SNSと 曲配信 #6
ようやく水乃らしい展開になってきた感じです。
十一月 二十日。
午前零時から オリジナル曲の配信が開始され、各グループのSNSも それぞれ曲の盛り上げに必死になる中で。
深夜まで活動していたSTELLAメンバーが帰宅したのは、ほとんどが午前三時前後だった。
それを考慮して、本日の集合時間は他のグループよりも遅い、十時となっている。
STELLAが使用させてもらっている、レッスン室 八。
珍しく、集合時間ギリギリに到着した奏良は、自分の腕時計を二度見した。
「…………えっ」
到着どころか、メンバー全員が すでにレッスン着に着替えも済ませ、準備万端になっているではないか。
「私…………まさかの大遅刻!?」
「大丈夫ですよー」
「まだ、一応は 時間前」
「僕も、危うく 寝過ごすところだったんですけど……」
まだ眠そうな末っ子は、五歳児にしか見えない。
ぬいぐるみかと思うほど愛らしくて、誘拐されないか心配になってくる。
「尊くんから、メールが来なければ―――」
「………メール?」
グループメール――――ではない。
だって、奏良には届いていないからだ。
「また、私だけ 仲間はずれなのっ!?」
………なんてことだ。
いくら《男同士》という 特殊な結びつきが存在するとはいえ――――わかってはいたが、こう あからさまにされると、正直 悲しい。
「わー! 違いますよ!」
「そうじゃなくて」
「別に、変な意味とかなくて……」
「――――――――じゃあ、何?」
鬼の形相………ではなく、凄艷な笑み。
「!」
「!」
メンバーは思い出す。
奏良は怒るときも、笑顔になることがある、ということを。
「…………で? 何? どういうことなのか、説明してくれる?」
笑顔で迫る分、その迫力は何倍にも膨れ上がる。
DHE社内での《奏良最強説》の噂は伊達ではない。火のない所に煙は立たぬ、というわけだ。
上層部でさえ頷いてしまう、思わず正座したくなるような《圧》をかわそうと、唯織は とっさに《生贄》を差し出す。
「………尊、ほら説明して」
「お、俺!?」
「そーですよ、尊くんがメールしてきたから、ボクら早く集まったんですからね」
「ほーお?」
じりじりと迫られ、尊は 呆気なく白旗を上げた。
「……すいません、ごめんなさぁい!」
けれど、どうしても。
先に、男共の意見を聞きたかったのだ、と。
「何で?」
「奏良さんは………なんでも、歌えるし」
どんな曲に決まっても、最高の仕上がりに持っていく実力があることを、知っているから。
「他のみんなの意見が聞きたかった、のと………」
数時間前、奏良と別れてから タクシーの車内で見つけた曲。
衝撃を受けたし、こんな曲があることを メンバーに早く知らせたかったのも理由ではある。
そして何よりも――――
尊自身が、歌いたい。
そう、強烈に思ったからである。
「はぁ………」
そう言われてしまえば、怒るに怒れない。
「それで? どの曲?」
「………………………サトシさんの《SWEET LOVE》」
「……………わぁ……まさかの、それ?」
随分と古い曲を、探したものだ。
「……昨日のリストには載ってなかったけど、これも奏良さんの作曲だろ?」
「あー……昨日リューイチくんが持ってきたリストは、あくまでも 私が《自分で》仮歌を入れたやつ、限定だったから」
本来は、会社に提供した曲は、もう少し存在する。
その時の状況だったりで、自分の曲だから 必ず自分が仮歌を入れる、とは限らない。
「じゃあ、実際は 探せばもっとあるってことですか?」
「そうだね……もうちょい、あるかな」
作曲者としての奏良は《多筆》というタイプではないが、これでも十年以上のキャリアはある。
尊が探してきた曲《SWEET LOVE》は、中でも記念すべき奏良の《処女作》だった。
「!」
「すごい、運命的! 尊くん よく見つけましたね!」
「《サトシ》さんの、ミニアルバムの中の一曲でしたっけ?」
「……オレも、それはノーマークだったわ」
奏良が、アルバイトとして働いていた高校生の頃。
「ちょうど熊猫さんに出会って、レッスン始まったくらいの時期かなぁ」
レッスン前の、声だしのとき。
奏良が無意識に歌った《子守唄》がキッカケだった。
「子守唄?」
「そ、子守唄。……まだ弟の陽が小さくて、なかなか寝ない子だったから、よく 適当に歌を歌ってあげてたんだけど」
歌詞はなく、ラ〜とか ル〜で歌っていた子守唄を、思わず熊猫の前で歌ったところ『何だ、その曲は?』と食いつかれたのが 始まり。
その場で簡単な楽譜に起こし、次の日には歌詞がつけられ、編曲までされて。
高校生だった奏良は、あとで《作曲料》としてお金を貰うまでは、まさか 自分の曲が選ばれて、サトシというトップアーティストに歌われている……なんて 知りもしなかったくらいだ。
「陽が大きくなって、家でも歌わなくなってからは、すっかり忘れてたわ」
訓練生や候補生のサポートスタッフとして働きながら、少しずつだが合間に作曲をしたり、依頼があれば仮歌も引き受けたり。
十六歳のときから 今まで、ずっと休みなく 突っ走ってきたのだから、仕方がない。
奏良の《青春》は、すべてがDHEに費やされていたのだ。
「……………それにしても、《SWEET LOVE》か」
「え、ダメ?」
「そうじゃなくて……」
早く集まっていたメンバーの様子を見る限り、すでに 気持ちは固まっているように見える。
「もしかして、もう《歌分け》とか、話し合った?」
「!」
「い、一応は……」
恐る恐る、尊が うかがうように見てくるのが、大型犬のようで なんとも可愛らしい。
いつもの、怖いもの知らずで堂々とした《男らしい》姿は どこへいったのか。
「じゃあ、何も言うことないじゃない」
「マジで!?」
長女の許可が出たからか、破顔する顔は年相応―――まだ二十五歳の 若者、そのものだ。
奏良からすると八歳も歳下になるからか、素直な反応は ただキラキラと《眩しい》。
ふと、自分には こんな時期はなかったな……なんて思ってみたり。
……………素直っていいなあ。
自分にも こんな《可愛げ》があったならば、もう少し人生は違っていただろうか。
「社長とリューイチくんも言ってたでしょ?」
本当に、自分たちがやりたいと思ったことを 披露すること。
「みんなの気持ちが 大事だから。それでいこう」
「奏良さんは、それでいいの?」
「いいも なにも……」
元々、無意識に人前で出てしまうくらい、自然に歌っていたメロディなのだ。
「………言っとくけど、五人の中で一番 自然に歌えるのは私だからね?」
「……確かに」
「それは、間違えないな」
こうして、さんざん迷走し悩んだ《曲決め》は、ようやく着地点を見つけたのである。
決まったら、あとは ひたすら練習するのみ。
「今日 一日で仕上げるつもりで、やるぞ!」
「あれ? 今日の《動画 当番》誰でした?」
「今日は……あ、私かも」
単独ではなく、毎回 何人かで入れ乱れて撮影しているため、肝心の当番が誰なのか、もはや 分かりづらくなってきていた。
「じゃあ、奏良さん どうする?」
「今日は…………単独でいってみるかな」
「おぉ、もしかして気合入ってます?」
「………せっかくだから、思い出した曲を歌おうかと思って」
『セルフカバーなんて、今さらでしょ』
リューイチから指摘されたことを、家に帰ってから 自分なりに考えてみたのだが。
殻に閉じ籠もってばかりいては、何も生まれない。
何も、掴めない。
せっかく用意してくれた《舞台》を、逃げてばかりでは勿体ない。
自分自身を ある程度 追い込まないと、未来は見えてこないのだから。
自分から、行動を起こすことが必要だった。
どうせ やるなら、最高の歌にしなければ意味がない。
「奏良さんのソロ、どんなのか聴くの楽しみ〜♪」
「……楽しみなのはいいけど、ルー?」
「お前、練習わかってんだろうな?」
「もちろん! ボクだって真面目にやりますよぉ!」
この時の奏良の選択が、《次の事件》を引き起こすなど、誰も想像しなかっただろう。
そして、《今日 一日で仕上げる》―――そう決めた唯織の判断が 正しかったということを、あとで 全員が感謝するのである。
* * * * * * * *
十一月 二十一日。
とうとう、全国行脚を翌日に控え、候補生たちは ソワソワと落ち着かなくなっていた。
十五時からは、上層部を含めた審査員たちの、再チェックが行われる。
どのグループも、朝から全体練習に余念がない。
オリジナル曲、それに 追加する二曲。
《ダメ出し》された部分を中心に、修正と 舞台での動きを確認する。
STELLAは、完全なる 曲の変更のため、今回が初披露だった。
歌いたい―――ただ その思いだけで選んだ曲の評価は、果たしてどうなるのか。
「………はい、じゃあ最後。STELLAいこうか」
指定の十五時が過ぎ、Infinity とThe One and Only は、先にチェックを終えていた。
問題のSTELLAはどうなるのか。
「………おー、《SWEET LOVE》ね」
「マイナーなの 見つけてきたねぇ」
DHEの中でさえ、知らない人もいるかもしれないマイナー曲を、どう表現するか。
「えー、ぼくたちは前回 指摘されたように、自分たちが《歌いたい》と思った曲を選びました」
「ぼくたちから 見てくださる方たちへ向けた《ラブレター》のつもりで、歌います」
「聴いてください―――――《SWEET LOVE》」
唯織と尊が曲紹介をして、いざ 音楽が流れ始める。
前奏は、穏やかで美しいピアノの音からだ。
『また明日ね、と
笑顔で手を振る
帰りたくなくて
僕は いつも
その場から動けない』
尊の甘くしびれる歌声が、聴衆をいっきに引き付ける。
『言葉にしたくても
うまく言えない
もどかしい この心を
取り出して
見せられたらいいのに』
続く 唯織の切ない歌声が、完全に その場を支配した。
原型が《子守唄》なだけに、静かに語りかけるようなメロディと 短めの構造。
あとから付けられた歌詞も、ベタで ありきたりな感じがあるが、シンプルだからこそ、まっすぐに聴き手の心に届く。
『強がる君も
すべてが愛しくて
目が離せない 抱きしめたい
笑顔も 涙も
どんな一瞬も
――――――愛してる』
サビは もちろん、五人の美しいハーモニーだ。
『雨が降るなら
僕が傘になろう
凍える日は
僕が あたためるから
傷付いた その心ごと
包みたい
僕の すべてで
一人には させない』
二番の歌詞になると、春音の天使のような癒やしヴォイスと、ルーカスの 進化し続ける艶のある魅力的な歌声が 丁寧に歌い上げる。
二人とも 他の二曲にはない 一面が出て、短期間ながら成長した姿を見せつけた。
奏良は この曲のみ、全編 ハーモニーとコーラスという《裏方》に徹した。
ブレない安定した音が 曲に厚みを持たせ、他の四人の歌を華やかに仕上げる。
ラストは、囁くような 尊のソロ。
『ずっと――――――愛してる』
歌を武器にした五人の 魂が宿るような、静かな 静かな、Love Song――――― 曲が終わっても、室内は聴き入ったままシーンと静まり返っていた。
パチ
パチ パチ
パチパチ
パチパチパチ
パチパチパチパチ
少し遅れて、拍手が鳴りだしたのを聞き、奏良たちは 止めていた息をほっと吐き出す。
「いいね、いいね! とってもいいよ!」
「同じバラードでも、この前と全然 違うよ!」
「君たちの《カラー》が出たね!」
穏やかながら、どこか切ないメロディと、相手をひたすら一途に思う歌詞。
聴いた人が『自分に向けての歌だ』と錯覚を起こすほど、気持ちのこもった歌声。
甘やかで あたたかい愛は、幸せな涙を誘う。
「いやぁ、STELLAの実力を改めて見せてもらった気がするよ」
「思いが、とてもこもった歌声だったよ」
「泣きのバラードでもないのに、泣きたくなるってスゴイわ」
「ラブレターって言ってたけど、ホント 胸に刺さるわぁ、これは」
「この歌を届けたい《相手》でも できたのかな? 声ににリアリティがあったなぁ」
「誰の選曲なんだー?」
「……………そこは、ご想像におまかせしまーす♪」
絡んでくる上層部の追求は、ルーカスが明るく笑顔で かわす。
オリジナル曲では、情熱的に未来を掴みにいく《ひたむきな愛》。
洋楽女性ヴォーカル曲では、可愛らしくて《ハッピーな愛》を、そして最後の曲では、切ないけれど《ぬくもりを感じられる愛》を表現してみせたのだ。
「いやぁ、愛は愛でも、色々なかたちがあるねぇ」
「それを狙ってたんだろうけど……すごいわ。頑張ったね」
「みんなが諦めずに、よく団結して まとまったね」
「…………その点に関しては、ぼくたちも自信があります」
「あら」
「おぉ」
唯織の発言に、審査員たちはどよめく。
「唯織はすっかり、リーダーの顔が板についてきたな」
「うん、成長したね。……いや、させてもらった、のかな?」
メンバーと過ごすことによって、自分以外のことにも 気付き、より周囲を気遣えるようになったのが、何よりも大きい。
「………はい、メンバーのおかげで、ぼくも毎日 色々なことを学ばせてもらってます」
「それは、いい傾向だね」
「これからも頑張って!」
「はいっ! ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
問題が発生しても 最後には 上手く対処できたSTELLAは、初めての大きな《山場》を乗り越えたが、安心している場合でもない。
明日からの準備もあるため、本日の生配信は、いつもより早めの 十九時開始とさせてもらうことにした。
時間が違う分 視聴者の数が伸びなかったのは仕方がない。
STELLAのファンは年代層が幅広いが、社会人が多くいるため、夕方の時間帯は どうしても見れない人が出てきてしまう。
今後、一番 いい時間帯の統計をとって、配信のタイミングを考えていかなくてはならない。
夕方になって、ようやく上層部は、プロジェクトの 新しい《審査方法》を公式発表した。
それによると、合否の判定は、審査員が三十パーセント、ファンの方の割合が七十パーセントとすること。
ファンが 入れられるポイントは三種類あり、SNSの《ポイント》合計と、ストリーミング配信の《再生回数》と、公演での《観客動員数》だ。
「ファンが 七十パーセントは、デカいな」
「審査員 百人以上も、けっこう厳しいぞ」
審査員は 最終的に投票が行われ、プロジェクトに関わったスタッフ百名以上の《合格》を勝ち取ること。
ファンは 期日までのポイント数のみ 判断され、ファンのポイントの合格ラインは―――――
「ご!?」
「五百万ポイント!?」
あまりにも 高すぎるハードルに、奏良は天を仰いだ。
「奏良さん……それって、とてつもない数字なんですか?」
イメージの湧かないルーカスにとって、それが どういうことなのかピンとこない。
「あー……………えっとね」
いくら今回のハードルが高いと予測していたとはいえ、それは やり過ぎではないのか?
そう抗議してもいいくらい、その数字は計り知れない。
「今まで、こうした《ファン参加型》ってやり方が、なかったわけじゃないけど」
それでも、せいぜい 百万か二百万ポイントが妥当だった。
「いくら、テレビ放送があったり、SNS活動があるとはいえ………」
五百万。
生配信と 動画や写真投稿―――毎日 欠かさず行なっているSTELLAは、いち早く動き出して正解だったというわけだ。
「これは………相当 気合い入れてやんなきゃね」
「望むところだ」
「五百万どころか、倍の 一千万を 目指しましょうよ!」
「お前も デカく出たなぁ」
「でも、それくらい獲得するつもりじゃないと、合格はできませんよ!」
「………春くんの言う通りだね」
どのくらいポイントが入っているのかは、自分たちには わからないだろうし、気にしている余裕もないだろう。
公演が始まってしまったら、公演、練習、移動―――の繰り返しで、生配信さえ 微妙なところなのだ。
「明日からが、本格的な 《大一番》てわけか」
「そうだね……」
観客動員数だって、どのくらい来てもらえるかは、まだ未知数だ。
幸い、オリジナル曲の配信は好調だという、スタッフ情報だけは届いている。
「できれば、ランキングとかにも入れたらいいですね」
「そればっかりは、それこそ ファンの皆さんにお願いして、頑張ってもらうしかないだろ」
「………お願い、しますか?」
「お願いしちゃう?」
「唯織の得意な、《あざと可愛い》を全員でやるか?」
「オレは、あざと可愛いじゃなくて、マジで可愛いの!」
「自分で 可愛いって言ったよ……」
いつもの騒がしさは、みんなが元気でいるという バロメーターだ。
嬉しいやら、呆れるやら。
微笑ましい 弟たちの様子を見ながら、奏良は翌日の公演で必要なものを、改めて 頭の中で確認していた。
万が一のことを考えて、足りないものがないように。
やり過ぎくらいの準備をしたって、大袈裟ではないことは、過去の経験で知っているから。
五人で、成功させたい。
終わったときに、笑顔でいられるように。
その前向きすぎる《油断》が、奏良の《詰めの甘さ》だったのかもしれない。
惑わされないように、弱気にならないように。
そうやって、振り返らずにいたことで、見落としたことがあるとも知らずに。
他人の気持ちは制御できないからこそ、甘くみるべきではなかったのだ。
* * * * * * * *
十九時からの 生配信も無事に終了し、時刻は 二十時になろうとしていた時だった。
明日のことを考えて、今日は 早く上がろうと、最終確認をしていたのだが。
「―――――――奏良さん、遅くない?」
唯織は、スタッフに呼ばれて レッスン室から出ていった長女の戻りが やけに遅いことに気付く。
「あれ?」
「そういえば……」
「奏良さん、部屋から出ていったの何時だっけ?」
「えっと……確か」
「三十………いや、四十分は経ってるかも?」
「………チッ」
思わず舌打ちすると、尊から『やめろ』という視線が送られてくる。
別に、奏良に対して怒っているわけではない。彼女を 解放しない、周囲の人間に対してなのだ。
こういうことは、前から よくあった。
誰からも 頼りにされていて、いまだにスタッフの面倒までみたりしているのだ。
彼女が 今どれだけ大変な状況か わかっているのか―――と、何度 抗議したくなったことか。
もっと、自分のことを《優先》するべきだし、そうしたって 誰も責めないというのに。
その度に、唯織は 説明のできない《イライラ》に襲われて、かといって 何もできず、そんな自分の無能さにも 腹が立つ始末。
「……………」
けれど、過去のことを考えると、そう呑気に構えている場合ではないのかもしれない。
華やかな表舞台とは裏腹に、影では陰湿なことも多く起こる。
先輩である『Little Crown』のメンバーから 脅されたり、妬むスタッフからは 嫌がらせを受けたり――――奏良は隠したがるが、《妨害》に遭っているのは 紛れもない事実だった。
気付いてからは、なるべく 奏良から離れないように、目を離さないように―――さりげなく 一人にさせないように動いていたつもりだが。
奏良の方がいつも一枚上手であり、すぐに するりと逃げられてしまうのだ。
『子供じゃないんだから大丈夫』と呆れたように笑うが、大丈夫ではないから こんなに気を揉んでいるのに、なぜ 本人に伝わらないのだろう。
この歳になって――――何で こんなに、一人の人を追いかけ回しているのか。
追いかけるのは、趣味じゃないのに。
あまりにも一方通行過ぎて、馬鹿らしくなってくる。
「………………………ハァ」
胸に侵食した インクの染みのような感覚は、ますます広がるばかりで。
正体のわからない敵と永遠に戦っているみたいで、気力の消耗が激しい。
「………やっぱり、遅すぎる」
肌が、チリチリと焦げる感覚。
何かが、起きる前兆。
こういうときは、外れたことはない。
「…………尊」
「………あぁ」
二人で合図を交わし、捜しに行こうと立ち上がったとき―――――
恐れていた《最悪の事件》が起こってしまったのだ。
キャァァー
廊下から、女性の悲鳴が響く。
レッスン室全体が 防音設計になっていたが、それでも 室内まで届くほどの声は、普通ではない。
急いで 入り口の扉を豪快に開け、廊下に躍り出る。
果たしてどこの階なのか。
「今、何か聞こえませんでしたか!?」
「何かあったんですか!?」
廊下ですれ違う社員たちに聞きながら、先を急ぐ。
ただの、自分の《杞憂》であればいい。
彼女とは、何の関係もないといい。
ふらっと、きょとんとした可愛い顔で『どうしたの?』と現れてくれることを 切に祈りながら、無機質な廊下を駆けた先に―――――――
真っ青な顔で 震えながら座り込む女性スタッフと、悲鳴を聞いて駆けつけた 男性スタッフが二名。
そして、その横で 膝をついて蹲っている、その姿は まさに。
「―――――――奏良さんっ!!」
願いも虚しく。
捜していた、奏良本人だったのである。




