記憶の宮殿
私は、脈絡も無く純白の空間の中に居た。
クロエには何かするような余裕もなかったはずだ。となればこれは、レベル2へのプロセスである可能性が高い。
時間が惜しい。何か行動を起こさなくてはいけない。
「聞こえるか、『問い合わせ』だ! 私に、紗夜を蘇生させる力を寄越せ!」
私の叫びは虚空に消える。
声が一切反響しない。
奇妙な感覚だった。
自分がどこに立っているのかもわからないし……ずっと居ると気が狂いそうだった。
叫びには効果が無かったのか? 手順が異なっている?
こんな場所まで寄越しておいて案内がないのも不自然だが……ダメならダメで、早々に別のアプローチを取る必要がある。
「順番、だ」
どこからか、声がした。
女の声だ。
「よくぞここまで来た、と、言ってあげよう。魔女自体結構久しぶりだと思うけど、他の人を超えて、僕のところまで来たのは本当に……数百年ぶり、かな?」
「……他のやつには会ってない」
相手の正体もわからないが、とりあえず気になったところはつついておく。
急ぎではあるが……後から正規の手順を踏んでいません、とか言われたって困る。
「そりゃそうだ、資質に応じて勝手に振り分けられて、君らの視点だといきなりここにいるからね。そういう話だと、ここに人が来たのは数百年振りだが、一つ下には少し前に1人来ている。さて……」
言葉が止み、私の目の前が光りだした。
光自体はすぐに収まり、代わりに……私の目の前に、純白の女性が浮いていた。
白髪に、驚くべき、陶器のような質感の白い肌。アルビノの蛇のような印象を与える赤い瞳。その有り様は、まるで芸術作品だった。
身に纏う衣装も高級感に溢れたシルクのようで、そして、幻覚でなければ…………羽が生えている。天使……?
よく見れば────左の瞳は、二つある。一つの眼球の中に、二つ。
だが、こいつの見た目など今はどうでもいい。
「力を寄越せ。紗夜を蘇生できるやつだ」
不躾かもしれないが……さっさと本題に入る。一刻も早く紗夜を蘇生させたい。
時間の流れがどうなっているのかもわからない。
もし、現実より早く流れているようなら致命的だ。
「順番、だよ。物事には手順がある」
「じゃあ……さっさと、その手順を教えろ」
「……君、中々ふてぶてしいね。僕を前にして、しかも女の子が……そんな態度を取れているのは……初めて見た」
「いいから。気に障ったか?」
「いいや。むしろ歓迎するし、そういうところが『資質』なのかもね。まあいいや、じゃあさっさとやろうか。君は今から過去と向き合うんだ。過去と向き合い、答えを出せた時に……レベル2、覚醒が、訪れる」
「…………はあ?」
私の声が出るより早く、世界が旋転した。
今まであったはずの純白の空間は無く、代わりに目の前にあるのは──見覚えのある、校舎だった。
これは……私が通っていた、中学校だ。
……だとすると、克服すべき、答えを出すべき過去というのも、見えてくる。
中々悪趣味だが、いい。この際、幸運だと思うべきだ。嫌な記憶でこそあるものの、対処はきっと……難しくない。
黒板の日付と壁掛け時計を確認する。
今は……七月七日、午後四時。
私の記憶が定かなら……テスト準備期間で、部活が無かったから……生徒が一斉に帰った直後のはずだ。
私が向かうべきは────校舎裏。
歩き出してすぐに、目的の人物を見つけた。
髪は黒、その表情は緊張でいっぱい。整えたはずの容姿にもどこか隙があり、ギャップが可愛らしいというよりは……間抜けだった。
これは────私だ。
中学生の頃の、愚鈍で蒙昧な私。
「……おい、お前、待て」
そう言って、少し幼い私の肩を掴もうとしたが……伸ばしたその手は、雲を掴むようにすり抜けた。
どうやら、私の声が聞こえず、姿も見えていないようだった。
そういうことか、と、納得はしつつ、これを見ているであろう天使に聞かせるように口に出す。
「……答えなんて、もう……出ている」
天使が求めていること。
過去に干渉できないのなら、過去の再現を見て……何かしら教訓を得るか、迷いを断ち切れということなんだろう。
だが、今の私の状況からすれば、ミスマッチも甚だしかった。
答えなんて出ているし、フラッシュバックした時点では怪しかったかもしれないが、既に私の意思は強固なものになっている。
単純に人格形成において大きな役割を果たした過去を見せるというだけで、元々答えの有無なんて関係ないのかもしれない。
「……まあ、受け入れろ、という話か。……受け入れてもいるつもりだが…………見てやるか」
私は早足で歩く中学生の私の後をついていった。
妙にそわそわとしたその様子は、私を苛つかせた。
そして、問題の場面に遭遇する。
私が、同級生の女の子に向かって何事かを伝える場面。
側から見ていれば滑稽で、観察者羞恥を感じる部分もあるが、当時の私にとっては……決意があった上での、決死とも言うべき決断と行動だった。
『ゆきちゃん……私、ゆきちゃんのことが好き。恋、してるの。付き合ってほしい』
私の、言葉。
ああ。
そうだ。
私は同性愛者だった。
────欺瞞だった。この記憶を無かったことにした、私の独白も行動も、全部。整理がついていない、なんていうのも、自分に嘘をつけないなんていうのも、嘘。
自分の中でくだらないことを考えて、自分を騙していた。
男と付き合ってみたのも代償行為で、うまくいくはずがなかった。
ああ、そうだ。私はクズだ。あらゆる状況を利用していた。
だが……いい。今は目の前で起きていることに、再現されていることに目を向けなければならない。
告白を受けた、『ゆきちゃん』の顔。
それはまるで……今まで友達だと思っていたものが、目の前で芋虫に変身したみたいな────吐き気を堪えるようなものだった。
眉を寄せ、口元を隠して、顔を青くして……そう表現しようとしている、とかじゃなく、心の底から『気持ち悪い』と考えている表情。
『気持ち悪い』
……実際に言葉にも出た。そう言われた時、中学生の私の顔は……硬直していた。
中学生の私は、まだ、言葉の意味を理解できていない。
『何考えてるの? 怖いよ……わからない。本当に気持ち悪い……』
そこまで言われて、当時の私はやっと状況を理解した。
顔を真っ赤にして、拳を握り込んで……何を考えていたのか、完全には思い出せないが……怒りや恥ずかしさ、悲しさがそこにあったと思う。
怒り、か。
全く筋違いだ。
彼女は……私は、何に対して怒っているというのか。
『ゆきちゃん』のこの反応は……至って普通のものだ。
彼女に瑕疵は無く、内に湧く感情を、大半が抱くであろう当たり前の感情をそのまま表出させてしまったにすぎない。
『いやっ、違う、私は……! 私が、どれだけ……ッ!』
『いや……嫌っ、離れてっ……!』
『ゆきちゃん』の拒絶を受けて、私はその表情をますます絶望に染め、流れる涙を片腕で隠しながらその場を去った。
私の中には激情があった。
側から見ていてもわかる。その先に続く言葉を言わなかったのは……火傷がより広がらなかったのはただの幸運であり、『ゆきちゃん』が早めに再度の拒絶を示してくれたからであった。
続くはずだった言葉。
私が『どれだけ』君のことを愛していて、『どれだけ』君のためにしてあげたと思っているの。
そんな、くだらない、独善的で、最低な言葉。
分かる。今の私には分かる。
全部、良くなかったんだ。最初から全部。
こんな状況にするべきじゃないし、間違ってもそんな言葉は口にしてはいけない、ただ思うことすらよくないと考えるべきだった。
愛とは、そういうものだ。
誰かの為の行動が、結局自分のためであってはいけない。無償で捧げるのなら構わないが、愛する人を害してはいけない。
見返りを、求めてはいけない。
「……おい、もういいだろ? 終わったぞ」
「まあまあ、もうちょっと見てなよ。面白いからさ」
そう言いながら、天使は私の隣に唐突に現れた。
この場に私がいるだけでも変なのに、隣に天使まで存在している違和感は尋常ではない。神聖だろうが異物は異物だ。
「面白いって……」
「追いかけな。昔の君をさ」
言うほど昔でもないけど……。
とりあえずこいつの意向には沿わないと終わらなそうなので、私を走って追いかける。
何故だかわからないが、この世界での私の動きは緩慢で、世界を移る前……灝素を吸う前に戻ったみたいだった。
追いかけた先。
静かに泣いて蹲る私に、声をかけようとしている人物がいた。
それは、綺麗な女の子だった。
知性の火が灯る怜悧な目。
長く、しかし几帳面に切り揃えられた黒髪。
スタイルも良い。
そして、その佇まいは、どこか────優等生然としていた。
そう。女の子は、当時の紗夜だ。
『大丈夫? どうしたの?』
そんな、何の変哲もない言葉だった。
それでもただ、優しくて、私の心には毒のように染み渡っていった。
『すっ……好きな人に、ふ、ふられて……あんなに、好きだったのに……』
改めて見ても情けない、愚かな女だった。
どれだけ相手を好きだったか、なんて……何かの意味がある尺度ではないのに。
そんな私を、紗夜は────抱き締めた。
『……そう。……大丈夫よ。失敗は……あなたの人生の糧になる。その人は、あなたと合わなかったかもしれないけど……失敗を……挑戦を──他人と関わりを持つことを、恐れないでほしい』
紗夜の言葉。
中学生らしからぬ説法。
今考えれば、きっとどこかで聞き齧った、覚えたての言葉だったのだろうと思う。
けど……私にはあまりに刺さったし、救われた。
死にたいような気持ちでいっぱいだったのに、そんなことも忘れて────
「惚れた?」
「……うるさいな、お前」
「これが、君の原体験。人格と行動理念を形成した出来事。そうだろ?」
「……」
「まあ、全部見せようとは思ってないから安心しなよ。このあと君が紗夜君のこと調べ上げて、わざわざレベル落として志望校合わせて、ファッションも外面も大改造して……なんてこと、全部細かくは見ないからさ」
「……うるさい」
「あー、でも、見はしないけど、あれは君の口から言ってもらおうかな。方向性の理由! 何でわざわざそんな見た目にしたんだっけ? 髪染めて、口調も男っぽくしてさ。全然そんなキャラじゃなかったのに!」
「マジでうるさい……お前が神様でもしばくぞ」
「でもさ……言わなきゃ終わらないよ。権利持ってるの、僕だから」
「………………」
実際……こいつの意向に従うほかなかった。それがどんなにくだらなくて屈辱的な内容だったとしても。
私は、一つ深呼吸すると、血流が顔面にいくのも無視して、淡々と言葉を紡いだ。
「…………紗夜が………………ワルい感じの人が好き、らしかったから…………形から………………」
「くっ、くっ……くくっ……いや、ありがとう……。はあ。そこまでやっても、自分から話しかけられなかったとはね……。いやぁ、しかし君も君だけど、紗夜君もなかなか男の趣味悪いよねえ? 実際好みのタイプなんて適当に答えただけで、誰でもいい感じはあったのかもしれないけど……。君もそもそもあんまり悪い人って感じにもなれてないし」
「………………もう、満足か?」
「待って、もう一個! 何で高校入った後もわざわざ成績抑えてるの?」
「…………そういう印象を目指してるのに、あんまり頭良かったら良くないだろ……。せめて、紗夜より下の方がいいと、思っていた……」
「紗夜君が思ったより馬鹿だったんだねえ」
「…………」
「まあまあまあ、そんな顔真っ赤にしてプルプルしないでよ! 最後、本当に最後に……答えだけ聞いたら、君に許可するよ」
「……それが、わからない。答えって何だ? もう、出してるだろ……大体……」
私の言葉に対し、天使は大袈裟に、髪をはためかせて首を振った。
やれやれとでも言わんばかりのジェスチャーを見せると、説教でもするみたいに身を屈め、指を立てて口を開く。
「一番大事なところだよ。君さ……自分が犠牲になってもいいと思ってるだろ。そして、報われなくてもいいと」
「…………間違ってないだろ」
「間違ってはいない、かもしれないけど────そんなの! 素敵じゃ、ない!!」
天使は、これまでに無いくらいの大声でそう言った。
「君は、紗夜君を守れればその後自分がどうなってもいいと思ってるし、他の奴と、知らない男と結ばれたっていいと思っている! 他の高尚ぶった天使なら通したかもしれないけど、僕は許さないし、何より……君の本心は、そうじゃない。わかってるはずだ」
「…………」
私の、本心。
…………思い当たる節はあるが、それは、本心というよりももう、欲望で──
「いいさ! それが君の本心で、君が向かうべき未来だ! 口にしなよ、それで……全部、解決してあげるから」
「…………」
こいつがくれているのは……大義名分だ。
好きにしていいと、そう言っている。
まるでデウスエクスマキナだった。
私はそういうのが一番嫌いだったけど……実際にいるのなら、目の前に現れて私の味方をすると言うのなら……話は、違う。
葛藤や、羞恥心や……自分が、その結末に至るに値しない、なんて気持ち。
そういったものを、一旦全部、他所において。
ただ、私の気持ちを叫んだ。
「私は……私は────紗夜と、結ばれたいっ! 紗夜の、恋人になって、もっとっ! ふたりでいたいッ!!」
「────その言葉が聞きたかった」
そう言うと、天使は指を鳴らした。
その瞬間、世界が崩れ、私の中に力が流れ込む……いや、違う。
これは、私の中から、だ。
私の中から、解放されたように力が溢れ出ている。
「サービスだ、紗夜君を蘇生させる為の魔法だけは最初から使えるようにしてあげるよ! 健闘を祈る! そして、君の『号』は────」
天使は、その言葉を最後に消失した。
────旋転。
再び、私は半壊した家の中に居た。
前方には拘束したクロエ。
斜め後ろには……紗夜の………………死体。
時間が経った様子は無い。精神だけがあの空間に呼び出されていたのか?
改めて私を見たクロエが、更に表情を歪めて絶叫する。
「ああああああっ!! メア様、あなたはッ! 私よりっ、『上』の、魔女にっ! 成ったのですねッ!! あまりにッ──神々しいッ!! 大好きッ!!」
マジでうるさいな、こいつ……。
ろくなことを言わなそうなので、ついでに結晶で口も塞いでおく。
「んー! ん゙ーーーっ!」
騒ぐクロエを無視し、血溜まりに倒れ伏す紗夜に触れる。
「………………今、助けるから……」
紗夜は、既に少し冷たかった。
触れた瞬間、胸に張り裂けるような痛みが走った。
その力無い姿に自然と涙が流れて、零れ落ちては血溜まりと混ざっていた。
紗夜に触れた手に意識を集中する。
やり方は、わかっていた。
天使がサービスとか言っていたが……あれはきっと真実だ。
生まれた時から知っているみたいに、手足を動かして泣き声を上げるみたいに……自然と、能力……『レベル2』の使い方が分かる。
力を流し込むと、私の手と、紗夜が、神々しい光に包まれる。
溢れ、四方に流れ出す光は天にまで昇っていた。
光には、暖かさがあった。
だが、あの天使の言っていた『号』からするなら……そのあたりは本質ではない。私の能力の根っこは、もっと冷たく、概念的なものだ。
気がつけば、紗夜の周りに血溜まりは無くなり……紗夜の頰に、ゆっくりと血の色が戻り始めていた。
冷たかった指先に、ほんの僅か、熱が戻るのを感じた。
「……ッ! 紗夜っ! 紗夜っ!!」
身体を揺すって呼びかける。
頼む。頼む。成功していてくれ。
全て、上手くいって、また……私に、話しかけてくれ。
いつもみたいに、見惚れるような笑顔で。
恥ずかしい失敗をした時の間抜けな顔で。
全部、また、見せてくれ。
「紗夜……ッ!」
「………………な、なに?」
紗夜は────その目を開いていた。
変なものでも見るみたいに、泣きじゃくって紗夜に縋る私を、観察していた。
何が起きているのかわからない。なんで芽愛がこんなことしてるのかわからない。そういう顔。
「ど、どうしたの? …………なんか、デジャヴ?」
「紗夜…………」
「うわっ!? 本当に何!?」
思わず紗夜を抱き締めていた。
だって……無理だ。こんなの。抱き締めずにはいられなかった。
心からの安堵に、体が勝手に動いていた。
「うぅ……」
「……あなた、そんなキャラじゃなかったでしょ……ほんとになに? あっ、ていうか、世界がやばかったんじゃない!? 契約とか、どうなったの?」
「………………それは……ぜんぜん、解決してない」
「だ、ダメじゃない! どういう空気なの……? なんか、クロエさんも変なことになってるし……」
「それはどうでもいい……」
「え、ええ……?」
泣き顔を紗夜の胸にうずめていると、紗夜が頭を撫でて、あやすように抱き返してくれた。
「…………落ち着いたら、ちゃんと説明しなさいよ」
「…………できる範囲で……」
そう言って、私は……少しだけ力を抜いて、休むことにした。
一呼吸。あと、一呼吸でいいから…………こうしていたい。




