八十二話 『未来の約束』
不思議な気分だ。夢を、見ているようだ。
魔導具を起動した瞬間から、自分の体の感覚が不鮮明になった。ふわふわとした感じで、三人称目線で世界を見てる。
時間が、巻き戻っていく。最後の会話、ギルド長との再会、地獄の光景、餓狼の王の出現、空から飛び降りるとき、警報が鳴ったとき、パーティー会場、着替えたとき…………、段々細かくなってくる。
シンの部屋に遊びに行ったとき、特訓の成果を話しているとき――
「っ!」
急に覚醒した。夢の中から強制的に引きずり出されたようだ。
「アーロン……?」
「……シン」
俺は今嬉しいのか? さっきまで、俺の体感時間じゃ数分前まで死んでたシンが動いてしゃべってる。
黒髪がかかった整ったその顔に、顔がないシンがダブる。鮮明に死体のシンを思い出し――
「気持ち悪」
その異質さと不快感に、嘔吐した。
★ ★ ★
「どうしたんだ! その怪我! 大丈夫か!」
うるさい、うるさい、うるさい。どうしてもさっきのシンと同一人物に思えない。同じ世界のシンじゃない。このシンは、俺が知ってるシンなのか?
さっきも吐いた俺の胃の中には何も残ってない。黄色い胃液だけが床にぶちまけられた。
「酸っぱい……」
「アーロン!」
初めて、ちゃんとこのシンを見た。心の底から俺を心配してくれている顔だ。
「お前は……シンか?」
「……そうだけど。……アーロン、何か魔導具、使った?」
「ああ。まずはギルド長を呼んでくる」
部屋から飛び出す。廊下の端に魔術師さんがいて驚愕してたけど気にしない。痛みすら感じない。
「ちょちょちょ! アーロン君! 何その怪我!」
「リザさん」
廊下を早歩きで移動してるとき、リザさんが声を掛けてくる。
……あっちでは狂ってたんだっけか、窒息死を繰り返して。
「治すよ! いいよね!?」
「いらないです」
「なんで!?」
説得力が無くなる。何としても早急にギルド長を説得しなければいけない。この大怪我があった方が分かりやすいだろう。
……チッ、ギルド長直筆の手紙でも持ってくんだったな。書いてもらえばよかった。
「すみませんリザさん。こっから先は重大秘密なので来ないでください。後で治療お願いします」
「はぁ?」
「シン、行くぞ」
「ん」
今の時間なら、パーティーの飾りつけをするために大広間にいるはずだ。そこで話をつける。時間がねぇんだ。
バァンと大きな音を立てて大広間の扉を開け放つ。ぎょっとした目でギルド長がこっちを見てくる。やっぱインパクトは絶大だ。
「アーロン、何じゃその怪我は。女神の片割れに治療してもらいな」
「必要ないです。ギルド長、あんたと話をしに来たんだ」
「……その怪我と、関係がありそうじゃな」
鋭い、二千年の修羅場を生き続けてきた賢人の目となった。
「人払いを頼むぜ。絶対他人に聞かせらんねぇ」
「分かった。別の部屋に移動しよう」
大広間から出て、最上階へと向かう。最上階には小さな部屋が一つだけあり、そこは遥か昔から溜め続けてきた無数の魔導具で守られているらしい。現状、この世界で最も安全な場所だ。
ギルド長に許可してもらい、魔導具の効果を受けずに奥へと入る。
「そこに掛けてよいぞ」
「ありがとうございます」
俺は無言で座り込む。俺にそんな余裕はない。そんな俺を怒りもせずに話を始めようとする。
「して、話とは?」
「結論から言う。俺は未来から来た。今から約三時間後、英都に魔獣の群れが襲い掛かる。魔獣と共に魔王直属の部下みたいな奴も来て、S級冒険者は母さんを残して全滅し、街も全壊する。以上だ」
「…………にわかには信じがたい話じゃのう」
ギルド長も伊達に歳と経験を食っていない。驚きこそすれど感情が荒立たない。シンも同じだ。まあこんな魔導具持ってるからいつかこんな日が来るんじゃないかと予想してたのか。
「証拠は、この、銀色の懐中時計の魔導具だ。シン、お前はこれに見覚えがあるだろ」
「あ、俺の」
すぐに懐の中を探り、同じ形のそれを目の前に出してくる。
「これは使えるのか?」
使えたら最強すぎんな。無限に時を巻き戻せる。
「今計ってみるか? ここに魔導具か魔導具じゃないかの計測器があるよ」
「頼みます」
結論は、使えなかった。まあそりゃそうか。はなから期待していなかった。
「でもなんで俺の魔導具をアーロンが持ってるんだ?」
「シンは未来で死んだ。偶然俺が遺品として持ってきたのがこれだったんだ。そこにアリスのお父さんが来て、性能を教えてもらった。お前アリスのお父さんに伝えてたんだな」
「その魔導具の性能は何なんじゃ?」
「時を一日巻き戻すことだ。まあ、そんなことはどうでもいい」
無意識に立ち上がる。
「未来のあんたから頼まれた。あの地獄にはさせない。英都を全員無事に救うぞ。手を、貸してくれ、ギルド長」




