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花魁の残り火

 2058年、東南アジアのエンターテイメント企業が大挙して日本に進出してきた時代。その時代の流行りものの一つに「花魁白日夢」という娯楽機器があった。花魁白日夢。それは元禄時代の吉原遊郭を仮想体験出来る遊技機で、成人男性にだけ許された遊びだった。ユーザーは「仮想遊郭」と名付けられた施設に訪れ、そこで規定の金額を支払い、花魁白日夢で戯れることが出来る。

 ユーザーは吉原遊郭を模して名付けられた「番頭」に代金を払うと、特殊なカプセルに入る。そこで電極を頭部に軽く差し込み、脳に刺激を与える。すると視覚、触覚、嗅覚、味覚、聴覚の五感を、精緻なコンピューターグラフィックスで作られた仮想現実の世界で生々しく体感することが出来た。

 この花魁白日夢では実際に、花魁と性交渉にまで及び快楽を得ることが出来たので、それが目的で一部の男性達はこの遊びに熱狂した。

 永瀬蘭次郎は2058年、「世界で最も美しい男性100人」の一人に選ばれたモデルだ。蘭次郎は、艶やかな長い睫毛と、ユニセックスな二重瞼、そして薄く締まった朱色の唇が印象的な青年で、そのスマートな体からは妖艶な魅力が醸されている。彼は派手な女性関係を好む一方で、一人自宅に閉じ籠り、内省的な隠遁生活を送る傾向もあった。

 蘭次郎は幼児期のトラウマ、母との不仲のせいで、女性を心から信用出来ないところもあり、現実の女性と交際をしては、裏切られるのを恐れ、見捨てられるのを恐れ、同時にそれがために、女性を裏切り、捨てるという倒錯した心持ちの男でもある。

 蘭次郎は今日も自宅で一人読書に耽り、煩わしい現実から離れようとする。そんな折、蘭次郎は、仮想遊郭のインドネシア人オーナー、「桜主」と呼ばれるハジ・ムハンマドに、花魁白日夢を紹介される。ハジはインドネシアの新興企業「Kasenangan(快楽)」の上役であり、蘭次郎駆け出しの頃からの親しい知人でもあった。

 ハジは蘭次郎の性格、そして何よりも蘭次郎の女性へのある種の忌避感をよく知っていたので、それを緩和し、性的快楽を味わってもらいたいとの意図で、花魁白日夢を蘭次郎に勧めた。

 コンピューターグラフィックスとの性交渉。体では女性を知り尽くしている蘭次郎にとってそれは魅力あるものではない。だが同時に戯れの暇つぶし程度には、遊んでやってもいいとの思いに、蘭次郎は駆られていた。

 コンピューターグラフィックスと快楽に溺れる。悪くない。そうと決めると行動は早い。蘭次郎は早速スケジュールを空けて、秘密裡に仮想遊郭を訪れた。古来の日本風衣装を身に着けた番頭が、蘭次郎を出迎え、カプセル、花魁白日夢へと案内する。番頭は妖しげに誘惑する言葉を添えて、電極を蘭次郎の頭部に差し込む。

「どうか永久の悦楽に溺れなされ」

 馬鹿馬鹿しい。刹那、この急造の日本情緒を軽蔑した蘭次郎だったが、蔑むのも時間の無駄だ。楽しもう。そう考えて泡沫の夢に溺れて行く。蘭次郎が瞳を閉じると、彼の心と体は元禄時代の吉原遊郭へと、いつの間にか運ばれていた。

 蘭次郎は意識が鮮明ではない。五感は確かに感じるが、目に映る光景とイメージは茫洋としていて、掴みづらい。ただそこは蘭次郎がうろ覚えの知識で得た、花魁との「初会」。いわゆる初めての顔合わせを設ける宴の間であるのが分かった。

 目当ての花魁は上座で静かに佇んでいる。しきたり通り、蘭次郎はゆったりとした足取りで下座に座る。すると華やかな宴が始まった。

 この初会では、客は花魁と言葉を交わすことさえ許されていない。へぇ、なかなか凝った趣向だ。蘭次郎はそう思うと、持て成さられる晩餐に舌鼓を打ち、派手に酒をみなへ振る舞い、豪奢に祝儀をばら撒いた。それが初会での一つのルール、習わしでもあるからだ。

 そこで客は自分の懐の深さを見せて花魁の関心を惹かなければならない。花魁は口元を扇で覆い、その顔をはっきりと窺い知ることは出来ない。それが花魁、彼女の魅力を引き立て、より一層のセクシャリティを際立たせている。「ヴェール」。その言葉が蘭次郎の頭を過る。花魁の扇は、まるでイスラム圏の女性が顔を覆い隠すヴェールのようだ。蘭次郎はそう素直に思った。

 やがて初会の宴は過ぎ行き、上座から艶めかしい足取りで花魁は立ち去っていく。「名前は?」そう問い掛ける言葉が喉元まで出掛かったが、蘭次郎は習わしを守り、口を噤む。宴の終わった、金襴屏風煌めく宴の間に、蘭次郎は一人取り残されて、立ち尽くしている。するとどこからか番頭の声が、妖しげに響く。

「次は二度目の逢瀬。いわゆる『裏』の世界へどうぞ」

 その瞬間、蘭次郎の心と体は、遊郭の世界で「裏」と呼ばれる、二度目の宴の間へと運ばれていた。またしても宴が始まる中、ただ一つ違うのは花魁が、蘭次郎とともに酒を飲み交わし、会話するのを許されていることだった。蘭次郎と花魁は杯を交わし、初めて話をする。

「君、名前は?」

 朴訥とした蘭次郎の質問に、花魁は微笑んで答えない。彼女の指先は白く透き通り、豊潤な香りを漂わせている。花魁は、ただ料理に軽く手を付けて、味わう。

「客人、無粋な問い掛けでありんす」

 この花魁の仮想人形はぎこちないが、花魁の言葉づかい、仕草、礼儀をわきまえているようだ。そう思うと蘭次郎はより一層悦びが募るのを知った。蘭次郎は質問を変えてみる。

「君は、どこから来た? 自分がどう生まれたのかを知っているか」

 蘭次郎は、花魁の会話プログラムを揺さぶるような言葉を、あえて投げ掛ける。すると花魁は目を細めて、白い指先を蘭次郎の頬にあてる。

「私は生まれた時から江戸にいました。そんなことを訊いても得にはならず、退屈でおござんしょう」

 良く出来ている。蘭次郎は胸の内で呟くと同時に、この花魁に徐々に惹きつけられていく。花魁は、扇を蘭次郎の目の前に差し出し、一瞬、顔を覆いかくし、見えないようにする。すると蘭次郎は静かに扇をのけて、花魁の顔をしっかりと見つめる。

 花魁の瞳は細く長い一重で、鼻筋は通り、薄い唇がうっすらと開き、官能に誘い込むようだった。花魁は「口説」と呼ばれる口説き文句を口にする。

「客人と、同じ夢を見て、同じ手触り、肌触りを感じとうございます」

 花魁は蘭次郎の首筋に手を絡みあわせ、口元を蘭次郎の顔に近づけると、唇から吐息を漏らす。蘭次郎は、綺麗なフォルムを見せる花魁の額に、挑発するように触れ掛けるが、それは彼女に拒まれてしまった。

 花魁はなおも焦らし、誘うように、蘭次郎の頬から唇にかけて、自分の指先を滑らせる。蘭次郎は今にも花魁の体を引き寄せたい衝動に駆られたが、何とか抑える。肌の、体の触れ合いはない。それが「裏」での決まりごとだからだ。

 やがて二度目の逢瀬はたけなわを迎え、終わった。足取り軽やかに宴の間を立ち去る花魁に、今一度、それが最後のチャンスであるかのように蘭次郎は訊く。

「君、名前は?」

 すると花魁は、今度はそれを拒みもせず、嫌がりもせずに優しく答える。

華蕾(はなつぼみ)と申します」

 「華蕾」。簡素だが秘めやかで、ふんわりと仄かな感触のする名前だ。蘭次郎はそう思うと、豪胆に杯の酒を飲みほす。すると酔いが回ったのか、目眩にも似た感覚を覚え、足元がふらつく。耳鳴りの響く耳元にまたもこう番頭が囁きかけたようにも、蘭次郎には思えた。

「さて、それでは最後の悦楽、最後の愉悦。『馴染み』をご堪能あれ」

 その密やかな言葉に後押しされ、蘭次郎の心と体は、花魁と肌を触れ合うのを許される「馴染み」の場へと、花魁、華蕾の部屋へと案内されていた。華蕾の部屋からはうっすらとロウソクの灯が差し込んでいる。蘭次郎は、金糸模様をあしらった襖を、すっと開けて華蕾の部屋へと足を踏み入れる。華蕾は衣服を少しはだけて、肩を曝け出している。華蕾は指先で蘭次郎を手招いてこう呼び掛ける。

「いらっしゃって」

 蘭次郎は屹立として姿勢を整えると、上着を脱ぎ、華蕾の肌に触れる。蘭次郎は、華蕾の胸元に手を伸ばし、柔らかい胸を手で優しく覆う。そして突き刺すように唇を、華蕾の口にあてると、舌を絡ませていく。蘭次郎は、華蕾と体を重ね合わせ情事に溺れて行く。長い愉悦、快楽、揺さぶるような官能のあと蘭次郎は激しい、これまでにないエクスタシーを感じた。ここまで真剣に一人の「女性」にのめり込んだのは初めてだ。蘭次郎はそう感じていた。

 深く長い秘め事のあと、蘭次郎は華蕾にすっかり魅了され、虜となってしまった。露わになった肌を再び衣服で覆い、ミステリアスな佇まいを取り戻した華蕾に、蘭次郎は語り掛ける。

「君を現実の世界へ連れ出したい。俺と一緒に来てくれないか」

 華蕾は潤んで、しっとりとした目を伏せて、静かに呟く。彼女の左人差し指の先には、どこからか舞い込んだ蜻蛉が止まっている。

「蜻蛉でありんす」

 蘭次郎は、もう一度華蕾に歩み寄ると、肩を鷲掴みにしようとする。だがひらりと体を翻し、華蕾はそれを避けて、かわした。蘭次郎は華蕾に向かって叫ぶ。

「君は、こんな仮想現実、作り物の世界にいるべき人間じゃない。君はもっと自由な世界に行くべきだ。そう、開かれた世界へ」

 蘭次郎はそれが戯言であり、許されざる戯れであるのを知っていたが、その鼓動と衝動を抑えることが出来なかった。蘭次郎は、ひたひたと華蕾に足を近づけて行く。するとこれまでしおらしく、控えめだった華蕾がスラリと足を伸ばし、蘭次郎に体を近づける。そして彼の顎に手をあてがうとこう口にする。

「私も自由ではありません。そうあなたと同じように」

 「あなたと同じように自由ではない」。その言葉は蘭次郎の胸に深く、深く、鋭く突き刺さった。そう確かに自分は自由ではない。窮屈なモデルの仕事、すぐにでもこじらせてしまう女性関係、そして母との関係から来るトラウマ。それら全ては、蘭次郎を拘束し、縛りつけていた。見透かされていた。そう思うと蘭次郎はなおも華蕾に想いが募り、詰め寄る。

「それが分かっているのなら、二人で一緒に行こう」

 すると華蕾は左手の指先を唇にあてて、手元に止まった蜻蛉を見つめた。そして彼女は零す。

「あなたの刹那の夢も、この蜻蛉の幻とともに終わりでありんす」 

 蘭次郎は慌てて、手を華蕾に伸ばす。

「待って!」

 すると次の瞬間には、蘭次郎は強い目眩、立ち眩みを覚え、体中に激痛を覚えた。そして気が付くと花魁白日夢のカプセルに横たわっている自分に気が付いた。けだるそうに重い体を起こす蘭次郎の手を、桜主のハジが握る。

「蘭次郎。どうだった? 我が社の製品は。満更でもないだろう」

 現実に戻ってきた。そう気が付くと蘭次郎は、慌てて、せわしげに体を起こし、ハジの襟元を掴むとこう詰問した。

「華蕾は! 華蕾は! 彼女はどこにいる!?」

 ハジは得心したように頷く。数多くの女性遍歴を誇る蘭次郎でさえ、この花魁白日夢の虜にされてしまったのだと。ハジは笑って軽く右手を挙げる。

「君もこの遊技機がお気に召したようだな、それは良かった。またいつでも来てくれ。君をいつでも新しくプログラムされた花魁が歓迎し、持て成してくれるだろう。仮想遊郭は、いつでも、蘭次郎、君を待っているよ」

 蘭次郎は我を忘れ、取り乱し、ハジの肩を激しく揺さぶる。

「華蕾に! 彼女に俺はまた会えるのか!?」

 ハジは少し顔を曇らせる。

「同じ花魁には残念ながら二度と会えない。次は数億に及ぶパターンとプログラムから、ランダムに作り上げられた新しい花魁が君を出迎えるだろう。それが花魁白日夢を客に飽きさせないための工夫なんだ」

 それを聞いた蘭次郎は激情し、両手を挙げる。

「工夫? ランダム!? ふざけるな! 彼女、華蕾は不自由を被っている。俺は彼女をこの仮想空間から救い出したいんだ! あんな女は……世界に二人といない」

 ハジは蘭次郎の身に起こった出来事について理解しているようだった。それは花魁白日夢への一時的な依存だった。多くの男性と同じく、蘭次郎もこの遊技機に魅了されてしまったようだ。それが分かるとハジは、事実を淡々と口にする。

「君がたまたま、偶然出逢った華蕾とやらは、奇跡的に、一時的に作られた泡沫の幻でしかない。君が見たのは夢。決して現実じゃない。五感を確かに刺激されたとしても、それは錯覚でしかないんだ」

「錯覚だと……? ふざけるな」

 蘭次郎は、声を押し殺して怒りに震えている。それを見たハジは困ったように蘭次郎を諭してみせる。

「君を持て成した花魁……、華蕾とか言ったな。その娘は現実には決して存在しない。何千京を超える花魁のパターンの内の一人。しかも二度と同じものは作り出されない」

 そしてハジは申し訳なさそうに釘を刺す。

「ましてや、彼女を仮想空間から連れ出すなんて、不可能なんだよ」

 その言葉を聞いた蘭次郎は、轟然と顔をもたげ、しかし確信を持ってこう口を開いた。スラリと掲げた彼の指先には、どこからか舞い込んだ、あの蜻蛉が止まっていた。

「彼女は確かに存在する。これが何よりの証拠だ。彼女、花魁の……残り火だ」

 その言葉の意味を、不意に汲み取ったハジは、不気味な余韻に包まれていた。現実と仮想空間が期せずして繋がっている。そんな思いを、その蜻蛉はハジに抱かせた。蜻蛉は静かに、蘭次郎の指先で佇み、飛び立つ気配はない。蘭次郎は、蜻蛉をしっかりと見つめるともう一度口にする。

「そう、これが世にも稀なる美女。花魁、華蕾の残り火だ」

 緑色の目を光らせる蜻蛉はいつまでも蘭次郎の指先から離れなかったという。

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