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第1話 世界が終わった日


 世界が終わるとき、どんな音がするのだろう。


 人々の悲鳴だろうか。


 大地を引き裂く轟音だろうか。


 あるいは、すべてを焼き尽くす炎の音だろうか。


 答えは、そのどれでもなかった。


 ――静寂。


 世界が終わる瞬間、音という概念そのものが失われていた。


 空は砕けていた。


 青くあるはずの空には、無数の亀裂が走っている。その向こう側に広がるのは宇宙でも、闇でもない。


 何も存在しない、ただの空白だった。


 地平線は折れ曲がり、海は水という形を失い、空へ向かって流れていた。


 建物は崩壊することさえ許されず、輪郭だけを残して消えていく。


 人も、街も、そこに積み重ねられてきた歴史さえも。


 世界を構成するすべてが、静かに消失していた。


 その中心に、一人の少年が立っていた。


 白い髪。


 血に染まった制服。


 そして、何も映していないような虚ろな瞳。


 少年の名は、天城零(あまぎれい)。


 かつて世界に生まれ、世界の理から外れてしまった存在。


 彼の足元には、少女が倒れていた。


 少年は震える手を伸ばす。


 だが、その指先が少女に触れることはなかった。


 少女の身体が、光の粒となって崩れ始めたからだ。


「……待ってくれ」


 声は届かない。


「頼む……」


 少年の頬を涙が伝う。


「まだ、何も……伝えてないんだ」


 少女の唇が、わずかに動いた。


 何かを伝えようとしている。


 けれど、その声は聞こえない。


 音が失われた世界では、最後の言葉さえ許されなかった。


 少年は少女を抱きしめようとする。


 しかし、腕の中に残ったのは、わずかな光だけだった。


 やがて、それすら消える。


 少年は空を見上げた。


 砕けた空の向こう。


 そこには、この世界を外側から見つめる何かがいた。


 姿はない。


 声もない。


 それでも少年には理解できた。


 世界そのものが、自分を見ている。


 そして――拒絶している。


「……そうか」


 少年は静かに笑った。


 涙を流しながら。


「俺が、間違いだったんだな」


 その瞬間、少年の胸の奥で何かが目を覚ました。


 それは能力と呼ぶには、あまりにも異質なものだった。


 世界に存在する法則。


 時間。


 空間。


 因果。


 生と死。


 それらすべてを、ただ一つの意思で書き換える力。


 ――事象改変。


 少年の周囲で、消えかけていた世界が一瞬だけ静止した。


 そして。


「だったら……」


 少年は目を閉じる。


「全部、なかったことにしてくれ」


 世界が震えた。


 それは悲鳴だったのかもしれない。


 あるいは、世界自身が初めて覚えた恐怖だったのかもしれない。


 少年の身体が光に包まれる。


 砕けた空が元に戻る。


 消えた海が流れ始める。


 崩壊した街が形を取り戻していく。


 失われた時間が、逆向きに流れた。


 死んだ人々が息を吹き返す。


 消えた歴史が再び刻まれる。


 そして、世界が終わったという事実そのものが――消去された。


 ただし。


 完全に消えたわけではなかった。


 世界には、記憶がある。


 人間が忘れようとも。


 歴史から抹消されようとも。


 世界のあらゆる事象を記録する、根源の記憶。


 ――アカシックレコード。


 そこには確かに刻まれていた。


 世界が一度、終わったこと。


 その原因が、天城零という少年であったこと。


 そして、その少年が最後に何を願ったのか。


 すべてが。


 何一つ欠けることなく。


 記録されていた。


 世界が再び動き始める。


 人々は何も知らない。


 昨日と同じ今日を迎え、明日も同じように訪れると信じている。


 誰も覚えていない。


 あの日、世界が終わったことを。


 ただ一つ。


 世界そのものを除いて。


     ◇ ◇ ◇


「――玲!」


 突然、耳元で声が響いた。


「神代玲! いい加減起きなさい!」


「……ん?」


 頭に鈍い衝撃が走る。


 神代玲(かみしろれい)が目を開けると、そこには見慣れた教室の天井があった。


 窓から差し込む午後の日差し。


 黒板に書かれた数式。


 どこからか聞こえてくる笑い声。


 そして、目の前には腕を組んだ少女が立っていた。


「やっと起きた」


 白峰澪(しらみねみお)。


 玲の幼馴染であり、同じクラスの女子生徒だ。


 肩にかかる髪を後ろでまとめ、活発そうな瞳でこちらを睨んでいる。


 運動神経抜群。


 成績も悪くない。


 ただし、少々口が悪い。


「……おはよう」


「もう放課後だけど?」


「じゃあ、おやすみ」


「二度寝するな!」


 再び頭を叩かれた。


「痛いって……」


「授業中ずっと寝てたくせに、よく言えるわね」


「仕方ないだろ。眠かったんだから」


「理由になってない!」


 澪は呆れたようにため息をついた。


 その様子を、隣の席から眺めていた男子生徒が笑い出す。


「相変わらず仲いいな、お前ら」


 橘湊(たちばなみなと)。


 玲の親友であり、学校ではそれなりに顔の広い男だ。


 明るい性格で誰とでもすぐ打ち解けるが、面倒事には妙に鋭い。


「別に仲よくない!」


 澪が即答する。


「俺もそう思う」


 玲も頷いた。


「息ぴったりじゃねえか」


 湊が笑う。


 何でもない日常。


 いつもと変わらない放課後。


 けれど、玲の胸には小さな違和感が残っていた。


 ――夢を見ていた。


 ひどく長い夢だった気がする。


 空が壊れていた。


 街が消えていた。


 誰かが泣いていた。


 そして、白い髪の少年が何かを願っていた。


 だが、思い出そうとすると、記憶が霧のように薄れていく。


「……なあ」


「ん?」


 湊が顔を向ける。


「変なこと聞いていいか?」


「お前が変なこと言うのはいつものことだろ」


「世界が一回終わってたら、どう思う?」


 湊の笑顔が止まった。


「……は?」


「いや、だからさ。もし俺たちの知らないところで世界が一度終わってて、全部元に戻ってたらって話」


「急に哲学?」


 澪が眉をひそめる。


「寝起きで頭おかしくなった?」


「お前、本当に容赦ないな」


「心配してるの」


「それ、心配してる人間の言い方じゃないだろ」


 湊は少し考えるように顎へ手を当てた。


「まあ、面白い話ではあるな」


「そうか?」


「だって、もし世界が一度終わって全部元に戻ったなら、誰にも証明できないだろ?」


「……確かに」


「でもさ」


 湊は窓の外へ目を向けた。


「元に戻しきれなかったものがあったら、どうなるんだろうな」


 その言葉を聞いた瞬間。


 玲の心臓が、不自然に跳ねた。


 ――元に戻しきれなかったもの。


 なぜだろう。


 その言葉を、ずっと前から知っていた気がした。


「玲?」


 澪が顔を覗き込む。


「どうしたの?」


「……いや」


 玲は首を振った。


「何でもない」


 そう答えた直後だった。


 教室の時計が止まった。


 午後四時十七分。


 秒針が、十二の位置で静止している。


「……あれ?」


 玲は時計を見上げた。


 そのとき。


 カチッ。


 秒針が一つだけ動いた。


 逆方向に。


「……え?」


 そして、何事もなかったように再び時を刻み始める。


「どうした?」


 湊が尋ねる。


「今、時計……」


 玲が言いかけた、その瞬間。


 窓の外を、一羽の鳥が横切った。


 白い鳥だった。


 鳥は校庭の上空を飛び、校舎の角を曲がって見えなくなる。


 ――はずだった。


 次の瞬間。


 同じ鳥が、同じ場所から現れた。


 同じ速度。


 同じ羽ばたき。


 同じ軌道。


 まるで、数秒前の光景をそのまま繰り返しているかのように。


 玲は息を呑んだ。


「……何だ、今の」


「玲?」


 澪の声が遠く聞こえる。


 そして。


 視界の端で、何かが動いた。


 校庭の向こう。


 校門の前に、一人の少女が立っていた。


 白い髪。


 小柄な身体。


 季節外れの黒い服。


 少女は、こちらを見上げていた。


 距離があるはずなのに。


 なぜか、その瞳だけがはっきりと見えた。


 澄んだ、青い瞳。


 その少女の唇が動いた。


 ――見つけた。


 声など聞こえるはずがない。


 それでも玲には、そう言ったのだと分かった。


 次の瞬間。


 少女の姿が消えた。


「……っ!」


 玲は思わず立ち上がった。


「ちょっと、玲!?」


「悪い、先帰る!」


「はあ!? 一緒に帰るって言ったじゃん!」


 澪の抗議を背中に受けながら、玲は教室を飛び出した。


 階段を駆け下りる。


 昇降口を抜ける。


 そして、校門へ向かった。


 しかし。


 そこには誰もいなかった。


 生徒たちが談笑しながら歩いているだけ。


 白い髪の少女など、どこにも見当たらない。


「……何なんだよ」


 玲は荒くなった呼吸を整えた。


 夢のせいだろうか。


 あんな夢を見たから、変なものまで見えてしまったのかもしれない。


 そう自分に言い聞かせ、踵を返した。


 そのときだった。


『――対象を確認』


 声が聞こえた。


 機械的な、感情のない声。


 男とも女とも判別できない。


「……誰だ?」


 玲は振り返った。


 だが、誰もこちらを見ていない。


『存在情報を照合中』


 再び声が響く。


 今度は、耳から聞こえたわけではなかった。


 直接、頭の中へ流れ込んできたのだ。


『照合失敗』


『該当記録なし』


『再検索を開始』


 玲の視界が揺れた。


 校門が歪む。


 地面の色が薄くなる。


 行き交う生徒たちの動きが、徐々に遅くなっていく。


「……おい」


 誰も答えない。


「何だよ、これ……!」


 そして。


 世界が停止した。


 風が止まった。


 鳥が空中に静止した。


 生徒たちは歩く姿勢のまま固まり、木々の葉は揺れることを忘れていた。


 音が消えた。


 完全な静寂。


 玲だけが、その中で動いていた。


「……嘘、だろ」


 足元を見る。


 自分の影だけが、ゆっくりと形を変えている。


 夕日が動いていないにもかかわらず。


 影は生き物のように伸びていく。


 そして、影の奥から何かが現れた。


 黒い亀裂。


 空間そのものが裂けたような、不自然な線。


 その向こうに広がっていたのは――。


 何もない、白い空間だった。


 玲の脳裏に、夢の光景が蘇る。


 砕けた空。


 消えていく世界。


 泣いている少年。


「……同じだ」


 夢と、同じだった。


 その瞬間。


 亀裂の向こうから、無数の文字が浮かび上がった。


 見たことのない文字。


 どこの国の言葉でもない。


 しかし、玲には意味が理解できた。


『修正対象を検出』


『世界修正機構、起動』


『未登録存在の排除処理を開始』


 次の瞬間、黒い亀裂から細長い腕が伸びてきた。


 人間の腕ではない。


 関節の位置が異なり、指は異常に長い。


 表面には、文字のような模様が無数に刻まれている。


 それが、玲の首へ向かって伸びた。


「っ……!」


 身体が動かなかった。


 恐怖ではない。


 動こうとしているのに、身体が命令を受け付けない。


 まるで、自分という存在そのものが固定されたようだった。


 長い指が、玲の喉元へ迫る。


 あと数センチ。


 そのとき。


「――そこまでだ」


 軽い口調の声が響いた。


 次の瞬間、何かが玲の目の前を横切った。


 金属音。


 黒い腕が、根元から切断される。


 腕は地面に落ちることなく、細かな粒子となって消えた。


「やれやれ。こんなところで仕事が増えるとはね」


 玲の前に、一人の男が立っていた。


 二十代半ばほどだろうか。


 少し長めの髪。


 気だるそうな目。


 黒いコートを羽織り、片手には細身の刃物のようなものを持っている。


 男は振り返ると、玲に向かって笑った。


「怪我はないかい?」


「……あんた、誰だ?」


「おっと。自己紹介が先だったか」


 男は肩をすくめる。


「僕は朔(さく)。まあ、そう呼んでくれればいい」


「……朔?」


「そう。怪しい者じゃないよ」


「十分怪しいだろ!」


「ごもっとも」


 男――朔は愉快そうに笑った。


 しかし、その視線は玲ではなく、背後の亀裂へ向けられていた。


「それにしても……」


 朔の笑みが、わずかに薄れる。


「まさか本当にいたとはね」


「……何が?」


「いや、こっちの話」


 朔は刃物を軽く振った。


 その瞬間、空間に浮かんでいた亀裂が音もなく閉じていく。


『修正処理、中断』


『外部干渉を確認』


『再実行を保留』


 最後の文字が消えた直後。


 世界が動き出した。


 風が吹く。


 鳥が羽ばたく。


 生徒たちが歩き始める。


 何事もなかったかのように。


「……戻った?」


 玲は周囲を見回した。


 そこにはいつもの放課後が広がっている。


 ほんの数秒前まで、世界が止まっていたというのに。


 誰も異変に気づいていない。


「どうやら、君には説明が必要みたいだね」


 朔が言った。


「……説明?」


「そう。君が今見たものについて」


 男はコートの内側から、一枚の黒いカードを取り出した。


 そこには銀色の文字が刻まれている。


 ――特異事象管理局。


「僕たちは、普通の人間が知らない現象を扱う組織なんだ」


「……政府の組織ってことか?」


「表向きはね」


 朔は意味深に笑った。


「もっとも、今日の件は僕たちの想定からも外れているけど」


「何なんだよ、それ……」


「君を襲ったものは、世界修正機構と呼ばれている」


「世界……修正?」


「簡単に言えば、世界にとって都合の悪いものを消す仕組みさ」


 朔は玲の目を見た。


「存在してはいけないもの。起こるはずのない出来事。あってはならない矛盾。そういうものを、世界は自動的に修正する」


「……それが俺を襲った?」


「そうだね」


「じゃあ、俺が……」


 言葉が喉に詰まる。


「俺が、世界にとって都合の悪い存在だってことか?」


 朔はすぐには答えなかった。


 ただ、じっと玲を見つめている。


 その視線には、先ほどまでの軽薄さがなかった。


「……普通なら、そう考える」


「普通なら?」


「でも、君の場合は少し違う気がするんだ」


 朔は静かに言った。


「あれは、君を修正しようとしていたんじゃない」


「……どういう意味だ?」


「まだ分からない。けれど……」


 男はそこで言葉を切った。


 そして、何かを確かめるように玲の胸元へ視線を落とす。


「君を見たとき、一つだけ妙なことがあった」


「何だよ」


「世界が止まっている間、君だけが動いていたことだ」


「……それが?」


「本来なら不可能なんだ。世界修正機構の干渉下で、対象が自由に動くなんて」


 朔は小さく息を吐いた。


「まるで、君だけが世界の命令を受けていなかったみたいだった」


 玲は何も答えられなかった。


 理解できないことばかりだった。


 世界が止まったことも。


 自分を襲った異形も。


 目の前の男の話も。


 何もかもが現実離れしている。


 ただ、一つだけ。


 心のどこかで、妙な感覚があった。


 ――知っている。


 自分は、これに似た何かを知っている。


 そんな気がしてならなかった。


「……とりあえず、今日は帰るといい」


 朔が言った。


「は?」


「いきなり全部説明されても困るだろう? 僕の方でも少し調べたいことがある」


「いや、ちょっと待てよ! まだ何も――」


「大丈夫」


 朔は玲の肩を軽く叩いた。


「今すぐ君がどうこうなることはない。少なくとも、僕が見ている間はね」


「……それ、安心していいのか?」


「もちろん」


 朔は笑った。


「僕は結構、優秀だからね」


 その言葉を最後に、男は歩き始めた。


 玲は慌てて呼び止める。


「待ってくれ!」


「ん?」


「俺は……一体、何なんだ?」


 朔が足を止める。


 夕日が男の横顔を照らしていた。


 長い沈黙の後。


「……それはね」


 朔は静かに答えた。


「たぶん、君自身が一番知りたいことだと思うよ」


 そして、今度こそ去っていった。


     ◇ ◇ ◇


 その夜。


 神代玲は自室のベッドに横になっていた。


 天井を見つめながら、今日起きたことを思い返す。


 世界が止まった。


 得体の知れないものに襲われた。


 そして、特異事象管理局を名乗る男に助けられた。


 冷静に考えれば、夢としか思えない。


 けれど。


 あのときの恐怖も。


 首元へ迫った長い指も。


 すべてが生々しく残っている。


「……何なんだよ、俺」


 玲は右手を天井へ伸ばした。


 何の変哲もない手。


 生まれてからずっと、自分のものだったはずの身体。


 だが、今はそれすら信用できなかった。


 スマートフォンが震えた。


 画面には、澪からのメッセージが表示されている。


『今日、何で急に帰ったの?』


『何かあった?』


 少し迷った末に、玲は返信した。


『ちょっと体調悪くなっただけ』


 すぐに既読がつく。


『本当に?』


『本当』


『明日ちゃんと来なさいよ』


『分かった』


『あと、何かあったらちゃんと言ってね』


 玲はしばらく画面を見つめた。


 澪は昔からこうだった。


 口は悪いくせに、誰よりも他人のことを気にかける。


 玲にとって、それは当たり前の日常の一部だった。


 だからこそ。


 今日の出来事を、簡単には話せなかった。


 もし本当に、あの異形が自分を狙っているのなら。


 澪まで巻き込んでしまうかもしれない。


『ありがとな』


 そう返信すると、すぐに返事が来た。


『何それ、気持ち悪い』


「……ひどいな」


 玲は思わず笑った。


 ほんの少しだけ、気持ちが軽くなる。


 スマートフォンを枕元へ置き、目を閉じた。


 疲れていたのだろう。


 意識は、すぐに眠りへと沈んでいった。


 そして。


 眠る玲の意識の奥。


 誰にも触れられないはずの場所で。


 ――何かが、動いた。


     ◇ ◇ ◇


 そこには、世界があった。


 いや。


 正確には、世界の記憶があった。


 無数の光が、果てしない暗闇の中を流れている。


 一つ一つの光には、記録が刻まれていた。


 人間の誕生。


 文明の発展。


 争い。


 愛。


 死。


 そして、まだ訪れていない未来。


 過去も現在も未来も。


 あらゆる事象が記録された、世界の根源。


 ――アカシックレコード。


 その最深部に、封じられた記録が存在していた。


 通常の記録とは異なる、真っ黒な領域。


 そこには、たった一つの事象が保存されている。


 かつて、世界が終わった日。


 後に、零時災害と呼ばれることになる出来事。


 その記録は、本来なら二度と開かれることはなかった。


 世界は一度、終わっている。


 そして、終わったという事実を消されている。


 それを知る者が現れれば、再び世界が崩壊する可能性がある。


 だからこそ、記録は封印されていた。


 誰にも触れられないように。


 誰にも思い出されないように。


 しかし。


 今、その封印に亀裂が走っていた。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 黒い領域の表面に、無数のひびが広がっていく。


 内部から、何かが目を覚まそうとしていた。


『……確認』


 無機質な声が響く。


『封印領域に異常を検出』


『零時災害記録への干渉を確認』


『干渉元を追跡』


 無数の光が集まり、一人の少年の姿を映し出す。


 黒い髪。


 平凡な顔立ち。


 どこにでもいる、ごく普通の高校生。


 ――神代玲。


『対象情報を照合』


『個体識別……成功』


『生体情報……正常』


『存在履歴……正常』


 そこで、処理が止まった。


『魂魄情報を照合』


『…………』


『照合失敗』


『再照合を実行』


『…………』


『照合失敗』


 世界の記録が、わずかに震えた。


 神代玲という人間は、確かに存在している。


 出生記録もある。


 家族もいる。


 友人もいる。


 生まれてから今日までの人生も、すべて記録されている。


 だが。


 魂の根源を辿った瞬間、その記録は存在しないはずの場所へとつながっていた。


 零時災害。


 世界が一度終わった日。


 そして。


 その中心にいた、白髪の少年。


『旧存在情報を検出』


『識別名――天城零』


 無数の記録が一斉に点滅した。


『対象は消去済み』


『対象は存在しない』


『対象は存在してはならない』


 同じ警告が繰り返される。


 だが、それでも。


 神代玲の存在情報は消えなかった。


 それどころか。


 黒い封印領域の奥で、何かが脈打ち始める。


 まるで、心臓のように。


 ドクン。


 ドクン。


 その鼓動に呼応するように、世界の記録が揺れる。


 そして、暗闇の中で声がした。


『……見つけた』


 それは機械的な声ではなかった。


 少女の声だった。


 小さく、澄んだ声。


『やっと……見つけた』


 黒い領域の奥に、一人の少女が立っていた。


 白い髪。


 青い瞳。


 放課後、玲が校門で見かけた少女だった。


 少女は、記録に映る神代玲の姿へ手を伸ばす。


「今度こそ……」


 その声は震えていた。


「あなたを、消させない」


 少女の手が記録に触れる。


 次の瞬間。


 すべての光が停止した。


 世界の記録が、一斉に神代玲を指し示す。


 過去の記録。


 現在の記録。


 未来の記録。


 本来なら交わることのない無数の情報が、一つの存在へと収束していく。


 世界は、その現象を理解できなかった。


 存在している。


 だが、存在するはずがない。


 生まれている。


 だが、生まれることを許されていない。


 死んだはずの魂が、別の名前で生きている。


 しかも、その魂の奥には――。


 かつて世界を終わらせた力が、今なお眠っていた。


『世界修正機構、緊急起動』


『対象の存在分類を変更』


『修正対象から最優先監視対象へ移行』


 少女が顔を上げる。


 その瞳に、初めて恐怖が浮かんだ。


「……だめ」


 記録の中心に、赤い光が灯る。


「まだ……早すぎる」


 世界は、ついに気づいてしまった。


 自らが消したはずの存在が。


 自らが終わらせたはずの過去が。


 もう一度、この世界に生まれていたことに。


 そして。


 アカシックレコードの最深部に、かつて一度も表示されたことのない警告が現れた。


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 【WORLD SYSTEM / CRITICAL ERROR】


 ERROR CODE : 000-ZERO


 識別対象:神代玲

 旧存在名:天城零


 存在整合性:不一致

 因果律照合:失敗

 零時災害記録:再接続


 警告:

 消去された存在を検出しました。


 警告:

 対象は世界の修正権限を保持しています。


 最終判定:

 WORLD REWRITE AUTHORITY DETECTED


 ――世界は、再び彼を認識した。


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 そして、誰にも聞こえない場所で。


 世界が、二度目の悲鳴を上げた。


 ――第1話 完。


 

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