第17話【6月8日/9日】柏木の中の歪みと矛盾
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4月8日に行われた新入生歓迎会。その会場となる体育館に柏木と理子はいた。理子は柏木の姿を見て思う。
(今年も……あの胡散臭い不審者に教わるのか……)
対して柏木も理子の姿を見て思う。
(何か俺……あの子にめっさ嫌われてる気ぃする……)
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【柏木の視点】
──6月8日。
新入生歓迎会から2ヶ月以上が経ち、柏木と理子の仲は劇的に親密さを増した。勿論、倫理的にも法的にも許されない関係だ。キス以上の行為はしなかったが、未成年の生徒に対し不必要な接触があるだけで、十分処罰の対象になる。
2人共、頭では分かっていたが、行動を制限するには至らない。平日は音楽準備室で逢瀬を重ね、休日にデートを楽しんだ。
「ねぇ渚、いつから私の事を好きだったの?」
ソファーで寛ぎながら、理子は柏木に質問を投げかける。
「知りたい?」
「当然」
柏木は円錐形のドリッパーに湯を注ぎ、浅煎りのコーヒーを抽出しながら、答えた。
「正直、いつからなのか自分でも、よう分からへん。ハッキリ意識したんは二人で海行った時かな……」
マグカップを用意しながら柏木は語る。
「ただ……随分前から理子に対して劣等感は抱いてた」
「何で?」
「……俺はずっと自分は無力やと感じとった。いつも肝心な所で判断を誤るから…………羨ましかったんや……君が。正しい判断を下せる理子が、完全無欠に思えてん」
「そんな事ないよ。私はいつも考えなしに突っ走ってるだけ」
理子は自分を卑下した。
「……謙遜は時として、相手を傷つける刃になんねんで」
真顔の彼を見て、理子は察する。
「ごめん」
柏木はそれに返答せず、無言のままコーヒーを注ぐ。注ぎ終えたサーバーを片付けてから、またポツリポツリと話し出した。
「あの日、タクシー降りたら正体を明かすつもりやった。でも……困惑してる理子が可愛く見えて……いや実際可愛いねんけど……」
言われて理子は照れる。
「何か、そこで終わるん勿体無い気ぃして、もっと違う色んな理子が見たなってん…………はい、コーヒー」
柏木は理子にマグカップを渡した。
理子をタクシーで送った
あの日……柏木は、戸惑い慌てる理子を心から愛らしいと思った。その気持ちに嘘偽りは無い。
だが、それと同時に彼女を陥れたいと、彼は思う。好意を抱いた相手を慈しみたいと願いつつ、弄びたいと望む。心の奥底に沈めた理子に対する劣等感。複雑な感情と多様な願望が、柏木の中に潜んでいる。
柏木は、秘密が露見する事を何よりも恐れながら、その対象を手中に納めんとした。
(完全無欠じゃない君を見たい思った)
(僕みたいな屑の手に堕ちる君が見たかった)
(……だけど結局、君に対する好意を自覚し、呵責が渦巻く……)
(彼女と言う完全無欠の羊に憧れ、嫉妬から毛を刈ろうとした結果、毛を刈られたのは僕の方だった……)
「こーゆーやつ、他に何て言うたっけ?」
「何の話?」
「諺や。羊の毛を刈るつもりが自分の毛を刈られる」
「んー……ミイラとりがミイラになる、みたいな意味?」
「あっ! それや」
「何? ミイラにでもなったの?」
「なったなった。俺、理子にミイラにされてん」
「は? 何それ?」
「ほんまは、俺の好みは20代半ばからやねんで。
りっちゃんのせいで、まるでロリコンや~ん」
柏木は戯けて言った。
「はぃい?? 私のせい? 先にちょっかいかけたのは渚でしょ? ムカつく!!」
理子は柏木の腕を軽く叩く。叩かれた柏木は楽しそうに笑った後、急に真面目な顔をした。
柏木はソファーから立ち上がり、座っている理子の前に膝をついた。理子の制服のスカーフを優しく掴み、上体を引き寄せてスカーフにそっと口づけをした。
「君が俺を堕落させたんや。責任取れよ?」
理子のスカーフを掴んだまま、彼女の胸元で囁く。その声は低い。いつもと違う音調に理子は怖じける。
「嫌?」
柏木が尋ねた。
「ヤじゃない」
理子は彼を抱き締めた。
もうすぐ昼休みが終わる。時間が迫るなか、2人は蜜の様な幸福感を味わっていた。
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【理子の視点】
理子は当初、不審者スタイルの非常勤講師を好きになれなかった。
顔を隠すと言う行為は、突き詰めれば【見られたら困る事情を抱えている】と言う事だ。そんな訳あり講師を無条件で受け入れる程、彼女は慈善的ではない。
どちらかと言えば彼を嫌っていたが、興味がある訳でも無かった。単位さえ取れれば、正直どうでも良かったのだ。
──昨年の夏。
理子が校舎を出て帰路につこうとした……その時、理子は背後から気配を感じ、振り返った。見上げると、三階の窓際に柏木がいた。顔の向きはやや別方向を向いていたが、こちらを見ている気がしてならない。
一瞬、目が合った気がするが、互いに反応はしなかった。
(……見られてた?)
奇妙に感じたが、それ以上は気にせず家路を急ぐ。
(……あんな奴の事を考えても仕方が無いや)
理子はそう考えたが、この日を境に、柏木からの視線を感じるようになった。勿論、不審に思ったが、直接的な接触が無いので、無視を決め込んだ。見られて嫌な人はいるだろうが、図太い性格の彼女はあまり気には止めなかった。
それよりも、クラスで起こった喧嘩の仲裁や、近所で産まれた仔猫の里親探しや、その他諸々の問題の方を優先した。
その結果、それらの問題に奔走する理子の姿が、柏木の中の劣等感を刺激したらしい。安易に考えもせず、行動するのは理子の悪い癖だが、柏木の目には違って見えた。
そんなおり……お礼に釣られノコノコと参じた合コンが、2人にとって転機になった。
──合コンの日。
開かれた戸の前に、白金髪の青年が立っていた。
虎の様な圧倒的存在感を放ち、獅子の如く美しい容姿をした青年は、身軽な猫を思わせる動きで理子の前に鎮座する。
その場にいた全員がその姿に目を奪われ、理子も、目と、心を奪われた。
【理子、僕達は初対面ではないよ。僕の事を忘れちゃった?】
タクシーの中で、彼は優しく微笑み、理子に対してそう言った。その問いかけに「人違いでは?」「覚えていない」と返す。
【……そっか、分かった。無理を言った様だね。ごめん理子】
そう言って彼は悲しげに微笑む。彼の仕草一つ一つが、理子の心を揺れ動かす。
彼からの連絡を待つ間も、理子は四六時中、彼の事を想う。
(これじゃあ、まるで……恋してるみたい……馬鹿か私は……)
その時は否定的だったが、思い返せばそれは恋の始まりだった……
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──6月9日。
音楽準備室のソファーに、柏木と理子が寝そべっていた。柏木が仰向けに寝ている上に、理子がうつ伏せになっている。
理子は語り出す。
「貴方だとは気づかずに、貴方の素顔を初めて見た。凄く綺麗で驚いた。目の前の席に座った時、正直ドキドキしたし、嬉しかった……まさかあの後、連れ出されるとは予想して無かったけどね」
柏木は黙って理子の話を聞いている。
「……個人情報を知られてたのは本当に怖かったよ? 帰宅してからも、かなり不安で悩んだんだから……それが、まさか音楽の先生だなんて思いもしなかった。大阪弁じゃなかったしとは言え、気づくチャンスはあった筈なのに、何で気づかなかったのか……今考えても不思議……」
理子が気づかなかったのは当然だ。それも柏木の仕業だった。
「ミヒャエルと渚が同一人物だと気づいてから、ずっと貴方の事を考えてた……」
理子は起き上がって柏木を見つめる。
「……で? いつ俺に惚れたん?」
柏木が理子に尋ねた。
「……知りたい?」
いつも柏木が言う台詞を、今日は理子が言った。
「……当然」
いつも理子が言う返事を、今日は柏木が返す。
「……残念……内緒」
そう言うと、理子は柏木に唇を重ねた。暫く互いの口を吸い、抱き合う。
しかし急に、柏木が理子の肩を掴んで引き離した。
「はぁ……はぁ……」
苦しそうに息をする。
「何? どうしたの? 大丈夫?」
理子が心配する。
「……いや、何もない……りっちゃんが可愛すぎて、理性が崩壊しかけただけ」
柏木は戯けて答える。
「はっ?!!」
理子は、茹で蛸の様に赤くなってしまう。
「もうっ! 馬鹿!」
「はは……すまん。かんにんして」
この時、柏木は笑っていたが、内心は酷く焦っていた。
(……危なかった……うっかり彼女を食べてしまうところだ……)
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【お知らせ】ここにあった簡易漫画は、描き直してから後日貼りつけます。




