表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

後編

 村の一人の若者が、一人の少女に一目惚れをしました。少女は村の住民ではなく、村に立ち寄っただけの旅人でした。若者は少女に愛を囁き、旅をやめ、この村に留まって欲しいと訴えました。でも少女は、若者の事を好きでも何でもありませんでした。それに、少女は知っていました。若者には、結婚を控えた恋人がいる事を。

 若者は少女の心を手に入れるため、恋人との婚約を解消してしまいました。恋人は泣きました。二人は幼馴染でした。恋人は、子供の頃から若者の事が大好きだったのです。結婚が決まり毎日が幸せに満たされていた恋人は、若者からの婚約解消のひと言で、心の拠り所を失くしてしまったのです。

 若者は、再び少女に愛を囁きました。けれど少女は、そんな若者の不実な心を信じられないと言って、決して若者の想いを受け入れる事はありませんでした。

 若者は婚約を解消した事で周囲からの信用を失い職を失い、家族からも疎まれ、一日中ぼんやりしている事が多くなりました。それを見かねた元恋人が声をかけても、まったく興味を示しません。若者の頭の中を占めるのは、愛しい少女の面影だけです。

 ある日、若者は決意しました。どんな事をしてでも、少女を手に入れようと。強引に事を運んでしまえば、少女も若者に靡く事でしょう。そんな浅はかな考えを持って、旅立った少女の後を追いました。

 少女は、山の中に建つ古びた塔にいました。この塔はその昔あった戦の折に、見張り用にと当時の王様が建てたものでした。国境が移動してしまってからは別の場所に新しい塔が建てられ、この古い塔は打ち壊される事もなく、山の中に放置されたままになっていました。

 少女はある人から、人のいない場所に住むようにと約束をさせられていました。存在さえも忘れ去られているこの塔なら、ちょうど人目にもつかずにすみそうです。荒れてとても人が住めるような状態ではなかった塔を、何日も何日もかけてきれいにしました。

 ようやく人心地ついた頃、若者が塔に辿り着きました。慣れない山の中を来たため、衣服はぼろぼろに破れ、体中に小さな切り傷や擦り傷ができていました。そんなに必死に後を追ってきた若者に、けれど少女の心が動かされる事はありませんでした。

 他に寝泊まりできる場所などありませんでしたので、ひと晩だけの宿を乞う若者の言葉に、少女は一つの部屋を貸し与えました。少女にも優しさがないわけでなかったので、簡単ながらにも傷の手当てをし、新しい衣服を与えてやりました。

 その夜の事。若者は、意を決して少女の部屋に忍び込みました。後ろ手に縄を持ち、不埒な考えを持っている事は明らかでした。

 少女が眠る寝台に近付き、まさに襲いかからんとした時の事です。部屋中のランプと蝋燭に火が灯り、若者の姿がはっきりと照らし出されてしまいました。突然の明りに目が眩んだ若者の後ろから、誰かが抱きついて来ました。驚いた事に、それは村に残して来たはずの、恋人だった女性でした。若者の様子に心を痛めてそっと見守っていた恋人は、若者が旅に出た時にこっそりと後を追って来たのです。恋人の姿は、この塔に着いた時の若者のようにひどい有様でした。

 若者は、恋人を振りほどこうと必死になりました。疲れきった体では、思い通りに動く事などできません。けれどそれは、恋人も同じ事。何度目かの若者の動きに抵抗しきれず、とうとう手を放してしまいました。

 馬鹿な真似をせず一緒に村に帰ろうと、恋人は若者を説得するための言葉を尽くしました。けれど若者は恋人の言葉に耳を貸そうとはせず、それどころか、少女との恋路の邪魔をする気かと、言葉汚く恋人を罵りました。

 それを黙って聞いていた少女でしたが、若者が恋人の細い喉に手を伸ばした時、その小さな体で体当たりして若者を止めました。実はこの部屋にまで恋人を入れたのは、他ならぬ少女だったのです。若者を追って来た恋人の心を想い、説得できるものならばと思っての事でした。

 逆上した若者は、今度は少女に襲いかかりました。大人の男と少女では、体格差も力の差も明らかです。あっという間に抑え込まれた少女の胸元に若者の手が伸び、その衣服を引き裂きました。少女が恐ろしさで声が出せないのをいい事に、若者は少女の小さな胸に触れようとしました。

 その瞬間です。若者の動きが、突然止まりました。少女が固く閉じていた目を開くと、若者の目が驚きで丸く見開かれています。そしてその背に恋人が張り付いていて、耳元で何かを語りかけていました。

 ぐらりと若者の体が傾いで、少女はようやくその下から逃げ出す事ができました。そして事態を悟ったのです。恋人が若者の背に、鋭利な刃物を突き立てていた事を。

 恋人の目には涙が溢れ、小さな声で若者への愛を囁いています。若者は茫然としていましたが、その目には今までとは明らかに違う光が宿っていました。深い眠りからたった今目覚めたかのようなその目に、恋人はさらに涙を流しました。

 やがてゆらりと立ち上がると、若者はふらつきながら部屋を出て行きました。

 しばらくして恋人が落ち着くのを待ってから、少女はランプを片手に血の跡を辿りました。最初は点々と、次第に足を引きずった跡がはっきりと残っていました。この出血の量では命が危ない事を悟り、少女は恋人を引きずるように連れ立って、後を追いました。

 血の跡は塔の外まで続き、若者は、すぐそばの大木の根元に体を預けていました。

 荒い息の下、うっすらと開いた若者の目に、少女と恋人の姿が映りました。若者はわずかに微笑んで、少女への愛と恋人への愛の言葉を遺し、事切れました。

 翌朝、少女と恋人は若者の体を清め、その大木の根元に墓を建てました。

 恋人は、村に戻れば別の男性との結婚が決まっているため、できればこの塔に残る事を望みました。そして少女は、それを快く受け入れました。

 こうして若者が村に帰る事はなく、恋人もまた、二度と山を下りる事はありませんでした。

 村では少女の事を、若者の心を魔術で盗んだ魔女だった。帰らぬ二人は魔女に殺されたのだろうと、噂されました。

 その真実を知るのは、少女と恋人のただ二人だけなのです。




「それが、魔女の噂の全容なのか」

 クリストは、深いため息を吐きだしました。カップの中のお茶はすっかり冷めていましたが、それを一気に喉に流し込みます。

「それじゃ、魔女の方が被害者じゃないか」

「けれど、村では魔女が若者を食らった事になっているわ。噂って怖いわよね」

 新しいお茶をカップに注ぎながら、女の子が肩を竦めます。

「少女は時々村に下りていたけれど、なぜだかそのたびにおかしな人に言い寄られて、騒動に巻き込まれてしまった。それに後から山に登った人が帰らなかったのは、途中で怖気づいて逃げ出したから。村に下りるのが恥ずかしかったから、遠回りして別の道を戻って行ったのね。みんな無事に、家には帰りついているはずよ」

 噂の真相など、知ってしまえばこの程度のものなのです。

「ああ。山に登った者が帰っているのは、知っている。ただ、気になる事が一つあるんだが」

 今度は、クリストから真っ直ぐに、女の子の目を見つめました。

「二人しか知らないはずの魔女の真相を、なぜ知っている。いったい誰から聞いたというんだ」

 先ほどまでとは一転して、クリストの目には剣呑な光が宿っています。

「あら。思ったよりも馬鹿じゃなかったのね。もっとも、そうでなければ兄さまがここに寄こすはずがないけれど」

 嬉しそうに眼を細めて、女の子が笑顔になりました。

「やはり、王の」

 クリストが腰を上げるよりも早く、女の子はその身を翻して戸口に走り寄っています。

「だから、ね。わたしは何も問題を起こしてはいないし、こうして元気に暮らしているからって、兄さまに伝えてちょうだいね」

 そう言って女の子が扉の外に姿を消し、クリストは慌てて後を追いました。

 小屋の外に出たクリストは、そこに立ち止まったまま動く事ができません。なぜなら、月明かりで十分視界がきくはずの夜の空の下、女の子の姿はクリストの視界のどこにもなかったのです。

 女の子は知っていたのです。魔女に興味を持ったクリストが、王の命を受けてこの地に来た事を。その王の命が、魔女を狩る事ではなく魔女の無事を確かめる事だった事も。すべて承知の上で、女の子がクリストを招いたのです。

 クリストがその事を知ったのは、小屋に戻った彼が、テーブルの上に残された一通の手紙を読んでからの事でした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ