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サンシャーラ神話物語 -金色の戦士-  作者: 宝田旗子
4章 神話の女神(牢獄島編)
18/26

-金色の戦士- 第14話 邂逅

『サンシャーラ神話物語』

邂逅


岩壁を登りきると、風が止んだ。

島の内側は、外から見るより広かった。

断崖に守られた窪地に、石造りの建造物が積み重なるように立ち並んでいる。


帝国の旗が、夜風に揺れていた。

キリークは岩陰に身を潜め、息を整えた。

隣にガルが滑り込んでくる。

濡れた手を無造作に拭い、建物の配置を静かに観察した。

「見張りが四人」

「正門は無理ね」

「当然だ。付いてこい」

ガルが顎で示した方向を見る。

建物と建物の間に、細い隙間がある。

人一人がやっと通れる幅だ。

「行くわよ」

「俺が先だ」

ガルが音もなく動き出した。

キリークが続く。


石畳の上を、足音を殺して進む。

ファルサが使えない分、感覚が研ぎ澄まされる気がした。

音。

風。

気配。

体が自然と周囲を読もうとしている。

最初の見張りは、ガルが背後から無力化した。

声も上げさせなかった。

「慣れてるのね」

「傭兵の基本だ」

二人は建物の影を縫うように進んだ。


最初の関門は、中庭だった。

建物と建物に囲まれた広い空間。

松明が等間隔に立ち、煌々と照らしている。

見張りが三人、ゆっくりと巡回していた。

「渡れない」

「迂回路を探す」

ガルが建物の壁を確認した。

窓が一つ。

鉄格子がはまっている。

「外せるか?」

キリークは格子に手をかけた。

ファルサが使えれば一瞬だが——。

「時間がかかる」

「やれ。俺が見張りを引きつける」

「一人で三人を?」

「引きつけるだけだ。倒す必要はない」

ガルは中庭へ向かって小石を投げた。

見張りの一人が音のした方向へ向く。

その隙にキリークは格子を外しにかかった。

錆びている。力任せに引けば——。

ぎ、と音がした。

見張りが振り返る。

キリークは壁に張り付いて息を止めた。

見張りは首を傾げ、また歩き始めた。


(……もう一度)

今度はゆっくりと、均等に力をかける。

錆びた鉄が少しずつ緩む。

汗が額を伝った。

見張りがキリークのいる暗がりへ顔を向けかけた、まさにその瞬間だった。

ガルがまた投げた小石が、中庭の反対側の壁に当たり、キィンと甲高い音が弾ける。

絶妙なタイミングだった。

見張りの意識が完全にそちらへ逸れた一瞬の隙に、格子が外れた。

二人は窓から建物の中へ滑り込んだ。


建物の内部は薄暗かった。

松明が等間隔に壁にかけられ、石の廊下が奥へ続いている。

所々に扉があり、鉄の鍵がかかっていた。

「ここは収容棟か」

扉の向こうから、かすかな気配がある。

囚人がいるのだろう。

マイトレーヤも、こんな扉の向こうにいるのだろうか。

それとも……キリークは考えを振り払うように、前へ視線を戻した。


「下へ行く」

「ああ」

階段を下りる。

一段。

また一段。

石の壁が続く。

空気が変わってくる。

冷たく、重い。

ファルサの感覚が、ほとんどなくなっていた。


「キリーク」

ガルが低く呼んだ。

立ち止まる。

廊下の先、角の向こうに二人の兵士が立っていた。

武装が他の見張りより重い。

「精鋭だ」

ガルが囁く。

「正面は無理か」

「……いや」

キリークは直刀の柄を握った。

ファルサなしで、二人。

訓練を思い出す。

老師の声が蘇る。

剣は体の延長だ。

ファルサは補助に過ぎない。

「私が行く」

「無茶するな」

「見ててよ」


キリークは角を曲がった。

二人の兵士が振り返る。

間合いに入るまで、三歩。

一歩目で重心を落とす。

二歩目で軸を決める。

三歩目で踏み込んだ。

右の兵士の剣が来る前に、懐へ入る。

柄で顎を打つ。

崩れる体を盾にしながら、左へ回転。

左の兵士の剣を直刀で逸らし、足を払う。

二人が倒れた。

音は、最小限だった。

「……」

ガルが無言で近づいてきた。

倒れた兵士を確認し、短く息を吐いた。

「合格だ」

「そういうこと言うの、珍しいわね」

「珍しいから言った」

その一言が、じわりと胸に染みた。

不思議と、足が軽くなった気がした。


さらに下へ降りると、廊下の空気が変わった。

冷たさではなく——粘つくような重さ。

島を覆う重苦しさとは違う種類の、不快な圧迫感だった。

キリークは足を止めた。

「ガル、これ……」

「ああ」

ガルの目が細くなった。

廊下の先に、灯りがある。

松明ではない。

青白い、揺らがない光だ。

二人は慎重に近づいた。


廊下が広間に繋がっていた。

広間の中央に、一人の人物が立っていた。

帝国の軍服ではない。

黒地に金の刺繍が入った、見慣れない装束。年齢は読めない。

痩せた体つきに、指先まで細い手。

その手に、紙のような薄い札が何枚か挟まれていた。

人物はゆっくりと振り返った。


「……なるほど」

静かな声だった。

感情の起伏がない。

「君がキリークか」

キリークは直刀を構えた。

「誰?」

「アシュヴィンから話は聞いている」

男は札を指の間で滑らせながら、二人を観察するように見た。

「まさかここまで辿り着くとは。優秀だな」

その名に、キリークは直刀の柄をきしりと握り込んだ。

「アシュヴィンの仲間?」

「仲間……そうだな。まあ、そうとも言えるな」

ガルが横へ動いた。

男との距離を測るように、ゆっくりと。

男の視線がガルへ移った。

「傭兵か。余計な動きは勧めない」

男の指先で札が淡く光る。

しかし、その光はどこか不安定だった。

「忌々しい結界だな」

男は小さく吐き捨てた。

次の瞬間、男の指から札が一枚飛んだ。

ガルが跳んで避ける。

札が壁に貼りつき、青白い光を放った。


(この結界の中で術を――!?)

壁から、光の帯が伸びてくる。

キリークは反射的に横へ跳んだ。

光の帯が床を走り、足元の石畳を焼いた。

「拘束術だ」

ガルが短く言った。

「威力が落ちてこれか。当たるなよ」

「ガルこそ!」

男は静かに次の札を構えた。

キリークは踏み込もうとした。

しかし――男が消えた。

いや、消えたのではない。

一瞬で、位置が変わっていた。

気づけば男はキリークの右後方に立っていた。

「くっ!」

振り返る前に、男の手が動く。

仕込み刃が袖から滑り出た。

キリークは首を傾けて避けた。

髪が数本、宙に散る。

すぐに距離を取る。

(転移ではない。目で追えた……!)

「ガル!」

「見てる」

ガルはすでに動いていた。

男の注意がキリークへ向いている隙に、背後へ回り込む。

男が気づいて振り返る。

その一瞬——キリークが正面から踏み込んだ。

牽制の斬撃。

本命ではない。

男が後退する。

その先に、ガルがいた。

男の手首を掴み、仕込み刃を封じる。

同時に、キリークの直刀が男の喉元に突きつけられた。

静止。

男は抵抗しなかった。

ただ、かすかに笑った。


「……遅すぎた」

「何が」

「依代は既に動き始めている」

キリークの眉が寄った。

「何を言ってるの」

男の瞳に、暗い狂信の光が宿った。

「神は目覚める。深淵に微睡んでいた真なる主が、この世界へ還ってくるのだ」

男の言葉が、耳の奥にねっとりと絡みついた。

意味は分からない。

しかし、マイトレーヤと、この男の狂信的な瞳が、頭の中で結びつきかけていた。

その想像を、キリークは意識して断ち切った。

今は、目の前のことだ。

「無垢なる器は、すでに満たされつつある。お前たちがいまさら辿り着いたところで、神の産声の前には何の……」


ドンッ、と鈍い音が響いた。

直刀を突きつけられたまま悦に入って語り始めた男の首筋に、ガルが容赦なく手刀を叩き込んだのだ。

男は糸が切れたように崩れ落ち、動かなくなった。

「ガル?」

「これ以上はろくな事を喋らん。時間の無駄だ」

その言葉とほぼ同時だった。

カン、カン、カン!

甲高い警報の鐘の音が、上層の廊下から響き渡った。

複数の重い足音が、階段を駆け下りてくる気配がする。

中庭で倒した見張りが発見されたらしい。


「追手が来る」

ガルは気絶した男を一瞥し、忌々しげに息を吐いた。

「帝国の人間じゃない。帝国を利用している『何か』だ。それだけは分かる」

「何かって?」

「今は先へ行け!」

足音が迫る。

キリークは一度男を見てから、前へ向き直った。

依代。

神。

無垢なる器。

言葉の意味は分からない。

しかし、何か大きなものが動いている気がした。


廊下の先に、扉があった。

最深部への扉は、他と違った。

鉄ではなく、石だった。

ガルが警戒しながら、その重い石の扉に手をかけ、ゆっくりと押し開けた。

鈍い摩擦音が反響し、中からひどく冷たい空気が流れ出してくる。


扉の向こうは、窓のない石室だった。

そして——部屋の中央に、人影があった。


石の床に座り込み、両手首に見慣れない拘束具を嵌められた女性。

長い青銀髪が床に広がり、閉じた瞳は微動だにしない。

息はある。

しかし、眠っているというより、沈められている、という感じだった。


「……誰?」

キリークは思わず近づいた。

拘束具から細い鎖が伸び、壁へ繋がっている。

その壁の表面に、見たことのない文字が刻まれていた。

帝国の文字ではない。

もっと古い、別の何かだ。

「囚人……?」

「違うな」

ガルが低く言った。

「あの拘束具、見たことがない。普通の囚人への扱いじゃないな」


キリークは女性の顔を見た。

整った顔立ち。

しかしその周囲の空気が、どこか違う。

冷たく、深く、静かだ。

しかしその眉間に、わずかな歪みがある。

眠りの中で、ずっと苦しんでいる。

知らない人だ。

名前も、事情も分からない。

それでも——誰かがずっと苦しんでいるのに、何もしないでいられる人間に、キリークはなれなかった。


「マイトレーヤは……」

「ここにはいない」

分かっていた。

分かっていたが、声に出すと胸に刺さった。

キリークは唇を引き結んだ。

弟はいない。

しかし、目の前に苦しんでいる誰かがいる。

ここで見過ごせば、何も守れなかったあの日の自分と同じになる。

助けられるかもしれない。

今度は、間に合うかもしれない。


「……放っておけるわけ、ないでしょう」

呟いて、直刀を構えた。

拘束具の鎖へ、刃を当てる。

「待て」

ガルが手を掴んだ。

「あの文字が何か分からない。拘束を解いたら何が起きるか……」

「見て」

キリークはガルの手を外し、眠る女性の顔を指した。

眉間の歪みが、さっきより深くなっている気がした。

ガルは沈黙した。


キリークは刃を当て、力を込めた。

ファルサなしでは時間がかかる。

しかし——少しずつ、鎖に傷が入っていく。

その瞬間だった。

「キリーク、壁に寄れ!」

ガルの切羽詰まった声に、キリークは反射的に身を翻した。


闇の奥。

そこには、いつの間にか人影が立っていた。

「……随分と、遅かったな」

冷たく、感情の抜け落ちた声。

揺れる松明の光の中に、一人の男が足を踏み入れた。

帝国の将校服。整った顔立ち。

そして、光の宿らない虚ろな瞳。

キリークの呼吸が、凍りついた。

「……アシュヴィン」

幼馴染の名前が、冷たい石の壁に反響した。

喉から絞り出した声は、自分でも驚くほど静かだった。


怒りでも悲しみでもない。

何か、もっと深いところが——音もなく、ひびわれていくような感覚だった。



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