第01話 木洩れ日のテラス
完結保障、全21話。
毎日投稿予定。
「待て、動くな!」
怒声と共に肩を強く掴まれた。振り返る間もなく、ヘルメットを被り顔をタオルで覆った屈強な男に羽交い締めにされる。
「な、なんですか! 放してください!」
もがく稲田の目に、次々とバスへ押し込まれていく同じ大学の学生たちの姿が映った。整然と並ばされた列の脇では、軍服のような格好をした男女が油断なく目を光らせている。
「この人がいいわね」
「ああ、背格好がちょうどいい」
値踏みするような視線と、なれなれしく全身を叩かれる感触。訳が分からないまま、稲田はバスの乗車口へと引きずられていく。
(どうしてこんなことに……。いったいどこで、人生の歯車が狂ったのだろう)
話は、ほんの少しだけ遡る。
稲田信也が大学に入学してひと月がたとうとしていた。キャンパスにもそろそろ慣れ、友人もできた。稲田はいつものように大学の校門をくぐると、教室へは真っすぐ行かず中庭の方へ向かう。
稲田が大学に来てまず最初に行くのは講堂脇の小さな売店の前にあるウッドテラスだ。1限が始まる前にここでコーヒーを飲むのが日課である。テラスの両脇の垣根から伸びた木が、つややかな緑色の葉をたくわえ、枝の間からはやわらかな日が差し込む。売店の奥から淹れたてのコーヒーの匂いが漂ってくる。ふと空を見上げると白い雲がぽっかりと流れるように浮いていた。
テラスには白いテーブルが七つほどある。稲田は売店で缶コーヒーを買うと、テラスの一番端にあるテーブルまで行き白いプラスチックの椅子に腰を下ろした。
稲田がコーヒーを飲んでいると、椅子のすぐ横に一冊の雑誌が落ちているのに気がついた。雑誌というか何かの機関誌のようだ。誰かが読みかけてそのまま放っておいたのだろう。本は見開かれた状態で、ページを下にして床に落ちていた。
(変な状態で落ちたものだな)
そう思いながら稲田は本を拾った。表紙は色あせ、端が少しよれている。ホチキスで綴じられた紙はコピー用紙特有のざらついた質感で、赤い字で大きく『革命志士』と書かれてある。
「ははーん左寄りの団体かなんかの本だな」
そうつぶやきながら稲田は見開かれたページを見てみた。黒く太い字で《人生に勝利するための方法序説》というタイトルが目に入った。
(大げさな題名だな。ちょっとしたコラムのようだ)
稲田は別段興味もなかったので、ぱらぱらとめくってみた程度で、真面目に読む気にはなれなかった。本を床に落ちていた時と同じように、見開かれたページを伏せた状態でテーブルの上に置いた。
稲田はテーブルに置いてある缶コーヒーを一口飲んだ。すると、スクールバス発着所のところで何やら騒がしい声が聞こえてきた。発着所は小高い丘の上にあるウッドテラスからは少し離れているのだが、バスが停車しているのは確認できる。木の枝の隙間から発着所を見てみると、いつもは見かけないタイプのバスが1台停まっていた。スクールバスではないようだ。よく見ると乗車口の前には学生たちが一列に並んでいる。その列の周りにはヘルメットをかぶり顔をタオルで覆っている兵隊(?)らしき人たちが数名いた。兵隊らしく見えたのは、着ている服が軍服っぽかったからだ。周囲を監視しているようだった。
(バス停でいったい何をやっているのだろうか)
稲田はそう思いながらコーヒーをテーブルに置いた。
テラスには稲田のいるテーブルから少し離れた所に学生が二人座っていた。何やら落ち着きがなく、そわそわしているように見える。突然二人は立ち上がり急いでその場から去るようなそぶりを見せた。そこへ、ヘルメットをかぶった3人組の男女が駆け足で近寄ってきた。強い口調で二人の学生を呼び止める。
「おい! 動くな!」
その声と同時に学生の一人が猛ダッシュで逃げ去ってしまった。残された一人は3人組につかまってしまった。とてもおびえた様子だ。最初は逃げようとしているようだったが、腕をつかまれると暴れることはせず観念したらしい。3人組のうち一人の男が学生の袖をつかんだままどこかへ行ってしまった。
2人組となったヘルメットをかぶった男女が稲田の方を見た。稲田はコーヒーを持ったまま、何食わぬ顔でゆっくりと立ち上がり、この場を去ろうとした。が、いきなりヘルメットの女から呼び止められた。
「ちょっと、そこのあなた。待ちなさいよ!」
びくっと稲田の肩がすくむ。稲田が早歩きでその場から逃げ出そうとした瞬間、2人組が駆け足で近寄ってきた。男が稲田の肩口を掴んだ。すごい力だ。稲田はとっさに持っていたコーヒーをテーブルに置いた。
「この人がいいわね」
「ああ、背格好がちょうどいい。おい! まっすぐ立て!」
男が怒鳴る。そして稲田の両肩をガッシリつかんだり、背中や太ももをばんばん叩いたりなでたりして全身を調べ始めた。
「ふん。大間のマグロほどじゃないが肉付きがいい。合格だ」
(何が合格なんだ? 人の体をなれなれしく触って)
ヘルメットの2人組は顔にタオルを巻いている。女の方は小柄で目元はかわいらしい雰囲気もあるのだが、尻上がりの眉に気の強さが感じられた。男は身長180cmくらいか、背も高く肩口の筋肉が盛り上がり、ずいぶんと鍛えられているのが分かる。
「おい! ちょっとこい! こんなところでのんびりとしている場合じゃない」
「え? 何言ってるんですか。僕は今から講義があるんですけど」
「分かってないわね。体制側の謀略を無反抗に受け入れるつもり? 資本主義の戦略に身をやつす愚かさを同志として忠告するわ。権力を批判することをやめてしまったあなた自身の本質を自己批判しなさい」
「え? な、な、なんの話?」
「うるさい! さっさと来い!」
稲田は男に首根っこをつかまれたまま、テーブルに置いたコーヒーに手を伸ばそうとした。
「あっ。コーヒーがまだ残って……」
「そんな資本主義の幻想から生まれた飲み物は人生の革命に必要ないわ」
「し、し、資本主義の幻想???」
(おっしゃる意味が全く理解できません)
稲田の頭の中で、その言葉がこだました。女はテーブルの上に置かれたコーヒーを持ち上げると近くのごみ箱に放り投げた。稲田は男に袖をつかまれたままバス発着所まで連れていかれてしまった。
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