を開く。
「チャンスはあなたが地球を離れるこの瞬間だけだった」
久我は安岡の周到な準備、計算に、何よりもその覚悟に感心していた。久我は優しく笑う。
「君は細心の注意を払う男だ。君の読みは全て当たった。賞賛に値する」
だがしかし久我は口元を拭い、懐疑的な言葉を投げ掛ける。それは安岡が勝利する一歩手前の最後の難関だった。
「ところで私をここでどうする?私を裁いても、病めるもの、貧しきものに救いは訪れない」
安岡に迷いはない。彼は自分の行為、動機にある種、確信を持っていた。安岡は即答する。
「それでもあなたは報いを受けなければならない」
久我は落ち着いている。安岡の答えを予期していて、同時に満足したようだった。久我は隣に座る娘の里香に視線を送る。その視線は、久我の最後に残されたヒューマニズムの名残であるようにも安岡には思えた。久我は刹那、天井を仰ぎ見る。
「『報い』か。『報い』。それも悪くない。君の手でこの物語に幕を降ろすといい」
それは瞬く間の出来事だった。久我がそう言い終えた瞬間、安岡はアタッシュケースから銃と資料を取り出す。そして資料を下敷きにして、久我目がけて弾丸を撃ち込んだ。
ヒラヒラと舞い落ちる資料は、安岡と久我が築いた国連での業績について書かれたものだった。安岡は全ての想いを振り切るように悲しみを伴い口にする。
「これが私とあなたの思い出だ。思い出と共に二人の栄光も、消える」
その言葉を耳にして久我は、口から吐血し、満足げに命を落した。久我はこの結末をむしろ望んでいたのだろうか。そんな思いが安岡の脳裏に過る。だが迷いは敗北へ誘惑する。その思いを安岡は振り切った。それと同時に車内アナウンスが鳴り響く。
「メンテナンスが終了しました。座席をお離れの方は座席にお戻りになり出発に……」
安岡は久我の死体を一瞥すると里香を見た。安岡に残された時間は少ない。里香は虚ろな瞳で一点を見つめている。安岡は呟く。
「可哀そうに。投薬されてるんだね」
彼はそっと彼女の手に触れると伝える。
「あなたには罪はない。あなたを見逃す私のわがままがどうか許されるように」
それは愛する女性だけを生かし、一人地球から逃がすという自分のエゴを、安岡が自分自身、許した瞬間でもあった。安岡は里香の冷たく、透き通った手の甲に、優しく触れると、その場を後にし、特急から降りた。
特急は冥王星へ向けて発車していく。彼は口にする。安岡は、銀白色に輝くその特急の勇姿を見送りながら口にする
「私は地球を立て直すつもりだ。それが私の罪滅ぼしになるのだから」
特急は星の瞬く夜空へ向けて走り出す。その姿を目に焼き付けて彼は呟く。
「里香さん。お慕いしていました」
特急は彼の視界から消えると星空の彼方へと走り抜けていく。彼はこう言葉を添えてその姿を見届ける。
「さぁ私に出来る仕事を探そうか」
その瞬間から安岡の新しい仕事が始まった。恐慌の傷痕を拭うための仕事が。彼の目の前には山積された課題が速やかに解決されるべく横たわっていた。
それから五年後、世界経済は安岡の働きもあり、日に日に回復の兆しを見せていた。「救済」と呼ばれる経済立て直し政策の先頭に立つのは安岡と、彼を慕う、貧困層出身のエリート達だった。汗を流し、知恵を出し、ひたすら行動する安岡の首には里香の写真を入れたペンダントが掛けられていたという。




