15 三十年戦争
「瑞季くーん……。」
「なんだぁー?」
「どう考えても今回のテスト範囲終わらないんだけど?」
「だな……。もうあれだ、定期テストじゃなくて模試とかセンターのための勉強だと思え。三年の成績なんて大して重要じゃねぇし。」
三十年戦争
「三十年戦争は文字通り、三十年間、1618年から1648年の間に起きた戦争で舞台はドイツだ。最後にして最大の宗教戦争。……ちなみにこの三十年戦争の前に二つ宗教戦争があったが、言えるか?」
「フランスのユグノー戦争……以外になんかあったっけ?」
「あるある。スペインのオランダ独立戦争。スペインからネーデルラント連邦共和国が独立した要因がフェリペ二世のカトリック化政策だ。三十年戦争に話戻るぞ。そもそもドイツ、神聖ローマは国内に領邦を擁していたせいで一枚岩とはとても言えなかった。」
「先生―、領邦ってなんですか?」
「あー、領邦は中世末期からドイツにあった封建的な小国家のことだ。領邦国家はそれぞれが外交権や貨幣鋳造権までもっていた。辛うじて神聖ローマって形をとっていたが、実質的にはばらばらだったんだ。それの理由が度重なるイタリア政策にあったんだが……それはまあ後で復習しとけ。で、三十年戦争の原因はアウクスブルクの和議だ。この和議以降も国内では宗教の対立が繰り返されてきた。で、これがすべての発端、1618年、ベーメンでプロテスタントの反乱がおきた。」
「確かフス戦争の時もベーメンだったような。」
「次、1625年からデンマーク戦争がはじまり、国際戦争となった。ここでは新教国デンマーク王クリスチャン4世VSベーメンの傭兵隊長ヴァレンシュタイン。このデンマーク戦争ではデンマークが敗北。」
「あれ、ベーメンってプロテスタントじゃ……?」
「まあ全員がプロテスタントじゃねぇし。この時点では旧教側が優勢。1630年からスウェーデン戦争が始まる。新教側のスウェーデンのグスタフ=アドルフVSヴァレンシュタイン。このスウェーデン戦争のリュッツェンの戦いでグスタフ=アドルフが死んだものの新教側であるスウェーデンが勝利して、新教が優勢となった。次で三十年戦争最後の戦い。フランスがドイツへ侵攻してきた。」
「んん……?フランスは一応新教も認めてるけど、どちらかといえば旧教よりじゃなかった?なんで神聖ローマじゃなくて旧教側についてるの?」
「そう、宗教的に見ればフランスは神聖ローマにつくはずだった。だが、そこに家同士のごたごたが絡んでくる。フランスのブルボン家と神聖ローマのハプスブルク家はめちゃめちゃ仲が悪かった。ブルボン家はこの戦争にかこつけて正統にハプスブルクをぼこすことにした。だから旧教のはずのルイ13世は新教側に立って参戦したんだ。もう完全に宗教色はうすれて政治面がむきだしだな!」
「楽しそー……」
「で三十年後の1648年にウェストファリア条約が結ばれた。結果は新教の勝利。神聖ローマが求められたものは五つある。」
「五つ、多いなぁ……。」
「一つ目はアウクスブルクの和議の確認とカルヴァン派の承認。二つ目はフランスに対してロレーヌ地方の一部とアルザスを差し出すこと。三つ目はスイス、オランダの独立を正式に認めること。四つめはスウェーデンに西ポンメルンとブレーメンを差し出すこと。五つ目、これが大きい、ドイツ諸侯の主権の確立。」
「ってことは領邦が独立するってこと?」
「まあそんな感じだ。300以上の領邦に事実上の解体を命じた。つまり神聖ローマの崩壊、有名無実化だ。辛うじて神聖ローマという枠で形を保っていた烏合の衆だったからそれは消失と同意だ。これは『神聖ローマ帝国の死亡証明書』とも呼ばれた。」
「うわ、まさに……。」
「この三十年戦争について書かれた本がグロティウスの書いた『戦争と平和の法』。この戦争を通してヨーロッパ諸国に主権国家体制が確立した。少し戻るが、一応触れておく。フランスのルイ13世だが、ウエストファリア条約に調印したのはルイ13世とリシュリューではなく、ルイ14世だ。はい、三十年戦争が終結し、主権国家体制の形成がなった!」
旧教 新教
○ヴァレンシュタイン デンマーク(ルター派)×
×ヴァレンシュタイン スウェーデン(ルター派)○
×神聖ローマ フランス(ブルボン朝・リシュリュー)○